maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

地震対策の妄言-8 

2015-01-17 08:21:33 | 支離滅裂-迷想迷夢-地震対策の妄言

新しい国歌と国旗
<お断り>
例によりまして、記事の内容は特定の団体や個人とは全く関係ございません。
たまたま同名団体や個人が実在しておりましても、全くの偶然です。
アレレ?と思い当たられる方があってもそれは思い過ごし、決して貴方がモデルでは有りません。
まさかとは思うけれど、どんな勘違いをされるやも知れんのでお断りして置きます。
あくまでも虚構、フィクションでございます。
</お断り>


唐突ですねんけど、ついに日本列島浮上の日を迎えました。

前々から論議のあった国歌と国旗も過去と決別し、新生日本の門出に相応しいものを、と一般公募で新たに選定。
そらもぉ仰山集まった。

思えば、これまでの日本の愛国心というのは、ヒステリックな周囲に迷惑をかけるような形で現れた場面が多かったですねぇ。
そういうのは為政者が何かに利用しようと煽動して、無理やり焚きつけて高揚させたお仕着せ、押し付け、強要された官給品の愛国心やったからではないやろか。
ほんわり、じっくりとした愛国心も有るには有ったやろうけれど、そういうのは表立つて騒がんから目立たんのですねぇ。

ヤマト朝廷や室町、鎌倉、徳川幕府、明治維新といっても稼ぎのピン撥ねをする奴が入れ替わっただけで、庶民は無理やり防人や兵隊にされてこき使われはしたけれど、自分たちが作った国という意識が国民に希薄やったのも原因の一つでしょうねぇ。
戦後の日本でも、為政者官僚は「国民にの為に働いている」てな意識が有るようには見えん、ましてや「自分達の雇い主は国民である」と認識しているとは思えませんねぇ。
どう見ても国民の上であぐらをかいている「お上」の意識のままでっせ。

この連中の唱える愛国心は、自分等の既得権を守り、現在の国民を踏みつけたウハウハやりたい放題の永続を目的としたもので、我生まれた国にもつ純粋自然な愛情とは似ても似付かん似非愛国心。
愛国心を声高に唱える奴ほど、国と国民を食い物にしている輩(ヤカラ)が多いというのが現実。
実に嘆かわしいたらありゃしない。

これに較べれば「おらが在所のネコの糞は、隣村のよりも大きくて立派」てな極々根性の狭い郷土愛のほうが数段上等。
そういう意味では浮体国家への日本改造は、家族、郷土愛に止まって、国の段階にまで行き着かず、不発で燻っていた愛国心を一気に様変わりさせる効果がありましたねぇ。
大なり小なり全国民が関与して「我等が創った国」という意識が自然に湧いて、初めて「愛国心とはこういう気持か!」と皆んなが手ごたえを持って感じられるようになったんですなぁ。

ところで新国歌の話ですわ。
新たに作曲された曲、既存の曲、お国自慢の民謡、都都逸、端唄、小唄、常磐津。
「あわよくば♪」と駄目元で応募されたコマーシャル・ソング、何を考えてかネコの鳴き声なんてな物も混じってた。
首相の一押しは勿論「人生色々」是は野党の「ふざけるな!」の大混声合唱であえなくボツ。
パチンコ業界推薦の「軍艦マーチ、守るも攻めるもクロガネの」は相当の支持を集めたものの近隣諸国から「やっぱり軍国主義を目指す気か!」と横槍がはいってボツ。

最後まで残った「我は海の子白波の」「海は広いな大きいな」を僅差でかわし、この日の為に決まった国歌はもちろん、

♪波を ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ かきわけて(ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ)
雲を すい すい すい すい おいぬいて(すい すい すい)
日本国は どこへ いく ぼくらを のせて どこへいくぅうううぅ~
まるい地球の水平線に なにかが き~っと まっているぅ
苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ
だけど ぼくらは くじけない、泣くのはいやだ わらちゃおう
進め 日本、日本国 日本、日本国 日本、日本国♪
作詞:井上ひさし・山本護久、より「ひょっこりひょうたん島」一部(ほとんど?)引用

そして国旗は、829回放映分でドンガバチョが、行方不明のトラどんを探しに行った海岸で詠めるあの名句、「海原や おお海原や 海原や」に因んで下部に伝統の青海波をあしらった海に昇る太陽の図案。
早い話が日の丸のマイナーチエンジ。

以前の日本であれば旧国旗、国歌の日の丸、君が代を使用禁止にしたやもしれんが、新しい政治形態ではそういう硬直した事は言いまへん。
国際的には新しい方を正規のものとしますが、お好みで自由にどちらを使っても結構。
日章旗、旭日旗に青海波旗が加わっただけのことやんか、目くじら立てるようなことやあれへん。
何やったら日章旗に青海波をマジックテープで貼り付けて、変幻自在も有りでっせ。
第一あるものを捨てるのんは勿体無いがな。

古い物を大事にすることを馬鹿にしてはいかん。
かというて、ガチガチの頑迷固陋、旧守専一の復古主義では進歩が無いけれど、そこは程度ちゅうもんがおますがな。
古い物を粗末にする親は、子供に粗末に扱われるようになるんでっせ。
古い物を大事にしてたら、自分も大事にして貰えるか?となると全く何の保証も無いけどね。

程度ちゅうもんがある、とはいうものの、そもそも、この程合いというのが難しい。
白か黒か、正か邪かてな、誤ったデジタル信仰のアホな事をいうてたんでは、この玄妙な人間世界を理解出来ん。
この辺については「正直者探し
」と重なるから適当に端折りますが、オセロやあるまいし黒の裏は白と決まったわけではない。
白やと思って引っくり返したら薄汚い黄土色やったとか、黒の筈がピンクのギンガムチェックとか。
もっと怖いのは、黒やと思ってよくよく見たら、遥か彼方にプレアディス星団が見えた!てな事も無いとは言えん。

崖から飛び降りるのは勇気さえあれば馬鹿でもできる。
ところが、飛び降りて安全に着地しようと思えば、下の状況、己の運動神経を考慮せんといかん。
こうなるとは丸っきりの馬鹿では無理で、判断分析能力が要る。
さらに途中の空中で浮かぶとなるとこれは難しいでっせ。

生まれたからには、誕生という崖っぷちから死の谷底までの途中を落下しながら、いかに見事に舞うかが大事なんやないかいな?
その中でまとう衣装が白と黒だけでは面白うも可笑しゅうもないやんか。
玉虫色結構、利休鼠も結構、色即是空、空即是色、南無阿弥陀仏、ナ~モアミダァ~ンブ。
ん、何っやたかいな?

そうや、日本を浮かさなあかんのやがな・・・。

しかし調子に乗って前回は無茶苦茶を書き過ぎたねぇ。
特に近隣諸国をコケにしたような失礼な事を書いてるやんか。
これはあくまで妄言ですよって、気ぃ悪したらあきまへんで。
度量を疑われまっせ、元々そんなもんは持ち合わせて無いか?
オットット・・・。


2005/02/25

地震対策の妄言-7  日本浮上なるか?  ⇔ 地震対策の妄言-9  日本丸宜候



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