日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

前田検事の「FD書き換え」より大事なこと  検察に踊らされた朝日新聞?

2010-09-30 00:40:29 | Weblog
郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件の被告であった村地厚子さんの無罪が大阪地裁で言い渡されたニュースをうけ、私は厚労省・村木元局長の無罪判決に地検は控訴を断念すべきであるで次のように述べた。

今回の無罪判決により、ここで私が強調したような不実な検察官が断罪されたともいえる。せめて控訴を断念するという行動で、まずは反省と謝罪の意を尽くすべきである。

それにしても漫画的な虚構をでっち上げた検察の仕事ぶりの実態を知りたいものである。法務省に「検察審査会」ならぬ「検察官適格審査会」が存在して、法務大臣の請求で各検察官を随時審査するときく。審査結果によっては検察官が免職されることもあるらしい。この「検察官適格審査会」をなんとか活用出来ないものだろうか。千葉景子法務大臣のもうひとつの置き土産を期待したいものである。

「漫画的な虚構」と私が述べたのは、一口に言えば、検察側が持っている証拠と矛盾する内容の冒頭陳述を臆面もなく行ったことを指す。検察側の誰一人として、村木さんを起訴する前にこの矛盾に気付かなかったとしたら、まさに検察側が無能ぶりをさらけだしたことになるし、もし一人でも気付いておりながら起訴に至ったとすると、検察の職業倫理の崩壊を示すことになる。いずれにせよこの件に係わった検察官はその職責を全うせず、ゆえに検察官たる適格性の欠如を示したことになる。これに対して厳しい処分が下されるべきであるのに、ここで急に前田恒彦検事の「FD書き換え」事件が浮上して、世間の注目がそちらに向けられてしまった。肝腎の不祥事に対する注意が逸らされて有耶無耶にになっては大変である。そこで検察のどこがおかしいと私が考えるのか、その実体をあらためて述べることにする。ここで取り上げるのは村木さんが被告となった郵便不正事件裁判での検察側冒頭陳述(抜粋)である。

検察側冒頭陳述 全文から

第5 犯行状況等

(中略)

2 倉沢の要請を受けた被告人からの上村に対する指示

 倉沢の要請を了承した被告人は,平成16年6月上旬ころ、上村に対し5月中の日付で公的証明書を作成して被告人のところに持参するように指示した。

(中略)

3 本件公的証明書の作成及び交付状況等

 上村は、平成16年6月上旬ころ、社会参加推進室の職員が帰宅した後の深夜の社会参加推進室で、「凛の会」あての「上記団体は、国内郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、当該団体の発行する『凛』は心身障害者の福祉の増進を図ることを目的としているものであると認めます。」などと記載した書面を作成し、翌早朝ころ、同書面に企画課長名の公印を押捺し、厚労省社会・援護局障害保健福祉部企画課長作成名義で、同課長の公印を押捺した同年5月28日付けの内容虚偽の本件公的証明書を作成し、これを被告人に手渡した。


この筋書きに対して、上村被告宅から押収されたFDに残されたこの偽証明書の作成日時は2004年6月1日午前1時20分06秒となっており、この事実に基づいて特捜部が作成した捜査報告書にも、当然ながらこの日時が記載されていた。

上村は、平成16年6月上旬ころ、社会参加推進室の職員が帰宅した後の深夜の社会参加推進室でが、《上村被告宅から押収されたFDに残されたこの偽証明書の作成日時は2004年6月1日午前1時20分06秒》に対応する。私は明らかに矛盾していると思うが、平成16年6月上旬が辛うじて《2004年6月1日午前1時20分06秒》のことだとしよう。公印などが押印される前の「偽証明書」が出来上がってFDに保存されたのがこの「作成日時」であると考えられる。となると仮に当時の村木課長が上村被告に証明書作成の指示を与えたとしても、それは5月31日以前とならざるを得ないのである。これは明らかに被告人は,平成16年6月上旬ころ、上村に対し5月中の目付で公的証明書を作成して被告人のところに持参するように指示した。と矛盾する。すなわち検察側はFDに残された日時データに基づいて自らが作成した捜査報告書とは明らかに矛盾する内容の「冒頭陳述」を作り上げたのである。

村木さんご自身がこの矛盾を見つけたと伝えられているが、ではこの矛盾に郵便不正事件に係わった検察官の誰一人として気付かなかったのであろうか。もしそうであるなら、この検察官全員が検察官不適格の烙印を押されるべきである。しかし村木さんに対してもそうであったが、元国家公務員であった私は、この件に係わった捜査担当と公判担当の検察官の全員がそれほどのふぬけの脳足りんだとは決して思いたくないのである。必ずや矛盾に気がついた検察官がいたと信じたい。当然村木さんの起訴に異を唱えたことであろう。それにも係わらず村木さんの起訴に踏み切ったことそれ自体が真っ先に槍玉に挙げられるべきなのである。検察官がみずから職業倫理を踏みにじり、国民の検察への信頼を大きく裏切ったこの不祥事の徹底的な調査による実態解明こそが目下の急務である。

ところがところが、ここで郵便不正事件の特捜部前田恒彦主任検事の「FD書き換え」事件が突如持ち上がった。朝日新聞の「スクープ」なのである。世間の目は一挙にこちらへ向けられた。私は最初からなにか裏があるように感じて「検事、押収資料改ざんか」の朝日新聞記事はなんだか素直にとれないの記事を認めたのであるが、今日、「週刊朝日」10月8日増大号を買い求めて次の記事を目にしたときに、私の勘が当たっているような気がした。村木さんの無罪判決が出た9月10日から数日たったころの話である。


