トゥエンデ ポレポレ

マライカのひとりごと

ルダシングワ真美さんの講演会「希望のルワンダ」

2008年04月29日 | 東アフリカ耳より情報
 ジャンボー!
滝田明日香さんについでまた素敵な友人をご紹介します。
ルダシングワ真美さんは、わたしの親しい友人の一人で、真美さんの
だんな様、ガテラさんもふくめて長きに渡る付き合いがあります。

ルワンダ共和国は東アフリカにある小さな国ですが、ご存知のように
14年まえ悲惨な大虐殺がおきました。地雷を踏んだり、ジェノサイドの
とき手足を失った人々が大勢できましたが、その戦火の焼け跡で1997年、
真美さんはガテラさんといっしょにワンラブを立ち上げ、ルワンダの首都
キガリで義肢製作所をはじめました。
植民地支配時代に作られた部族概念の問題、義肢を配布したあと障害を
持つ人々がどうやって生活自立するか、これからの課題が山積みですが、
ワンラブはは地道にルワンダ障害者支援の活動を続けています。
真美さんとガテラさんの粘り強い活動を通して、わたしも大きなこころの
支えをえています。

ルダシングワ(吉田)真美さんとガテラさんが主催するワンラブの詳しい
活動については以下のサイトをご参照ください。
ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト
http://onelove-project.info/index.html

<講演会の詳細>
日時:4月29日(火) 15:10ー16:40
場所:東海大学湘南キャンパス13号館202号室
主催:東海大学国際学科 国際理解講座
入場無料

ルワンダの障害を持つ人々の自立支援する真美さんは、「ビビ」のニックネ
ームでルワンダの人々に愛され親しまれています。
ルワンダのつらい経験と国の平和再建に向けての真美さんたちの取り組みは、
今回政治混乱と暴動を経験したケニアだけでなく世界中が学ぶことがたくさん
あると思います。

障害者問題やアフリカに関心のある方、真美さんの講演会に
トゥエンデ!(Let's go!)



滝田明日香さんの「情熱大陸」②

2008年04月29日 | ケニア耳より情報
 ジャンボー!
滝田明日香さんの「情熱大陸」が放映されて、すっごい反響だったようですね!
(わたしも見たかったよ~)
日本に住んでいるたくさんの人が明日香さんに熱いエネルギーをもらった
ことと思います。

明日香さんの魅力は「今」を全身で生きていること、
アフリカのいいとこも悪いとこも、ありのまんま見て本音で語ること、
明日香さんの言葉は裏表がないので、まっすぐこころに入ってきます。
それから、明日香さんは自分自身の主張をきちっと持ちながら
かつ人の意見を聞くやわらかさがあり、ドキッとするくらい素直で
純真な人です。
明日香さんはとても大きな可能性を秘めたひとだと思います。

わたしもDVD見せてもらおうっと!
楽しみ!楽しみ!

滝田明日香さんの「情熱大陸」

2008年04月27日 | ケニア耳より情報
 
ジャンボー!
ケニア耳より情報です!
友人の滝田明日香さんが今夜放映される「情熱大陸」というテレビ
番組に出演します。

「情熱」という言葉は、滝田明日香さんのためにあると思います。
火炎樹はアフリカ的な華やかさと、凛とした日本的な美しさもあり、
わたしの大好きな花のひとつですが、このアフリカ大陸の情熱のような
花を見るたびにいつも明日香さんのことを思い出します。

アフリカの大地が大好きで、アフリカの人々と野生動物に惚れて、
マサイマラの動物保護区とマサイの人々の地域社会の架け橋になろうと
マサイの家畜診療の仕事に従事する明日香さんですが、
現実にはいろんな問題や困難が日々生じます。

でも明日香さんは自分の気持ちに正直に、内から湧き出る情熱という
エネルギーを燃やしつづけ、たくさんの困難と取り組んでいます。
そんな明日香さんに、わたしはどんなに励まされ、前に進む力をもらって
いることでしょうか。
明日香さんのアフリカの自然と動物と人間に対する愛と、輝くエネルギー、
「情熱大陸」で思いっきり感じてくださいね!

