日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

なんとも不安定なJ:COM NETウルトラ160M回線

2008-03-31 10:37:16 | Weblog
インターネット回線をJ:COM NETウルトラ160Mコースに変更したのに回線速度が上がらず、それを下り84.59Mbps、上り8.628Mbps(同時測定の一例、ほぼ最速レベル)まで持っていく経緯については以前述べたが、その後もトラブルがあった。

一つはインターネットが頻繁に切れるのである。その時はモデムのインディケーターランプが不規則に点滅して明らかに不調であることが分かる。そして10分単位であろうか、そのまま待っているとまたインターネットが繋がってメールも回復する。このようなことが一日に何回も発生するのでJ:COMサービスセンターに連絡した。この時は結局私の家の中ではなくて外部回線に問題があることが分かり、修復の結果、インターネットが切れることはなくなった。

ウルトラ160Mコースに変更して明らかに反応がキビキビとなった。画面の転換が早いしメールも瞬時に送受信できる。悦に入ってたらまた最近不調が目立ってきた。こんどは切れないものの回線速度が大きく揺れるのである。時間切れでURLに繋がらなくなることが増えてきた。おかしい時に回線速度をRadish Network Speed Testingで測定した結果の一例を示したのが下表である。3月28日08:49の測定値が正常状態のもので、これとくらべて上り下りとも大きく変動していることが分かる。



現在サービスセンターに問い合わせ中で、先方からの連絡を待っているところであるが、これぐらいの揺れは我慢しないといけないのだろうか。


追記(3月31日11:09) 先ほど二度目の電話連絡があり、一部のモデムで回線速度が不安定であることが判明しているので、近日中にファームウエア・アップデートで対応することになっているとのこと、ただし私のモデムがそうであるかどうかは分からないが前回のこと(インターネットが切れる)もあるので、技術者を一度訪問させる、とのことであった。

青春18きっぷで紀州路へ

2008-03-30 16:32:25 | Weblog
「青春18きっぷ」をJRが発売していて、青春と銘打っているものの還暦を過ぎていても買えること、そして一日2300円で乗り放題とは知っていたが、今回初めて使った。神戸から日帰りできそうなほどほどのところということで紀州路の旅を選んだ。出かけたのは昨日(3月29日)だったが、その朝、和歌山城のさくら祭りの準備風景をNHKが流していていることが興を添えてくれた。

神戸駅から大阪駅までは新快速で、そこで紀州路快速に乗り換えて和歌山駅までほぼ2時間の旅だった。人気のないがらんとした地下街の一角にある観光案内所で地図を貰い、駅前からバスに乗って和歌山城公園に向かった。



お城もさくらも人出も、ほどほどなのがいい。ガツガツとした感じではなく、人それぞれのペースでさくらを楽しんでいる、そののんびりさ加減がいい。地方都市ならではの心の豊かさを感じる。誰に言われるわけでもなく、さくらが咲けば連れもって花見に出かける、そういう日本人ならではの営みに、自分たちも加わる楽しさがたまらない。

朝、テレビで流していたお茶席のテントを上から見下ろすことは出来たが、下に降りたらいったんお城の外に出てお濠を回らなければ行けないようだったので、お茶とお菓子をあきらめることにして、それよりもお昼を摂ることにした。せっかくだから郷土料理らしきものを味わいたいと思ったものの、下調べをしていたわけではないので特に当てはない。ところが歩いているうちにどこかのテレビ局だろうか取材カメラが前をうろうろしているお店にさしかかった。これこれと、ミーハーの本領を発揮してその中華そばの店に入った。

黒い水のコップをまず出された。備長炭の粉末が入っているらしい。しばらく置いていてもなかなか粒子が沈まない。かなりこまかいコロイドのようである。周りを見回すと皆さんラーメンを召し上がっている。ということで正体がはっきり分からないままこの店の売り物の備長炭ラーメンを注文すると、イカスミパスタならぬ黒いラーメンが出てきた。でもそれ以外はまったく普通。腸粘膜にコロイドがどのように吸着するのだろうかと想像しながら平らげた。ダイエットにどうのとか効能書きがあったが、私にいわせればゲテモノ好みに受けそうな代物である。駅に向かうタクシーの運転手さんに名物を聞くと和歌山ラーメンとかで、いつも50人ぐらい行列の並ぶ店の話は出たが、それ以外にはっきりした答えが戻ってこなかった。



