日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「放射線の健康への影響」児玉龍彦参考人説明の具体的な提言は実現可能なのだろうか

2011-07-31 16:09:36 | 学問・教育・研究
昨日試験外泊とかで手術後初めてわが家に帰ってきた。早速インターネットを開いてみると、7月27日の衆議院厚生労働委員会での東京大学アイソトープ総合センター長児玉龍彦氏の参考人説明が大きな話題になっていることを知った。YouTube(http://www.youtube.com/watch?v=DcDs4woeplI)がその内容を紹介しているが、児玉氏の情熱を込めた具体的なデータに基づく信念の開陳にいたく感銘を受けた。15分という時間の制約からか、かなりの早口で聞き取れにくいところもあったが、有難いことにその書き起こしが公開(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-626.html)されているので、内容に関してそちらを大いに活用させていただいた。児玉氏発言の全容に関してはこれらをご覧いただくとして、以下私の感じたことを少々述べてみる。

児玉氏の発言で予てから疑問に思っていたことが次のように明らかにされている。先ずは福島第一原発が放出した放射能の総量である。

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます
それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか
はっきりした報告は全くされておりません

そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しております
ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます

さらに恐るべきことにはこれまでの知見 で
原爆による放射線の残存量と原発から放出された者の放射線の残存量は
一年に至って原爆が1000分の一程度に低下するのに対して
原発からの放射線汚染物は10分の一程度にしかならない

つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様
原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事がまず考える前提になります

最近大きな話題となったのが牛の飼料となる稲藁の広範囲な地域にわたる放射能汚染である。予想外に広い放射能の拡散もさもありなんと思わされる。私は以前にSPEEDIをお遊びに過ぎない「シミュレーションごっこ」と断じた理由についてで、SPPEEDIの有効性が、事故の発生地点から離れた各所で測定された放射能量の地域分布データとの突合せにより、必要な修正を経て検証されるべきであることを述べたが、その有効性が実証されたSPEEDIで、あらためて実測された放射能量の地域分布データから(たとえ地上データのに限るとしても)福島第一原発からの放出放射線総量がある範囲で推測できるはずであると思う。すでに政府は当然このデータを得ているであろうが、即刻公表すべきである。

次は放射能実測の問題である。私は事故直後から被災地全域での放射能測定の重要性を述べてきたが、現場はそれどころではなくわが政府がいかに無策であったのかが述べられている。

何をやらなければいけないかというとまず、汚染地で徹底した測定が出来るようにするという事を保証しなくてはいけません
我々が5月下旬に行った時先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど実際には米軍から20台の個人線量計がきていました
しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて
我々が行って教えてあげて実際に使いだして初めて20個の測定が出来るようになっている
これが現地の状況です

そして目下の急務として食品検査の重要性が強調されている。

そして先程から食品検査と言われていますがゲルマニウムカウンターというものではなしに今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています

何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか

3か月経ってそのような事が全く行われていない事に私は満身の怒りを表明します

全く同感である。

内部被爆の問題もある。

ようするに内部被曝というのは先程から一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますがそういうものは全く意味がありません

I131は甲状腺に集まります
トロトラストは肝臓に集まります
セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります
これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディースキャンやっても全く意味がありません

セシウムは尿管上皮、膀胱に集まるとのことであるが、私は初めて知った。私がヨウ素131の「内部被曝者」だった話 - 日々是好日で自分の体験談を述べたこともあり、強調の部分はその通りであると思う。

そして避難民たちが早くもとのところに帰って来られるように、また子供たちがより安心して学校に通えるように、土壌汚染駆除が迅速に行われることが急務である。

国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい(中略)

実際に何10兆円という国費がかかるのを
いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごく持っております

国の財政事情を考えたらそんな余裕は一瞬もありません
どうやって除染を本当にやるか
7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に 国会は一体何をやっているのですか

と、児玉氏の具体的な事実にに基づいての提言は極めて説得力がある。

しかしここで私には大きな疑問が生じた。一体児玉氏のこの国会でなされた意見表明、そして具体的な提言が実現する可能性が果たしてありうるのだろうか。提言を実行するために国会内でどのような仕組みが出来上がっているのか、私の無知もあってそれが全く見えてこないからである。仕組みが出来上がっておらなければ、意見は記録にとどめ置いてそれで終になってしまう。これではいかに優れた提言も絵に書いた餅である。怠慢を厳しく糾弾されている国会議員は、まずその仕組みを作ることから始めるべきなのではなかろうか。