番組名  「情熱大陸」
放映日  4月27日(日)23:00~23:30 
放送局  毎日放送(全国ネット)

日本に住んでいるひと、いいな、いいな、わたしも見たいなー!



②火炎樹(カエンジュ)

2008年04月26日 | 東アフリカの植物さんぽ道


この火炎樹の花は、つぼみのなかに水分を含んでいて、開花するとき噴水の
ようにスパークするので、別名fountain tree(噴水の木)とも呼ばれます。

この花弁のなかに含む水は、アフリカのある地方ではスーパースピリチュアル
パワーがあると信じられ、願い事を祈願するときの霊水として使われます。
でも、この火炎木の花はかなり高い位置で開くため、花の噴水がスパークする
瞬間になかなか遭遇することができません。
また水は花が開いた直後でないと飛び散ってしまうので、採集するタイミング
がとてもむずかしいです。

ある日、わたしはこの霊水をどうしても試してみたくなって、火炎樹の下に
ランクルを駐車し、車の屋根のてっぺんによじのぼって、開いたばかりの
火炎樹の花の霊水を少しだけ飲んでみました。
「甘い!」
ちょっとトロミがあって、蜜水のようです。
花に含む水の量は思っていたより少なく、でもたしかになんだかありがたい
ゴリヤクがありそうなかんじです。
鳥やハチも寄ってきました。
火炎樹の花の霊水を飲んですっかり満足したわたしは、ぐらぐらする不安定
な車の屋根の上から、夢中で花の写真を撮りました。
何枚か撮ったあと、
「ハッ」
と気がつくと、わたしの車のまわりはアスカリ(警備員)、ワクリマ(農民)の
人だかり。みんな心配そうに車の屋根の上のわたしを見上げています。
どうやら鳥といっしょに花の水を飲んでいるわたしは
「ワジム(気のふれた人)」
と思われてしまったようです。




①火炎樹(カエンジュ)

2008年04月26日 | 東アフリカの植物さんぽ道
ジャンボー!
東アフリカは魅力的な植物があふれんばかり、わたしにとってはわくわくする
植物宝庫の大陸です。
植物の好きなかた、わたしといっしょに東アフリカの植物散歩を楽しみませんか?

東アフリカの雨季の風物詩を代表する木に火炎木があります。

英名    Nandi flame ナンディフレーム
和名    火炎樹(カエンジュ)
ナンディ語 Sebetaiyet
学名    Spathodea campanula (indigenous)

火炎樹の花はオレンジがかった赤ですが、花びらの先端は金糸で縁取りを
したようなフリンジがあり、花が咲くとその名の通り炎が燃えているように
見えます。

この火炎樹は、痩せた乾燥地においても、いったん大地に根をおろすと、
どんな干ばつがきても耐えることができるdrought-resistanceの強い種で、
雨の晴れ間、青い空を背景に燃えるように咲く華やかな火炎樹は、まさに
アフリカ大陸にふさわしい原生種です。

火炎樹の種は発芽率がきわめて良好で、しかも早く成長するため、ミツバチの蜜源、
木彫り、太鼓など工芸用木材、家具財、炭材になり、森林再生にも最適種です。
また薬効効果もすぐれ、樹皮の煎じ汁は、肝臓疾患の治療薬となり、赤ちゃん
が生まれたときは産湯として使われ、あせもなどの皮膚疾患を防いでくれます。

火炎樹は生活に役に立つばかりでなく見た目にも美しく、人々の暮らしにるおい
をもたらす東アフリカの大切な有用樹のひとつと言えましょう。





masika マシカ (大雨季)

2008年04月22日 | チョー簡単スワヒリ語
ジャンボー!
4月のケニアはmasika マシカ(大雨季)真っ只中です。
バナナの葉っぱを傘にして歩くムスリムの少女が
とってもかわいいです。

mvua    ムヴア(雨)*
mwavuli  ムワヴリ(傘)*

*発音
スワヒリ語の発音はほとんどの場合、単語の終わりから二番目の音節に
おかれます。
mvuaのようにmの次に子音が来るときは、口を閉じたまま鼻から「ム」と
発音するので、日本人にはほとんど(ム)ヴアと聞こえます。
mwはmuと同じ発音ですから、mwavuliもマヴリと発音したほうがわかり
やすいです。

