旅日記

九州の素晴らしい所を紹介しましたが、もう種切れになり、今後は別な観光名所を紹介します。

広島・山口ツアー旅行(錦帯橋・秋芳洞・萩・津和野など)

2012-11-12 13:02:11 | その他

2012年11月6日~8日に友人と広島・山口方面のツアー旅行に行って来ました。天気にも恵まれ綺麗な紅葉も堪能して来ました。

錦帯橋です。

日本三名橋のひとつ「錦帯橋」 (きんたいきょう) は日本を代表する木造橋です。他に例を見ない特異な姿の五連の反り橋が特徴で、1922年 (大正11年) には国の名勝に指定されています。橋の長さは、橋面にそって210m、直線で193.3m。また幅5m、橋台の高さ6.64mです。

 

錦帯橋から見た岩国城です。

11/7朝、一番で秋吉台に行きました。

秋吉台は、約3億年前この一帯が海だったと言われる日本一広大なカルスト(石灰岩の)台地です。大部分が自然公園として国定公園に指定(1955年)され、その中の一部は特別天然記念物に指定(1964年)されています。そのエリアは、山口県中央部のやや西寄り、東西17キロ、南北8キロに及びます。春は一面 の新緑、秋は、生い茂る銀色のススキ群のなかにリンドウなどの野草が揺れます。また、毎年2月の下旬には山焼きが行われ、秋吉台周辺から一斉に放たれた火は、瞬く間に一面 に広がり、その炎は、高さ5メートル以上に達します。

 

秋芳洞です。洞窟内が暗かったので写真が見にくいです。

秋芳洞は東洋一といわれている鍾乳洞で、山口県を代表する、観光スポットの1つです。何億年という歳月をかけて形成された自然の造形物の大きさ、美しさは、ただただ驚かされるばかりです。総延長は約10キロメートルといわれていますが、観光用に公開されているのは約1.5キロほど。天井の高さは平均30メートルもあります。洞内の気温は1年を通 じて約17度に保たれており快適そのもの。くらげの滝のぼり、岩窟王、百枚皿、黄金柱など数多くの見所があります。

くらげの滝のぼり

岩窟王

石灰華の滝

黄金柱

大黒柱

蓬莱山

100枚皿

 

出口

 

日本3名塔の一つに数えられている、瑠璃光寺の五重塔

全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社にもあります。

香山墓地とうぐいす張りの石畳

香山墓地

うぐいす張りの石畳

長門峡(ちょうもんきょう)

県立自然公園 長門峡(ちょうもんきょう)とは、阿武川ダム、長門峡、佐々並川ダムなどをつなぐ公園のことで、特に、長門峡は、絶景のために、山口県を代表する観光地になっています。
長門峡は、国および県の「名勝および天然記念物」に指定されています。ちなみに、長門峡と命名したのは、郷土の画家、高島北海だそうです。

松陰神社です。

明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された。その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40(1907)年、県社の社格の神社創設が許可された。現在の社殿は昭和30年に新しく完成したもの。御神体は松陰が終生愛用した赤間硯と父兄宛に書いた文書が遺言によって納められている。

はぎ温泉 萩田中ホテルに宿泊 ホテルから見た夕陽と朝の風景です。

 

津和野の城下町を散策しました。メタボの鯉が沢山泳いでました。

明治維新前には津和野藩亀井氏城下町であり、山間の小さな盆地に広がる町並みは、「小京都」の代表格として知られているほか、津和野駅SLやまぐち号終着駅でもあり、山口市とセットで訪れる観光客が多い。

 

中国自動車道のサービスエリア吉和での紅葉です。

 

紅葉が綺麗だと言われている 三段峡です。この滝までは坂道を往復約1時間歩かないと見に行けません。(-_-)近くに二段峡もあるのですが、ツアーのため時間が限られて見に行くことはできませんでした。ここの紅葉は、黄色が多かったです。

清流と緑の渓谷美を誇る三段峡は、三段峡入口から聖湖までの、全長約13kmにおよぶ大峡谷です。黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝の五大景観は見ごたえ十分です。特に春の新緑と秋の紅葉の時期の美しさは、大自然がつくりだす芸術品といえます。

 

 

 

広島・吉水園の日本庭園です。(年に数回しか公開しないと言われてます)

吉水園は江戸時代半ばの天明元年(1781)の春、加計隅屋16代当主の佐々木八右衛門正任が、この辺りの景観と地形に着目し、山荘として建設を思い立ったものです。(現在、加計隅屋24代当主の加計正弘氏所有)