ここで否応無しにげすの勘ぐりが頭をもたげてきた。トカゲの尻尾切りをもくろむ検察に朝日新聞は踊らされたのである、と。


前田恒彦検事の「FD書き換え」あれこれ

2010-09-28 17:07:27 | Weblog
現職の検事が公判には提出されなかったものの、押収した「証拠品」であるフロッピーディスク(FD)に手を加えたというニュースにはとにかく驚いた。職業倫理上からも許されるべきものではなく、しかるべき処罰を受けて懲戒免職はおろか法曹界から追放されるべきであろう。この事件を巡って私なりに考えたことを次のブログにまとめたが、要は「FD書き換え」、すなわち「更新日時」の書き換えだけでは「作成日時」とも、またこのFDに基づいて作成された捜査報告書に記載された日時データとも齟齬を来すなど、決して検察側の主張を補強するものではないことから、極めて矛盾に満ちた行為としかいいようがないと思った。「FD書き換え」自体、明らかに証拠品事務規程(法務省訓令)の規定を犯しているけれど、このFDが裁判の証拠に採用されてはいないので、刑法百四条にいう「証拠隠滅等」には当たらないのではないかと思った。その意味ではマスメディアが違った方向に少々騒ぎ立ているような印象を抱いたが、私の常識での素人判断が、法律的にはどう落ち着くのか成り行きを見守りたいと思う。
「FD改ざん ここが謎」のここが謎
前田恒彦検事はやっぱりFD遊びをしただけではないのか
「検事、押収資料改ざんか」の朝日新聞記事はなんだか素直にとれない

ところで事態の進展は新聞、テレビ、ネットニュースを通じて知ることになるが、私が知りたいと思う情報はほとんど入ってこない。巷にものが溢れているが、いざ自分の欲しいものを探そうとするとなかなか見つからないのと同じである。今度の「FD書き換え」についてもそうで、例を挙げてみる。

「FD書き換え」の経緯について③で引用した記事があるのでそれを再掲する


この中に《そのソフトを使ってFDの更新日時データを書き換えて遊んでいた》と出てきたので、「遊び」が何を意味するのか私にも分からないまま②で「FD遊び」とその行為を言い換えて使った。このFDが前田検事の手に渡るまでにまずいろんな疑問がある。

《上村被告宅から押収したフロッピーディスク(FD)》とあるが、どのような経緯でこのFDが上村被告宅にあったのだろうか。上村被告にとっては犯罪の証拠である。そんなものをなぜ後生大事に自宅に仕舞っておいたのかが分からない。偽証明書を役所の?プリンターで打ち出したらもうFDはご用済みだから、破棄すればそれで終わりではないか。さらには私物のパソコンで家で作業をしたのか、それとも役所のパソコンを使ったのかどうか。役所で作業をしたのなら当時の記録媒体はFDだけだったのかどうか。もしハードディスク(HD)が使われていたのであれば(おそらくそうであったと思うが)役所のパソコンを使う限りC:ドライブのHDとデータのやり取りをするのが普通で、それならメインのデータはHDに残って、FDはコピーの保存用に過ぎなかったのか、等々、疑問が湧き上がってくる。裁判記録には出ているのであろうが、今は前田検事の手にFDが渡るところから考えてみる。

上村被告側にFDを返還することが何時、どのように決まったのか、それがこれまでの報道からは分からない。私は③で《問題のFDが村木さんが起訴されたあとも主任検事の手元に残されていたという事実自体、このFDが検察側にとってはもうご用済みと判断したことを示唆する》と推測した。村木さんが起訴されたのは2009年7月4日である。そして報道では7月13日に前田検事が手を加えたことになる。

前田検事は《私用のパソコンでダウンロードしたソフトを使った》とある。まず、私用のパソコンであるが、これは私物という意味なのか、それとも役所の備品であるが前田検事専用のパソコンという意味なのだろうか。そこからして分かりにくい。またデスクトップなのかノートパソコンなのか、どのような機種なのだろう。機種を問題にするのは、このパソコンでなんとFDのデータを読み取っているからである。Windows95で動いていたパソコンが私の家から姿を消して以来、もはやわが家ではFDの読み書きが出来なくなった。役所の備品のパソコンではFDの読み書きが出来ないものだから、前田検事はFDドライブを備えた私物のパソコンを使ったのだろうか。もしUSB端子を備えたFDリード・ライターが役所で使われているのであれば、わざわざ私物のパソコンを使うことはないだろう。さらにその「私用」のパソコンをいったいどこで使ったのだろう。ノートパソコンなら持ち運びが可能である。役所か自宅か隠れ場所か、そのどこで使ったのだろう。

ソフトをダウンロードしたとあるから、そのパソコンはネットに接続されていなくてはならない。少なくともダウンロードする時はそうである。前田検事の自宅でネットへの可能なのだろうか。報道によると《書き換えは昨年7月13日午後だったことも判明》とある。この日は月曜なので普通の勤め人なら職場に出ているはずであるが、検事は裁判官と同じように在宅勤務が認められているのなら在宅であった可能性もある。週末からソフトをダウンロードしたり、あれやこれやお遊びをして月曜の午後にデータを書き換えたのかもしれない。しかし書き換えとされた7月13日の3日後にはFDを返却しているのだから、なんだか慌ただしい。FDは2009年5月26日に押収されてから検察側が保管していたのであるから、それまでに何時でも手に取ることが出来たはずで時間はたっぷりあるから、「FD書き換え」が7月13日に行われたとは限らない。

もちろんこの作業を役所で行っていたのかもしれない。では何時、どのようにソフトをダウンロードしたのだろう。というのは前田検事がどれほどパソコンの扱いに精通しているのかは分からないが、月曜日の朝出勤してから「私用」のパソコンをネットに繋ぎ、「ファイルバイザー」なるソフトをダウンロードして、それを使って「FD書き換え」を一日のうちに終わってしまったとは、検事には申し訳ないことながら、考えにくいからである。そこでまた疑問が生じる。「ファイルバイザー」なるソフトの存在を前田検事はどうして知っていたのだろう。私でさえ知らなかったのに!、である。m(__)m 今でもそのソフトは前田検事「私用」のパソコンに残されているのだろうか。調べればこのソフトをダウンロードした日時が分かる。さらに「ファイルバイザー」が「FileVisor」と同一のものであるのなら、これは45日間無料で使用が可能で、それ以降継続使用したければライセンスを購入することになっているが、この辺りの処理はどうなっているのだろう。

