今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

082 永平寺(福井県)・・・黒々と甍が埋める永平寺

2007-09-13 21:09:51 | 富山・石川・福井

「永平寺にご案内しましょう」と告げられ、私はたじろいだ。永平寺といえば道元禅師であり、道元といえば『正法眼蔵』である。そしてそれはトライしては挫折を繰り返してきた、私には難解過ぎて荷の思い書なのである。もちろん永平寺は、かねてより訪ねてみたい地であった。しかしそれには覚悟というか心構えが必要であろう。そうした準備ができていないままでの思いがけないお誘いに、たじろいだのである。

とはいえそのとき私は、福井県坂井市での所用を終えたところで、寺のある永平寺町は次の目的地・福井市に向かう途上だといえなくもなかった。喜んでお誘いを受けると車はしばらく田園を進み、やがて里山のような柔らかな山地に入って行って、杉木立が濃くなった。厳しい修行の映像を見てきた印象とは異なり、曹洞宗大本山の風景は思いのほか優しげであった。

永平寺の伽藍を一言で表わそうとすれば「簡素にして豪壮」と言うことになろうか。山の急斜面に堂が散在し、それらの堂を長い階段状の回廊が繋いでいる。いったん内部に入ると、裸足のまま山内を参拝することになる。見学コースは全て回廊と廊下というわけだ。あちらこちらの寺院を参拝してきて、こうした仕掛けは初めてである。今は夏の濃い翠が甍を覆っているけれど、冬ともなれば全山が深く雪に埋もれるのであろう。これならば雪の中でも行き来が可能だ。

まず広間で、僧による案内があった。「参拝コースは一方通行となっております。どこを撮影してくださってもかまいませんが、修行僧にカメラを向けることはご遠慮ください」と説明は手際がいい。墨染めの作務衣に青々と頭を丸めた、新人修行僧のようだ。よく磨かれた廊下を行くと、仏殿、法堂(はっとう)、僧堂、庫院(くいん)、浴室、東司(とうす)などが現れ、山門を見上げて七堂伽藍を一回りしたことになる。

座禅の場は僧堂にあり、ここも徹底して磨き込まれている。一段高い座禅の場に座る自分を想像してみる。試みてみたいという好奇心が湧いてくるものの、本格的な修行に果たして耐えられるか、自信はない。修行の時間と見学者を受け入れる時間が、折りよく調整されているのか、私がうろつかせてもらった昼下がりはどこもガランとしていた。

しかしこの伽藍のどこかでは、「仏道を習ふといふは自己を習うなり、自己を習ふといふは自己を忘るるなり」「仏祖は大悟の辺際を跳出し、大悟は仏祖より向上に跳出する面目なり」「ひとり明窓に坐する。たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり、これ行持なるべし」などと、僧たちが開祖の教えと格闘しているのかもしれない。

開祖・道元は鎌倉時代の公家の名門出で、幼くして世の無常を覚えて出家したというから、悲哀に包まれた天才だったのではなかろうか。そして今に続く教義の大河を残し、53歳で入滅したのである。

いかに巨大な伽藍であっても、「真理を求める」心に比べればいかほどの物でもない。永平寺に意味があるのは、由緒ある建造物や絵画の類ではなく、ひたすらに修行する魂が存在するという、ただそのことだけである。そんな場がこの地にある、そのことが尊いのである。(2007.8.31)
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