Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20070531

2007-05-31 | Weblog
5月31日(木)
今週のテーマ「恵み」
今日のテーマ「神の恵みの下に」
使徒13:38~43(43)
■聖句「集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた」。(43)
■解説
アンティオケアでのパウロの説教の結果が今日の聖句43節です。それはユダヤ教の会堂でなされたものです。律法(行い)による義を主張するのがユダヤ教です。それに対して、信仰による義(恵みにすがることによってもたらされる義)をパウロは主張しました。それを受け入れた多くの人に、パウロは「神の恵みの下に生き続けるように」と勧めたのです。

今日の御言葉 20070530

2007-05-30 | Weblog
5月30日(水)
今週のテーマ「恵み」
今日のテーマ「味わい、見よ」
詩編34:9~11(9)
■聖句「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」。
■解説
今日の聖句9節は、ダビデ自身の経験から来る素晴らしい信仰告白です。自分の弱さと無力を知り、主に信頼する時に与えられる知恵と力を体験した者の告白です。「味わう」とは、実際に食べて味わった時のような経験のことで、ペトロは「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました」(Ⅰペテ2:3)と言っています。弱さ、無力さの中で、主の恵みを体験した人(味わった人)は、御もとに身を寄せたときの安心感のゆえに、そこに留まり続けるのです。

今日の御言葉 20070529

2007-05-29 | Weblog
5月29日(火)
今週のテーマ「恵み」
今日のテーマ「豊かな恵み」 
エフェソ1:4~7(7)
■聖句「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです」。(7)
■解説
「恵み」とは、能力や業績によって支払われる対価のようなものではありません。事情境遇に関わらず与えられるものです。神はそれを御子イエスの血によって示されました。それは一方的な神の好意、すなわち「恵み」です。自分の罪を自分で贖うことができないと自覚したとき、自分の弱さ、不完全さに泣くとき、人は、この神の豊かな恵みという傘に帰り、そこに留まり続けるのです。

今日の御言葉 20070528

2007-05-28 | Weblog
5月28日(月)
今週のテーマ「恵み」
今日のテーマ「わたしと共にある恵み」 
1コリント15:9~10(10)
■聖句「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。(10)
■解説
今日の御言葉を通して、いかにパウロが「神の恵み」によって生かされていたかが分かります。過去において教会の迫害者であったパウロ(9)は神の恵みによって変えられ、今の自分があると言います。「月足らずで生まれたような」(8)自分に注がれた神の恵みを無駄にしたくないと言います。主のための働きへとわたしを駆り立てたのも「わたしと共にある神の恵みです」とパウロは言います。「恵み」の意味をパウロほどよく知る人はいなかったのです。パウロにとって、救いとは、すべて神が用意し、成し遂げてくださったものであったからです。

今日の御言葉 20070527

2007-05-27 | Weblog
今週のテーマは「恵み」です。
「恵み」とは、愛なる神の、人間に対する好意(愛顧)、またはそれに基づく働きかけのことです。それは、特に受けるに値しない対象に向けられた神のいつくしみです。この「恵み」ということばを用いてキリスト教の福音の本質を説明しようとしたのがパウロです。神の「恵み」は、キリストの受肉から、十字架と復活によって具体的に現されました。それは、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより」(ローマ5:8)示された神の愛のことです。

5月27日(日)
今週のテーマ「恵み」
今日のテーマ「わたしの恵みは」 
2コリント12:9~10 (9a)
■聖句 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。(9a)
■解説
パウロは自分に与えられた肉体的苦痛を取り去ってくださるように三度祈ったとあります(12:7~8)。「すると主は‥‥」と今日の御言葉に続きます。「あなたには溢れるほどに恵みは十分だよ」と言って、主はパウロに「弱い部分」を残されました。「弱さ」は主に寄りすがるための道しるべです。この残された「弱さ」のゆえに、パウロは生涯、謙虚に主に寄りすがり、主もまたパウロを通してご自身の栄光を存分に現されたのです。残された「弱さ」もまた、主の恵みであったということです。