このように想像すると、「ファイルバイザー」を探し出してそれをダウンロードし、FDを書き換えるような作業を前田検事が一人で黙々と行ったとは考えにくくなる。まず前田検事は「ファイルバイザー」についての情報をどのようにして得たのだろう。ネットで調べたのだろうか。報道では前田検事は《「上村被告によるFDデータの改ざんの有無を確認するために専用ソフトを使った」と説明した》とされるが、このソフトは一般的な高機能ファイル管理ツールに過ぎず、この説明とは辻褄が合わない。どうも情報元が別にありそうである。そこで私が浮かべるのは事務官の存在である。検察庁のシステムは知らないが、かって在職した大学と同じようなものではないかと想像する。私の現役の頃は文部教官に対して文部事務官があって、文部教官が教育・研究を主務とするのに対して文部事務官は事務を取り扱うなどの職務分担があった。古き良き時代の大学では教官の論文なども事務官がタイプライターをたたいて仕上げていたものである。その連想で考えると、検察庁の検事といえば難関といわれる(新)司法試験の合格者で、かっての「科挙」の合格者のようなものでいわば生粋の文官である。この誇り?を引き継ぐ検事が、パソコンを自ら操作するなんてもってのほかで、そういう手仕事のために事務官が存在するとの発想なのではなかろうか。私の発想自体が古めかしいのでそこまで極端でないにせよ、パソコン作業は事務官に普通任せているのではないだろうか。となると「ファイルバイザー」の情報も、実務に携わる事務官などから入ってきたと想像する方が最もらしい。ここまで想像すると、ソフトのダウンロードから「FD書き換え」を含めて、すべてを前田検事がやる必要はなくなってくる。事務官に指示してまかせた可能性も浮かび上がってくる。そういう実情こそ最高検の取り調べで明らかにして欲しいものである。

事実、「証拠品」の保管事務に関しても、「証拠品事務規程」第13条には
《証拠品(換価代金を除く。)の出納保管は,証拠品係事務官が行う。》
とあり、この規定の随所に「証拠係事務官」の存在が浮かび上がってくる。たとえば「証拠品」の「仮出し」について上記規定の第22条は
《検察官は,証拠品(換価代金を除く。以下この条において同じ。)の仮出しをするときは,証拠品仮出票(様式第10号)を作成し,これを証拠品係事務官に交付する。
2  証拠品係事務官は,証拠品仮出票の交付を受けたときは,証拠品を検察官に提出する。
3  証拠品係事務官は,前項の証拠品の返還を受けたときは,証拠品仮出票の乙片を検察官に返還する。 》
とあって、建前では「証拠品」であるFDを検察官が手元に置く際にも定められて手続きが必要になる。このように「証拠品」の出納保管は証拠品係事務官が行うことになっているから、前田検事がこのFDを仮出すことはその時期・期間により、少なくとも証拠品係事務官の関心を引きつけた可能性が考えられる。

話が思わぬ方向に逸れたが、マスメディアの取材者が自らの想像力を働かせてある状況を見渡すと、押さえるべきポイントが必ず明らかになるものである。それを取材した上で伝えるべきストーリーを組み立てる。それがプロの技だと思うのに、いつの間にか報道にそういう切れを感じなくなってしまった。そういう記事や報道にフラストレーションを感じるものだから、私は最小限しか触れないことにしている。関係者の奮起を促したいものである。

しかし今回の出来事で一つ重要なことが明らかになった。「証拠品」に手を加えた検察官が存在した、ということである。となると書き換えがいとも容易なFDのような証拠品を仮出させるときは、証拠品係事務官の監視のもとで読み取りと印刷をさせるべきである。証拠品係事務官の事務室にパソコンを設置すれば済むことであろう。

まだまだ想像がとめどもなく広がるが、今日はこれまでとする。

「FD改ざん ここが謎」のここが謎

2010-09-27 11:06:48 | Weblog
今日の朝日新聞朝刊社会面の記事の一部である。


「FD改ざん」の文字が大きいが、私はどうも腑に落ちない。ところが「改ざん」の意味を辞書で調べてその理由が分かった。新明解(第五版)は《【改竄】 そこに書いてある文字を、自分に有利な字面に書き直すこと。》と説明している。この語義で解釈すると、問題の前田恒彦検事は自分、もしくは検察側に有利となるようにFDを書き換えたということになる。果たしてそうなのだろうか。私にはそうは思えないのである。

昨日の前田恒彦検事はやっぱりFD遊びをしただけではないのかでも述べたが、前田検事は日付がともに2004年6月1日であったオリジナルFDの「作成日時」と「更新日時」のうち、「更新日時」だけを2004年6月8日に書き換えているのである。そして上の朝日の記事にも《上村被告が作った偽の証明書の最終更新日時は「2004年6月1日未明」だったが、特捜部が被告側にFDを返却する3日前の昨年7月13日、「04年6月8日」に書き換えられた。》とか、《最終更新日時が書き換えられた当時、》とか、《前田検事は1月末、他部から特捜部に応援に来ていた検事から村木氏の公判でFDの最終更新日時が問題になったことを聞かされ、「FDのデータをかきかえてしまった」と告げた。》とか、「最終更新日時」という言葉はこれまでも含めて再々出てくるが、不思議と「作成日時」が2004年6月1日のままであったことには一言も触れていない。これが私には謎なのである。

前田恒彦検事はやっぱりFD遊びをしただけではないのかで私は「作成日時」と「更新日時」の持つ意味と違いをはっきりさせたつもりである。文書の作成に何時取りかかったかを示すのが「作成日時」で、一気に文書を仕上げてそれを保存すると、「作成日時」と「更新日時」が同じになる。オリジナルFDの文書が多分そうなのであろう。しかしこういう場合もありうる。最初は文書のタイトルだけを記していったん保存し、時間を置いて取りだしてて文書を完成して「上書き保存」すると「作成日時」はそのままで「更新日時」が変わる。最初に一気に完成した文書をもう一度取り出し、空行を一段加えただけで閉じようとすると、「・・は変更されています。更新しますか?」と尋ねてくるので「はい」を選ぶと、やはり「作成日時」はそのままで「更新日時」が変わる。

この最後の例で明らかなように、何時文書の作成に取りかかったのか、また何時文書が完成したのかを確認するには「更新日時」だけでは不十分で、必ず「作成日時」が必要になる。上の記事は《最終更新日時が書き換えられた当時、特捜部は「04年6月上旬」に厚労省元局長の村木厚子氏(54)=無罪確定=の指示を受けて証明書を作ったとの供述を上村被告から得ていた。この日時が「6月1日未明」の場合、村木氏の指示は5月31日以前でなければならず、最高検は前田検事が特捜部の見立てに合うように書き換えたとみている。》と述べている。しかし前田検事が特捜部の見立てに合うように書き換えるのであれば、私がここで述べたように「更新日時」を書き換えるだけでは不十分で「作成日時」をも同じように書き換えないと、「改竄」の意味をなさないのである。繰り返すが前田検事が書き換えたのは「更新日時」だけである。仮にこのFDを検察側が公判の場に「爆弾」のつもりで持ち出したとしても、私のような素人にでも一蹴されるのがオチである。

