日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

城崎温泉で消えた腕時計がわが家のソファーに出現

2010-11-28 18:12:15 | 旅行・ぶらぶら歩き
11月7日から9日にかけて友人夫妻とドライブ旅行に出かけたことを二泊三日ドライブ旅行の終わりに書いたが、その時に書かなかったことがあった。城崎温泉の三木屋でチェックアウトを済ませたときに、妻が腕時計を忘れたと言い出した。部屋にとって返したがどこにも見当たらない。忘れ物のないことを確かめて部屋を出たのだから当然のことである。しかし妻の腕に時計がないのも事実である。ハンドバッグとかポーチとか、考えられるところを探しても出てこない。宿では片付けた夜具までも丹念に調べてくれたが出てこない。部屋に見当たらない以上、荷物のどこかに紛れ込んだのかもと考えることにして、手間をかけたことを謝して宿を後にした。心には引っかかるがミスはわが方にあり、そんなことで友人夫妻に気を遣わせても申し訳ないので、「もう忘れた!」と宣言してドライブを続けたのである。

先ほど妻がお茶をそちらですると言い出した。ケーキと紅茶を私の部屋に持って行くから部屋を片付けなさいとのメッセージなのである。ソファーの上などにもあらゆる物が積み上げられ座るところもなくなっていると、それを片付けさせようとするのかこういうお節介をする。仕方が無いのでソファーの上に脱ぎっぱなしにしていたセーターとかダウンベストを片付けようとしたところ、その下にきらりと光る物がある。それがなんと城崎で消えてしまった腕時計であった。失せ物が時空を飛び越え突如現れたものだから、まるで狐につままれたような気分になった。

腕時計が消えたのも現れたのもまさに忽然、だからどのような経緯でそうなったのか簡単には思いつかない。もしかして、と考えられるのはダウンベストの存在である。日本海から湖北方面に出かけるので用心のためにボストンに積めて行ったが、着用することはなかったと思う。しかし何らかの弾みで宿の机の上にあった(ことは私も確認している)腕時計が、口を開いていたボストンの中に落ち込んでダウンベストにひっかかり、家まで持って帰ったのではなかろうか。この数日、寒いのでダウンベストを纏ったが、ボストンからベスト取り出したときに腕時計がソファーの上に落ちたのではなかろうか。今のところベストが介在していたと考えるのがもっとも合理的なように思う。二十日ぶりに姿を現したこのソーラー腕時計はちゃんと正しい時を刻んでいた。

さっそく三木屋に電話をしてかくかくしかじかと状況を説明し、どのようにしては分からないまでも腕時計が出てきたことを喜んでもらった。オフイスに「○○様、腕時計」と掲示を貼りだしていたそうである。これで宿の方も安堵されたことだろう。そう思ったら、急に食べ残してきた蟹に未練が湧いてきた。

床屋談義 海老蔵は人間極道!

2010-11-27 20:19:15 | Weblog
昨日はほぼ二ヶ月ぶりの散髪だった。今月は出かけることが多く、月初めの予定がずるずると延びてしまったのである。仕事を辞めて神戸に戻って来て間もない頃、兵庫県庁の近くのビルの地下にあるこの散髪屋にたまたま入り、顧客カードに記入させられて以来のお付き合いで、だからもう12年ほどになる。マスターが私とほぼ同年配でなんとなく気が合うので長続きしている。店はマスターと同じく理容師である連れあいの二人が切り回している。

髪が伸びてしまってと言ったのが切っ掛けで、いや、最近そういうお客さんが多くて、前のお客さんも次は年が明けてからやなと言うて帰りはりましたわ、と言う。客足が落ちているのが気になって調べてみると、常連客が減ったわけではないが来店の頻度が下がったのだそうである。県庁の勤め人とその退職者が主な顧客らしいが、これまでは100人のお客さんでなんとかやっていけたのに、こうなると倍の200人は欲しいそうである。といって新規客がそう簡単に増えるわけでもなしと託つので、髪が早く伸びますようにと心をこめて毛根マッサージをするとか、毛髪成長促進剤をこっそり塗るとかしたらいいかも、とアドバイスをしたついでに、年内にもう一回来るからと約束をした。

マスターには私の前職が何であったかなど一切話していない。するのは昔話に遊び事の話、そして世相談義である。県庁の勤め人は現職が分かっているから仕事に関わる話はしないだろうが、それでもときどき県庁の人が辞めてどうしていると言うような話が出てくる。ある時、私の義妹の連れあいの話が出てきたのには驚いた。彼は地方公務員だったので高級官僚にはあたらないが敢えて言えば「県庁官僚」で、退職後もいくつかのポストを「天降り」で渡り歩いている。ただそういう人が今でも来てくれていると言う話なので黙って聞き置いたが、偶然に私とここで出くわす機会はあるはずで、その時にびっくりさせてやろうと今のところ私一人の胸に秘めている。

