maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

YES-1 (ヤマハ スポーツ 260S)

2012-06-16 20:13:35 | 支離滅裂-物曼荼羅

(大きな写真へ画像クリックで1600x1307ピクセルの画像が表示されます。)
ヤマハ、会心の250cc、文福茶釜と呼ばれ、往年のカミナリ族が憧れたバイクYD-1。
ホンダ-CB72の好敵手、瞬発力の2サイクルか精密機械の4サイクルか、信号でこの2車種が並ぶと、何も言わずとも、0-400レースが始まったもんです。

YD-1のスポーツバージョンがYDS-1、「通称デスワン」
当時18,9万円したと思います。
大卒初任給の優に6ヶ月分以上。
高値の花、憧れのバイク。
土方、船乗り、と必死のバイトでお金をためて、ガタガタの中古を松屋町で買って、何とか整備して走り回って喜んでいたのもつかの間、金に困って売る羽目に。
やっと自分で新車が買えるようになった時には最早絶滅。
たまに見かけてもピカピカのレストア物、とても手の出る代物では有りませんでした。

北堀江のヤマハ大阪支店で、「高校生が契約したものの、親の猛反対に会って、宙に浮いたバイクが有るけど、ど~ぉ?」との話。
渡りに船と格安でRZ初期型を手に入れました。
ちよっとマイルドとはいえ、結構ピーキーなエンジン。
カミさんとタンデムで北摂を走り回っておりました。
阪神大震災以後、置き場に困って、急には出せないところに押し込められていますが、今でも温存しています。

それはさておき、写真のバイクは15,6年前に通勤途上の176号線、曽根のスクラップ屋で下積みになっているのを見つけました。
一時は夢に見たほど惚れたバイクですから、ホンノ端っこだけでも目にとまって、よくよく見れば少々歪んではいるものの、どうやらYDS-1らしい。
高いとは思いましたが目方20円/Kg見当から交渉開始。
「3000円でどうや?」と交渉しましたが、このスクラップ屋はアルミ専門、普段売り買いに慣れている鉄屋と一寸相場感が違う。
1万円からマケテくれん。
「こんなもんアルミはココだけやがな」と粘りに粘って、4000円で引き取りました。
当然、登録書類、廃車証明は無し。
持って帰って、コッテコテの汚れを落として、よくよく見れば、タンクの色が違うで?確か金茶の筈?
こんな鶯色のもあったんかいな?

さらに、洗い油でエンジン周りを綺麗にしたら、何と255cc。
YDS-1ならぬYES-1
区分通行があったころ、道路の真中は、250cc以上の自動二輪しか走れんかった。
それと、アメリカの車両区分が絡んで、輸出用にも中途半端な排気量のが有ったという話を聞いた覚えが。

この傷み方では自宅ではどうしようもない、会社に持っていって、仕事が終ってからボツボツやるしかないなぁ、と方針変更。
先ずはエンジンを下ろして、フレームの歪みを直して、と毎日夜なべ。
仕事もこれくらい一生懸命したら、金儲かってしょうがないやろねぇ。
タイヤ外したら、ウッヒャ~柿色のチューブ出て来た!

ブレーキレバーの折れたのはアルミの厚板から、削り出し。
エンジン、キャブレターはバラバラにして、取敢えずは清掃。
ブレーキパッドは、救命艇ウインチ用のを流用してと、フェンダー、ライト・カバーは鉛ブロックを当てて慎重に凹みを直して、再メッキ。
ハンドルは、元々付いていた、ヒョコ歪んだセミアップは捨てて、クロモリのパイプで一文字を自作。
これは水素脆性が怖いから、メッキは止め。
ホース類も何とかそれらしいのを見繕って、ガスケット類は当然手作り。
やっとエンジン組上げて、小一時間キック、キック、キック。
パランパランパラン、わ~い生き返ったで!

