第三回ケニア盲人事情
ケニアにはカメメFMというキクユ語ラジオ放送がある。
カメメFM放送は2000年から始まり、ケニアの最大人口を占めるキクユ民族
の人々に爆発的な人気を呼び、あっというまにケニアの中堅ラジオ放送局のひ
とつになった。
このキクユ放送には話題の本を取り上げる「Book Club」という朗読番組がある。
放送日は毎週火曜日、夜10時から11時までの1時間番組である。
毎回取り上げられる本は、キクユ語に翻訳されて朗読されるが、キクユ語しか話
さないい高年齢層や、経済的な理由で学校教育を受ける機会のなかった英語の
わからないキクユの人たちから絶大な支持を受け、この「ブッククラブ」はカメメ
FM開局以来8年経った今も続いている人気長寿ラジオ番組だ。
2000年にこの番組がスタートしたときから、「Book Club」はンジェンガ君
のお気に入りのラジオ番組だった。ンジェンガ君は
「盲人のための合宿セミナーがあるときでも、この番組は絶対にミス(聞き逃し)
しません。小さなラジオを外出先にもっていき、かならず聴きます。」
娯楽のほとんどないキクユ族の盲人にとって、この番組は毎週心待ちする楽し
みな番組のひとつで、ティカ盲学校時代のンジェンガ君の友だち、全盲のワゴ
ンド・ジャコブもジョアキム・ガトゥもこの番組の大ファンだ。
この朗読番組がキクユ族の視覚障害者にどれほど大きな希望を与えているか、
ブッククラブ番組担当者は知っているだろうか。
このブッククラブ番組はメンバーになると、会員は番組で読んでもらいたい本
をリクエストすることができる。ンジェンガ君はもちろんすぐ「Book Club」に会
員登録をした。
「ケニアのテレビはくだらない番組が多いです。盲人に役に立つテレビ番組
はニュースぐらいで、ぼくはラジオを聴くことが多いですね。」
ンジェンガ君が住むリムル地域は電気がとおっているが停電が多く、ンジェン
ガ君がラジオを聴くときは乾電池を入れて聴く。小さいラジオ用の単三の乾電
池は一ケ15sh(30円)で四ケ必要だ。勤務先のケニア障害者協会の給料
が4ヶ月も遅配しているンジェンガ君にとって乾電池代の出費は痛い。
「最近停電が多いので、先月入れた乾電池がもうなくなりました。ケニアの乾
電池はすぐなくなって困ります。」とため息をつく。
2006年クリスマスも間近い12月5日火曜日の夜、ンジェンガ君はいつも
のようにラジオをカメメFMの周波数101・1に合わせ、ブッククラブ番組
アナウンサーのワニョイケ・イヴァンス氏の声に耳を傾けていた。
ワニョイケ氏はワンガリ・マータイ女史が書いた話題本「Unbowed」について
紹介をした。
この本は出版記念会も行なわれケニア国内で話題にもなっていたが、マータイ
女史がノーベル平和賞を受賞したといっても、ケニアの田舎や僻地ではノーベ
ル賞の意味やその価値がわからない人も多い。この原著は英語で書かれてい
るが、番組で取り上げる本をキクユ語に翻訳し朗読するのはナイロビ大学のム
ワンギ・イリベ氏だ。
ムワンギ氏の「Unbowed」のキクユ語朗読が始まった。
「Unbowed」はマータイ女史の自叙伝で、彼女の生まれ故郷ニエリで過ごした
幼年時代の思い出、米国留学、米国からケニアに帰国後始めたグリーンベルト
運動、モイ独裁政権下のグリーンベルト運動に対する弾圧とその抵抗と戦い、
たくさんの困難、苦悩にぶちあたりながらも、その困難を不屈の信念で乗り越
え、自分の志のために常に前に進み続けたマータイ女史の半生を書いたもの
だった。
ンジェンガ君はムワンギ氏によるマータイ女史の半生記の朗読が始まってすぐ、
話に深く引き込まれた。毎週ラジオから流れる朗読に没頭し回を重ねるごと
ますます夢中になって聴いた。
「モイ政権下の80年代に、マータイさんの自宅をかねたグリーンベルトのオ
フィスに突然ドロボーが入りました。ブンドゥキ(銃)とパンガ(大ナタ)をもっ
たドロボーグループに、マータイさんは事務機器、書類、家財道具を強奪され
ました。」
「これはドロボーをよそおったケニア政府の手先のしわざでした。政治権力者
の国有地私有化に反対運動をおこしていたマータイさんは、ケニア政府のアド
ゥイ(敵)でした。だから、この事件はマータイさんに対するスンブアスンブア