昨日は散髪の最中、テレビが海老蔵殴打事件をかしましく伝えていた。役者は世間からのはみだしものぐらいが面白いと私も普段から思っているが、夜明けまで得体の知れない相手と泥酔するまで酒を飲み、あげくにボカボカと顔が歪むまで痛めつけられるなんて、役者根性の片鱗すら感じられない。殴打事件をきっかけに海老蔵の数々の悪評が浮かび上がってきたが、その通りだとすると世間知らずの子ども同然だと思った。「おれは人間国宝だぞ!」が酩酊状態でのお好きなせりふだとか、「人間国宝ではなくて人間極道!」と隣席の相客が突っ込みを入れていた。おかげで昨日は政治ネタの出てくる間がなかった。

須磨離宮公園の怪

2010-11-26 13:06:59 | 旅行・ぶらぶら歩き
小春日和の昨日、身近なところで紅葉を楽しもうと神戸市立須磨離宮公園に出かけた。山陽電鉄須磨寺駅で下車、お昼にはまだ間があったので須磨寺を訪れ、緑の中に点在する紅葉を眺める。後戻りをして須磨寺門前商店街で昭和初期に店を始めたという「志らはま鮨」に立ち寄り、おすすめの「すまの浦」を注文する。タイムスリップをしたような気分にさせられるこのお店は私のお気に入りである。店に入ったのが12時前だったので先客は一組だけであったが、出るときには外に順番待ちの客がいた。

須磨寺横の坂道を登り、離宮公園の正門から園内に入り植物園に向かう。入園者はほどほどなのでのんびりとした気分になり、マイペースで随所で紅葉を楽しむ。鑑賞温室では洋らん展をやっていた。わが家にあるのは一鉢のカトレアだけであるが、普段お目にかからない風変わりな花が多いのに驚いた。温室を出て和室のある和庭園に向かう。この周辺には紅葉が多くて階調のある展開が見事である。腰を下ろしているといつのまにかウツラウツラし始めた。

異変を感じたのはその時である。異様に高く結い上げた髷頭が目に入ってきた。派手な服にブーツ姿の女の子で下の方から上ってくる。連れの男の子は和服で刀こそ腰に帯びていないがドラマに出てくる龍馬のような姿、そして二人とも信玄袋のようなものを担いでいる。面白い取りあわせに二人を目で追っていると和室に近づいた。和室と言っても日本家屋で、和庭園からは鉤形の広縁の外側はガラス戸に、内側は障子に囲まれた和室になっているように見えるが中を見通せない。ガラス戸の内側には「一般の人は立ち入れません」と掲示が出されている。ところが先ず男の子がガラス戸を手で開けた。鍵がかかっていなかったようである。信玄袋を広縁に置き履き物を脱いで広縁に上がり、行ったり来たりしている。どこから部屋に入り込むのかを探していたのだろうか、やがて障子を開けて中に入り込んだ。続いて女の子も縁側に上がり信玄袋に履き物までも部屋の中に持ち込み、ガラス戸を閉め障子も閉め、二人の姿は消えてしまった。まるで白昼夢の一齣である。

案内書によるとこの和室はお茶会や食事会などに貸室利用ができるとある。しかし催し事があるような気配はないし受付が出ているわけでもない。あの二人、中で何をしているのだろうと次第に気になりだした。隠れ場所の穴場として若者の間には知れ渡っているのだろうか。そう言えば入り込むときも周りの様子を窺うこともなく、後ろめたいことをしているようなおどおどすることもなかった。勝手知った振る舞いのようである。若い男女が人目に隠れて何を、と変な妄想も湧いてくる。いや、器物破損ということもありうるし、何か値打ちものを持ちだそうとしているのかも知れない。となれば神戸市民の一人として見逃すわけにはいかない。「御用だ」と踏み込んでやろうかとさえ思ったが、君子危うきに近寄らずとも言う。そこでiPhoneで公園事務所を呼び出した。

自分が和室・和庭園に居ることを伝え、ところで今日は和室が何かに利用されることになっているのかと尋ねたところ、使用届が出ているとの返事が戻ってきた。しかし念のために、変な格好をした男女が縁側から入り込むのを見かけたものだからと言うと、年配者の声にマッチしない言葉が飛び出した。なんとコスプレの集まりで、お互いに衣裳を取り替えては写真を撮りあうそういう催しだという。これで納得がいったが考えたら昨日は木曜日である。まともな若者なら働いているか勉強していなければならないはずなのに、こればかりは納得がいかなかった。

思いもかけずこういうことで時間を取ったものだから、レストラン花離宮2階で開かれている「離宮公園の魅力展~王侯貴族のバラ編~」はスキップして帰途についた。


北朝鮮・韓国砲撃戦の切っ掛けは?

