それぞれに好みがあって、自分にとって良いものが他者にとって
必要な書だとは思わないし、ピンと来なければ、どんな本であっても意味はない。
その時々によるけれど
人間の心を深く探る、そして、生きる力に変えてくれるようなものを好むほう。
おそらく、生きることって大変なこと
そう感じて生きた時代があったからだと分析する。
生き抜く力を求めていたから
生きる意味とか、なぜそのような経験をしなくてはならなかったのだとか
問いかけの思いが強かったのだろう。
そして、意味のある(自分にとって)本に出逢ったからこそ
今の自分がいると考えられる部分もなくはない。
イコールと矢印が納得できるものとして成りたち
自分の中に落ちてきた経験
もう本の面白さだけで退屈をすることはないだろう
それくらいに惚れこむ
そういう出逢いをしたことがあるということかなと考える。
「フランクル 『夜と霧』への旅」 河原理子 著
強制収容所の体験の記録『夜と霧』(ヴィクトール・フランクル著)について
彼の人生を辿り、取材し、その思想のなぜを追っていく。
まえがきには「生きることに対するフランクルの思想は、広くて深くて、骨太で、そう簡単にはわからない。
もっと知りたいという思いを止められなかった。」とある。
・・・・・
私自身、「夜と霧」の本は、図書館で借りてきて読んだもので、実際には持っていない。
ある方のブログで知り、時間を置いて図書館で出逢ってふいに借りて読んだ。
そして感動して読み終えたのち
買おうと思っても、思いとどまる。
巻末の強制収容所の写真を正視できず、本を読んでも、写真のページは束ねて見ないようにして本を閉じる
わが家の書棚に置いておける自信がないのだ。
今回、この本を読み終えて、気持ち改まり、わが家の一冊にしようと思う。
そして読み終えた本のページの端に折り目を付けたところを追ってみた。
この本(フランクル『夜と霧』への旅)には色々な人物が出てくる中で
エッセイストの岸本葉子さんは「意味への意志」と「それでも人生にイエスと言う」読んで感銘を受け、
著書の中で、~フランクルが説いた三つの価値を説明する~と紹介されている
以下、
~意味とは、あらかじめ与えられるものではなくて、そのつど発見されるべきもの、
状況に直面した者がみずから見出さねばならないもの。
それは三つのしかたで見出されるとフランクルはいう。労働や、何かを作り出すことにより、
実現される「創造価値」。自然や芸術を鑑賞する、あるいは誰かを愛することによって実現される
「体験価値」。そして、それさえもあきらめなければならなくなっても実現しうる「態度価値」が
人間には残されている。仕事は、いずれできなくなるかもしれない。音楽を聴いたり本を読んだりすることも、
できなくなるかもしれない。それでもなお、変えられない運命に対して、どのような態度をとるか、
その事実をいかに引き受けるのかという心構えと態度によって、人はなお意味を見出すことができるのだ____。~
(抜粋)
翻訳者の霜山徳爾氏のエピソードなども興味深かったし、フランクルの周囲にいた人たちの取材により
人となりも伝わってきた。
様々な環境で生まれ生きている人たちや
いくつかの犯罪の被害者、加害者の背景にも迫り、取材されている。人間の複雑さ、奥深さ
生きる背景はどう影響したのか。私達も同じ社会で生きるものとして感じるさまざまな点にも及び
視ていく、考えて行く角度は幅広い。
序盤、純粋に『夜と霧』だけを読むのがいいのかもしれない(本はその人それぞれの感想を持てばいい)
そう感じながら読み進む自分もいたのだけれど
読了した今になると、「夜と霧」という書が
またずっしりと価値ある大切な一冊であったと確信した。
河原さんの文の中に、大事な3冊として
「夜と霧」のほかに2冊が挙げられていて、私の大事にしている本であったのも嬉しかった。
本は時代を超えて、立場も何もかもを超えて、気の合う人と出会う貴重な機会であると
今回もまたそんな気持ちになる。
本を読む楽しさ、喜び、読むものとして選ぶものとして
良い本に出逢えたことの縁というものに
感謝の気持ちでいっぱいだ。