SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
76歳の一人暮らし。

「雨だれ」

2022-06-30 22:13:59 | 日記
大変な暑さの一日でしたが
来週は雨になるかもしれない
との予報です。
 
    🥀🥀🥀🥀

今日で6月も終わり。
早くも1年の半分が過ぎ去り
ました。




7月1日はショパンの愛人の
ジョルジュ・サンドが生まれた日です。

病弱だったショパンに
献身的な愛を捧げ、
その暖かな配慮のもとで
数多くの作品が生み出されたのです。
彼らが転地療養に出かけた
マヨルカ島が雨季に入った
ことでショパンの病状は
あっという間に悪化して
しまいました。






(ヴァルデモサの修道院)


しかしこの島の生活で
ショパンの作品の中で
重要な位置を占めている
「前奏曲集」の中の主要な
曲が作曲されました。
「雨だれの曲」と言われる
No.15もその一つです。

この曲が「雨だれ」と
呼ばれるようになった
直接の理由は
ジョルジュ・サンドの
「我が生涯の物語」に
出てくる
ヴァルデモ—ザ僧院での
『ショパンは屋根に落ちる
雨だれの音の中で、
涙を流しながら素晴らしい
前奏曲(プレリュード)を
弾いていた、、』という
有名なエピソードによるの
です。
中間部は劇的で身の毛も
よだつようなFFでの
展開がありますが
ショパンが忍び寄る
死の恐怖を感じていたのだと思われます。

このエピソードにある曲は
No.6であるという説も
あるのですが、、、。
ショパンの葬儀の折に
この曲がマドレーヌ寺院の
オルガンで演奏されましたが
ジョルジュ・サンドの姿は
ありませんでした。

    🥀🥀🥀🥀

ウラディミ—ル・ホロヴィツのピアノ。











こう暑くては、、。

2022-06-29 21:53:00 | 日記
暑い毎日が続いていますね。

涼しい音楽を探して
ドビュッシ—の「水の反映」
を引っ張り出しました。



「水の反映」

1905年に彼は出版社に
手紙を送り、
「この曲はシュ—マンの左、
ショパンの右に座席を
占めるであろうと確信して
います」と書き、
自信と満足の意を表しました、、というのも
これまでは生活費稼ぎのためにピアノ曲を書いていたのです。
40歳目前になり、ようやく
わかりやすい曲を書く必要が
なくなり、本当に書きたい
ものを書いたのです。

「亜麻色の髪の乙女」や
「月の光」のように
耳なじみの良いメロディが
あるわけではないので、
少しとっつきにくいかも
しれません。

この頃のドビュッシ—の
私生活はスキャンダルの嵐が
吹き荒れていました。
彼が最初の妻リリーを捨て、
弟子の母親である
銀行家夫人エンマ
駆け落ちしたのは
1904年7月の事でした。
その年の末、
絶望したリリーの自殺が
新聞で報じられ、
ドビュッシ—は社会的な
制裁を受けるのです。

打ちのめされた彼は創作意欲
を失ってしまいます。
1905年にリリーとの離婚を
認める判決がくだり、
ようやく落ち着いて作曲に
取り組めるようになりますが
その時に書かれたものが
「水の反映」でした。


   🎵🎵🎵🎵🎵

アルペジォの美しさは
絵画的で光と影につながり、
水が輝いてゆれ動く様子を
描写しています。
急速なパッセ—ジは
水に映る細やかな
波のささやきまでを
表現するのです。
ドビュッシ—は自然の情景や
動きを微妙に描くことにより
新しい世界を
切り開きました。


   🥀🥀🥀🥀🥀

アルトゥール・ベネデッティ・ミケランジェリの演奏
です。








「夏の思い出」

2022-06-28 22:00:00 | 日記
朝7時、細かいうろこ雲に
覆われ、蒸し暑い朝でした。

近畿地方も梅雨明けですが
水不足は大丈夫でしょうか。

   🥀🥀🥀🥀🥀

夏が来ると思い出す歌は
中田喜直作曲
江間章子作詞「夏の思い出」
です。

昭和24年の夏に初めて
ラジオから流れたそうですが
爽やかな高原を渡ってくる
澄んだ空気を感じさせる
美しい歌です。

中田喜直
(1923—2000)