2010-11-24 09:21:57 | Weblog
日本経済新聞 電子版の記事である。

 【ソウル=島谷英明】韓国の聯合ニュースなどによると、23日午後2時34分ころ、朝鮮半島西側の黄海上の南北境界線付近にある韓国領、延坪島(ヨンピョンド)付近へ北朝鮮の陸上から砲撃があり、一部が同島内に着弾した。十数人の重軽傷者が出たもよう。韓国軍は直ちに応戦し、激しい砲撃戦を展開した。韓国側は兵士1人が死亡。北朝鮮による韓国陸上への砲撃は極めて異例で、朝鮮半島は一気に緊迫の度を高めた。

 韓国軍は北朝鮮に軍当局間ルートを通じて射撃中止を要求する通知文を送付。韓国軍当局は23日午後3時45分ころに北朝鮮からの攻撃は止まったと発表した。李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領は23日午後に青瓦台(大統領府)で安全保障関係の閣僚会議を緊急招集。衝突拡大を防ぐよう指示を出した。

 韓国軍合同参謀本部の報道官の公式説明によると、北朝鮮の攻撃は午後2時34分~55分まで続いた後いったん中断。その後3時10分に再開した。北朝鮮が発射した砲弾は数十発で、韓国側もほぼ同数の対抗射撃をした。
(2010/11/23 17:53)

そして続報。

 【ソウル=山口真典】北朝鮮の朝鮮人民軍の異例の韓国陸上への砲撃は、黄海上で南北を分ける北方限界線(NLL)の海域で韓国陸海空軍が同日実施していた訓練に抗議する姿勢を打ち出した。ただ、韓国は定期的に同海域で訓練しているうえ、北朝鮮が韓国の陸地を目標に砲撃したのも極めて異例だ。訓練への抗議を口実にして攻撃を仕掛け、内部引き締めを図るとともに、対話に応じない米国の姿勢に焦って朝鮮半島の緊張を高めることを狙った可能性もある。
(2010/11/23 19:00)

北朝鮮のやることなすこと、私には理解しがたいが、それにしても住民の居る島に直接砲弾をぶち込むとは乱暴すぎる。せめて私の常識を納得させようと、このような筋書きを考えた。

韓国海軍が問題の海域で定期訓練を事前に予告していたとのことであるが、これに対して北朝鮮から韓国の大統領府へ抗議の文書が23日に送られてきたとのことである。となると抗議の一環として北朝鮮から韓国艦艇に威嚇砲撃を行った可能性が考えられる。それに対して韓国艦艇が撃ち返したとすると、今度は北朝鮮が報復として延坪島を砲撃したのかもしれない。なぜそのように考えるかと言うと、そのヒントが上の記事の強調部分である。延坪島(ヨンピョンド)付近へ北朝鮮の陸上から砲撃があり、一部が同島内に着弾した。とあるように、同島内に着弾したのは一部の砲弾でそれ以外は海中に落ちたと受け取ることが出来る。韓国艦艇に撃ち返したのかも知れない。

演習中の韓国艦艇の行動が報道されていないので、このような理屈を考えてみた。そうとでも想像しないと、あまりにも理解しかねる北朝鮮の「暴挙」であるからだ。

海部俊樹著「政治とカネ」を読んで

2010-11-23 23:24:42 | 読書
暴露本というのかゴシップ本というのか、元々このような話が好きなので今日買ってさっそく読み終えた。海部さんには申し訳ないが、海部さんについては誰が言ったのか「Kaifu? Who?」という語呂合わせの言葉を思い出すのが精一杯で、この回顧録を読んで、海部さんが自民党で三木武夫氏の流れを汲む河本派に属しながら、竹下派の支持を支えに内閣総理大臣まで登り詰めた方であったのを再認識した次第である。

まずは政治とお金のゴシップ話である。

 あの頃の自民党総裁選は、大枚が飛び交っていた。その総裁選に二度出馬した河本氏も例外ではなく、誠に恥ずかしい話だが、河本派代貸しの私も各派にカネを運んだのだ。嫌な仕事だったが、「政策を通すための潤滑油、必要悪」と割り切るしかなかった。
 政界では、「立たぬ札束」は端金と言われる。金は、三百万円積んではじめて「立つ」。三光汽船のオーナーだった河本氏は、「立つ金」を議員たちに気前よく配った。が、開票してみれば、あっちも裏切りこっちも裏切り。