和歌山駅から普通で二駅目の紀三井寺駅で下車、徒歩で紀三井寺に向かう。途中に立っていたガードマンに道を尋ねて坂道の上りコースを選んだ。かなりの急坂であったがなんとか上に辿り着く。本堂の前のソメイヨシノは「近畿地方に春の到来を告げる開花宣言の基準となる桜木です」との説明があり、六、七分咲きであった。



この境内からは和歌浦を見渡せるのがいい。のどかな春の海を目の前にしていると、一弦琴「愛宕の四季」 ♪春なれや 港の舟の いでいりに・・・ が口から出てきた。境内の茶店では甘みを思いっきりおさえた白玉ぜんざいをいただく。



帰りは急な石段を手すりを頼りに下りる。この石段を下から見上げたら尻込みしたことだろう。上りに坂道を選んだのは正解だった。駅に戻る道すがら、来がけに気になっていた無人スタンドで一袋100円のミカンを買い肩掛け鞄につっこんだ。小粒で見栄えがよくないが、沢山入っている。へたの切り口が新しい、ということは木になっている果実を切り取って即、袋に入れたのだろうか。今朝食べたら甘くてこくがありとても美味しいので五個も平らげた。



偶然の一致か、今日の朝日朝刊の一面に「笑顔 お先に満開」の見出しで和歌山城公園のお花見風景の写真が載っていたが、のどかな雰囲気をそのまま漂わせていた。今回の紀州路紀行は花か団子か分からないような遊山になってしまったが、春、夏、冬の学校休みに合わせて売り出される「青春18きっぷ」にこれからお世話になりそうである。


桑田真澄投手の引退と清原選手 森山直太朗の「さくら」と女子高生

2008-03-28 15:04:21 | Weblog
テレビを観ていてジーンとくることが最近立て続けにあった。

一つは桑田真澄投手の引退である。彼が巨人を退団して渡米するニュースに「通用するんだろうか」と疑問に思う一方、成り行きによっては格好の悪い思いもするかもしれないのに、あの年齢でのチャレンジとは凄いなと思った記憶がある。

去年、開幕直前のオープン戦で審判と激突して足首に重傷を負った時にはいよいよだめだと思った。そしてその数ヶ月後ヤンキース戦に登板、メジャーデビューを果たしたものの成績がふるわず、日本のエースとしては屈辱的な10に近い防御率しか残せずに、シーズン途中に球団から戦力外通告を受けた。桑田投手はそれにもめげず今年のメージャー復活を目指していたものの、その望みがないことを球団側から告げられて引退を決意したのである。

過去の栄光に安住せずに納得のいくまで自分の可能性を追い求める。ついに「燃え尽きた。メジャーに残れなかったら、ボールを置こうと決意していた」との言葉通りに人生の大きな決断をした桑田投手に野球道を極めた男の美学を感じた。そして私がジーンとしたのはPLでのチームメートであった清原和博内野手のはなむけの言葉、「桑田の存在が僕自身を磨いてくれた。僕にとって心の中のエースは桑田だけ」であった。

もう一つは「さくら」にまつわる話である。

私にとっての「さくら」とは 「♪さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り ・・・」 と歌われる歌である。明治21年文部省編集、東京音楽学校発行の「箏曲集」に収められていたというから、私たちの世代にとっては「心のふるさと」の歌なのである。ところが最近テレビで「さくら」というと、流れてくるのは森山直太朗の「さくら」なのである。音程が高く旋律も複雑で私も簡単に声を合わせられない。ただそれだけの存在だった。