「小さな秋みつけた」
「めだかのがっこう」
「あひるの行列」
「かわいいかくれんぼ」
「笑いかわせみに話すなよ」
「あひるの行列」
「雪の降るまちを」他多数。

女声合唱曲や混声合唱曲、
童謡や日本歌曲を
作曲された中田喜直氏は
ピアノ科出身でいらっしゃる
のでピアノが大変にお上手
でした。

中田喜直氏の
公開レッスンで何度か
弾かせて頂きました。
作曲はとても暖かい
ですが、ピアノパートは
やけに難しいのです。
先生の素晴らしいピアノを
横で聴かせて頂き、
落ち込んだこともありますが
今では懐かしい思い出です。


子供のためのピアノ曲には
「夕方のうた」
「スピード自動車」
「エチュード・アレグロ」
などのお洒落な曲があり、
お世話になっています。


お父さまは「早春賦」を
作曲された中田章氏です。







パリのエスプリ

2022-06-27 22:35:00 | 日記
今朝も燦々と陽が降りそそぎ
暑くなる予感でしたが
窓を開けると木陰に
鶯の鳴き声が響いて
いました。

    🌳🌳🌳

ガブリエル・フォーレ
(1845—1924)

フォーレの夢はパリの
マドレーヌ寺院のオルガニストになることでした。
これはフランスの演奏家の
憧れの地位で、
彼の恩師のサン・サ—ンスも
約20年間弾いていたのです。
1896年からフォーレが
念願のこの地位につくこと
になるのです。





彼は父親が世を去った時から
「レクィエム」の作曲に
かかり、
このマドレーヌ寺院で
初演されました。

このレクィエムは
モ—ツァルトやヴェルディと
並び称される三大レクィエム
として知られています。

1.入祭文とキリエ
2.奉献文
3.サンクトゥス
4.ピエ・イエズ
5.アニュス・ディ
6.リベラメ
7.イン・パラディズム

クリュイタンスのレコ—ドを初めて聴いたのは小学生の時
だったでしょうか。
イン・パラディズムの
天上の美をあらわすような
オルガンの虜になり
美しい音に浸りつつも
オルガニストに
嫉妬のような感情を
抱いたことを懐かしく
思い出します。(笑)

大学生の時にオルガンで
弾いたのを皮切りに、
オ—ケストラや合唱の
演奏会などで弾かせて
頂くことになりましたが。
ピエ・イエズはソロでも
弾けるので繊細で優美な
パリのエスプリを味わう事が
できます。

   🥀🥀🥀🥀🥀

1903年頃からフォーレは
べ—ト—ヴェンと同じ耳の病
で悩んでいました。
べ—ト—ヴェン、スメタナも
聴力を失い更に凄みを
帯びていきますが、
フォーレも又、聴力を
失ってから実に澄み切った
不思議な安らかさと深みを
たたえた作品を生み出して
いるのです。
驚嘆すべき強靭な精神力の
持ち主でした。

    🥀🥀🥀🥀🥀

イン・パラディズム




川遊び

2022-06-26 21:37:00 | 日記
今日も朝から暑い一日
でしたが、
アガパンサスが満開に
なり見事です。


息子達は秩父の
長瀞キャンプ場で過ごした
ようで動画を送って
くれました。
水音を聞いているだけで
汗がひいていきます。





川遊びが、よほど楽しかった
のでしょうか。
孫が「帰りたくない〜」と
駄々をこねていました。(笑)
  
    🌳🌳🌳

川で思いだすのは
ペドルジハ・スメタナ
(1824〜1884)の
交響詩「我が祖国」です。

第2曲「モルダウ」は
プラハ市内を縫って流れる
モルダウ河(チェコ名は
ヴルタヴァ河)沿岸の風景を
音で描いたものです。

モルダウ河はチェコの西部に
水源があり、プラハを
通ってエルベ河に合流し、
ドイツ中部を貫流して
ザクセンから北海に
流れ込むのです。

1999年、プラハで一人滞在
の折にヴルタヴァ河クル—ズ
を楽しみました。

   🥀🥀🥀🥀🥀


「わが祖国」はチェコの歴史
と自然をたたえたもので
長い間、大国オ—ストリアの
圧制のもとで苦しんだ人達の
勇気を鼓舞し、希望を与える
音楽になっています。

スメタナはチェコに
国民楽派の種をまき、
育てようとしただけに
彼の生涯は苦しい闘争
連続でした。
ようやく光を見出したとき、
べ—ト—ヴェンと同じく
音楽家にとって何より大事な
聴覚を奪われてしまったの
です。
「わが祖国」を執筆中に
耳の異常が明らかになり
第1曲目を書きあげると
間もなく完全に
聴覚を失います。
この痛手にもめげず、
残りの5曲を完成させますが
彼はこの交響絵巻を
自分の耳で聴くことは
できなかったのです。