1972年、三木氏が三度目の総裁選に挑んで敗れたとき、

クリーンと謳われた三木さんだって、実際には各派に金を配った。使い走りをしたひとりがこの私で、何人もの議員が、私から金を受け取った。受領した人々が約束を守っていれば、三木氏の票はもっと伸びたはずだ。

 一方、野党も野党でひどかった。
 政界には「寝起こし賃」という隠語がある。「寝る」とは、審議を拒否すること。「寝ている」野党を「起こす」ためには、「寝起こし賃」が必要で、私が「賃渡し」を命じられたこともある。相手のメンツもあるから、忘れたふりをして置いてくるなど、賃渡しにはそれなりの芸が必要で、とにかく嫌な仕事だった。

主題の「政治とカネ」のうちの「カネ」にまつわる話はまだまだ出てくるが、ウンザリするのでこの程度に留めておく。「政治」の話もウンザリで今となってはどうでもいいようなことなので、関心のある方はご自分で本を手に取られるとよい。

ところで上に「立つ金」の話が出たついでに、海部さんのこの本をクリントン米国大統領、サッチャー英国首相の回想録と並べて立ててみた。わざわざ「海部俊樹回想録」と銘打っているこの新書本は、取り繕いようのないほど見劣りがする。裾を広げて支えないことには独り立ちが出来ない。戦後でも「佐藤栄作日記」などは全六巻にもまとめられているのに、海部さんのこの本は近頃の日本国総理大臣の軽さを象徴しているようである。ただこの写真で矮小さだけを強調するようになっては申し訳ないので、海部さんを少しフォローしておく。海部さんがサッチャー首相に初めて会ったのは1989年9月に東京で行われた日英首脳会談の時であるが、その時のことがこのサッチャー英国首相の回想録に出ており、それを海部さんは次ぎのように述べている。



 後で、彼女の回想録を読んだら、「(海部首相は)正直な人間であり、私が会ったいく人かの日本の政治家のように口数少なく、内向的な型ではまったくなかった」と書かれていて嬉しかった。

確かにそう書かれている。それに止まらずサッチャーさんはさらに好意的なことを書いているのでそれを引用しておく。

He was strongly pro-western, a man of integrity, and not at all in the somewhat reticent, introverted mould of some Japanese politicians that I met. (中略) I was told that his favourite sayings were: 'politics begins with sincerity' and 'perseverance leads to success.' It seemed an uncontroversial philosophy.

 Mr Kaifu had twice been Education minister and we had something special in common. He spoke eloquently about social issues, in particular the decline of the family and the need to come to terms with the demographic factor of a rapidly ageing population.

いや、こういう話をしていたとは海部さんを少し見直した。



グローバルCOEプログラムなんていらないのに・・・

2010-11-22 11:04:55 | 学問・教育・研究
ここ何日間か私が以前に投稿したやはり目をつけられたか グローバルCOEプログラムへのアクセスが増加している。11月18日に行われた事業仕分け第3弾で、「A-25: 大学関係事業(その1) 文部科学省 (1)グローバルCOEプログラム (2)博士課程教育リーディングプログラム」がその対象となったことを反映してであろう。

私の上記の記事は2008年8月6日のものですでに2年以上前のものである。しかしここで私が指摘したグローバルCOEプログラムの問題点は、事業仕分けの論議の中にも繰り返し指摘されていることでもあるので、あらためて要点を強調しつつ再掲する。

世界水準の研究教育拠点作りという一見壮大なプロジェクトも、一皮剥けば既存の研究室の寄り合い所帯で、『研究教育拠点』も作文の上でのみの存在である。しかしCOEに採択されれば潤沢な活動資金が与えられるし、また所属する大学のステータス向上に役立つなどのメリットがある。しかしCOEは継続性が保証されてはいるものではない。「金の切れ目が縁の切れ目」になりかねない惰弱性がある。だからこそこのような『競争的資金』獲得を向けての競争が熾烈になる。いわば企業が『公共事業』の受注に熱中するようなものであろう。その裏には『天下り』もあれば『談合』もある。そういえばCOEプランはかっての『列島改造論』の文部科学省版、その産物だとすると、見えてくるものもある。(後略)》

