吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0525: 「万葉古道」の植物探訪参加者募集

2017-10-28 09:19:59 | 行楽催事

 

写真①:山道の右端に道標が立つ「万葉古道 名児山越え」の登り口付近

    =福津市奴山で、2017年10月27日午前10時35分撮影

大伴坂上郎女が歩いた古代の官道・〈名児山越え〉を同じ11月に辿る

福津市奴山で「第17回ふるさと塾・万葉古道の植物探訪」開催

 今から1,287年前、奈良時代の天平2年(730年)11月、万葉歌人・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が歩いたという、大宰府から奈良の都へ通じる古代の官道・〈名児山(なごやま)越え〉(福岡県福津市奴山)=写真①=を、私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は11月14日(火)に開催する第17回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾「万葉古道」の植物探訪で歩きます。10月27日、会員4人で2回目の下見をしましたが、幅1メートルほどの険しい峠道には倒木や枯れ枝があちこちに散乱し、整備に時間を取られました。

 大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)に任ぜられた大伴旅人(たびと)の異母妹だった郎女が、帥の家を発って宗像大社のある宗像市田島に通じる奴山の名児山を越え、奈良の都に帰る際に詠んだ次のような長歌が、8世紀後半に成立したとされる日本最古の歌集・『万葉集』(巻6 963番)に収録されています。

 〈大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ   

名のみを 名児山(なごやま)と負ひて わが恋の千重の一重も 慰めなくに〉

 歌の意味の現代語訳では、〈大汝の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、〝心が和む山〟という意味を持ちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉。大汝(大国主)と少彦名は、国造の神です。

  郎女は、女流としては最も多く万葉集に歌を残しています。大らかな美人だったようで、恋の歌「相聞歌」に優れ、女性の哀感を歌にした人でした。大納言になった大伴旅人の帰京より一足先に大宰府から旅立った郎女は、宗像3女神が古代海路の守護神として朝廷に篤く信仰され、海北道中の守護神・道主貴(みちぬしのむち)が鎮座する宗像大社に都までの長旅の安全を祈願しに寄ったのでしょう。

  この郎女の歌を紹介する〈名児山万葉歌碑〉=写真②=の解説文と歌を刻んだ石碑が平成11年(1999年)、福津市勝浦にある農産物直売所〈あんずの里ふれあいの館〉の上のあんずの里運動公園〉道路脇に建てられています。


写真②:大伴坂上郎女の〈名児山万葉歌碑〉の解説文(左)と歌を刻んだ石碑
     =福津市勝浦の「あんずの里運動公園」で、2017年10月23日撮影

「万葉古道の植物探訪」参加者20名募集中

 11月の「万葉古道」の植物探訪では、「万葉古道 名児山越え」の起伏に富む山道約500mを踏破し、古代・万葉歌人の歌心に想いを寄せたいと、参加者(定員20人、申込先着順)を募集中です。午前10時に「福津市複合文化センター」前駐車場に集合、乗用車に分乗して「万葉古道 名児山越え」を訪ね、「海とまちなみの会」、「宗像植物友の会」両会員の2名とともに約30分歩き、詳しく植生も調査。この後、車で「万葉歌碑」を訪れ、同文化センターに12時帰着、解散します。参加費は資料代2百円。水筒、杖、手袋持参、歩きやすい服装、登山靴で参加を。申し込みはメールyosi3019@sage.ocn.ne.jpで本会事務局・吉村へ。

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