ちなみにケニアは一年を大きく4つの季節にわけます。

masika   マシカ(大雨季)
kiangazi キアンガジ(大乾季)
vuli     ヴリ(小雨季)
kipupwe/baridi キププウェ/バリディ(寒季)

雨はうれしいのですが、拙宅付近では雨が降ると落雷を避けるため
送電ストップになり停電が続きます。
水風呂さむいよー。
今日は友人宅にパソコン用の電気をもらいに行ってきました。



UKIMWI ウキムウィ(エイズ)

2008年04月21日 | スワヒリ語便り
 
 ジャンボー!
マパチャのジョエルさんたちが懸念するように、ケニアでは年間エイズによる死亡
者は12万人、エイズで親を失ったエイズ遺児は120万人以上と推計されています。

エイズはスワヒリ語で「UKIMWI(ウキムウィ)」
Ukosefu wa Kinga Mwili(免疫不全)の略です。

ケニアではエイズウィルスを抑える抗レトロウィルス薬(ARV)を政府が無料化
するなど感染者の治療に成果をあげていますが、しかし薬を処方する診療所が遠か
ったり医師も財源も不足し、結局一番貧しい人々には治療薬は行き渡っていないの
が実情です。

ナイロビの街角ではエイズを警告する看板が目を引いています。

「KAA CHONJO  (Stay alert)  警戒しよう
 EPUKA UKIMWI (Avoid AIDS) エイズを避けよう」



mazoezi マゾエジ(練習)

2008年04月21日 | チョー簡単スワヒリ語
ジャンボ~!
今月から、チョー簡単スワヒリ語の新連載をはじめま~す*

このコーナーでは拙著「旅の指さし会話帳ケニア」の紙面の
都合で書けなかった単語の補足や簡単な説明をしていこうと
思います。

「スワヒリ語の語彙を増やしたいけど、生活に関連がないと
なかなか覚えられなくって」という方が、東アフリカの人々や
風物の写真を見て、楽しみながらスワヒリ語単語を覚えるお手伝い
ができたら幸いです。
わたしもこのコーナーのために楽しみながら写真を撮りました。
時には道ばたでデジカメをもったまま、うーんと考え込むことも
ありました。
このコーナーでは、読者の皆さんと東アフリカをいっしょに散歩し
あれこれ見聞しながらスワヒリ語を話す人々とふれあえたらうれし
いです。

第一回目の単語はmazoeziマゾエジ(練習)です。
マパチャの楽器をさわって、カマウ君はギターのマゾエジして
います。カマウ君、未来のケニア大スターかな?

■zoeaゾエア(慣れる、親しむ、練習する)
■Kamau anafanya mazoezi ya gita.カマウ アナファニャ 
マゾエジ ヤ ギター(カマウはギターの練習をしている)
■kupiga ngoma クピガ ンゴマ(太鼓を叩く)




マパチャ・アフリカ③アデウデウ

2008年04月21日 | 東アフリカの音楽
 
ジョエルさんのグループ、マパチャ・アフリカはアデウデウというイテソ族の伝統
ギターを演奏の中心に使います。アデウデウは大から小まで全部で7種類あり、こ
の7種類のアデウデウの弦楽器と太鼓でハーモニーを作り出します。

アデウデウのベースになる大きなギターは二人がかりで演奏し、大きくパフォーマ
ンスしながらギターの弦を弾く様は、人目を惹きまるで箱舟を漕いでいるような楽
しい演奏です。
子どもたちはもちろん、洗濯ものを干しにきたママたちも途中から踊りに飛び入り
参加し、マパチャはカワングワレの人気ものでした。