かっては私もそのうちの一人であった学者、研究者とは悲しいものである。『研究馬鹿』であればあるほど目の前に研究費という餌をぶら下げられると、なりふり構わずかぶりつこうとする。業なのである。研究者一人ひとりはそれでよいのかも知れない。しかし『グローバルCOEプログラム』を作り上げる側に参画した学者・研究者もしくは学者・研究者上がりが『研究馬鹿』と同じ姿勢であって良いはずがない。これまでの実践を通して自己の学問理念を築き上げた学者・研究者もしくは学者・研究者上がりなら、研究を支えるのが人であり、自由に大きく羽ばたく優れた人材の育成こそ新しい学問、研究の創造に向けての第一歩であることを骨身にしみて実感していることであろう。この人材の育成は国家百年の大計として定められる恒常的な制度によって推し進められるべきで、この根幹的な制度こそ継続的な予算措置により堅持されるべきものなのである。これらの方々は五年、十年単位の『グローバルCOEプログラム』のようなものが、私の述べた意味での『虚構』に過ぎないことをいち早く見抜くべきであったのではなかろうか。

税金の無駄遣いとの指摘を重く受け止め、これを契機にわが国における教育・科学行政のあるべき姿に思いを馳せ、学者・研究者といえどもお金の使い方を他人事とせずに真剣に考えていただきたいものである。私の考えはきわめて簡単、『グローバルCOEプログラム』は止めてしまって、せっかく一度はつけて頂いた予算だからその分、全額とはいかないまでも、本来拡充すべき大学運営経費と科学研究費に入れてしまえばよいのである。甘い考えとは重々承知の上ではある。

今回の事業仕分けでグローバルCOEプログラムに対する評価者のコメントは次のように整理されている。

● 仕分け違反であり、より卓越した拠点に絞るべき。まず、予算措置以外の手法で大学の競争力
を高め、人材育成する仕組みを考えるべき。
● 仕分け違反は許されない。拠点数の集中(案件数の絞り込み)は、前回の仕分け直後に行われるべきであり、それを担当部局がさぼったために大学に無用な混乱を生じさせたのは残念である。
移行措置を考慮する必要はあるが、基本的に廃止をお願いしたい。
来年度までは事業を拡大せずに、最低限で維持(雇用の問題があるので)。本質的な大学改革プログラムを戦略的に進める中で、事業を再構築すべき。
● 「拠点」化の徹底。現行のスキームであるなら、むしろ廃止すべき。当該事業の目的を達成するため、まずは拠点化を徹底すべき。このため、一旦予算を半減。将来、拠点化による成果が高まった時点で、さらなる予算措置をすることは妨げるものではない。
博士課程学生の奨学金として給付する部分は残す。グローバルCOEプログラムは、学生に報酬として配分している予算が15%しかない。この制度の恩恵を受ける学生は、国立大学博士課程学生51,490人のうち、14%に過ぎない。グローバルCOEとしては一旦廃止して、全国国立大学の博士課程学生の奨学金として給付する事業に平成23年度に変えたほうがよい。
博士課程にためらわずに優秀な学生が来る仕組みを創るべき。
● メリハリをつける。目的と手段を一致させる。
拠点の絞り込みができていないということで、そこそこ、それなり、現状維持ということであれば、経常収入で対処すべきことと思われる。
23年度を最終として廃止。交付金に一元化すべき。世界トップレベル国際研究拠点形成促進など、局間タテワリを排して、合理化を進めるべき。
● グローバルCOEに相当する資金を学術研究分野に投入することに異論はないが、関連性の薄い分野をまとめて拠点にする方法は、再考する必要がある。人件費に投入するのであれば、学振のPD・DCへ投入するほうが有効である(PDの年齢要件等の緩和を同時に検討する必要がある)。
● もともと妥当性を欠いたプログラムであるが、一旦スタートした以上、ある時期をもって廃止するのは適当ではない。

さらに今回の事業仕分けでグローバルCOEプログラムと抱き合わせの博士課程教育リーディングプログラムについても評価者のコメントは厳しい。私の注目する指摘のみを抜粋する。

内容が、従来のグローバルCOEプログラムの一部を外出ししたものに過ぎない。ポスドクの生活支援、就業支援の側面が強く、「リーディングプログラム」にふさわしい事業内容と思われない。目的に即した内容でなければむしろ予算計上を見送るべき。
不要である。この種の制度設計は、もっときちんと議論すべき。あまりに安易な計画である。
まず、グローバルCOEの事業で、現実に日本のトップ大学の競争力はついていない。このことを無視して、単に後継事業を認めることはできない。そして、説明によれば、本事業が、前事業と異なり、成果が上がるという点について、説得力のある説明はなされなかった。“専攻”や“大学”に金を出すという手法はやめるべき。優秀な研究者をしっかり評価して、個人に金を出す方法にすべき。
制度的改革が先行、せめて同時でなければならない。
大学院教育を構造的に改革しない限り、大学院において当事業が求めるような人材は育たないのではないか。
研究者志望者への援助制度は、長期間安定している必要がある。既存の学振研究員等の拡充で対応すべし。

