「 花・住む・言葉 」  

Thanks for days.









  



好きな絵に出会う。~エルミタージュ美術館展~

2017年10月18日 | ひとりの芸術家


 どの絵が好きかな

 どうして、それに惹かれるのだろう

 その絵を描いた人って?

 その時代背景は?

 そのまなざしに・・・。


 ・・・・

 最近は、そんなことを思って絵を見つめるようになった。

 絵の前に立って、数分。

 すると何かが自分に入ってくる。

 知らずに何かを感じ取っている。

 そういう面白さ。
 
 行きつけてみるものだ。

 興味がないとか、わからないとか

 そんなことを言わないで、ちょっと足を延ばしているうちに

 ある時、出合う、初めての自分。

 生きているって、不思議。

 以前には感じなかったものが、今は感じている。

 歳を重ねる意味というのは、そういう時にも、またふと知らされる。

 

 「大エルミタージュ美術館展」

 兵庫県立美術館

 開催中です。


 

 この絵、可愛いでしょう。

 

 フランシスコ・デ・スルバラン

  <聖母マリアの少女時代>

               1660年 油彩 カンヴァス

 
 この絵、好きですね。


 ~・~・~・~

 知らなかったものを知るのは楽しい。

 そこから未来へ拡がっていくような気さえする。

 気さえ

 ではなく、実際に拡がっていくのだろう。

 また一つ、手掛かりを得る。

 明日は、どこに行こうかな。

 そんなことを思う日々です。

 
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また違う楽しみ方。

2017年07月23日 | ひとりの芸術家

 昨日ですけれど、「怖い絵展」に行ってきました。

 2017 7・22日(土)~ 兵庫県立美術館にて

 ドイツ文学者、中野京子さんの特別監修とのことです。

 「怖い絵」という本が話題になったことがありましたね。

  実は読んだことはありません。

 絵画を鑑賞する時、「ただ感じるだけでいい」これは、いつも思っていることですけれど(その絵をわかるってなんだろうとはいつも考えるけれど)
 普段なるべくなら、絵をまず見てから何かを感じて、それからキャプションを読んだりします(私の場合)。
 
 最初にその絵の「実は」を知る。そして絵を観る(もちろん自由でしょうけれど)

 作者は、どのような背景でその絵を描いたのか。

 想像をめぐらす面白さは、絵を観る時の醍醐味ですね。

 そして、徹底的にその歴史的背景を探り作者の生きた時代を知れば、意外な真実が見えてくるというのです。

 新鮮とも言えますし、知らなくたっていいのでは?なんて、天の邪鬼な私は思ったりしますけれど。

 いずれにしても、観た感想は?と聞かれたら面白かったし楽しめました。

 そういうことです。

 

  (お借りしました)
 詳しくは書きませんけれど、この絵には歴史がある。その歴史を知る。

 複雑な気持ちになります。美しい少女が印象的ですね。

 

   (エドヴァルド・ムンク《マドンナ》1895年 群馬県立近代美術館蔵)

 
 今回、グッズをいくつか買いました。

 この絵をモチーフにしたものが多かったのはそうなんですが、なぜか買ったものは、この絵のものばかり。

 ムンクの絵です。

 この絵の「実は」は、展覧会では混雑していてじっくりと読むことができなかったのですが

 買ったポストカードの裏に、中野京子さんの解説が載っていて、先ほど読みました。

 へぇ~、ふ~ん、ほ~。(・o・)

 ファム・ファタールという言葉が出てきます。運命の女ですね。

 エピソードの最後には、芸術と狂気の関係・・・ですって。

 このデザインはとても素敵で目を引きました。

 これ、掛けられるノートなんです。

 気に入っています。

 



 