病室での安らぎ

2011-07-29 16:41:08 | Weblog
入院してから一ヶ月以上過ぎた。その間いろいろと事態は大きく変化したが、病室生活にすっかり慣れてしまった。一番大きな変化と言えば実に大勢の病院のスタッフと接触することであった。特に感銘を受けたのは日常最も接触することの多い看護婦さんである。一日三回の検温、血圧測定などに加えて細々とした諸々の雑用をすべてこなしてくださる。夜中も何回となく見まわっているようで、ポータブルトイレを使っている時は夜中でも何時の間にか綺麗になっている。

その看護婦さんがみな若いのである。私の目はあまり当てにならないがせいぜい四十台前半までのようである。おそらく一日三交代であろう、私もすでに十人以上の看護婦さんの名前をしっかり覚えてしまった。そして奇跡のように感じたのが身体の状態など全てを包み隠すことなく話せることなのである。相手が妻だと少々の身体の不調を滅多に口にすることはない。余計な気を遣わさないためである。ところが看護婦さん相手だと気にかかること疑問に感じることを詳細に説明しながら訊ねる。便の状態の変化なども臆さずにたんたんと説明する自分に驚いてしまう。まさに己を無にして看護婦さんと向かい合っているのである。私にとってこのような経験は生まれて始めてであった。どの看護婦さんに対してもそれは変わらない。そこに生まれる心の安らぎは赤ん坊に舞い戻ったかの様な気分に相通じるものがある。

一度「有難う」という代わりに、「オギャー、オギャー」と言ってみようかしら。

脳死移植と学校教育

2011-07-25 13:54:50 | Weblog
ここ三日ほど私のサイト15歳未満の小児に脳死下臓器の提供の話をどのように理解させているのだろうにアクセスがかなり集中した。どうしたことなのか見当がつきかねるが、この中で私は「臓器移植についての理解を図るため、学校内外での教育を行い、ドナーカードへの署名の前の講習や当該小児の自由意志の確認が、現状でどのようになされているのか私には分からないだけに疑問を呈した。そこで改めて調べて見ようと思い、「脳死移植 学校教育」をGoogleで検索したところ、私のこの記事がトップに出てくる始末である。ひょっとして未だに組織的な学校教育がなされていないのかもしれない。

もし組織的な学校教育を行うとして、例えば文科省はどのような指導要項を作るのだろうか。私には想像し難い。もし当初の臓器移植法であれば個人の身体はその人のもので、本人が脳死下臓器提供の意思を明確にしている場合に限って臓器提供がなされていた。このような状況では学校教育も焦点が絞られてやりやすい。脳死下臓器移植の意義を説明して、ドナーカードへの提供意思の署名をうながせばよかったのである。しかし改正臓器移植法のもとではなにから教え始めることになるのだろう。自分が万が一脳死状態になった時に、拒否の意思をあらかじめ明確にしていない限り、お父さんお母さんがひょっとしたらあなたの臓器を必要としている患者に提供することもありますよ、と言わないわけにはいかないだろう。完全に親離れしていない、それどころか親との一体感がまだまだ強い小児にとって、極めて大きな衝撃となることが考えられ、親子関係に思わぬひびをも生じかねない。その原因が自分の体は自分のものという自然の理に反した身勝手な便宜主義的な生命観を改正臓器移植法が持ち込んだからに他ならない。

自分の体は自分のものとというのは自然の理と私は信じているが、この理がかって破られたことがある。戦時中のことである。少国民として私たちは体の錬成に励んだが、滅私奉公という言葉にも現れているように、この当時は自分の体は自分のものではなく大君(天皇陛下)に捧げたものであったのである。日本国民全体がそうであった。だからわが国では赤紙一枚で他に選択の余地なく戦場に赴き天皇陛下のために命を捧げたのである。考えてみれば毎日食事をとり武道に励み体を鍛えたのもいずれは天皇に差し出すためのものであって、表現が悪いがいずれは人の口に入れんがため農家で大切に飼われている牛のようなものであったとも言える。