本来の見出しは●であるが、私の提言と趣旨において一致する項目はで示した。国民的感覚からもグローバルCOEプログラムの虚構性が捉えられているように私は思う。

予算担当部局用として作成された論点等説明シートにも、これらの指摘と関連した次のようなメモがある。

実質的に経常費の補填(バラマキ)になっていないか。
・ 世界をリードする拠点形成を目的とする事業であるが、採択数140拠点は適正か。

○経費の使途・内容が目的にふさわしいものとなっているか。
実態はポストドクターの雇用対策等の人件費が6割以上を占めているが、本当に多くの研究支援要員が必要なのか。そもそも、国際的に卓越した教育研究拠点を形成するために、何が欠け、何が必要なのか整理できていないのではないか。

○他の事業と重複があるのではないか。
真によい研究内容ならば、既存の科学研究費補助金(23年度2,100億円)の中で対応すべきものではないか。
・ 科学技術予算の中にも「国際的に卓越した拠点づくり」を支援するメニュー(世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)(23年度82億円))などがあるが、重複しているのではないか。
・ 特別枠で要望している博士課程教育リーディングプログラム(52億円)は、事業目的等が類似しており、グローバルCOEプログラムの新規要求分と考えられるのではないか。

そしてとりまとめのコメントは以下の通りである。

(グローバルCOEプログラム)
グローバルCOEプログラムについては、残念ながら仕分けの結果は反映されていないという判断。そしてどうするのかということだが、その他と書かれた方の意見を見ても、そもそもこのグローバルCOEプログラム自体が良くなかったということについてはほぼ評価者の意見は共有している。その中で、現に継続事業でこのシステムが動いているところをどれくらい削れるのか。本来であればもっとメリハリをつけて絞り込みをして効果が上がるという形にしていただくというのが反映すべき結果だが、そうなっていない中で、平成22年度の予算要求に対して1/3程度とするという仕分け結果の着実な実施という方が4名、半額程度縮減という方が1名、1割程度縮減という方も1名いらっしゃる中で、縮減額の比率を出すのは非常に難しいが、少なくとも重点化、拠点化、メリハリを付ける中で、本来の趣旨である国際的に卓越した拠点を形成するという趣旨に照らし、継続事業であっても拠点化、重点化を行い、23年度要求から少なくとも1割以上の縮減はしていただき、事業仕分け第1弾の評価結果の確実な実施をしてもらいたい。

私が指摘したグローバルCOEプログラムの問題点は、少なくともこの事業仕分け評価者にもあまねく認識されているようだ。そこで私の考えはきわめて簡単、『グローバルCOEプログラム』は止めてしまって、せっかく一度はつけて頂いた予算だからその分、全額とはいかないまでも、本来拡充すべき大学運営経費と科学研究費に入れてしまえばよいのであるのだが、そこまで踏ん切れないところにこの事業仕分けの限界がある。それは単に予算の付け替えではなく、この人材の育成は国家百年の大計として定められる恒常的な制度によって推し進められるべきで、この根幹的な制度こそ継続的な予算措置により堅持されるべきものなのであることにまだ国民的コンセンサスが確立していないからとも言える。

私はかって文科省での日本学術振興会と科学技術振興機構の共存が基礎科学の発展を邪魔するで次のように述べたことがある。

私の結論としては競争的資金制度に24もいらない。科学研究費補助金だけでよい。これが一元化である。「グローバルCOEプログラム」も「世界トップレベル研究拠点(WPI)プログラム」など、トップダウンのプロジェクトは要らない。科学技術振興機構の498億円は科学研究費補助金に入れてしまえばよい。もちろん科学技術振興機構なんて独立行政法人も不要になってしまう。必要とあれば最小限の職員を日本学術振興会に移してもよいが理事長など役員は不要、行政改革のさきがけとすればよい。では技術の創出はどうなるのかと聞かれそうであるが、技術創出に活かせそうな情報を外に向かってどんどん発信すればよい。お金の流れを情報の流れに切り替えるのである。それを必要とする現場でこそ真に役立つ技術が生まれてくることであろう。

この考えは今でも変わらない。極論すれば国家百年の大計である人材の育成に必要なのは、国立大学にあっては運営費交付金、私立大学にあっては私立大学経常費補助金、それに加うるに科学研究費補助金に尽きる。今わが国に求められるのは贅肉を一切切り削いだ骨太の大学制度を抜本的改革を通じて確立することであろう。

この一週間 最後には孫がやって来た

2010-11-21 17:11:46 | Weblog
この一週間は珍しく予定が詰まっていた。そのうち二日は朝鮮語のレッスンにヴォイス・トレーニングとあらかじめ決まっているものであるが、それに加えてランチ・ヴァイキングに映画、そしてコンサート等々、天候に恵まれたこともあって毎日のように出歩いていた。本当は今日も出かけたい秋日和であるが、一日、家でのんびりすることにした。

