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今日の御言葉 20170821 エゼキエル36:25~38「清い水を振りかけると」

2017-08-21 | Weblog
8月21日(月)
現在のテーマ「エルサレムの終末」
今日のテーマ「清い水を振りかけると」
■聖書 エゼキエル36:25~38 (25a)
■聖句 「わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる」。(25a)
■解説
36章後半は、神への背信によりもたらされた捕囚とエルサレム陥落という出来事が、新しいイスラエルの民への準備となり、回復に向かう姿が描かれています。それは11章19-20節にもあった「新しい心」に「新しい霊」が置かれる(26)という霊的な体験から始まり、生活の変化(27)、約束の地への帰還(28)、豊かな実りの約束(29-30)へと進展します。その結果、民はこれまでの歩みを嫌悪し、恥じるほどに変えられるのです(31-32)。「エデンの園のようになった」(35)は、神の祝福の大きさを示しています。「主であるわたしが、これを語り、これを行う」(36)は、この過程の一切のイニシャチブが主にあることを示しています。聖句は、これらの一連の預言に入る最初の句を取りました。この御言葉の背景には祭司による清めの儀式があります(出エ30:17-21,民19:17-19)。新約の光の中では、イエスがニコデモに言われた「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5)が思い起こされます。さらに「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出る」と言われたイエスの言葉を思い出します。イエスのわき腹からは「すぐに血と水とが流れ出た」(ヨハネ19:34)とあります。「清い水」、「生ける水」、イエスの御傷から流れ出る「水」、それらはすべて聖霊の象徴です。聖霊によってイスラエルを始めすべての人は新生するのです。
■祈り
主よ、わたしを「水の洗い」(エフェソ5:26)よって清めてください。