改正臓器移植法はただ脳死下臓器提供数を増やさんがための便法の為にかっての天皇の権威にも匹敵する問答無用の 強圧で自分の体は自分のものとの自然の理を押しつぶしてしまった。この現行法と命の大切さをどのように折り合いをつけて子供に教えることが出来るのだろう。年齢を問わず本人の明確な意思表示がある場合のみ脳死下臓器提供が可能であるとの原点に今からでも遅くない、舞い戻るベキである。そして臓器提供のキャンペーンに集中すれば良いのである。それなら学校でも説明しやすかろう。















サイト引用

病院食にも鰻丼が出た

2011-07-21 16:56:33 | Weblog

昨日体温計の怪とか言ってあげつらったせいなのか、たたりがさっそく現れたようである。今まで無かったのに気分が悪くなり、食欲がなく夕食をパスした。熱は依然として下がらずしんどいので、8度未満であったが無理にお願いして解熱剤を出していただいた。服用後に就寝、4時間後目覚めた時は上半身身につけているものが汗でぐっしょり、シーツまで濡れている。全てを着替えしてシーツをタオルケットで覆い再び寝入った。そして2時間後に同じことの繰り返し。おかげで6度5分まで下がった。幸い今もその状態が続いている。

朝、牛乳200ミリと昨日食べ残していたバナナ一本をなんとか食べて朝食とした。お昼になるとまた丼鉢が運ばれて来た。ご飯は半分にして頂くようにお願いしたのにおかしいなと思い、蓋を取りかけたふと思った。開けてみたらやっぱり鰻丼であった。錦糸卵をまぶしたご飯の上に二切れの鰻が乗っかっている。学んだばかりの炎症サイトカインの作用を抑えると言われるEPA(エイコサペンタエン酸)が鰻にも含まれているような気になって、鰻は全部、ご飯は3分の1ほどを美味しくいただいた。

偶然にも今朝、「5号館のつぶやき」さんの記事で「がん 栄養はなぜ大事なのか」を載せたブログのあることを知った(引用形式の修正は退院後に)。なかなかよく書けた記事で、とても参考になった。


体温計の怪

2011-07-20 14:00:49 | Weblog
今朝、ドレーンと呼ばれる排液用のチューブと、硬膜外麻酔用のチューブが抜き取られ、あとは栄養補給用の点滴チューブ一本だけが残っている。これも普通の食事に戻りつつあるので間もなく外されることだろう。ちょうど一ヶ月で全てのチューブから解放されることになる。快方に向かっているしるしであろう、嬉しいことである。

一点だけ気がかりなことがある。体温がなかなか平熱に戻らないことである。検温の度毎に37.6度前後で36度台に鳴らない。明け方など少し下がった感じであるが、それでも37度てまえである。38度を超えると解熱剤を投与する決まりのようで、これまでも点滴液による投与を数回、錠剤を一度服用している。しかし今はそこまでにはいたらないので、せいぜいアイスノンで頭を冷やすだけである。

そのうちに不思議なことにきがつきはじめた。37度台の熱が出てしばらくたって今度は自分の体温計で測ってみると総じて低めに出てくる。場合によっては36度台に出ることもある。どちらの体温計もオムロン製である。というよりもともとわが家にあったのは何十年も前の水銀柱のもので、測定に10分もかかるのに、病院のは1分もすれば測れてしまうので、これは便利と妻に薬局で買って来てもらったものである。オムロン製といっても病院のとは明らかに型式が異なり形状も違う。また私の体温計について来た説明書には同じ絵に対して二つの連番が与えられていて、私のはMC-670である。そして説明書には30秒検温のトリックが書かれていた。

体温計が水銀柱方式から電子式に変わったとしても、脇の下が体の内部温度と同じくらいに温まって平衡温度に達するには約10分かかることなので、実測にはそれだけの時間が同じようにかかるのである。ところが電子式(温度測定はサーミスターによる)では、検温開始からの温度の上がり方を分析・演算することで、平均30秒で約10分後の体温を予測でき、それを表示する仕組みになっているというのである。予測値をいつも使うことにすればそれはそれで比較に用いることができる。そこで病院の検温直後に自分の体温計で測ってみる計り直してみた。私の場合は1分測定とした。