毎日出歩いているとそれなりに時間に追われて、ついブログ書きもぞんざいになってしまう。昨日がそうであった。朝、柳田法相が地元で問題発言をしているシーンがテレビで流れたのを観て、唖然とした思いをそのままにまとめたのが幇間・柳田稔法務大臣であった。いくらなんでもわが国の法務大臣を「幇間(ほうかん)」呼ばわりはないだろうから書き直さないとと思いつつも、コンサートに出かける時間が迫っていたので、ついそのまま投稿してしまった。言葉遣い一つに私の隠しておきたい本性が露わになることもあるので気をつけてはいるが、今さら繕いようがないので手を加えずにおく。それにしても《まさに国民を愚弄しているとしか言いようがない。菅総理は即刻柳田法相を罷免すべきであろう。》と私が述べてすでに四日目、いまだに処分が行われずにいるとはまさに遺憾(いかん)内閣である。国民の目線で物事を眺めて考える政治家が民主党に一人でもいるのだろうか。情けない限りである。

昨日は新大阪であったコンサートを聴いて帰宅を急いだ。千葉にいる息子が小学二年の次男を連れて来るとの連絡があったからである。千葉には周りに山がなく、木々の葉も黄色くはなるが紅葉はしないので、本物の紅葉を見せてやろうと言う気になったらしい。昨日は朝早く伊丹空港に着き、その足で京都に直行して金閣寺を始めそのあたりのお寺をいくつか巡ったらしい。日曜の今朝も4時半起きであたふたと京都に舞い戻った。何をそんなに慌ててと思ったのは私が世間知らずのようで、なんと清水寺は午前6時には開門するそうである。時間を惜しむには理由があって、小学二年の孫は明日が学校だから今日中に千葉に帰りたいらしい。明日休めば明後日は勤労感謝の日だから四日間も休みがとれてゆっくり出来ると思うのに、それでは小学校六年間の皆勤がふいになるからと言う。この孫には兄が一人あって、その兄が小学校まで片道40分から45分かかるのに六年間歩き通して皆勤したので、負けん気を出して自分も頑張るつもりでいるらしい。

結局孫は夕方伊丹空港から羽田空港まで、JALの「キッズおでかけサポート」を利用して一人で帰ることになっている。羽田には母親が迎えに来るから心配はいらない。そして息子はもう二晩わが家に泊まる。上の孫を何故連れてこないのかと思ったら、修学旅行で明日から京都にやって来るとか。そいう訳で下の孫とは束の間の触れあいであったが、会うたびに成長しているのが嬉しい。たまたま孫がやって来る前日19日の朝日朝刊に、小学館の小学生から中学生向きの国語辞典と漢字辞典の広告が一面に大きく出ていたのでさっそく本屋で二冊組のパッケージを買い求め、持って帰らすことにした。小学生向きにそのような辞書がわざわざ出版されているとは私の頭にはなかったので、思いがけない発見であった。孫は今頃伊丹空港にいることだろう。



幇間・柳田稔法務大臣

2010-11-20 10:30:17 | Weblog
今朝の読売テレビが柳田法務大臣の「法相就任を祝う会」での問題発言シーンを流していた。とくとくと話しているのは選挙民・支持者の受けを狙ってであろうが、その阿りようはまさに太鼓持ち、幇間(ほうかん)そのものであると私は思った。【酒宴の席で、おもしろおかしいことを言ったり、芸事のまねや余興をしたりして客と芸者との間を取りもつことを職業とする男】(新明解)が元来の意味であるが、柳田法相には【他人が喜ぶようなことや、心にもないお世辞を言って、自分の立場を有利にしつつ世の中を上手く渡る心の卑しい者の意にも用いられる。】の説明があたる。YouTubeで今のところその問題発言部分を観ることができる。



この「幇間」が検察に指揮権を発動する立場にある事実を国民がどう受け取るのか、答えはすでに出ている。「何で柳田さんが法務大臣?」と(周囲の人は)理解に苦しんでるんじゃないかと思うんですが、一番理解出来なかったのは私です、と宣う「幇間」を、参議院枠だからと菅総理に持ち込んだ民主党の面々、そしてそれを鵜呑みにした菅総理、これこそ民主党政権の実体である。任命責任を全うすべく菅総理は即刻柳田法相を罷免すべきであるのに、その決断が未だに出来かねている。その間、議会において多大な時間がその罷免を巡ってのやりとりにいたずらに費やされている。