朝日新聞が(最高検も?)「更新日時」だけを強調してなぜ「作成日時」を無視しつづけるのか、そこが謎である。無理にことを大きくするためだろうか。

前田恒彦検事はやっぱりFD遊びをしただけではないのか

2010-09-26 01:15:02 | Weblog
郵政不正事件で大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)の改ざん問題で、最初にこのことを報じた朝日新聞を始めマスメディアが大騒ぎをしている。この件が報じられた直後、私は早々と「検事、押収資料改ざんか」の朝日新聞記事はなんだか素直にとれないと私なりの推理を推し進めて次のように述べた。

捜査担当検事から公判担当検事へすでに公判の維持に必要な資料はすべて渡っており、その中に含まれていると思われる「捜査報告書」にはFDに手が加えられる前の「04年6月1日午前1時20分06秒」というタイムスタンプが明記されている。この特捜部の捜査担当検事がこの事実を知らないことはあり得ないと私は思う。仮にその点が曖昧であるとしても、村木さんが起訴され、上村被告側に返却されることが決まっているFDにわざわざ手を加えて、上述の日時を「04年6月8日午後9時10分56秒」とする必要性、必然性が私の常識的な考えでは理解出来ないのである。だから既にご用済みと判断したFDで主任検事が「遊んでいた」と言っているのが、まことに馬鹿馬鹿しい行為ではあるにせよ、状況説明としてはこちらのほうが素直に理解出来るのである

その後の成り行きを見守っているうちに、実は重要な事実を私自身、最初から見落としていることに気がついた。9月21日の朝日朝刊「社会27面」に「偽の証明書発行事件を巡るフロッピーディスク(FD)のデータ改ざん疑惑の流れ(朝日新聞の取材に基づく」として図解が載せられており、FDデータが改ざんされた疑いのあるファイルの「プロパティ」から日付と属性の記録が記載されている。その部分を下に再掲する。左側がその記録である。


改ざんしたとされるFDで確かに「更新日時」は2004年6月8日になっている。しかし「作成日時」は2004年6月1日のままである。一方、手を加えられていないとされるFDからのデータでは「更新日時」、「作成日時」とも2004年6月1日である。

ここで「作成日時」と「更新日時」の違いをはっきりさせておく必要がある。「作成日時」とはある文書を作成してそれを「名前を付けて保存」すると、その時点の日時が記録される。そして作業を終了したとすると、「更新日時」と「アクセス日時」も「作成日時」と同一の日時になる。

後日改めてこの文書を開き、訂正したり書き込みをして「上書き保存」をすると、「作成日時」は最初のままで変わらずに、「更新日時」と「アクセス日時」が「上書き保存」した時の日時に変わる。すなわち最初の文章をもとに手を加えると、ふたたび「名前を付けて保存」しない限り、この文書が最初に作られて保存されたときの日時が「作成日時」として絶えずついて回る。文書を開いて閉じただけでも「アクセス日時」は(1日単位であるが)変化して、たとえ中身を変えなくてもアクセスしたことが分かる。従って前田検事が証拠改ざんをもくろんで日時を変更するのであれば、「更新日時」だけでなくて「作成日時」を同時に変更する方が話が簡単である。なぜなら「作成日時」を2004年6月1日にしたまま「更新日時」だけが2004年6月8日になっていると、たとえ未完成であってもこの証明書の元となるものが6月1日に作られていたことが明白なので、日付の辻褄合わせが難儀になるからである。ところが前田検事は「更新日時」を変更しただけで、かんじんの「作成日時」はそのままである。だから前田検事に証拠改ざんの強い意志がなかったものと私は判断する。

ところで朝日新聞が《検察関係者によると、前田検事が改ざんに使ったとみられる専用ソフトは「ファイルバイザー」。(2010年9月25日16時53分)》と伝えたが、これがFileVisorというソフトと同一のものであれば、これは高機能ファイル管理ツールとして流通しているもので、決してデータ改ざんのための専用ソフトではない。確かにファイルの日時を変更することができる。私もこれで次のテスト用ファイルの「作成日時」を変えてみた。


元来は「作成日時」、「更新日時」、「アクセス日時」ともすべてが2010月9月25日、22:24:59であったのに「作成日時」を2010年8月24日、22:25:01に変更したために、その作業時間分が「アクセス日時」の2010月9月25日、22:25:41に反映している。日時書き換えなど瞬時に終わってしまう。

いわゆる改ざんFDの日時スタンプは朝日新聞のおかげで誰でも目にすることができる。となるとここで私が述べたような「不自然さ」に気付いている人が法曹関係者の中に当然いることだろう。前田検事が証拠改ざんを真剣に考えるのなら、どうせ「更新日時」を変えた以上、「作成日時」もそれに合わせて変えるのが理解しやすい行動だと思うであろう。「作成日時」を2004年6月1日のまま残していることはどう考えても不自然でる。私は前に前田検事の「遊んでいた」との説明を素直に理解出来ると述べたが、その思いは今回の検証でますます強まった。そう考えるとこれまで断片的に報道されているいろんな矛盾が一挙に解決するように思う。

ところで裁判の証拠に使われなかったFDに一体どのような価値があるのかと気になって証拠品事務規程(法務省訓令)を調べてみた。その第一条は次の通りである。

この規程は,刑事事件について押収された物及びその換価代金(以下「証拠品」という。)の受入れから処分に至るまでの事務について規定し,これを取り扱う職員の職務とその責任を明確にし,もって証拠品に関する事務の適正な運用を図ることを目的とする。

これによると少なくとも刑事事件で押収された物を「証拠品」と呼ぶらしい。そのすべてが裁判で「証拠」として用いられるわけではないので、だからFDは「証拠品」であっても裁判上の「証拠」とは異なると判断してよさそうである。そして第二条は(証拠価値の保全)について次のように述べている。

