Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20171130(臨時版)詩編92:1~16「安息日に」

2017-11-30 | Weblog
11月30日(木)
現在のテーマ「詩編第四巻」
今日のテーマ「安息日に」
■聖書 詩編92:1~16 (1-3)
■聖句 「賛歌。歌。安息日に。いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い/朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは」。(1-3)
■解説
味わい深い詩編なのですが、今日は1節の「安息日に」という言葉に注目しました。それは、ミシュナー(律法の解説)にこの詩編が「安息日にレビ人によって神殿で歌われていた」と書かれているからでもあるのですが、それ以上に主への感謝と主の恵みについて述べ伝えたいという詩人の溢れるようなエネルギーをこの詩から感じるからです。そして「安息日」(礼拝)で、自分もこの作者のようでありたいと思ったからです。礼拝に溢れる感謝を持ち寄り、主を賛美したい。安息日に主の御業がいかに大きく、主の計らいがいかに深くあったかをわたしも証したい(6)。会衆の前で、主の家に植えられた喜びを、白髪になっても述べ伝えたい。そう思ったからです。安息日(礼拝)を義務として守るのではなく、神に感謝を献げ、主の御名を賛美するために集い、証が満ち溢れる場でありたいと願うからです。そのための日々がいつも主と共にあり、守りと導きを受けるものでありたいと願うからです。
■祈り
安息日に主に感謝をささげることができますように。そのために今日一日も主と共に歩み、御手の業、主の恵みを覚えることができますように。

今日の御言葉 20171129 ヨブ記22:1~30「エリファズの言葉③」

2017-11-29 | Weblog
11月29日(水)
現在のテーマ「ヨブと友人たちの討論」
今日のテーマ「エリファズの言葉③」
■聖書 ヨブ記22:1~30 (25a)
■聖句 「全能者こそがあなたの黄金」。(25a)
■解説
エリファズの三回目の言葉です。彼の言葉には悪意がありません。彼は最善を尽くしており、美しい文章でヨブを悔い改めに導こうとしています。彼はヨブを自らの罪と向き合わせようとして、これまで以上にはっきりと彼の罪を指摘しており(2-10)、神の偉大さと人間の不遜を強調し(11-20)、最後にはヨブに悔い改めるを勧めています(21-30)。罪の指摘、神の御前にへりくだることの尊さの言及、悔い改めへの勧告。この手順に何ら誤りはありません。しかし、それで苦難の中にある人が心を開くかどうかは別の問題です。エリファズについて、もし間違いがあるとすれば、それは「彼がヨブの問題をヨブの目で見ることができなかったこと、あるいは、それ以上に、それをヨブの感じ方で感じることができなかったことにある」(テンディル「ヨブ記」p-341)という点です。その前提となっているのが「よい人が苦しむということはありえない」という因果応報の論であり、その一点にとどまって離れることができない彼らの姿勢にあります。イエス時代の律法学者やファリサイ派の人々の姿を思い起こします。彼らも冷徹に律法を厳守して自分の清さを守るという立場から離れることができませんでした。イエスはどうだったのでしょうか。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリ2:6-7)とあります。イエスは相手の立場に立たれたのです。そこからスタートされたのです。今日の聖句は金言です。神から来る様々な祝福に価値があるのではなく、神ご自身こそが私たちの祝福であり、黄金であるという意味です。その輝きは全能者としての輝きはもとより、ヨブの痛みに寄り添うようなお方としての輝きが加わることで、黄金と呼ぶにふさわしいものと言えます。
■祈り
全能者であり、痛む者に寄り添われるようなお方こそが、わたしのすべて、わたしの黄金です。その姿に倣う者となることができますように。