第1曲 ヴィシェフラト

第2曲 モルダウ

第3曲 シャ—ルカ

第4曲 ボヘミヤの森と
    草原から

第5曲 タ—ボル

第6曲 ブラニ—ク

   🥀🥀🥀🥀🥀



第2曲 「モルダウ







「帰って来たヨッパライ」

2022-06-25 20:40:50 | 日記
今日は群馬の伊勢崎市
40.2度の6月の最高気温を
更新したそうですが
神戸は突然、雷と雨に
見舞われましたが
すぐに小降りになり
また、陽射しが戻りました。

   🥀🥀🥀🥀🥀

20歳の頃、突然耳に入った
今まで聴いたことのない
面白い歌がありました。

ザ・フォーク・クルセイダ―ズという
グループが歌う
「帰って来たヨッパライ」
です。

作曲 加藤和彦氏

「天国よいとこ 一度は
おいで。酒はうまいし 
ねえちゃんはきれいだ。
と主人公は東北弁で歌い
車の衝突音が入ります。

エコーのかかった関西弁の
神様のセリフのバックに
「天国と地獄」が流れたり
般若心経の読経があったり
木魚が入ったり
落下音が聞こえたりと
なんともにぎやか。

最後にべ―ト―ヴェンの
ピアノ曲
「エリ―ゼのために」が
流れてフェ―ドアウトという
ユニ―クな歌です。

ラジオ関西で放送されると
テ―プの高速回転で流れる
ヒヨヒヨとした甲高い声と
伴奏が反響を呼んでブ−ムに、、、。
多いに楽しませて
もらいましたが
いつの間にか消えて
いきました。

今日は半世紀ぶり?の
再会です。




音楽の力

2022-06-24 23:07:00 | 日記
今朝は5時起き。
風が強くて窓を開けると
冷たい空気が流れ込み
涼しい朝を満喫しました。

息子から届いたサクランボを
朝食にたっぷり。(*^_^*)





   ✨✨✨✨✨

朝比奈先生のご本を
拝読していましたら
べ―ト―ヴェンの記念の年に
長年使ってこられた
第九の楽譜を読み直し、
全ての書き込みを
消していかれる様子が
詳細に書かれていました。
長年にわたる研究も経験も
すべてが消えてしまう
むなしさがあるとも、、。

しかし真っ白に清められた
ページの間にベ―ト―ヴェンの真実の姿をみることが
出来るかもしれないと、、。

ハッと思いあたることが
ありました。

  ✨✨✨✨✨

べ―ト―ヴェンが第九番を
完成する前の5・6年は
彼の生涯の中でもっとも
肉体的に苦しんだ時期でした
耳の病気はますます
ひどくなり、
人との会話は全て筆談帳を
使わなければならなかったの
です。
肺炎、黄疸、眼疾、
胃腸障害があいついでおこり
経済的にも
苦しかったのです。

「すぐれた人間の大きな
特徴は、不幸で、苦しい
境遇をじっと耐え忍ぶこと」
と心に刻んだ彼は
歓喜をさがし求めて
ついに不滅の金字塔を
打ちたてるのです。

1824年、ウィーンの
ケルントナ―ト―ア劇場で
初演され、
最後の音が鳴り終わった時、
聴衆は熱狂的な拍手の嵐で
彼を褒めたたえました。

大音楽家の一つの作品が
全世界を制覇し、
そしていまだに魅了し続けて
いるのです。

















   
 
   

 







カプチ―ノ

2022-06-23 21:15:00 | 日記
ランチ・タイムに
伺うバ―ル・ラフィナート。




最後に頼むのは
カプチーノが多いのですが
名前の由来はカトリックの
修道会のカプチン派
(Cappuccini)から
きています。

小鳥にお説教したことで
有名な聖人。
アシジの聖フランチェスコの
流派で、
彼らの僧衣の色に
似ているので、
イタリアでは
ミルク入りの
コ―ヒ―のことを
カプチーノというのです。