証拠品を取り扱う者は,証拠品が刑事裁判の重要な証明資料であることにかんがみ,常におう盛な責任感をもって,紛失し,滅失し,き損し,又は変質する等しないように注意し,その証拠価値の保全に努めなければならない。

これでみると前田検事は明らかにその定めに違反しているから、その責めを追うのは当然のことである。しかしことはそこ止まりで、「証拠品」の保全に瑕疵があったその責任が問われるだけである。裁判の帰趨を決するような「証拠改ざん」とか「証拠隠滅」とは明らかに異なっている。その意味で「検事、押収資料改ざんか」の朝日新聞記事はなんだか素直にとれないでも疑問を述べたが、報道姿勢に朝日新聞の勇み足があったように私は思う。

ついでに質したい。改ざんされたとされるFDの「アクセス日時」は元来どうなっていたのだろう。2010年8月27日であった筈がないからである。生のデータを示したにしては説明が不十分である。


米国・中国太平洋分割秘密協定、尖閣衝突事件、普天間基地問題

2010-09-24 22:20:37 | 放言
なんだか唐突に那覇地検が尖閣諸島沖でわが国の巡視船に衝突した中国漁船の船長を処分保留のまま釈放すると発表した。釈放の理由をなにか述べていたが、それはそれとして司法判断なら仕方があるまいと思いかけたのに、最後に「わが国国民への影響や、今度の日中関係を考慮した」との言葉を聞いた途端、これは政治判断であることを覚った。となると、政府は国民が十分納得出来るまで説明責任を果たすべきであると思う。この検事の一言は重い。それと同時にある妄想が湧いてきた。

9月だから思い出したというわけではないが、1939年9月1日、ナチス・ドイツの機械化部隊がポーランド領内に侵攻し、いわゆる電撃作戦によりポーランド軍の主力部隊を約二週間で壊滅状態にした。そして9月17日には今度はソ連軍が東部ポーランドに侵攻し10月5日にポーランド軍が降伏した。その結果、ポーランドはドイツとソ連によって東西に分割占領されたのである。ドイツ軍侵攻の約一週間前の8月23日にモスクワで独ソ不可侵条約が調印され、その際の秘密議定書にもとづくポーランドの最終処理であった。かくして第二次世界大戦が始まった。なぜこんな話を持ち出したかといえば、ひょっとして米国と中国の間で太平洋の覇権を巡って、分割支配の秘密協定が出来上がっているのではないかと妄想したからである。そうだとすると最近のいろんな動きが分かりやすくなるのである。

海軍力を著しく増強してきた中国が、東シナ海からさらに西太平洋へ積極的に進出を始めたことはすでに周知の事実で、太平洋の覇権を巡って米国と対峙するのはもう目前に迫っている。しかし両国にとって軍事的衝突ではなくて談合で問題が解決出来れば双方の利益に叶う。となればナチス・ドイツとソ連の間で結ばれたポーランド分割の取り決めがよいお手本である。かくして太平洋東西分割支配の秘密協定が結ばれた。あとはじっくり時間をかけて実効支配に至ればよいので、そのために米国と中国が互いの利益になるよう協力し合えばよいのである。米国は当面なにはともあれ普天間基地問題を自国の利益になる形で解決したい。太平洋の分割支配のためにも沖縄の基地は必要で、しかもその費用のすべてを日本に負担させればいうことがない。そのためにはどうすればよいのか。

日本国領土である尖閣諸島に中国がちょっかいをだせばよいのである。軍隊でもない自衛隊が単独で中国の侵攻を防ぐことはもとより論外である。とっくの昔に米国が骨抜きにしてしまったからである。米国はただ尖閣諸島には日米安保条約が適用されるとリップサービスをするだけでよい。今の菅内閣に日本の安全保障に普天間基地を今さら変更するわけにはいかないと言わせればよいのである。これで米国としては普天間基地問題は一挙に解決する。

これで中国は米国に貸しを作った。そのうえ中国にしても何か問題が生じた時、日本にどの程度の圧力をかけると屈服するかそれを試すのに今回の「尖閣衝突事件」はちょうどよいチャンスである。次々と言いがかりをつけ始めた。しかしこれは日本にしてもる中国の対日強硬姿勢が行き着く先を見極めるチャンスでもあると私は思っていたのに、はやばやと日本の不甲斐なさを世界に示す政治的結末がなされてしまった。私以上に中国も呆気にとられたことだろう。というわけでせっかくふくらみ始めた妄想が萎んでしまった。目出度しめでたし?

棚上棚を重ねる

2010-09-23 14:50:04 | Weblog
仕事を辞めて今の家に落ち着いたときに、そのうちに片付けるつもりで仕事関係の本を奥の本棚の上に積み上げたまま12年以上も経ってしまった。この間、ほとんど手つかずということは、この棚上げされた本が要するにただの場所ふさぎになっていることを示すものである。本が床を侵食しているのにこのスペースを遊ばせておくのは勿体ないので、ついに重い腰を上げて整理することにした。積み重ねた本のほとんどはガレージ行き。見ることもないだろうと思いつつも、処分に踏ん切れないものだから仕方が無い。

この書棚はまだ親がかりの頃、知り合いの大工さんに作ってもらったものである。横幅1355ミリの書棚を二本横に並べて幅一間半の壁面を埋めるようにした。そのために棚板の厚みを25ミリとして頑丈にしたつもりであったが、このように積み重ねるとさすがに中央部がやや垂れ曲がってしまった。


この側板も幅は25ミリである。この側板の上に橋渡しをするような格好でもう一段棚を載せると荷重が棚板にかからずに済むので、そのような棚を自分で作ることにした。近くのホームセンターに出かけ、厚さ25ミリの木材を探すとちょうど手頃なのがあった。パインの集成材で幅が300ミリで長さが1950ミリである。これから200×300ミリの側板二枚、100×1355ミリの背板が一枚、175×1305ミリの棚板一枚が取れて棚一本が出来上がる。裁断図を示してホームセンターで切断して貰った。ワンカット30円と有料であるが1ミリの精度で注文に合わせてカットして貰えるのが有難い。ついでに背板を填め込むために側板の300ミリの真ん中100ミリ分を25ミリ切り取ってほしいと頼んだが、そういう細かな作業は出来ないとのことだったので自分ですることにした。