今日の御言葉 20171128 ヨブ記21:1~34「ヨブの応答⑥」

2017-11-28 | Weblog
11月28日(火)
現在のテーマ「ヨブと友人たちの討論」
今日のテーマ「ヨブの応答⑥」
■聖書 ヨブ記21:1~34 (7)
■聖句 「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ/年を重ねてなお、力を増し加えるのか」。(7)
■解説
これまでのヨブの応答には神に対する独白(祈り)と自己弁護といった側面が強かったのですが、この章ではそれらのことは一切なく、友人たちへの反論に徹しています。それは「わたしを贖う方は生きておられる」(19:26)という信仰的確信を持ったことでヨブに心の余裕が生まれたためです。これまで三人の友の論調は因果応報の鉄則に従ったもので「悪者は苦しむ。ヨブは苦しんでいる。したがって、ヨブは悪者である」(ティンデル「ヨブ記」p-339)というものです。聖句はそれに対する一撃で「神に逆らう者が、なぜ栄えているのか」というものです。この章でヨブが言おうとしているのは、「悪者が常に平穏である一方で、よい者が常に苦しむということではない。このような一般化は、彼の友人たちの正しい者は常に栄え、悪い者は常に落ちぶれるという信条と同じように真実ではない。人生はそれ以上に複雑なものであり、いかなる型にもはまってしまうものではない」(同p-399)ということです。ヨブは因果応報の法則に反対しているのではなく、人生の中で起こる不可解な現実を、その法則で割り切ってしまうことに反対しているのです。19節の悪人への裁きが遅れる理由をその子らの代への先延ばしといった形で論ずること(5:4エリファズの主張/20:10ツォファルの主張)も、因果応報の法則に従えば「彼自身を罰して/思い知らせてくださればよいのに」(19)といった素直な感想を生みます。しかし、この点も神の支配と裁きの権限を因果応報に当てはめようとするものであり、「人が神に知識を授けえようか。彼は高きにいまし、裁きを行なわれる」(22)とあるように、神の権威と自由を人が縛りつけることへの警告となっています。
■祈り
人生は因果応報の理論で割り切れるほど単純なものではありません。また、神を人間の理論や理屈の中に閉じ込めることもできません。私たちの神は、さまざまな人生があること、その中で苦しみ悶えながらも、人がご自分のもとに帰って来ることを願いながら、待っておられるお方です。

今日の御言葉 20171127 ヨブ記20:1~29「ツォファルの言葉②」

2017-11-27 | Weblog
11月27日(月)
現在のテーマ「ヨブと友人たちの討論」
今日のテーマ「ツォファルの言葉②」
■聖書 ヨブ記20:1~29 (5)
■聖句 「神に逆らう者の喜びは、はかなく/神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない」。(5)
■解説
ツォファルは前章の最後にヨブが述べた警告の言葉(19:29)を聞いて、それを侮辱と受け取り、興奮して反論します(2-3)。彼は悪人の行く末という主題について、自分自身の考えを滔々(トウトウ)と述べています(4-29)。彼の主張の結論的な言葉が今日の聖句です。教訓的な言葉(箴言)としては味わいがありますが、今のヨブの問題は義人の苦難と死というテーマであり、それはヨブの三人の友の神学においては起こり得ないことになっています。「彼は、地上において、人類の創造以来、因果応報の法則は確立しており、ヨブが悪人であることははっきりしているのに、よみにおいて無罪宣告を受けることを想像するヨブをさげすむのである」(新実用聖書注解p-703)。因果応報の根本は、今起こっている悪い出来事は、その人自身の罪が問題であり、今、その報いを受けているということです。このような考えからは現世的な、あるいは物質主義的な人生観しか生まれません。実際ツォファルは家(財産)がさらわれること(28)をさばきと理解しています。「この世における人生、あるいはその後において、神との交わりを失うことのほうがもっと悪い結末であるということが、彼には思い至らないのである。しかし、ヨブの心を恐れで満たしているのは、まさに、神との交わりを失うことであり、彼の最も切なる願いをかき立てているのは、神との交わりの必要性である」(ティンデル「ヨブ記」p-335)。
■祈り
神に逆らうことなく、神を無視することもなく、現世的、物質主義的に生きるのでもなく、神との交わりの中で生きる者としてください。

今日の御言葉 20171126(日曜版)詩編91:1~16「全能の神の陰に宿る人」

2017-11-26 | Weblog
11月26日(日)
現在のテーマ「詩編第四巻」
今日のテーマ「全能の神の陰に宿る人」
■聖書 詩編91:1~16 (14-16)
■聖句 「彼はわたしを慕う者だから/彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え/苦難の襲うとき、彼と共にいて助け/彼に名誉を与えよう。生涯、彼を満ち足らせ/わたしの救いを彼に見せよう」。(14-16)
■解説
詩編91編は、11-12節がイエスを誘惑するサタンの言葉として誤用されていることで有名です(マタイ4:6,ルカ4:10-11)。この詩編も90編同様、困難の中で神による救いと解放を確信する詩で、イスラエルが過去にエジプトの地で守られたように、バビロンの地にあっても守られるとの確信を歌っています。1-2節を信頼の告白、3-13節を守りの内容、14-16節を神の応答と取って、神殿での祭司と礼拝者の応答歌とすることもできます。聖句は神の応答の部分で、「わたしを慕う者」、「わたしの名を知る者」という言葉が印象的です。前者は「わたしを愛して離れない者」(口語訳参)といった強い表現がなされています。後者「名を知る」とは、詩編5:12や9:11にあるように約束の神が示された救いの御名のことで、それはイスラエルの歴史において具体的に示された救いの神の本質を体験的に知っているということです。ここでは「いと高き神、全能の神」(1)として知られていると解せます。神を愛し、神の名を知る者の祝福として、災いからの守護、聖化、神の臨在、尊厳の回復、聖霊の満たしが挙げられています。
■祈り
主よ、あなたを愛し、あなたの御名をたたえます。わたしの生涯もあなたの御手の中で守り、導いて下さい。