 
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記したメモから。2

2017年04月07日 | ひとりの芸術家

 かつては黄金色であっただろう古びた額の中に、強い風に荒々しくなびく木々たち。

 昭和4年に描かれた絵の前に立ち、しばし向き合う。

 褐色を帯びた古い一枚の絵を学芸員は選び、そこに掛けたのだ。

 重要な一室の一枚の価値ある画として。

 そして、じっくりと向き合ううちに、当時のその風景を肉眼で見、作者が描きたかっただろう

 燦々と降りそそぐ太陽の光を受けて、新緑の高原が見えてきたのだ。
・・・・

 前田寛治の絵だった・・・・
※(1896~1930 日本の洋画家 人物写実画の名手と言われた)
~・~・~・~

じっくりと時間をかけて、そこにある絵の情報を受け取ろうとしなければ

見えてこなかっただろう。

せっかちな性分なので、時間がたっぷりとある以外では

さささっと通り過ぎることが常なのだから。


その絵は、一見すごく地味で、どこに良さがあるのかな、そんなことを思っていた。

部屋全体にあった数十枚のピックアップされたそれぞれの日本人の描いた洋画が

選ばれた理由は何なのか

そう思った時に、見方が変わった。

世界は知らないことばかりだけれど

知ろうとして努力して仕事にしている人たちから

少しだけれど(私なんかは)気づかされることがある。

絵を見る、芸術を感じる

面白くて仕方がないと思う近頃なのだ。

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熊谷守一展に行った。~画壇の仙人と呼ばれた人~

2017年04月02日 | ひとりの芸術家


その小さな美術館の前は、閑静で、自然が映えて空も高く、雲も木々も絵を描く。

          
          塀のこちら側と、向こう側。馴染み合い自然と作りだされた景色に、もうそこからその世界に入ることができる。

    
   「没後40年 熊谷守一 お前百までわしゃいつまでも」2017年3月11日(土)~5月7日(日)香雪美術館


    「熊谷守一展」へ行ってきた。


 ~明治から昭和にかけて97年の生涯を生きた画家・熊谷守一(明治13年ー昭和52年[1880-1977])。
  おおらかで明快な画風はいまなお多くの人々に親しまれていますが、その生涯は決して穏やかなものではありません
  でした。
  父は実業家で初代岐阜市長などを務め、裕福な家庭ながら、異母兄弟らに囲まれて複雑な幼少期を過ごし
  ます。明治33年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。藤島武二や黒田清輝の指導を受け、同級生に
  は青木繁らがいました。明治42年、自画像『蝋燭(ろうそく)』文展に入選するも、父の死によって残された
  負債を抱え、経済的に厳しい画家生活が始まります。42歳で結婚して5人の子供に恵まれますが、極端に
  寡作なため生活は困窮を極め、子供が病に倒れても医者にみせることもままならず、うち3人は亡くなってしまいます。
  深く長い悲しみの時間の中で、石ころや草花、猫や虫など、身近な自然の中の小さな命を輪郭線で捉え、線の中を
  埋めていく作風に到達します。シンプルな線と明確な色彩面は、素朴で澄んだ眼差しがとらえた命の証ともいえるでしょう。~
                                           (展覧会リーフレットより)
                 
 ・・・・


「ローソク」1909年

   
    「人物」1920年

   ~絵にも流行りがあって 
    その時の群集心理で流行りに合ったものはよく見えるらしいんですね
    新しいものが出来るという点では認めるにしてもそのものの価値とは違う
    やっぱり自分を出すより手はないのです
    何故なら自分は生まれかわれない限り自分の中にいるのだから~  ※(「へたも絵のうち」 熊谷守一著)

 
「無一物 九十六才」

   ~人間誰でも、裸で生まれてくるんだから、無一物なんてことばはあたりまえですよね
    無尽蔵という言葉は、そんなことあるもんかいと思っているので頼まれても書かないのです~

   
   「人生似幻花」

 「お国のために何もしたことが無いから」と理由を言い、文化勲章を辞退したことで話題になったとのこと。

~・~・~・
この絵、どこかで見たことがある。
そうすぐに反応してしまうくらいに親しみを感じる。
無駄を一切削ぎ落としたような究極にあるように、洗練というよりも朴訥として可笑しみがある。

告知で見たチラシで読んですぐに興味を持った。今日、実際に観た感想はというと
肉眼で見た本物は、本当に素晴らしいものだった。
もう本当に素晴らしくて、このチラシで見る、雑誌で見る、まったく追いつけない素晴らしさが本物にはあった。
以前、似たような衝撃を受けたことがあるけれど
数年前とある展覧会でルノワールの画の本物を観るまで、まったく興味が湧かなかったのに
本物を30センチ目前に見た時に、その印象がひっくり返ってしまった。
光輝く絵画を前に、感動したのだった。