まず背板と棚板を木工ボンドで貼り付け、釘で仮止めして一晩放置した。そしていよいよ組立である。私がこだわったのは釘や木ねじを使わずに側板、背板、棚板を木工ボンドと丸ホゾでとめることであった。本棚がそのように細工されていたからである。丸ホゾ用に充電式ドライバドリルで径8ミリの穴を空けないといけないが、問題はドリルを手で持ちながら板二枚を組み合わせてどのようにして垂直に穴を空けるかである。何かそれなりに工夫があるだろうとブログを探したところ、目的のものが見つかった。ドリルガイドを使うのである。そこで昔から使っていた電動ドリルをドリルスタンドに取り付け、厚さ30ミリほどの堅い木片に径8ミリの穴を垂直に空けてこれをドリルガイドとした。


刃先を穴の中心にあたる位置に押し付けてからガイドを板に密着させてドリルを回す。深さ20ミリほどの穴が空いたらいったんガイドを取り除き、すでに空いた穴にドリルを入れてから一気に二枚目の板まで穴を貫通させる。そして適当な長さに切った木の丸棒に木工ボンドを少し塗って穴に差し込み、ハンマーで叩き込んで固定する。突き出た丸棒の頭はノコギリで切り取り紙ヤスリで平面にならした。

とりあえず本棚の上に載せてみたところピッタリ収まる。はやばやと本まで置いてみたが出来上がりは上々で、塗装用のペイントも買っていたが白木のままのほうがすっきりしている。そこで塗装はしなかった。


二本目は要領がよくなって出来上がるのが早い。ところが風の通らないガレージの中で作業したものだから汗が噴き出て絶えずポタポタと下に落ちる。界面張力の許すところまで水滴が大きくなってびっしりと肌を覆う。シャツを4回も替える始末である。水分もたっぷり補給したのに、風呂に入る前に体重を量ったら前日より1キロ減っていた。でも思い通りの棚が出来上がってやれやれ、出来上がりをご覧じろ、である。ちなみにパイン集成材は一枚が2980円であった。



「検事、押収資料改ざんか」の朝日新聞記事はなんだか素直にとれない

2010-09-21 16:22:08 | Weblog
今日の朝日朝刊第一面に「検事、押収資料改ざんか」と横断幕よろしく白抜きの大文字が踊った。さらにはこの大見出しである。


その記事のポイントは次の通りである。

 郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件で、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)が改ざんされた疑いがあることが朝日新聞の取材でわかった。取材を受けた地検側が事件の捜査現場を指揮した主任検事(43)から事情を聴いたところ、「誤って書き換えてしまった」と説明したという。しかし、検察関係者は取材に対し「主任検事が一部同僚に『捜査の見立てに合うようにデータを変えた』と話した」としている。検察当局は21日以降、本格調査に乗り出す。

そのフロッピーとは

FDは昨年5月26日、厚生労働省元局長の村木厚子氏(54)=一審・無罪判決=の元部下の上村(かみむら)勉被告(41)=虚偽有印公文書作成・同行使罪で公判中=の自宅から押収された。FD内には、実体のない障害者団体が郵便割引制度の適用を受けるため、上村被告が2004年6月に発行したとされる偽の証明書や文書の作成日時などに関するデータが入っていた。特捜部は証明書の文書の最終的な更新日時を「04年6月1日午前1時20分06秒」とする捜査報告書を作成。FDは押収の約2カ月後にあたる7月16日付で上村被告側に返却され、村木氏らの公判には証拠提出されなかった。

というもの。

「書き換え」の経緯については検察と弁護側からこのように取材している。


確かに理由のいかんに問わず押収資料に検事が手を加えたとはもってのほかである。だが朝日新聞の記事を見る限り、弁護側が言うような「証拠隠滅」を意図して手を加えたのかどうかがもう一つはっきりしない。主任検事は「FDの更新日時データを書き換えて遊んでいた」と説明しているようであるが、この行為が許されるべきではないにせよ、私にはこの言い訳のほうが本当のような気がするのである。以下、素人談義である。

ここで言う検事とは新聞記事によるとこの事件の捜査に当たり現場を指揮した主任検事である。この主任検事がFDデータを変造したとされる2009年7月13日は、村木さんが罪状を否認したまま起訴された7月4日の9日後になる。公判を維持するのに検察が必要と判断したすべての資料・証拠品は、村木さんを起訴した時点で捜査担当の検事から公判担当検事に移っていたと推測するが、では問題のFDが何故捜査を指揮した主任検事の手元にあったのだろうか。しかもこのFDが、書き換えが行われたとされる7月13日の3日後の16日には上村被告側に返却されているのである。問題のFDが村木さんが起訴されたあとも主任検事の手元に残されていたという事実自体、このFDが検察側にとってはもうご用済みと判断したことを示唆するし、だから検察が上村被告にはやばやと返却したことが理解出来る。何故ご用済みと判断したのかは検察側に質さないと分からないが、特捜部の捜査報告書には手が加えらていないデータがそのまま残されているのでこれで十分と判断したのだろうか。そしてこの捜査報告書が村木さんの裁判で弁護側請求の証拠として採用されている。この際、弁護側が捜査報告書とともにこのFDを証拠として請求したとは新聞記事からは窺われないので、弁護側も検察側と同じくFDはご用済みと判断したのではなかろうか。。

朝日朝刊一面は《 朝日新聞の取材に応じた検察関係者は「主任検事から今年2月ごろ、『村木から上村への指示が6月上旬との見立てに合うよう、インターネット上から専用のソフトをダウンロードして最終更新日時を改ざんした』と聞いた」と説明。FDの解析結果とほぼ一致する証言をしている》と伝える。この内容からもいろんな疑問が湧き起こる。検事が『最終更新日時を改ざんした』とはまさにあってはならないことである。従って仮に検事側のやむにやまれぬ事情から『改ざんした』としても、それを部局内であれ気安く内緒話として口外出来ることではないと私は思う。検察内ではデータ改ざんは常時行われていることで、それをいかに巧妙に行ったのかその技を競いあうのが珍しくないからこそ、主任検事があたりまえのように『改ざん』を口にしたのだろうか。もしそれが事実であれば検事総長以下即首のすげ替えである。しかし、私はそこまで検察が腐敗しきっているとは思えないし、また思いたくもない。とするとこの記事の信憑性が問題になる。

