maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

番外編02 退院半年経過報告-1

2006-11-23 16:14:15 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

昨今、高齢化社会がどうのこうのと言うておりますが、何の、後10年もしたら様子が変わるかも知れません。
今現在の高齢者と、これから高齢者になろうとしている我々とでは、いうても身体の造りがちゃいますやんか。
果たして見事高齢者になれるか、手前でこけるのか?はなはだ心許ない気がするんですが、どんなもんでっしゃろ?

かくいう私も戦争真っ最中の生まれやからねぇ。
粗製濫造、鋳物の銃剣、見かけは変わらんようでも、一寸無理すりゃポッキリ折れる。
此処で書いてますように先日も折れかけて、オットットとなんとか助かったんですが、入ったヒビは治らんそうでワヤですわ。

戦時中の栄養不足の母体から生まれただけならまだしも、戦後は食い物がない上にDDTまぶし。
学校にまでジープで乗り付けて、子供は皆んな殺虫剤の粉だらけ、進駐軍も無茶しまっせ。
日本人の健康のためにというよりも、自分らの周囲で伝染病が発生せんようにやがな。
その頃は発ガン性がどうとかは判ってなかったやろうし、シラミにたかられてチフスになるよりはまし、とも言えるけどね。

物心ついた頃にやっと出てきた食い物も、安全性なんぞ全く考慮の外。
賞味期限もへったくれもない時代、少々カビが生えていようがそこさえ取ったら大丈夫、贅沢はいうておれん。
澱粉ばっかり取ったらどうとか、カロリーの取り過ぎはイカンてな事は、栄養失調の方が身近やった時代には世迷い事。

澱粉上等、カロリーを取り過ぎるなんてぇのは夢の話し、栄養があろうがなかろうが、空腹感を何とかするのが先決。
糖分を取り過ぎたらどころか、取り過ぎようにもお砂糖様に滅多にお目に掛かれんのやからねぇ。
一応空腹を免れたら、栄養バランスなどと小難しい事よりも、兎も角滋養をとらにゃぁ命が持たん。

さて、食い物に不自由をせんようになったら、これが今から思えば実は添加物まみれやったんですなぁ。
甘味は今は使用禁止となっているサッカリンやズルチン、着色料の安全性なんぞ誰も気にしてない。
今言われている健康食品と正反対の食べ物が、ドォーッと出て来たのが丁度思春期の食い盛りのころ。

それもあってか、中年以降の飽食無頼が祟ったのか、同世代の連中は大抵なんぞの病気持。
最近年寄りよりも若手が結構コトンと亡くなるなぁ・・・、と思ってたら自分もそうなりかけてワヤですわ。
しかし、医者も仰天するほど発症から処置までに時間が開いてたにもかかわらず、セ~フ♪
運が良かったのか、何が良かったのか?

心臓の下側2/3は壊死してしもたけど、残りの部分が健気に動いてくれております。
お陰で立ち消え線香にはならんで済みました。
もっとも救急病棟の主治医曰くには、1/3だけで曲がりなりにも普通の生活が出来てるというのは、大したもんやそうな。
なんで大したもんなんかは、恐ろしいてよう聞いてませんがね。

ま、次に発作を起こせば待ったなしで間違いなくアウトやそうですが、それは仕様が無いわねぇ。
兎にも角にも、残った1/3の心臓を大事に長持ちさせんといかん。
そうかいうて、心臓が疲れんようにと、停めて温存しとくわけにはいかんしねぇ。

大事にしすぎても、よろしくない、適当に負荷をかけて慣らしなさい、と言われてもその「適当」てぇのが判らん。
度を過したら、コトッと停まるかもね、てそれがイカンがな!
対象が生身の人間だけに、絶対の自信を持って明確な数値で示すてなことは、主治医にも誰にも出來へんわねぇ。
そうはいうても、目分量(めっそう)でもええから玄人さんに何ぞの目安を教えて貰わんとなぁ・・・。

ほんで、入院生活の最後のほうで心臓リハビリなるものをやったんです。
身体がへばってたせいもあるんでしょうね、ものの3~4分早足で歩いたら心拍数が100を越えますねん。
心拍数もやけど、貧血、眩暈に加えて酸欠でアップアップ。

退院直前には大層な機械を取り付けられて負荷試験。
「倒れるまで頑張ってください」やて、人事(ヒトゴト)やと思うて。
ヒーヒーいわされた結果、心拍数上限110程度というガイドラインが出てきました。
ほんなら、上限110までなら絶対に大丈夫かといえばそんな保証は全く無いんですて。

そらそうでっせ、寝てて発作起こしてそれっきり、なんてぇのも珍しくは無いもんね。
当初はかなりビビっておりまして、とてもやないが一人で外出などする気になれませんでしたよ。
退院後8日目に初めてカミさんと電車に乗ったら、眩暈というか身体がフンワラフンワラしますねん。