いつも本物を目の前にすると、ふしぎな感覚に包まれる。
この絵を描いた人は、今ももう亡くなっていて
ずっとずっと前に描かれたものであるのに、生き生きとして伝わってくる。
その生き生きとしたものが
私自身が与えられたものとも取れるのだ。



  ~絵はそう難しく考えないで見たら
   それで一番よくわかるんじゃないかと思います
   絵は言葉と違いますから
   言葉なんかになると
   例えば青といわれたら青と言う言葉の範囲があるけれど
   絵の場合はそのうちのどの青かということがあって
   実際の青を描くんですから、そこで決定するんです~  ※(著書より)


 「猫」1965年

 

 

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とらわれずに、こだわらずに。1~美術館へ行こう~

2017年01月27日 | ひとりの芸術家

今日は夕方、兵庫県立美術館で「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を観てきました。(1月11日(水)~2月26日(日))

観た方の感想とか、自分の先入観から、さて観ようかどうしようか

そんなことを思っていたのだけれど

観て良かったです。

観る前と観た後での印象ががらっと変わったのです。

~アウトサイダー・アート(※)/アール・ブリュットの作家の中でもトップクラスの知名度を誇るアドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)

の日本初となる大規模な回顧展です。ヴェルフリは1895年に精神病院に収容され、そのまま66年の生涯を終えました。

しかし、彼がそこで描き出した奇想天外な物語は全45冊、25000ページという目もくらむようなボリュームで、ほかに例のない驚異的な

作品群だったのです。~展覧会チラシより

幼少期から苦労の連続、恵まれない環境で育った一人の人間は

「表現する」ということで、自身の生まれ生きた意味を見つけ、

承認を得られたこと

何かそこに大きな、見逃されそうな、大いなる意義を感じました。

勝手な感想と考察ですけれど

美しいものに憧れ、それを自分自身の中にある何かと結びつけて昇華させる。

得られなかった思いは

「表現」というカタチを持って、得ることができた

そんな印象を受けました。

・・・・・

たとえば、印象派とか、北斎だとか

有名なものに足を運びたがるものです(あたりまえです)。

けれど、そうではない、知らないものこそ

観てほしいなって思うんですよね。

そこにその人自身の中に無かったものを見つける

そういうことってあると信じていて

是非、好き嫌いせず、行ってみて欲しい美術館へ。

私がそうだったように、好きではなかったものが

何か違う観点、視点を得られる

そういう機会を得られるのも美術館の良さではないかと

願ってやまないことです。

 

※アウトサイダー・アートとは、特に芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、

既成の芸術の流派や傾向、モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいう。(Wikipediaより)

 

ここの美術館、建物が好きです。

作品が映えます。

 

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ポンペイ展~約2000年前の壁画に~

2016年10月30日 | ひとりの芸術家

少し前ですけれど、「ポンペイの壁画展」に行ってきました。

2016年10月15日(土)~12月25日(日)

兵庫県立美術館

2000年の時を超えた美のタイムカプセル

~光あふれる地中海に面し、古代より風光明媚の地として知られた南イタリアのポンペイ。

西暦79年、街の北側にあるヴェスヴィオ火山の噴火により、悲劇的な終焉を迎えます。

・・・・・・・~

展覧会チラシより

・・・・

とんでもなく昔のモノに鳥肌の立つ思いで会いにゆく

そういうことが好きです。

火山の噴火で街が一瞬の間に地中に埋もれ

船で逃げた僅かな人以外は、都市(街)とともに失われてしまったというのです。

1748年から発掘が始まり、古代都市の姿が明らかになった。

そのフレーズだけでもそそられます。

現在8割方、まだ発掘は続けられているとのことです。

人生を謳歌したポンペイの人々、美しい建築物や壁画の数々も残されている。

火山灰が乾燥剤の役割を果たして、奇跡的に保存されたポンペイ近郊の都市。

豊かな暮らしの様子が、しあわせに生きた人々がいたこと

フシギ不思議・・・

そして火山の噴火から火砕流がなだれ込む様子を映像での再現するコーナーもありました。

大自然の脅威です。

2000年という時を、日本の時代に照らし合わせれば弥生時代であったとのこと。

絵の中にある動物や植物、人間の顔も愛らしい。

2000年近くも昔に描かれたとは信じがたいです。

金・土曜日の18時からの2時間はある箇所が写真が撮れるということで友人が送ってくれました。

    

