maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

129-Taxco-02-U.S.A.1964-No.129(9/16)-再録

2003-09-20 16:38:39 | 虚々実々-U.S.A.-1964

又か?!

部屋に荷物を置いて、トイレとシャワーはどんな物か確かめに行きました。
男性用のシャワーはタイルで仕切られた区画に3つ。
反対の壁際にスイング・ドァが付いたトイレが3つ。
客室?が見たところ10有るか無いかですから、こんなもんでしょう。
ついでにトイレを使って、わっ!
なんと、赤い〇〇〇゛〇が出ているでは有りませんか!
体の何処にも痛い所も痒い所は無いし、調子は絶好調、一体どうしたんでしょうね?
落着いてよく見ると、血の色では無さそうです。
あのサボテンの実の色に似ていますねぇ。
ひょっとして、あの実の赤い色素が出てきたんでしょうか?
ビタミン剤を飲んだら黄色くなるんだから、きっとそれと同じでしょう。
そうでないとすれば、これは心配です。
心配は嫌いですから、何が何でもサボテンに決定。
若しそうだとしたら、Maya も今ごろビックリしてるかな?

ユカタンの Muna(どうやら泊まったのは Muna の市街ではなくて、少し Uxmal に寄った村だったようです)も中々雰囲気のあるいい街だったんですが、ここは格別。
山の斜面に這い上がるように広がった石造りの建物が密集した街です。
お金さえ充分にあれば、こんな所でのんびりしたいですねぇ。
昔は銀鉱で栄えた街らしく、建物が確りしていて丁寧な造りなので、古くなってもしっとりとしたいい風合いです。

独立記念日の飾り付けがケバケバしくなくて、町の雰囲気と上手く合っていて、町が上品に華やかに見えます。
銀細工を売る店が所々に有ります。
クラシックなデザインの繊細な細工の銀製品が並んでます。
値札を見ると、こういう物に全く相場感の無い私でも、いくら何でもこれは安いんではないかなぁ?と思う値段が付いています。
かと言って、懐が寂しいから買えないんですけどね。
銀の純度なんかで、かなり値段に差が有るのでしょうが、銀どころかステンレスの皿でも日本ではもっと高かったような気がします。
アメリカ人らしい老夫婦が食器セットを並べて考え込んでいます。
こういう食器で食べると物凄く上流っぽい感じがするでしょうね。
仮にお金があって、日本に買って帰ったとしても、「菜っ葉の煮(タ)いたん」「イワシの塩焼き」「ハモ皮のキュウリ揉み」等を盛って卓袱台に置いたのでは似合ないから、ウチでは出番は有りません。

結構有名な観光地なのか、おみやげ物を売っている店も有ります。
虹のような色合いの万能布サラペ、凝った刺繍のソンブレロ、メキシコ・シティで見た如何にもお土産用に作ったような物よりも、ここに並んでいるのは、ずっと品物が良い様な気がします。
しかし、観光客向けの店が有るのは町ホンの一部で、少し脇道に入ると落着いた普段の生活があるんですね。

Tracy 達と逢わなかったら、メキシコ・シティからアカプルコに直行していて、ここには来ていなかったんです。
ユカタンで体調を崩していなかったらTracy 達に逢う事も無かったでしょうし、こんな山の中の宝石みたいな町が有る事すら知らずにいたでしょう。
全く何処でどうなるか、判らないものですね。

細い石畳の坂道を、ソンブレロをかぶったおじいさんが小柄な馬を連れて上がって行きます。
真っ白な服を来た子供が、何か楽しい事でも有ったのか、サンダルを履いた足でスキップをしながら通ります。
道を行く人々は、圧倒的に我々東洋人に似たところのある顔立ちが多いですね。
道端に座り込んで眺めているだけでも飽きませんねぇ。
ポツポツと灯りが点り始めました。
夕暮れの町の眺めは又1段と風情が有ります。
明日はあの遠くに見える教会らしい建物の所まで行って見たり、路地と言う路地をさ迷い歩こう。

例によって屋台で夕食。
水代わりにコーラを買って、しかしコーラも飽きました。
どこかに安全を保障した水を売っていない物でしょうかねぇ?
ティバッグも残っているので、今夜はホテルでお湯を頼んでみる事にします。
水筒に入れて持って歩いた方が、コーラを呑むよりは良いみたいですからね。

ホテルに戻ると、ロビーと言ってもフロントの前に椅子が2脚あるだけなんですが、そこに金髪のお兄ちゃんが足元にリュックをおいてヘタっています。
「Hi!」と声を掛けると、
「Hi!君は何処から来たんだい?」
「日本」
「へー、僕はイタリアのフィレンツェなんだ。メキシコ・シティから来たの?」
「うん、さっき着いて町を散歩してきたところさ」
「同じバスじゃなかったみたいだね?」
ホー、このお兄さんは路線バスで来たみたいですね、たいしたもんです。
「タクシーに便乗させてもらったのさ」
「良くそんな事が出来たなぁ!半日道端で Taxco と書いた紙を持って立ってたけど駄目だったんだ。諦めてバスで来たら遅いし暑いし揺れるし、散々さ!」
そうすると、私はよくよく運が良かったんですねぇ。