そのうち胸がむかついて来てね、これにはまいったなぁ・・・。
うへぇ、こんな事では到底普通の生活には戻れそうに無いぞ、と思ってメゲそうでしたわ。
家の中でジ~ッとしてると、身体は楽でも神経がどんどん落ち込んで持たんのです。

そら、いうても一度死にかけたら、生き死にを観念的にやなしに、現実の我が物として考えてしまいますやんか。
主題が主題だけに、あんまり楽しい方向へは考えが向かず、陰々滅々、鬱の薄暗がりに行きかけるんですよ。
イカン、イカン、そういうのを思い出すとメゲそうになるから、話を替えて忘れる事にしますわ。

しかし、性格が飽きっぽいというのは、こういう時にはよろしいでっせ。
又発作を起こしたらどないしょう、てな事ばっかり考えるのに、厭きてしもてね。
気持の整理が付くというよりも、「ま、ええか」みたいな気が何時の間にやらしてきましてん。

そんなもん突き詰めて考えてみたところで、あかん時はあかんし、助かる時は助かるもんや。
まずは、何とか一人で外出できるようにならん事にはどもならんがな、と欲が出てきたんですなぁ。
最初は足慣らしに、カミさんと一緒にマゴの送り迎え。

1Kmほどの幼稚園まで行ったらヘタってしもてねぇ、しばらく休憩せんとどうにもならんかったんです。
目の前の景色が揺らいでス~ッと色が薄れ、まぁその幻想的なこと。
大人しゅうに座ってると、しんどいのはましになるんですが、あまりの不甲斐なさに愕然としましたで・・・。

日によっては、横になってても何やら具合が悪うて身体に力が入らん、毎日はよう行かんのです。
それでもヨレヨレしながらも、出来るだけ行くようにしていると、段々慣れてきましてね。
道端で咲いてるアザミの花を愛でる余裕も出てきたりしたんで、しめしめ。

ところが、一寸慣れて来るとつい一人で出て行って、度を過したりしましてね。
何度か途中で軽い行き倒れ状態になった事もありましたわ。
あんまり安全を重視してたんでは、限界を探れんし、さりとて行きっぱなしになったんでは困るしね。
言うても、人間てぇのは生物(ナマモノ)で、結構構造が複雑やから、どんな条件で調子が狂うのかも判り難い。

泳ぎを覚えたての頃と同じですなぁ。
岸から背の届かん沖へ泳いでいって、もう一寸行っても大丈夫やろか?判断が難しいんですなぁ。
「浅いかぁ、深いか」「深いぞぉ、深いぞ」てなお座敷遊びなら、危険は無いし色気は有るしで結構なんですがね。

相手が本物の海では、そんな気楽な事は言うておれん、場合によっては命懸け。
ビビッてばっかりでは事にならんけど、深さと己の泳力の判断を間違えたら一大事。
力尽きてアプアップと溺れるのは真っ平ごめん、陸で何ぞに溺れるのと違ごて洒落になりまへんで。

そこそこ海に慣れたら、力尽きたらプカプカ浮かんでカモメの水兵さん、ちと休憩てな事も出來るようになるんですがね。
最初はそんな事はできへんし、まだ行けるやろか、引き返さなあかんやろか?というあのドキドキ感たまりませんなぁ。
体力的には余裕があっても、怖いと思うと身体が沈んでブクブクするのが不思議。

そこで編み出したのが浜辺と平行に泳ぐ手やったね、そうやがな、線路沿いに歩いたら安心や。
それやったら途中でしんどくなっても、兎に角駅までさえたどり着いたら何とかなる。
幸い定期券を持ってるし、自宅の最寄駅までさえたどり着けたら、後は200m足らず。
おまけに阪急宝塚線は、駅と駅の間隔が1~1.5Kmと比較的短く、電車の本数も多いんですよ。

江戸時代の船でいえば、豪儀な沖走りの北前船や檜垣・樽回船てなんやなしに、沿岸航路を走ってた並みの小舟。
何かあったらいつでも岸辺に逃げ込む構えで、決して岸が見えんような沖には出ん、所謂セセリ船。
それでも運の無い船は、岸近く湊近くでも結構難破してたんやから、油断は出来ません。

油断は出来んといいながらも、風向き天気を見定めて、ちょっと様子見に沖へ出てみたりしてね。
無事にヘタらずに帰って来られたら、おっかなびっくりながら、もう一寸遠くまで。
そこそこの距離なら大丈夫歩けるようになったんで、いよいよ本気で減量に取り掛かりました。

さて、その我が身を使っての試行錯誤の様子は次回で、

2006/11/23
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