(いやがらせ)でした。」
「さいわいマータイさんは無事だったけど、マータイさんはとても絶望しました。
でもマータイさんは活動をあきらめませんでした。」
「自分と同じキクユの血を持つ同胞が、しかも女性が、命の危険にさらされな
がらも、自分の信念をつらぬいて権力と戦って生きた。そのマータイさんの生
き方にぼくは何度も心がゆさぶられ感動しました。」
ンジェンガ君はその頃、サファリコム基金に応募するため何ヶ月にもわたって
調査をし書類を作り応募したが、半年にわたる奮闘努力のかいなく審査結果
はリジェクト(NG)だった。さらにその頃、ンジェンガ君の住むバナナヒルの
下宿先にドロボーが入り、鍵がかかっていた戸棚が壊されンジェンガ君の最後
の持ち金だったお金が盗まれるという事件が起きた。勤務先の障害者協会の
給料遅配。仕事がない。お金が底をつく。行動の自由がない。
ンジェンガ君にとって失意の日々が続く。
そういう日々を送っているときに聴いた朗読だった。ンジェンガ君は
「マータイさんの本はぼくのこころを明るく照らすジュア(太陽)みたいでした。」
ンジェンガ君はケニアの盲人にはさまざまな制約があるが、マータイさんの本を
点字本にして、地方でなすすべもなく将来に希望も見出せずむなしく暮らしてい
る自分たち盲人仲間にマータイさんの明るい太陽を届け、元気に生きる力を与え
たいという。
「ケニアの盲人たちは全寮制の盲学校にいる時代はいいです。まわり中盲人な
のでつらいことがあっても盲人同士悩みを共有できるから。それに盲学校は先
生をはじめ、視覚障害者に理解のある人間がたくさんいるので、大きく困ること
はありません。でも問題は盲学校を卒業し、それぞれの田舎に帰ってからです。
田舎に帰ってから盲人にとってほんとうの困難がはじまる。
明るい性格の積極性のある盲人はいい。でも人間付き合いがヘタな盲人もいる。
遠慮がちな性格の盲人もいる。そういう全盲の盲人たちはただボーっとしている。
どこかに行きたくてもバスに乗る小銭もないからです。」
「そういう地方にいるぼくたち盲人仲間が、それぞれどういう悩みをかかえて
いるか知る手段がない。最近ではエイズの問題がある。彼らの大半は無職でお
金がない。だから携帯電話で電話する手段もないでしょ。点字版を持っている
盲人もかぎられている。持ってても点字用紙ないでしょ。月日が流れるにした
がって、同級生だった友人の連絡先もだんだんわからなくなっていく。」
「ぼくは、はじめは地方に住む盲人とつながりを持つため、視覚障害者のため
のウェブサイトを作ろう考えました。ウェブサイトを作る講習も受けました。
でもコンピューターはおろか電気も通っていない地方や僻地の現実を考えると、
ウェブサイトによる盲人ネットワークは今のケニアでは現実的でない、と考え
なおしました。CD図書、テープ図書も同じ理由で不向きです。
もっと現実的で具体的なネットワークをつくる方法はないものか、と。」
ンジェンガ君は本が好きな盲人に郵送で図書を送り、読み終えたら返送して
もらう郵送点字図書館のようなものがあったらどうかと考えた。
「地方に帰った友人たちはチャンスがないだけで、いろんな可能性や才能を
もっていると思う。本を返送するとき盲人本人にメッセージを添えてもらえば、
地方の盲人状況がわかり、図書郵送と同時にアウトリーチプログラムも兼ね
ることができます。それで地方の盲人と接点ができる。」
ここまでンジェンガ君が話した時、わたしはひとつ気になって質問した。
そのように娯楽のない地方の視覚障害者の人たちに点字図書を郵送したら、
本がなくなることもあるんじゃないか、と。
ンジェンガ君は即答した。
「点字図書は絶対なくなりません。ケニアの郵政省にはひとついい制度があっ
て、点字図書を送る郵便代はタダです。だから返送するのもタダです。盲人の
負担にはなりません。」
「それと、その本が自分と同じ立場の盲人が読むのを心待ちしていることを
ぼくたち盲人は知っている。だから点字図書は絶対なくなりません。絶対に。」
「ゼェェッタイ」と、ンジェンガ君は言い切った。
全盲の人たちの気持ちを一番わかるのは他ならぬンジェンガ君だった。
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