数日前のNHK夜の番組だった。さる女子校で合唱部の女子生徒がこの「さくら」を合唱で歌っている。なかなかハーモニーがよくて美しい。卒業のシーズンとなって古い部員も巣立っていく、そのようなドキュメンタリー番組だったのであるが、最近は卒業式でこの歌がよく歌われるようになったとの紹介があった。この女子校がそのはしりだったのだろうか。歌詞には「さらば友よ 旅立ちのとき」とか「さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散るみちの上で」などの文句があって、別れの歌としても歌詞に曲がまことに現代風である。そう思ってこの歌を聴くと残念ながら「蛍の光」や「仰げば尊し」がいかにも古色蒼然としてしまう。

この女子校の合唱「さくら」に森山直太朗さんが何かの思いを抱いていたのである。番組では紹介されていたが、私は漫然と聞き流してしまった。しかしその「縁」でこの女子校の卒業式に森山直太朗さんが訪れて、それを知らされていなかった生徒に熱狂的に迎えられ、壇上でギターの弾き語りで「さくら」を歌ったのである。彼の呼びかけにこたえて会場の生徒も歌に加わり、やがて彼の歌がコーラスのハーモニーと渾然一体となって、そして会場の人々の心も一つになる。この感動的なシーンに目頭が熱くなったのである。


一弦琴「伊勢海」

2008-03-27 10:20:52 | 一弦琴
          詞 蒔田 雲処
          曲 真鍋 豊平

伊勢の海の 清き渚(なぎさ)の 葦の根の 
ねもごろ念(も)ひて 取り出でし
玉持てる猟夫(さつ)が 手にはまかずて 絹もてつつみ
十重二十重 箱のみ置きて たれをか待たむ


ここしばらく「伊勢海」に取り組んできた。歌の心を会得することから始まるが、昔の人のこの詞はまるで判じ物である。そこであれやこれや解釈するのはやめて「素読」から入ることにした。何遍も繰り返して唄っているといつの間にか息継ぎの不自然なところが分かるようになってきた。

「読書百遍(ひゃっぺん)義(ぎ)自(おのずか)ら見(あらわ)る」

昔の人はいいことを言っている。訳が分からないまま唄っていても楽しいのは、いずれは分かるはずと思っているからだ。あわてることはない。


追記(4月5日) 演奏を差し替えた。

余計なお節介のメタボ特定健診

2008-03-26 14:32:58 | 放言

朝日朝刊にメタボ特定健診・特定保健指導の解説が出ていた。「高齢化が進み、膨らむ国の医療費を抑えるため、医療費適正化計画の一つとして行われる」とのことである。

「高齢化が進み、膨らむ国の医療費を抑えるため」というのがまず気に入らない。高齢化が進むと医療費が嵩んでくるのは当たり前のことではないか。医療費の適正化は大いに結構、でも要るものはいるのである。あとは医療の現場で過剰診療にならないよう心がければ済むことある。

太っておろうが痩せておろうがそれは本人の問題、人にとやかく言われることではない。それに「メタボリックシンドローム」が生活習慣病に繋がるなんて、誰が言い出したのか知れないが、生きている以上誰でも病気になる可能性があることを言い直しただけのことではないか。それがどうした、である。

「40~74歳全員が対象で、健康保険組合や国民健康保険などすべての保険者に年1回の実施が義務づけられた」この検査と生活指導?にかかる費用はこれまで不要だったものである。メタボ特定健診・特定保健指導がどれだけ将来の医療費を抑制するかの答えなんかが出てくるはずはない。かりに計算があったとしても、政府の試算が正しかった試しがあるのだろうか。答えはノーである。その効果は予測できないが、一方この余計なことを始めると今までかからなかった費用が新たに増えることだけははっきりしている。こういう余計な仕事を考え出すなんてよほど厚生労働省は暇なんだろうと思う。

こんなことを始めると、「ではCTスキャンでちゃんと測りましょう」とかでますますしなくてもよい検査費用が嵩むのだけは確実である。余計な仕事を作ること自体、医療費削減の趣旨とは相容れない。