ジョエルさんたちは、
「今回の暴動が起きたとき、ケニアをなんとかしたいと切実におもった。
暴動が起きたのは政治のせい。でも暴動を起こしたのはじぶんたちの世代。
じぶんたちのせい。人と人がオヴョオヴョ(めちゃくちゃ)に殺しあったり、
こんなウビナフシ(利己的)なことになったのも、ヘシマのこころを学ぶ
きっかけがなくなったから。」

「グループ名のマパチャというのはtwin(双子)という意味だけど、キクユも
ルオーもカレンジンも、ルイヤーも、同じお母さんから生まれたツイン兄弟のよう
暮らそう、という願いをこめてつけた。僕たちはみんなアフリカ人でダムモジャ
(ひとつの血)なんだから。」

さて、このマパチャ・アフリカのジョエルさんとカワングワレの住人オニャンゴさ
んには、ある小さな物語があります。今回の暴動真っ只中に起きたこころ打つ実話
です。マパチャ・アフリカの実話は、今度NHKの世界の朝のニュースで紹介されます。
放映予定日が未定で、ここ一ヶ月ぐらいのうちに放映されます。
放映といっても、二分ぐらいの短い朝のニュース番組ですが、
平和を再建しようとがんばっているマパチャの新曲も披露されますので、
マパチャとケニア庶民が音楽によってケニアを立て直そうとする姿、
ぜひご覧くださいね!お見逃しなく~*




マパチャ・アフリカ②先人の教え

2008年04月21日 | 東アフリカの音楽
ジョエルさんはお祖母さんが語るザマニザカレ(昔の物語)やハディシ(民話)を
聞いて育ちましたが、ジョエルさん自身も昔のはなしが好きで、マパチャの歌には
それが反映されているそうです。

ジョエルさんは、「田舎にいたときは、今回の暴動のようなことは決してなかっ
た、昔の物語のなかには、やってはいけないこと、やらなければいけないこと、
人が生きる教えのようなものがあった」といいます。

ちなみにジョエルさんは36歳、ジョエルさんが生まれたブシアはケニアとウガン
ダとの国境の町で、よっていろんな部族が出入りするため、ジョエルさんは自分の
部族語イテソ語だけでなく、ルイヤー語、ルオー語、ガンダ語、ファミア語、スワ
ヒリ語、英語を話し、ジョエルさん一人のなかに多民族が混合しているそうです。
ジョエルさんはたくさんの言語を話すことができますが、カワンゴレで歌うときは
多くのひとにわかるようにケニアの共通語スワヒリ語で歌っています。

ジョエルさんに、カワングワレのスラムで歌い始めたきっかけを聞くと
「スラムの住人は仕事がなく、みんな貧しすぎて楽しみがない。
ここでは自分が子供時代に田舎の祖母から聞いて自然に学んでいった部族のアディ
リ(モラル)とかヘシマ(リスペクト)がなくなっていくことに気がついた。そん
ななくなっていくものを歌とかダンスを通して、子供たちに楽しく知ってもらいた
いな、と思った。」

ジョエルさんが孤児として育ったことでいちばん苦しかったことは
「学費の工面。ぼくの子ども時代は当時モイ政権だったので、初等教育の小学校
ですら有料で学費の捻出がいちばん大変だった。
ぼくを育ててくれる祖母もその日暮らすのがやっとの貧しい生活。
高等学校に進みたかったけど、とても無理だった。」

マパチャを結成したきっかけは
「歌をうたっているときは、つらい事を忘れることができる。孤児として生きるこ
とは、どこにもつかまるとこのないセメントの壁をひとりでよじのぼっていくよう
なもの。それは大変なことだった。」
と当時を回想します。
孤児であることの辛酸をなめたジョエルさんは、そのつらい子ども時代の経験か
ら、次世代の子どもたちにはじぶんと同じ思いをさせたくない、特にケニアに蔓延
するエイズから孤児になってほしくないという思いから、マパチャの仲間といっし
ょに、ウキムィ(エイズ)は危険な病気だと子どもたちに警告する
「アンガリア(気をつけて)」という歌を作りました。