アシジの聖フランシスコ
大聖堂。




リストは「小鳥に説教する
聖フランシスコ」という
タイトルでピアノ曲を
書きました。




クリスチャン・ツィメルマン
の演奏です。
9分位かかりますので
お時間がおありでしたら
お聴き下さい。





又、髙田三郎氏作曲
アシジの聖フランシスコの
平和の祈りがあります。

指揮   髙田三郎
オルガン 木島美紗子
合唱   豊中混声合唱団

(シンフォニーホール)

こちらは1分間のデモ音源
ですが、、、。



素敵なお帽子。

2022-06-22 21:08:00 | 日記
2022年、ロイヤルアスコットが開幕。
残念ながらエリザベス女王は
御欠席でしたが、
今年も色鮮やかなお帽子が
沢山登場です。  







ロイヤルプロセッションの
様子。





満場一致でベストドレッサー賞はキャサリン妃です。






ダイアナ妃のダイアと真珠のイヤリング。



ソフィー妃。








ワン君もシルクハットで
正装でした。(笑)


イギリスも熱中症対策が
呼びかけられたようで
爆発物探知犬のワン君は
ク―ルダウン中。(*^^*)














欲しいとは思わない?

2022-06-21 20:25:57 | 日記
昨夜も蒸し暑い夜になり
一晩中エヤコンを緩く
かけることになって
しまいました。
切れるたびに目が覚めるので、、、。

   ✨✨✨✨✨

1960年にツェルマットで
開かれたカザルスの
夏季講習会。
その中でも飛び抜けて若い
少女が、
脅威的な集中力で
サン・サ―ンスの協奏曲を
弾き始めた途端に
老カザルス氏の目の色が
変わりました。
これほど彼を
驚嘆させたのは、
女流チェリストの
ジャクリーヌ・デュプレ
15歳でした。

この講習会の
1年後にジャクリーヌの
デビューリサイタルが
ロンドンで開かれました。
楽器は匿名の後援者から
プレゼントされた1673年製
ストラディバリウス
だったそうです。

ジャクリーヌ・デュプレと
名付けられた薔薇。



   ✨✨✨✨✨


『ストラディヴァリウスを
持ちたいと思ったことは
ない。
私の考えでは、このとびきり
素晴らしい楽器は個性が
強すぎる。
演奏していると、自分の
手のなかにあるのは
ストラディヴァリウスだ、
ということが頭にこびり
ついて離れない。
それはずいぶんと気の散る
ことだ。』
    パブロ・カザルス


ストラディバリウスを
欲しいと思ったことはない
と言い切った方は
カザルス氏でした。!!





ホワイトハウスでの演奏。





象やラクダ、馬車の行進

2022-06-20 21:27:00 | 日記
1957年、10歳の夏に
甲子園球場で開催された
野外オペラ「アイ―ダ」
全4幕を観に行きました。


    🥀🥀🥀🥀🥀

当時の資料によると
指揮   朝比奈隆氏
演出   武智鉄二氏
オブジェ 勅使河原蒼風氏

     茂山千之丞氏
     花登筺氏
     関西歌劇団
     関西交響楽団

3日間の公演で7万人の
聴衆を集めたようです。

大きな球場にスフィンクス、ナイル川が作られ
実物大の船が動いていきました。
阪神パ―ク、みさき公園、
阪神競馬場から借りてきた 
象やラクダや馬車の
凱旋行進に目を見張り、
何より感動したのは
トランペットが鳴り響く
凱旋行進曲。
その日から私の頭の中で
暫く鳴り続けていました。(笑)

    🥀🥀🥀🥀🥀

突然、思いだしたのは
昨日のレッスンで
「アイ―ダ・トランペット
知ってるよ。」と断崖君が
話をしてくれたからでした。

中田英寿氏が
イタリアセリエAの
パルマFCに在籍時に、
同団の応援歌でもあったので
急速に日本でもサッカーの
応援歌として広まったよう
です。

   🥀🥀🥀🥀🥀

エチオピア女王のアイ―ダは
敵国エジプトに捕らえられて
エジプト女王アムネリスの
奴隷となりますが
若い武将ラダメスと恋仲に。
しかしながらアムネリスも
彼を愛していて三角関係に
なるのです。