何とかエンジンは掛かったものの、電気系統がどうにもならん、発電はしているけども定格は出てないなぁ、バッテリーの助けでプラグの火は飛んでるけど、バッテリー上がったら野垂れ死に。
おまけに、頼みのバッテリーへ充電できん。
どうも、リレーの電磁石がチャンと働いてない。
まあ玩具やからええか。
フル充電のバッテリー載んで、上がるまでに帰ってきたらええねん。
こうしてみると、バッテリーレスで始動出来るエンジンはええなぁ。

勇躍、RZのナンバープレートを外して、取り付けて、テンプラで自宅まで。(もう時効成立したやろ)
明るいうちに辿り着かんと、恐ろしうて、ヘッドランプ点灯られへん。
やれ嬉しやと休み毎に、パオ~ンと走り回っておりました。
調子に乗って、うっかりとバッテリーのチェック忘れて出て行って、西国街道で野垂れ死に。
息子に救援を頼んで延々と押して帰ったことも有りました。

いくら私でも、正規のナンバー無し、無登録のバイクで走り回るのは気が引けるし、とっ捕まりでもしたら一大事、かといって、自動二輪では、何とかして書類を手に入れて、登録しても、経費を考えると持ちかねる。
使えん物をコレクションする気は無い。
充分遊んで気は済んだ。
さて、どうするかと思っていたら、そのころ会社に来ていたRICHOのCSが旧車キチガイ。
話の弾みで、ただで上げてしもた。

私にしたら味の無くなったチューインガム。
金はイランいうたのに、気使うて、10万円包んできた。
「ただで貰ろたら、後が恐ろしいから」オイオイ、それは無かろう。
ほんなら、半分ッこで、5万円だけありがたく頂戴しました。

今は親の跡をついで鉄工所の親父さん。先日ひょっこり来て、今でも大事に飾ってくれてるねんて。
「あいつの側で、ニタニタしてビール呑んだら、美味いんですわ♪」言うてました。
よかったなぁ!YES-1。

2002/07/09

[追記]
2009/11/9
[追記]
2012/06/16
Yamaha RZ250 初期型、Honda CB250改 は再び乗られるようになる、と温存しておりましたが、2012/06/16に惜別。
退院後の状態は安定しているとはいえ、運転中に再梗塞とまでは行かずとも、酸欠や眩暈を起こす危険性は無視できんのです。
自転車や歩きならそこら辺にヘタリ込め、大人しく走ってたら万一こけても自分が痛いだけ。
バイクの場合、重量が大きい上に動力で動いてる、この期に及んで人様に迷惑を掛けるような事はしとう無いもんねぇ。

欲しいという知り合いが居たので、自宅へ引き取りに来てくれるなら、という事で差し上げました。
小雨の降る朝、軽トラックに積まれて行きましたわ、うう寂しいのぉ・・・。

2019/10/3
アメーバ・ブログに画像をアップしました。



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2 コメント

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待ってました! (きたきつね)
2017-04-09 08:28:20
YES-1の記事も覚えてます。
私はバイクの免許持ってませんけど。
乗るだけなら半世紀過ぎた今でも何とか…。

保管してあったバイクは手放されたんですね。
ご縁がある方が大事に乗ってくれればその方がいいでしょうね。

前に記事にされていた内容もさることながら、記事になっていないこともお待ちしております。
以前見せていただいたスキャンデューがどうして師匠の手許に来たのか、とか。
Unknown (maido)
2017-04-09 15:38:12
>きたきつね さん
14歳で原付2種、16歳で自動2輪、まさかバイクにさようならする日が来るとは思うて無かったです。しかし、乗って貰えるのならその方がエエなぁと思いましてね。

記事になっていない、というか色々の思いが強すぎて書けなかったことが山ほどあるんですが、いざとなると纏まらんのですよ。

其処へ持って来て根気が無くなって来るはで、再録も思うに任せず、難儀な事です。
ボチボチ、何とかしていきたいと思ってますので、よろしくお付き合いください。