最初から分かっていたことではあるが、「張り子の虎」に過ぎなかったことを自ら露呈してしまった民主党政権。こういう政権をわれわれはいつまで戴いておらねばならないのだろう。

リーダーの器でない菅総理と大臣に値しない柳田稔法相

2010-11-17 23:35:16 | Weblog
まず柳田稔法相、地元の広島市で14日に開かれた「法相就任を祝う会」で次のようなことを言ったらしい。

あいさつに立った柳田は「法相は2つ覚えておけばいい。『個別の事案については答えを差し控える』と『法と証拠に基づいて適切にやっている』。これはいい文句だ。分からなかったら、これを使う」と言い放ったのだ。国会を、国民をなめているとしか思えない暴言である。
(日刊ゲンダイ 2010年11月17日)

地元に戻った気安さで自分の才覚をひけらかす軽口かと思ったら、実際に国会でそのような答弁をしていたというから呆れる。

 17日午前の参院本会議では、自民党の浜田和幸氏が「実際、柳田氏はこの二つの言葉を各種委員会で39回連発している」と指摘した。
(asahi.com 2010年11月17日13時6分)

まさに国民を愚弄しているとしか言いようがない。菅総理は即刻柳田法相を罷免すべきであろう。

ところがこの菅総理からして、その職の重さを自覚しているとはいえない軽率な行為を、全国民の前にさらけ出したばかりなのである。APECで来日した中国の胡錦濤国家主席と会談した際に、なんと手にしたメモに目をやりながら、かつ鞠躬如として挨拶を言上したのである。今回の尖閣沖中国漁船衝突事件で、ことさら中国に居丈高な姿勢で臨むことはないが、非が中国側にある以上毅然とした態度を取るべきである。さらに言えば相手が胡錦濤国家主席と限らず何れの国の国家元首との会談でも、メモを片手の挨拶とはあまりにも品位を欠く浅はかな振る舞いである。

何かの本で読んだことがあるが、その昔、日露戦争で日本軍の総司令官であった大山巌元帥がパリを訪れてスピーチを求められたときに、通訳に「よろしくたのむ」と一言言ったそうである。通訳は弱って自分で考え考えながら長い挨拶をフランス語でしたところ、聴衆は日本語というものは短い言葉で実に多くの内容を表現出来るものだと感心したという。菅総理もこのような故事を知らなくても腹さえ出来ておれば、自分でメモを読み上げるような不様な姿を衆目にさらすことなく、メモを通訳に渡して「その通り言え」と言うぐらいの腹芸をこなすことが出来たであろう。私はかってふたたび 「社民党 やはり野におけ れんげ草」で、《やっぱり異議を唱える福島党首は格好がいい》と持ち上げてやがてその通り、社民党は民主党と連立を解消することとなったが、それと同じく菅総理に対しても「やはり野におけ れんげ草」を呈したい。この方の本領はあくまでも批判者にあり、リーダーとしての器ではないからである。


エアコンガス欠の原因は実は蒸発器の不良で、無償交換

2010-11-16 23:31:17 | Weblog
猛暑のこの夏、エアコンが故障して一週間ほど使えなかったのには往生したが、冷房が効かなかったのはガス欠が原因と言うことで、とりあえずガスを充填して貰い、なんとか急場をしのいだ。その時に、三か月後にもういちど点検に伺いますといわれて、それが今日であった。エンジニアが二人やってきたのでガス圧を調べるのかと思ったら、なんと室内機を外し始めた。蒸発器を交換するというのである。

エアコントラブルの原因はガス欠に記したように、エンジニア(今回とは別人)からガス注入口のコックの閉め方が少し甘かったようで、ガス欠の考えられる原因はそれぐらいだという説明を受けた。そして少し時間を置いて改めて点検をするから、もしその時にガスが減少していたらパイプシステム全体を調べると言われたのである。ところが今日のエンジニアの説明によると、すでにその時に蒸発器に問題があることを把握していたようである。とりあえずはガスの充填で夏を乗り切り、涼しくなった時点で蒸発器を交換する予定にしたのだろう。事実を私に説明したら交換作業を急き立てられるとでも思ったのだろうか。

蒸発器は室内機の中枢部そのもので、室内機のケースの中身が蒸発器なのである。取り外した蒸発器には明らかにガス(と少量の油)の洩れた痕跡がはっきりとしており、そのせいであろうか目に入る金属部分に茶色の停留物が一面に付着していた。この様子では蒸発器が最初から不良製品であったように思われる。修理・保守・工事納品明細書には使用部品明細として部品名が蒸発器、サービス部品番号が「931704100」、そして「蒸発器不良」「蒸発器交換」と記されていた。作業終了までに約3時間かかり、終わった頃、外は真っ暗であった。