ラダメスは国王の命令により
アイ―ダの父アモナズロと
との戦に出陣します

2幕はラダメスが凱旋し、
アモナズロを捕虜として
連れかえりますが
2幕のフィナーレの
凱旋行進は大スペクタルで
圧巻です。

捕虜として連れ帰った
アモナズロとアイ―ダは
密かに会い、ラダメスにも
逃走を勧めますが、
アムネリスに見つかり
捕らえられます。

ラダメスは生き埋めの刑と
決まり、先に忍び込んでいた
アイ―ダと共に息絶えます。
ヴェルディは終幕に
このような場面を
取り入れることが多く、
「ヴェルディ・ミゼレ―レ」
と呼ばれます。

メトロポリタンオペラより。





こちらはミラノのスカラ座
です。






シェラザード

2022-06-19 22:20:42 | 日記
今日は断崖君達、
中学生の期末テストの
振替のレッスンでした。
休まないでやってくるのは
嬉しいです。

  🥀🥀🥀🥀🥀

今夜はゆっくりと
クラシック音楽館を
聴いています。
沖縄で行われた「海」が
テ—マの演奏会です。

1.「静かな海と楽しい航海」
  メンデルスゾーン

2.「ト長調ピアノ協奏曲」
  ラヴェル
 独奏 小菅優

アンコール メシアン
前奏曲集より「鳩」
メシアン美しい。❣️

3.「交響組曲シェラザード」
  リムスキーコルサコフ

① 海とシンドバッド
② カレンダー王子の物語
③  若い王子と王女
④  バグダットの祭




1888年44歳でアラビアンナイトを題材に表題音楽
して作曲しました。
美女シェラザードを
独奏ヴァイオリンの艶麗な
旋律で鮮やかに浮き彫りに
します。
コンマスのマロさまの
美女ぶりはいかに、、。

もう一つのテ―マは
威厳があり、荒々しい
シャリア—ル王の主題。

この曲の魅力は何といっても
オ―ケストレ―ションの
うまさと東洋的な旋律の
美しさです。
そして壮麗な海の描写。
リ厶スキ―コルサコフは
若い頃、海軍士官でしたので
その経験を盛り込んだの
でしょうか。

  🥀🥀🥀🥀🥀

「シェラザードテ―マのみ」




就寝用に「若い王子と王女」





おやすみなさい。





樅の木

2022-06-18 20:27:00 | 日記
例年以上にぐんぐん
伸びる泰山木。
嵐になるとご迷惑になるので
植木屋さんに入って
貰う事になりました。

 
   🌳🌳🌳🌳🌳

国土の約三分の一は
北極圏に属し、
1年の半分は厳しい冬、
そして短い夏が訪れる国
フィンランド。



(2つの月 東山魁夷)

1809年のナポレオン戦争後
帝政ロシアの支配下に入り、
第一次世界大戦、
ロシア革命に至り
1917年に独立を
果たしました。
第二次世界大戦では
旧ソ連との戦いに破れ
カレリア地方南部を失って
いるのです。
フィンランド人は芯の強い
独立心旺盛な人々ですが、
そうした歴史と大自然の中で
生きた作曲家が
ジャン・シベリウスです。


(アイノラ)





シベリウスが作曲した音楽は
広範囲にわたるのですが
今日はピアノ曲の小曲です
彼はどんな小曲にも
心血を注ぎました。

1914年作曲の
ピアノのための5つの小品。

1.ビヒラヤの花咲く時
(ビヒラヤはななかまど。)

2.孤独な松の木

3.はこやなぎ

4.白樺

5.樅の木

終曲の樅の木について
『ヘルシンキで最も美しい
公園のひとつである
カイボ・プイストに、一本の
樅の木がそびえている。
それは長年の帝政ロシアの
圧政から脱して待望の独立を
かちとった1917年に、
独立の象徴として植えられた
ものだ。
1年を通じて緑の樅の木は、
北欧では永遠の象徴だ』と
舘野泉氏は書いておられます。
  