「昨日の花火見たかい?」
「音はしていたなぁ」
「僕の泊まっていたホテルなんか、直ぐ前の歩道でバンバン夜中までやっていたぜ」
しまった!もう少し遅くまで町をウロウロしていれば良かったなぁ。
お湯を頼むと、小母さんがニッコリ笑って「シー、シー」とどっかに行きました。
どうやらお湯を沸かしに行ってくれたみたいです。
しかし、部屋に持って来てくれるのか、ここで待てばいいのか?
部屋に帰るといっても、フロントから10mと離れていませんし、別にする事も無いので、ここで待つことにしました。

しばらくイタリアの兄ちゃんと話をしていると、大きなヤカンを持って小母さんが帰ってきました。
行水をするわけでも無いのに、そんなに沢山お湯を貰っても仕方が有りません。
お礼に1ペソ渡そうとしたら、手を振って要らないと言う素振りをするんです。
「そのお湯どうするんだい?」
「お茶を作ろうと思ってね」
「そんなに沢山?」
「うん多過ぎるなぁと思ってるんだ」
「半分くれないか」
「アァ、容れるものは有るのかい?」
「これが有る」 とリュックから1升徳利のようなアルミの大きな水筒を取り出しました。
「部屋は決まったのか?」

「うんその角から2つ目だそうだ」
私が角ですから隣ですね。
「来いよ、お茶を作って分けよう」
いくら何でも、このヤカンにティバッグ1つではあんまりなので、3つ奮発。
私の半ガロン(約2リットル)の水筒と、イタリア兄ちゃんの水筒にいれても少し残りました。

部屋のコップに入れて、ヤカンを返すついでに、フロントの小母さんに紅茶の差し入れ。
そう言えば、メキシコで未だ紅茶を飲んだ事が有りません。
「どうぞ(ポルファボール)」と渡すと「ありがとう(グラァーツェ)」と受け取ってくれました。
壁の鍵掛けを見ると、どうやら今夜は我々2人だけのようです。
休日にこんな事で、このホテルはやって行けるんでしょうか?

電灯の周りはまるで誘蛾灯状態。
大小取り混ぜて色んな虫が飛び交っています。
ここに居るだけで充分昆虫採集ができますね。
それにしても、いやに虫が多いなぁ?と壁をよく見ると、天井の直ぐ下の壁に、握り拳が通るくらいの、ひし形の穴が並んで明いています。
ひょっとして?と椅子に登って覗くと、網も何にも張っていない穴が外と通じてるんですね。
穴から差す灯りに誘われて色んな虫が部屋に入ってくるみたい。
それなら早く電気を消して寝てしまおう。
シャワーを浴びて、時々顔を這う無礼な虫を叩きながら、ベットでうとうとしていると、何やらガサガサと物音がします。
電灯を点けてみると、ギャー、蛇?いや脚がウジャウジャ有ります。

何と、40cm以上もある巨大なムカデが、ベッドの直ぐ側を這っています。
ヌメッと光った真っ黒な背中、オレンジ色の足!
焦り狂って、椅子の足で潰しに掛かったけれど、敵もさる者で逃げ足の速いこと。
コイツばっかりはその辺りに見えなくなっても、何時又這い出てくるかも知れず。
デッカイだけに毒も強そう。
ガジッ!なんて噛まれたら一大事です。
何が何でも息の根を止めてしまわない事には、安心して眠れません。
ドアの下には隙間があるから、そこから出て行ってくれればいいのに、わざわざ隅っこの方へばっかり行くんですよ。

ドタバタしていると、隣のイタリア兄ちゃんがやってきました。
ムカデを見て「×△〇!」と何か叫ぶと、やにわに足で踏んずけた!
胴体の真中をドタ靴で踏んづけられて、さすがのメヒコ・ムカデもグネグネとのたうっています。
そこを私がすかさず椅子の脚、で頭とおぼしい端っこをブチュ、念のために反対の端もブチュ。
私は裸足だったのがいけませんでしたね。
兄ちゃんは丈夫そうな、登山靴みたいな靴を履いているから良いようなものの、柔(ヤワ)な靴なら食い破りそうな程のムカデです。
フロントの小母さんが何事か?と覗いたからムカデを指差すと、踵で踏んづけて死んでいるのを確かめて、素手でヒョイと摘んで持って行ってしまいました。
あんなでっかいムカデを見ても平気と言う事は、ここではあれで普通の大きさ?
うへー、ムカデやゲジゲジ、ヤスデみたいに理不尽に脚が多いのは嫌ですねぇ。
辛抱できるのは10本まで。

ん、待てよ、ドアには鍵を掛けてた筈です。
イタリア兄ちゃんはすんなり入って来たぞ。
確かめてみたら、どっちに回しても鍵がかからないんです。
隣の部屋もそうらしいですね。
値段からすればこんなもんか。

ムカデ(百足)って英語で centipede というそうです。
ラテン語の centi=百 pes(pede=足)から来ているらしいんですが、日本語と全く同じ発想の名前なんですね。
そりゃぁ、あの姿を見て、それ以外の名前は思い付かないでしょう。
毘沙門天の使いだそうですが、こんなのを手下に雇うなんて人格を疑いますね。

2003/09/20:初出
U.S.A.1964-No.130

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