病院の場合は約30秒経過の通告ブザーが鳴ってすぐに取り出す時もあれば、体温計を挟んだまま看護婦さんが出て行ってなかなか戻らないこともある。それで両者は厳密な比較の対象にはならないが、不思議なことに私の体温計の表示温度がかならず0.3~0.5度低いのである。もちろん体温計精度の検定をするのが第一であろうが、私の体感体温はどちらかといえば私の体温計に近い。そこで病院の体温計が高めに設定されている前提でその意味を考えてみた。

体温が高いと病人は不安がる。私の場合はどちらかといえば微熱に属するのであろうが、やはり平温に戻ってくれないことには安堵できない。一方悪徳製薬会社と悪徳体温計メーカーが手をくんで、病院には温度が高めに出る体温計をまとめて納入したとする。すると病院が定めた解熱剤投与温度に到達する患者が増えて間違いなく解熱剤の売れ行きが増えるではないか。 念のために申し上げるがこれは実在の製薬・医療機器メーカーを念頭においたものではなく、フィクションのネタととっていただこう。それにしても表示温度差の原因を確かめられないのがどうも残念である。

嬉しいことに先ほど点滴液のチューブが外されて、先月22日以来ちょうど一ヶ月ぶりでチューブから完全解放されることになった。



感動! 世界一「なでしこジャパン」

2011-07-18 06:28:52 | Weblog
「なでしこジャパン」が対アメリカの優勝戦。前半戦は0:0で折り返し、後半戦ではアメリカに先制されたが直ぐに取り戻して1:1で延長戦に入った。その前半終了間際にまたもやアメリカに先制されたが後半に入り、頼りになる澤選手のヘッディングで2:2とし、PK戦で雌雄を決することなった。そして3:1で世界の頂点を極めた。おめでとう!「なでしこジャパン」。こんなに激しく感動したことはない。その直後朝の検診で測った血圧の上がっていないのが、なんだか不思議なくらいだった。

訂正

私は澤選手がヘッディングで2点目を入れたように思ったが、その後の報道では右足で蹴り入れたようである。テレビ映像で私自身見届けていないが、一応訂正しておく。

手術を終えて無事病室に帰還

2011-07-17 19:26:16 | Weblog
7月15日午後手術室に入り、麻酔剤が入って来るのも知らない間に意識を失い、名前を呼ばれて返事した時に手術は終わっていた。一夜術後管理室にとどめ置かれ、お昼頃には歩いて自分の病室に戻りかけたが目が回り出したので車椅子に乗り換えた。そして無事帰着、だから語るべきことはとくにないが、名前を呼ばれた直後からはいつもと同じように会話出来たのには驚いた。

夕方にはめまいも治まり目の焦点も合ってき出したのでiPhoneも扱えるようになった。この手術に際しいろいろと心をお寄せくださった多くの方々に心から御礼を申し上げるとともに、簡単な帰還報告とさせていただく。

天晴れ「なでしこジャパン」 手術

2011-07-14 09:04:21 | Weblog
夜もトイレ通いで頻繁に目を覚ますことがここ何ヶ月続いている。でも慣れとはおそろしいものでその間はすぐに眠りに入るので、とくに寝不足を覚えない。今朝も4時過ぎに目を覚ましそして眠りかけたが、「なでしこジャパン」の試合を思い出しテレビをつけたら、すでにスエーデンが1点を入れていた。うーんと思いでは一寝入りしようとしたが、なかなか寝付かれない。そこで再びテレビをつけたところ、なんと1:1になっていたのでこうなってはもう眠れない。引き続き観戦することにした。

後半戦はご存知の成り行きで、スエーデン・ゴールの前で競り合っているなと思った時 、絶妙のタイミングで沢選手がヘッディングでボールを押し込み、待望の勝ち越しの1点をあげた。そして川澄選手の芸術的なロングシュートで3:1と点差を拡げ、なおも果敢に攻撃中に試合終了のホイッスル、いよいよ決勝戦に駒を進めることになった。スエーデンに試合をさせないように封じ込める試合運びがとても印象的であった。それにしても2得点をあげた川澄選手の先発起用を決めた佐々木監督の判断、神がかりのようにすら感じた。