    

   

ギリシャ神話に基づく壁画の数々。

神様の名前がたくさん出てきます。

ヘラクレス、アポロ、ゼウス・・・・聞いたことのあるものならスッと頭に入りますけれど

お話が複雑ですし中々入ってきません。ストーリーもすぐに頭から消えてしまいます。

わが家にあるギリシャ神話を今一度読んでみましょうか(・o・)。

壁画に出てくる沢山の神様。

神様を大事にして暮らしていた人々。

時代は変わっても、何かを信じて崇拝して生きて行く。

人間、みな同じでさほどの違いはない

この展覧会で見たことは、私にそんな教訓を与えてくれたように感じました。

作品の点数は少ないけれど、見る価値はありと思いました。

                         

・・・・

先ほどまで、「日曜美術館」にてミケランジェロの特集。

ポンペイが失われてから400年後に生まれたミケランジェロ。

彫刻も、絵画も、あまりに上手い素晴らしい。

すみません、この言葉しか出て来ません(笑)。

「最後の審判」

システィーナ礼拝堂の修復の様子は、今から20年以上前

その特集を11月3日の文化の日の午前中にテレビで放映されていて

楽しみに観ていた記憶です。

いつか行ってみよう

と、ずっと思ってきたことです。

 

~・~・~・~・~・

貴重なものを五感を使って感じてみる。

「ぜひ、ライブに行ってみて」とはよく云われることだけれど

音楽もそうですし、芸術全般においてそうですね。

臨場感を味わう

想像してみる

歴史を知る

心ゆたかにしていくことに繋がるのでは?

なるべく足を運ぼう

美術館を有意義に活用しましょう。

いつも思うことです。

だって、素晴らしいんですから。

~・~・~・~・~

おはようございます、ここからは次の日の朝です。

実は映画も借りてきて観たのだった。

「ポンペイ」

監督 ポール・W・S・アンダーソン 

キット・ハリントン、エミリーブラウニング

 

ポンペイがヴェスピオ火山の噴火により、火砕流にのまれて埋没してしまうその頃

愛する人のために奮闘する主人公

歴史アクションの王道的な映画です。

好きな映画でした。

 

 

 

 

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洗練の人。~藤田嗣治展に行く~

2016年07月31日 | ひとりの芸術家

先日、「藤田嗣治展」(ふじた つぐはる レオナール・フジタ)に行った。

あくまでも主観。自分の中での藤田嗣治についての感想を書いてみることにします。

 ・・・・・・・・・・・・・

いつだったか、藤田嗣治を知ったのは。いついつ知って、どこで何を見たのか

遡る記憶は頼りない。

ただある時、藤田嗣治を知った。

~洗練の人~

1886年に生まれて、1968年に亡くなっている。私が生まれた一年後にこの世を去っている。

この時代に、この風貌。

なんてアカヌケタ人なのだろう。以来、私の中では‘洗練の人’。

センスの良い人。生きるスタイルのある人。

うまく言えないけれど、日本人にはない何かを感じる。

そして、藤田嗣治の絵を観る機会を得るたびに、私はやっぱりこの人を好きだなと思うのだ。

 

  

 

 藤田嗣治展 2016.7月16日(土)-9月22日(木・祝)

 兵庫県立美術館 

~・・・・・・27歳で初めてフランスに渡って以来、81年の生涯の半分近くを、フランスを中心とする

 異国で送った藤田の芸術は、まさに東と西の文化の上に誕生したものです。しかし、藤田自身は

 二つの文化に引き裂かれる苦しみを味わいます。エコール・ド・パリの寵児として大成功を収めた

 後も繰り返される毀誉褒貶。戦中に描いた戦争画を巡る責任論。その結果・・・・~

   (展覧会チラシより抜粋)

 

