The collection of MARIBAR 

マリバール 文集・ギャラリー

肯定の否定を肯定する

2006-04-29 04:46:30 | 抱茎亭日乗メモ
同じ年の友人(男)をパーティーに誘ったら「知らない人がいっぱいるんでしょ。うざい」と言われた。
「わかった。私は行くから、嫌なら来なくていいし、気が向いたら来れば」
と言ったら「行こうかな」。

「引っ越すんだ」と友人。
「いいじゃない」と私。
「実家に戻るんだ」
「いいんじゃない。写真でしか知らないけど、今の部屋は良くないと思ったよ」
「写真はカメラのせい。前よりずっといい部屋だ」

「会社辞めようと思って」と友人。
「辞めちゃえ辞めちゃえ」と私。
「でも金ないし」
「なんとかなる。今は求人も多いよ」
「そう簡単にはいかない。組織人として」
「辞めんでしょ?関係ないじゃん、そんな変な会社!」
「俺は真理ちゃんと違うんだから、焚きつけないでくれよ」
「大丈夫だって、会社なんて星の数ほどあるんだから」
「だったら斡旋してくれよ」
「するよ」
「絶対仕事があるって、保証できるのかよ」
「できるよ。私にだってあったんだから」
「軽々しくそういうこと言わないでくれ」
「軽々しくなんか言ってないよ!真剣に言ってんだよ!」
「そうかよ」
「そうだよ」
「じゃあね」
「おやすみ」

そうは言っても、実は人の仕事のことなど、私の仕事と同じぐらい軽々しいことだ。
イベントプロデューサー康芳夫氏は「仕事は暇つぶし」と言っていて、私は全面同意。
人生だって暇つぶし。暇つぶしも、必死で真剣にやればちょっとは面白いので、真面目に暇のつぶし方を考えているだけのことだ。

友人は会社で、現場を知らない幹部に理不尽な始末書だか顛末書だかを書けと言われているらしい。
「書かなくていいじゃん、そんなの。勤務時間中に書くわけ?」
「仕事じゃないよ。書いて持って来いって」
「あほくさ!やめやめ!」
「書くよ」
「なんでよ!」

友人の好きなようにすればいいけど、私は必要ないと思う。
意味も効果もない。
友人の誠意を理解できる相手ではないと見た。

勤務時間内に呼び出されてならガンガンやりあうべきだけど、給料も出ないのにそんな作業させられるのはおかしい。

顛末書を書く時間に次の仕事を探した方がいい。
と思うけど、書きたいなら書いてみれば。
……まあ、この友人とはいつもこんな感じ。

私は全面肯定。友人はほぼ否定。
友人の「こうしたい」「こうする」「こうした」に私は常に「いいんじゃない」。
で、友人は「いや、そうじゃない」。
「あらそう、じゃあやめれば」
「いや、それはできない」
「ふーん、好きにすれば」
「そんなだから真理ちゃんはすぐ喧嘩になるんだよ」
「望むところよ」
だいたいこんな感じ。
もしも私が一言目に「いや、それはまずいんじゃない」と言っても多分友人は「いや、違う。俺はやる」と言うだろう。

私は基本的に友人に「やるな」「いうな」は言わないけど、 友人は私に「やるな」「いうな」と言う。
でも私はそれも言いたきゃ言えばいいと思っている。
私も好きなようにするし、言いたい事を言う。悪いね。

友人の「ああせいこうせい」に答えたことは一度もないかもしれない。
私たちはこれからもずーっとこんなだ、多分。

たまには友人が「言ってくれ」ということを言ってあげようか、とも思う。
って言ったら「いいよ、そんなの嬉しくない」って言いそうだ。

心にもないことは絶対言わないけど、友人が言ってほしい言葉をかけてあげたい、という気持ちはある、常に。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。