決勝戦の対戦相手は米国、日米決戦である。いまだ一勝もしたことがない相手で、私なんかはかっての日米開戦前両国の国力の違いがちらっと頭をかすめるが、「なでしこジャパン」には不沈巡洋艦のような抜群の行動力に支えられた力強さがある。優勝を心から期待する。

この「なでしこジャパン」の勝利に力づけられて明日の手術に臨む。しばしお休みをいただくこととする。

朝鮮京城の日赤病院で手術をうけた話

2011-07-11 10:06:45 | 在朝日本人
思いがけず急遽入院して三週間すぎた。その間点滴液だけで命を保っているが、「人工生物」に変身していくようでなんだか気味が悪い。でも手術日が15日に決まったので、いずれは点滴チューブから解放されるだろう。もう少しの我慢である。

私が手術をうけるのは実は二回目である。と言っても最初はもう六十年以上も前で、国民学校四年生の時であった。生来脱腸がありなにかあると腸が外に飛び出すのである。だから脱腸帯なるものをよく着用していた。日常生活にとくに支障はなかったが、肩身の狭い思いをしたのは体操の授業で、調子が悪いなと思った時は先生に申し出て、三坂国民学校のあの藤棚のしたで見学することであった。身体の錬成が少国民の務めであるべきなのに、それを怠るようでは非国民と蔑まれるのではと気にしたように思う。いずれにしても鬱陶しかった。

その手術のために日赤病院に入院したのである。両親がおそらく時期を考えてくれていたのであろう。入れられたところは二人部屋で、間がカーテンで仕切られていた。私が子供のせいだったのか、なんと相客は出産をひかえた妊婦であった。妊婦を診察している医師や看護婦たちの会話が筒抜けに聞こえてくる。その中に分かる表現もあった。 指の長さで何かを測っているのであろう、時間とともに変わっていく様子を読み上げているようでその言いまわしが面白くて覚えてしまった。退院してから母にそのことをとくとくと報告したら、子供がそんなことをいうものではありませんと叱られてしまった。

私がベッドに一人だけの時に病院の人が入って来て、私を手術室に運んでいった。私の覚えているのはそこまでである。ははが病室に来た時は私のすがたが見えないので驚いたそうである。どこかで連絡の行き違いがあったのだろう。暢気な時代であった。

手術のおかげで私は人並みになり、体調を気にすることがなくなった。五年生になってからの疎開に引き揚げの過酷な情況もこの身体があってこそ乗り越えることができた。私がこれからうけようとする手術はその頃には思いもよらなかった高度なものであろう。贅沢さがふとそら恐ろしくなった。

「市民運動」に熱中している菅首相

2011-07-08 15:43:01 | Weblog
浜岡原発の操業停止の時もそうであったが、今回の「ストレステスト」導入に際してはますますその思いを強くした。菅首相は総理大臣の職責をそっちのけに「市民運動」に熱中しているなと言うことである。

海江田通産相が原発の再稼働を巡り経産省原子力・保安員の判断に基づき「安全宣言」を出して玄海原発を訪れ、地元の了解を得た。菅首相の原発「安全宣言」の容認があってのことである。ところが突如菅首相がストレステストの実施を打ち出したものだから、運転再開の予定がおじゃんになってしまった。この一事を見るだけで内閣が内閣の体をなしていないことが一目瞭然である。またもや国民は唖然としてしまった。常軌を逸した菅首相の行動ではあるが、総理大臣として最高権力を握った菅さんが、その力を背景にかっての市民運動家として思い描いたいくつかの社会改造プランを今実行に移しつつあると思えば、それなりに納得がいくような気がし始めたのである。おそらく菅さんは心の底から満足感を味わっているのであろう。

最高権力をわが手に握っていることを実感するにつれて、今度はそれをとことんまで使いこなそうという気になったとしても不思議ではない。ではそれを押しとどめるにはどうすれば良いのか。閣内不一致とか大臣の任命責任とかそんなことで責め立てられても痛くも痒くもない。その場その場を適当な言葉で切り抜ければ良いだけである。総理大臣ならぬ「市民運動家」としての菅首相をおいつめるには政治家自身の発想の大転換が必要であろう。若く頭脳が柔軟な政治家に期待するしかないような気がする。

しかし当面手っ取り早いのは前にも提案した事であるが、閣僚全員が一斉に辞表を提出することである。政治家にとってそれが国民の側に立つことになる。