たまたま以前BS番組で藤田嗣治の歴史を紐解くものを観る機会があった。

‘洗練の人’が纏う、洗練は、やはり稀有の人であること。運命の画家であるからこそ

この雰囲気を纏っているのだ。

妙に納得したのだった。

≪貝殻のある静物≫1924年 高知県立美術館

~・・・愛用品に自分自身を重ね、静物画を自分のように仕上げた。

  フジタのお得意の手法である・・・・~ (キャプションより)

   

  ≪人形を抱く少女≫1923年 群馬県立近代美術館

      

≪二人の祈り≫ 1952年  個人蔵      ≪小さな主婦≫ 1956年  個人蔵

 

・・・・・

   気に入ったポストカードとA4版のカードを買いました。実際に見る画の美しいこと。彼独自の描く手法は

   彼ならではのもの。目を凝らしてじっと見つめてみる。細い輪郭線の美しさ、清潔な色気

   彼独自の絶対的な美しさを見つける目、そして表現力、そういったものに感じ入ってしまいます。

   

  

 以前大阪市の美術館で「こども展」という展覧会に行ったことがあった。

 その時に買ったポストカード。 (レオナール・フジタ ≪フランス48の富≫ 1960-61年 パリ市近代美術館に藤田君代夫人が寄贈)

 この展覧会の最後に、この絵が大きく展示されていた。

・・・・・・・・・・・

どんなものでも好みというものが人間にはあります。

好きか、嫌いか

これは実はとても重要で、なんとなく好き、何かが違うとか

自分の気持ちに忠実であろうとすればするほど

そんなふうに、向かう方向は決められていくような気がしますね。

あまり何も考えずに生きるのもひとつだし

何か自分の生きる道を決めて進みたい

と思うのなら、そうしたらいい。

その人物を醸す何かは、やはりそういうものでも違ってくる

それだけは言えるような気がします。

 

時代は巡って、藤田嗣治は、日本人が彼の作品に会いたいと思う、そういう画家の一人だと思います。

一人の人間を見る時、複雑な感情が入り混じるのは、そうだけれど、魅力を感じます。

彼の人生を振り返ったものをみると、さらにその思いは深まりました。

 

 

 

 

        

 

  

 

 

 

 

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そっと染まらずに。2

2016年07月28日 | ひとりの芸術家

 

 偶然にチケットをいただいたという縁で、訪れた美術館。

日頃、そういうことはよくあること。とはいえ、それもまた出合い、縁というのは

どこからやってくるのか、自分が何に敏感で、何を求めて生きているのか

引き寄せるのかなと、ずっと感じてきたことです。

川村悦子さんというお名前は、存じ上げていませんでした。

そして、美術館に一歩踏み入れて、そこにある一室に少ないけれど洗練された

その人ならではの(見たことのない)作品は、空間に溶け込み、そのものを際立たせて

どこまでも品よく、観るものの心は掴まれました。

     

   ~今から11年前、イタリアのミラノで半年を過ごした。誰も知り合いのいない秋のミラノは落ち葉が美しく

    夜の仄暗い照明の中で人々も建物も温かく輝いていた。

    季節は秋から冬へ、そして春が巡った。・・・・・

    若い恋人達も思い思いの場所で語らい、緑の樹々群を背景に彼らのシルエットや衣服の彩りが美しく、

    まるで「生きた絵画」を見ているようだった。・・・・・・・

                           「ありふれた季節 川村悦子さんの文より」

 

     

  

   

         

      蓮のこと

     ・・・・こだわって描きたいのは蓮の葉っぱのきめ細やかさ。そこに降り注ぐ光と影。・・・・・

 

     

   

    屋内から外を描いている。窓の曇る感じ、結露が出来ている。1988年の作品です。

    単純に面白い作品だと思ったのです。

   ~色鮮やかなイタリアの街並みを、ある種のフィルター越しにしか感得できない自分がいる。イタリア美術への

    果てしない憧れを抱きながらも、それを無自覚に内面化できない葛藤が、この半透明のガラスという形象に視覚化されて

    いるのではないか。・・・・~展覧会の説明文より抜粋

    

      

 

      BELLINI 1998年 

                    