捜査担当検事から公判担当検事へすでに公判の維持に必要な資料はすべて渡っており、その中に含まれていると思われる「捜査報告書」にはFDに手が加えられる前の「04年6月1日午前1時20分06秒」というタイムスタンプが明記されている。この特捜部の捜査担当検事がこの事実を知らないことはあり得ないと私は思う。仮にその点が曖昧であるとしても、村木さんが起訴され、上村被告側に返却されることが決まっているFDにわざわざ手を加えて、上述の日時を「04年6月8日午後9時10分56秒」とする必要性、必然性が私の常識的な考えでは理解出来ないのである。だから既にご用済みと判断したFDで主任検事が「遊んでいた」と言っているのが、まことに馬鹿馬鹿しい行為ではあるにせよ、状況説明としてはこちらのほうが素直に理解出来るのである。

となると《検察関係者は取材に対し「主任検事が一部同僚に『捜査の見立てに合うようにデータを変えた』と話した」としている。》との朝日の記事は検証が必要であろうと私は思う。このようなストーリーに合わせて朝日新聞が壮大なスクープ話を作り上げた可能性が皆無とは言ないからである。たとえこの記事が検察の控訴断念を後押しするに役立つとしても、なにか裏があるような気がする。

この私の推測がどの程度当たっているものやら、その興味からも《「前特捜部長らを一斉聴取へ 大阪地検、FD改ざん疑惑で」(asahicom. 2010年9月21日15時0分)》ということなので、成り行きを見守ることとする。



白取春彦編訳「超訳 ニーチェの言葉」 我々を代弁しているようだ

2010-09-19 20:30:16 | 読書
哲学コンプレックスのかたまりである私はとにかく哲学書を避けて通る。と言いながら一方、理解しきれぬものへの憧憬もあってつい中身を覗いてしまうことがある。この本もそうであった。同じ題の本が隣同士に並べられていて、一方は文字の色が下のようで片方はグレイがかっている。どう違うのだろうと思ってつい手に取ってみたが、中身は同じであった。ついでにぱらぱらとめくると、ニーチェの名に怯んでいた私にも素直に理解出来るような文章ばかりが出てくる。嬉しくなって買ってしまった。


一ページに一つの文章が収められていて全部で二百三十二項目になる。ニーチェはこんな途切れ途切れの文章を書いていたのかとふと思ったが、「はしがき」を読んで納得した。このように説明されていたからである。

 ニーチェの名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、力強い生気、不屈の魂、高みを目指す意志が新しい名文句とも言える短文で発せられるから、多くの人の耳と心に残るのである。
 その特徴は主に短い警句と断章に発揮されている。本書では、それらの中から現代人のためになるものを選別して編纂した。

たとえばこのような文章がある。


まったくその通りである。ここに書かれたことは私の考えそのもので、ふだん気の合う友人とよく話し合っていることなのである。こういう話も出てくる。


これなんぞも私が前々回の小沢古年兵殿の呪縛 野間宏著「真空地帯」からで述べたばかりのことである。そして


なども、実は我々世代の方はとっくにご承知のことなのである。ニーチェは1844年生まれの1900年没だから55歳で亡くなっている。人生経験の蓄積が我々とそう大きく違うわけではなく、我々も自分の頭で考えれば自然と同じ意見が生まれてきても不思議ではない。それについてもニーチェは《自分の意見を持つためには、みずから動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない(088)》と説いているが、まったく同感出来るではないか。これをニーチェは日常のこととしてきた人であるから、我々が頭を未整理のままくだくだしく述べることのエッセンスをしっかりと把握して、それを簡潔かつ論理的な文章に仕上げているともいえよう。その意味では彼は我々の代弁者でもあり、だからこそ彼の言葉に多くの共感を覚えるのであろう。

なんせこの年になって始めてニーチェの言葉に触れた私である。ここに引用してきた文章がこれまでどのように翻訳されてきたのか比べようもないが、とにかく読みやすい。「超訳」たるゆえんだろうか。それにしても百年以上の隔たりがあるにも係わらず、考えが通じ合えるのが楽しい。そして自分の考えをニーチェの103番と同じであるとか、081番を見てほしいとか言って伝える番号遊びをするのも面白そうである。と考えを楽しんでいたら次のように釘を刺されてしまった。やっぱりニーチェは只者ではなさそうである。


編訳者の白取春彦さん、この文章を読んでどう思ったかしら。


携帯キーボードをiPhoneもしくはiPadにBluetoothで接続 追記あり

2010-09-18 23:39:01 | Weblog
梅田のヨドバシで携帯キーボード、Rboard for Keitai Model:RBK-2200BTi(65キー英字配列Mac専用キー刻印)を買った。9800円也。このキーボードは折りたたんだ時の大きさが100×145×18mm(本体約180グラム+単四電池2本)で、専用のケースがついている。

マニュアルに従いキーボードとiPhone 3GSもしくはiPadを2、3ステップ操作するだけで簡単に接続される。このキーボードは4台までの機器とのペアリング情報を保持するとのことである。ただiPhone 3GSに接続するにはOSをiOS4にアップグレードしておく必要がある。


iPhone 3GSでもiPadでもこれで自由に文字入力が出来る。タッチの感触も悪くない。手動タイプライターの頃から50年以上もキーボードに慣れ親しんできているので、これさえあれば少々長い文章でも苦にならない。iPhone 3GSと組み合わせて持ち運ぶと、少なくとも私の場合はノートブックなど要らなくなった。ますます便利になってくる。

追記(9月19日)
一夜明けてPhone 3GSにこの携帯キーボードで入力しようとしたが自動接続されず、「メモ」に画面を切り替えても「オンスクリーンキーボード」が表示されたままである。《接続先機器をBluetooth通信可能な状態にして本キーボードでどれかのキーを押せば自動的に再接続されます。再接続までには数秒~20秒程度掛かります。》とのことであるが、接続されない。仕方が無いので《自動再接続できない場合は、「登録済みデバイス」からBluetooth Keyboardを削除し、最初からペアリング手順をやり直して下さい。》との指示に従いペアリングをやり直したら接続出来た。