   🌳🌳🌳🌳🌳

以前に上皇后さまが
言葉を失われたとき
この曲で立ちなおられたと
お伺い致しました。




立ったまま。

2022-06-17 23:14:00 | 日記
暑い一日、子供は汗だくで
エヤコンが活躍です。
明日も暑くなるかしら。


  🥀🥀🥀🥀🥀

タボ―ル山にそびえる
「ご変容の教会」




イスラエル演奏旅行中に
地下聖堂(グロット)で
ミサを行う事になりました。

オルガンは?
上の大聖堂にある大オルガンだけとのこと。
どうしょうかと思いましたが
静まりかえった祈りの場所で
躊躇している暇はなく、
電源とストップを確認
しただけで司祭入堂です。

ビルの3階から祭壇横の
指揮者を見るといった
感じでしょうか?

座ると何も見えなくなるので
譜面台を外して立ったままで
「歌ミサ」を弾きました。
あとにも先にも立って
パイプオルガンを弾いたのは初めてでしたが。💦

外国の演奏旅行では
思いもかけないことがおこり
トラベル・トラブル。(笑)
冷や汗どっぷりですが
かけがえのない思い出です。






   🎶🎶🎶🎶🎶

又、一人旅でパリ滞在中に
美容院へ行くことに
したのですが、
ヴァンド—ム広場の近くの
美容室では男性美容師が
待っていました。
彼の好みにカットされますが
「立って!」と言われ吃驚。
襟足を切るときは
人の目線の高さで整えて
いくのです。
更に全身のバランスを
大きな鏡で見ながら
カット終了。

ランチに美味しくて
リ—ズナブルなお店も
教えて貰いましたが
いつも同じ美容室で
お世話になっているので
目からうろこの
楽しい思い出でした。




   🥀🥀🥀🥀🥀

可愛いルイ王子。
インスタグラムより。


それではおやすみなさい。

散歩が大好き。

2022-06-16 21:10:00 | 日記
昨夜はあまり眠れず、
どんよりした目覚め、
お天気もどんより。

   🎵🎵🎵🎵🎵

この方の朝は早いです。
朝、東の空が白むと同時に
起き出して、
午後2時まで作曲に没頭。
その後は大好きな散歩に
出かけるのですが、
この散歩は夕方まで、
時には夜遅くまで続き
帰宅が深夜になることも
あるとか。

べ―ト―ヴェンの一日は
こんな具合だったようです。

   🍀🍀🍀🍀🍀

1808年の夏に住んでいた
白壁の家の2階で、
交響曲6番「田園」の
作曲が進められていましたが
残念ながら衝突が起こって
しまいます。
ある時、台所の窓越しに
演奏に聴き惚れていた婦人に
気付くと、彼は帽子を
取って外へ出て行きました。
彼は作曲中に盗み聴かれるのが大嫌いだったようです。




誰にも邪魔されずに
思う存分作曲できるのは
戸外でした。
大自然の中に身を置いている
ときが最も心が休まるようで
彼は手紙の中で
「藪や森の中を、木や草や
岩の間を歩きまわることを
うれしく思っています。
私ほど田園を愛する人間は
いないでしょう」と書いて
います。




べ―ト―ヴェンの自然への
愛情が音楽の形をとったのが
この交響曲6番「田園」

第1楽章
田舎についたときに起こる
愉快な感情。

第2楽章
小川のほとり

第3楽章
田舎の人々の楽しいつどい

第4楽章
雷雨、嵐

第5楽章
牧人の歌、嵐のあとの
楽しい感謝。

    🎵🎵🎵

4楽章の嵐が終わり、
第5楽章に入るときの
クラリネット、次にホルン
で奏でられる牧歌的な
旋律。
ロンドン・フィル。
インスタグラムより。



1801年作曲のピアノソナタの第15番op.28も「田園」と
名付けられました。

ベ―ト―ヴェンは標題を
つけませんでしたが、
彼の死後、ハンブルクの
出版社が「田園ソナタ」と
して発売しました。
べ―ト―ヴェンが
「田園」をテ―マに
これを作曲したのは明白で、
「パストラ―レ・オルゲル
プンクト」と呼ばれる
羊飼いや農民が演奏する
バクパイプの音が用いられて
いるからです。

    🥀🥀🥀

ベルリン・フィルハ―モニ―
サ―・サイモン・ラトルの
演奏。3分ほどですが。