                    《道》2012年 東京オペラシティー アートギャラリー蔵

  

    ぽっと行って、少しの時間拝見し、それをこんなふうに勝手に書いてしまっています。

    恐縮しつつも、この美しい絵画への感動は、たしかなものとして私の心に残ったのです。

 

  

・・・・・

 そっと染まらずにいたいと、思うことしきり。きっと誰しもあるのかなと感じていますが。

 このような展覧会に足を運ぶとき、ある一つの、あるいは何か、大小さまざまな世界を見つめた一人の人が

 深く広く、どこまでも追及していくこと、その生きる姿勢に、心洗われる・・・

 感動とはそういうところからいつも生まれるように感じています。

 

✳︎(今回の展示は、個人使用に限り写真撮影がOKとのことでした。)

   

 

 

 

  

 

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そっと染まらずに。1 ~川村悦子展に行ってきました~

2016年07月27日 | ひとりの芸術家

若い時から、行きたい場所はいつだって美術館だった。

子育ても落ち着いて、気ままに出かけられるようになってきたこの頃。

わが家は夫も子どもたちも美術館が好き。

知らずにいつの間にか、良い影響を与え合っている。

夫と娘、私と夫、私と娘、娘と娘・・・・どの組み合わせでも行く。

先日のこと。偶然チケットをいただいたのもあり、西宮にある大谷記念美術館に足を運ぶ。

平日の午後のこと。

 

    

駅から歩くこと10分くらい。お庭も美しいこの美術館。門の入り口に着くまで長い生垣が続く。

                  

                 川村悦子展 ~ありふれた季節~

                7月31日まで開催

                          

                          「ありふれた季節」というタイトルの複数枚の絵。

                          イタリアのミラノで過ごした時の景色だそうです。

                          まずは一枚をご紹介。

 

俗世間から距離を置いて(私の感覚)、こんな場所がある。

空気が澄み、静けさに包まれる。ふいに腑に落ちる。好きな場所が、今ここにある・・。

川村悦子さんの、あまりに美しい世界感に、心が一瞬で洗われたかのようだった。

内側にこもっていた何かがぱっと晴れるかのような感覚を憶えました。

 

         

    一階の一つのお部屋を観終わると二階へ。上がりきって踊り場に目を向ける。

    ここの美術館ほんとに美しい設えです。

 

 ~・~・~・~・~・

私自身、絵は観るだけのものではないですね。

こんな美しい絵を描く人は一体どういう人物なのか。

興味は尽きなくて、何がどうとは言えなくても、良い影響を与えてくれる

素晴らしい機会を得る。

今の時点で気づいているのは、それだけです。 (つづく)

 

 

 

 

 

 

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みんな芸術家になれる。

2016年07月17日 | ひとりの芸術家

ある日の休日。

 

     

          

 前の日、ベランダにある緑を整理して、切った緑をざっくりと透明の瓶へ入れてみる。

 すると次の日には、お花がついていた。よ~く見ると、葉っぱが育ち、蕾がいくつも。

 光と水があれば育ち続けるのだな・・・・。

 

                                

                               あちらこちらに緑があるのがやすらぐ。

    

    箸置き、フォークを置いたりと使い方色々。実は、ここに引っ越してきた時から、紙にくるまれてしまわれていた。

   あるとき見つけた。レモンとキウイ?3種類買ったのだった。4人家族でひとつ足りないのでニンジンの箸置きを。

 

  昼間から、ほんとに時々だけれど、みんなで飲んだりしたり

                         

                        ピザを食べる、ランチに。家でのんびりとおいしく楽しく。

  休日ならではのこと。

  いつも、居心地良く。暮らしは日常だけれど、いつも目に映る世界が、意味があるように

  食べるもの、咲く花、緑、食器、椅子や、テーブルでさえも、お互いに引き立て合うように意識してみる。

 

 ~・~・~・~・~

 だれでも芸術家

 意識するか、しないか

 装いも

 目に映る世界も

 自分の見える世界を自分で切り取ってみる 

 夢の世界で生きるのではなく現実の中でもそうできるのだと

 思うことがある。

   とはいえ、執着は一切なしと思っての日常です(^_^)。

 

   

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