しかしマニュアルの最後には《iOS搭載製品ではキーボードをペアリング・モードにしてBluetooth設定の「Bluetooth Keyboard]にタッチすれば再接続されます。》とも記されている。こちらの操作のほうが簡便なのであらためて確認してみるつもりである(追記 いったん接続が切れても、この操作で再接続されることを確認出来た)。

なおこのキーボードで「cmd」+「space」を押すと、私の場合は画面に「日本語ローマ字」「日本語テンキー」「English(US)」「한국어」と上下に並んで表示されるので、いずれかをタッチして選択することになる。

小沢古年兵殿の呪縛 野間宏著「真空地帯」から

2010-09-17 12:16:08 | Weblog
9月14日の民主党代表選に敗れた小沢さんは「一兵卒」という言葉がよほどお好きなようだ。この6月、鳩山さんと抱き合いで民主党幹事長の座を去ったときにも、「私自身は一兵卒として参院選の勝利に少しでも役に立てるよう微力を尽くしたい」と言い、代表選の後でも「一兵卒として民主党政権を成功させるため頑張っていく」と述べている。何故ここで「一兵卒」なる言葉が飛び出るのか、私は違和感を覚えた。「一党員」として、と言えばよいのに、「一兵卒」なる言葉が今や国民の大半を占める戦後世代に通じるとでも思っているのだろうか。

兵卒は兵士とも兵とも同じで、軍隊では最下位の階級。旧陸軍では兵長、上等兵、一等兵、二等兵の総称(広辞苑)である。軍服の襟につける階級章を伊藤桂一著「兵隊たちの陸軍史」(新潮文庫)の図版から借用するが、星三つの上等兵から一つずつ階級が下がって、一等兵は星二つ、二等兵は星一つになる。この著書に依拠してもう少し説明を進める。


大日本国憲法の下では《日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス》ということで、いわゆる徴兵の義務があった。二十歳になると男子は徴兵検査を受けて、それに合格するとやがて「現役兵証書」が送られてきて、その指定に従って入営する。そして星一つの二等兵として兵隊としての第一歩が始まり、内務班が生活の場になる。入営したての二等兵は初年兵として扱われ、二年兵の最右翼の上等兵が初年兵係として班長を補佐して訓練に当たる。二年目になると二年兵となり、階級も一つ上がって一等兵になるが、五分の一足らずの成績優良者が星二つ増えて上等兵になる。そして二年が終わると除隊するのが一応の基本であった。このように兵の中にも階級の違いがあるが、軍隊においては命令を受けて行動するのみで、いかなる意味でも人に指図する立場ではなかった。この意味でも小沢さんが自らを「一兵卒」と称するのは実態にそぐわないのである。

兵卒のことにやや深入りしたのは、私の本題に係わる野間宏著「真空地帯」をここで持ち出すためなのである。


この文庫本は昭和二十七年十二月二十五日初版発行で私のは昭和二十八年一月三十一日五版発行とあるから、この当時として凄い売れ行きであったといえよう。これを私は高校三年の大学受験直前に買って読んでいたことになる(現在は岩波文庫で入手が可能)。帝国陸軍の「闇」を描いたものとして評判になったように覚えているが、♪僕は軍人大好きだ、今に大きくなったなら・・・、なんて歌っていた頃のイメージとは全然異なる軍隊生活の実相を知り、大きな衝撃を受けたものである。

木谷上等兵が二年の刑を終わって陸軍刑務所から自分の中隊に戻ってきたところから物語が始まる。もっとも刑を受けたことで彼は上等兵から星二つの一等兵に降格されているのである。そして新に内務班に入れられるが、彼が気にするのは昔の自分を知っている兵隊が残っているかどうかで、迎えに来た一等兵に探りを入れ、現役の三年兵が一番古いことを知る。

一方、木谷を受け入れた内務班では彼の正体が気になる。軍隊では星の数もさることながら兵隊年次がものを言うところで、軍隊の飯を一日でも多く食べた方が偉いのである。監獄と同じで、明治の時代から「徴兵懲役一字の違い、腰にサーベル鉄ぐさり」なんて歌があったそうである。一等兵の木谷に挨拶を強要した上等兵にしてみても、木谷の兵隊年次が分からないものだから彼の言葉、態度に不満があってももう一つ強く出られない。最初は病院帰りと言い繕っていたがやがて刑務所帰りとの話が漏れ出して、それだけに木谷の不気味な存在感が重みを増してくる。そして木谷が四年兵であることが明らかにされる場面が出てくる。木谷に敵意を抱きなにかとちょっかいを出していた上等兵に、ついに彼の怒りが爆発してぶつかっていく。《「おい、上等兵、くるか、きやがるならこい・・・・・四年兵にむかってきやがるならきてみい。四年兵いうてもやな、ただの四年兵とはちがうぞ・・・・・」》、と一撃で相手を床に押し倒すのである。

私は小沢さんの「一兵卒」に当初は違和感を覚えたが、この木谷の連想から、そうか「古年兵」であることを折りあるたびに思い知らそうとしているんだと受け取ると、私なりに納得がいくようになった。それどころか小沢信奉者と伝えられる多くの国会議員もその「古年兵」呪縛にはまっているのが真相のような気がしだした。隠然たる力でいつか何かをしでかしそうな不気味な存在、という呪縛が働いているのである。

木谷は将校が落とした財布を拾ったに過ぎないのに、師団司令部軍法会議で軍服から盗み取ったた冤罪で罰せられたのである。人殺しのような恐ろしい罪ではなかった。思想犯でもなかった。正体が明らかになるにつけ、小説の中の木谷は存在感が薄れていく。そして最後は策謀により外地への転属者に組み入れられ輸送船に乗せられて舞台から姿を消していく。

民主党代表選の前に西岡武夫参院議長の次のような見解が報道された。輸送船に乗らざるを得ない小沢古年兵の運命の予知だったのだろうか。

 西岡武夫参院議長は23日、国会内で記者会見を開き、9月の民主党代表選に関連し「菅直人首相が続投を表明すれば、対抗する候補者は相当の覚悟が必要だ。党を去ることも選択肢に入る。敗者が勝者から党の要職か閣僚ポストを与えられるのは、挙党一致でもなんでもない、茶番劇だ」と述べ、首相の対抗馬として立候補する議員は離党の覚悟が必要だと強調した。
(産経ニュース 2010.8.23 19:48)