6月30日(木)
現在のテーマ「神の義」
今日のテーマ「信仰による義」
■聖書 ローマ3:27~31 (27)
■聖句 「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです」。(27)
■解説
十字架の贖いによって初めて義とされるという事実を受け入れたとき、そこから二つの結論が導き出されます。第一は、私たち人間には誇ることのできるものは何もないということであり、第二は、私たちが義とされるのは「ただ信仰による」ということです。この二つは十字架のキリストを見出し、福音の光の中に招かれた者の根本的な体験といえます。なぜなら、罪人である人間に対して実証された神の愛とキリストの贖いを理解したとき、人は何一つ誇ることはできず、行いの法則(自力救済の法則)ではなく、神の用意された恵みを信じるという信仰の原理によって救われたことを体験するからです。パウロが見出したものもそれであり、パウロが全ての人に説いたのもそれ(福音)なのです。
■祈り
十字架のキリスト信じ受け入れたわたしには誇るものは何一つありません。ただ、神の愛とあわれみを全ての人に証するのみです。
現在のテーマ「神の義」
今日のテーマ「信仰による義」
■聖書 ローマ3:27~31 (27)
■聖句 「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです」。(27)
■解説
十字架の贖いによって初めて義とされるという事実を受け入れたとき、そこから二つの結論が導き出されます。第一は、私たち人間には誇ることのできるものは何もないということであり、第二は、私たちが義とされるのは「ただ信仰による」ということです。この二つは十字架のキリストを見出し、福音の光の中に招かれた者の根本的な体験といえます。なぜなら、罪人である人間に対して実証された神の愛とキリストの贖いを理解したとき、人は何一つ誇ることはできず、行いの法則(自力救済の法則)ではなく、神の用意された恵みを信じるという信仰の原理によって救われたことを体験するからです。パウロが見出したものもそれであり、パウロが全ての人に説いたのもそれ(福音)なのです。
■祈り
十字架のキリスト信じ受け入れたわたしには誇るものは何一つありません。ただ、神の愛とあわれみを全ての人に証するのみです。