要は、自分のお腹周りのことまで赤の他人にとやかく言われたくないわ、なのである。


リング製本の一弦琴譜

2008-03-24 17:09:34 | 一弦琴
国会図書館で入手した徳弘太著「清虚洞一絃琴譜」のコピーをもとに琴譜を復元する作業のことを以前に述べたが、その続きに稽古用の琴譜を作成してみた。

印刷にはプリンター用の1000年和紙を使った。1000年後に誰かが見てくれるのを想像するのは楽しいが、インクが多分色あせていることだろう。それはともかくA4サイズに2ページ分をプリントして、それを二つ折りにして綴じることにしたので出来上がりはA5サイズとなる。

印刷に「和紙」を使ったのもそれに見合う表紙を探し出して和綴本にしたかったのであるが、この「和紙」は結構腰があるので和綴じにすると見開いた状態が安定しないように感じた。そこで和風のイメージからはずれるがリング製本にしてみた。これだと開いたときに完全に平らになって見やすいし、ちょっとした工夫で素早くページを繰ることができる。これは製本屋さんでして貰ったが、ほかにも綴じ方を試してみようと思う。



これは「今様」の2ページ、3ページ目を開いたところである。使い勝手のテストに久しぶりにこの曲を演奏してみた。

玄米粉の入った黒パン

2008-03-23 20:01:45 | Weblog

サンチカの目抜き通りからそごう神戸店の地下に入ると、すぐ左手にアンデルセンというパン屋があって、私の目はひとりでに前方やや左手のパン置き場の方を向く。私の好きな黒パンがあるかどうかを確かめるためである。黒パンと書いたが実際は濃い褐色で、説明によると小麦(ライ麦?)粉の他に玄米粉が入っているらしい。見た目はドイツ風で適当にスライスしてトースターで焼くと表面がシャリシャリして中はもっちり、ほんのりと甘みがあって大地の豊饒そのものの味わいである。

子供の頃朝鮮(その頃の呼び名)で食べた米粉を固めて蒸した蒸しパンのようなものが美味しかったことを覚えているが、この黒パンも美味しくて飽きがこない。輸入に頼る小麦粉が値上がりする昨今、米粉をもっと利用すればいいのにと思う。価格的にはどうなのか米価は複雑で分からないが、本格的に米粉を小麦粉の代わりに使って少しでも食料の自給率を高めたらよいと思う。

この黒パンは夕方にはほとんど売り切れである。一昨日は所用のあと立ち寄ったのが2時頃なので、このパンが一本、そのスライスの袋入りと一緒に置かれていた。一本は二人暮らしには大きいので、いつも店員さんに言って半分に切って貰っている。久しぶりに手に入れたので意気揚々と家に持ち帰ったが家はからっぽ、妻が居ない。もしかしてと思い、このパンを買った旨を携帯メールに入れた。

夕方、妻か帰宅したらしい、「アレッ」声をあげたかと思うと、パン半分の入った袋を二つぶら下げて私の部屋に入ってきた。携帯メールが役に立たなかったようであるが、以心伝心なんだろうか。この半分ずつを二つ合わせてもピタリとは合わない。妻の買ったのは私の片割れの半分ではなかったようである。察するにこのパンは一本ずつ店頭に並べて、売れたらまた次のを並べるのであろう。毎日沢山売れるわけではないが、私のような隠れファンがいるのかも知れない。半分はスライスして冷凍保存にまわした。

日銀総裁要不要

2008-03-22 10:08:30 | 放言
日銀総裁が空席になったらあれやこれやで大変だとマスメディアが騒いでいた。その事態がいよいよ発生、そうしたらasahi.comは《日銀総裁「空席でも影響なし」 白川代行》と日本銀行で総裁代行を務める白川方明副総裁の言葉を次のように伝えている。《白川氏は「日銀はいささかも影響を受ける組織ではない」と強調。「適切な政策を積み重ね、しっかり説明し、国民の信認を得たい。それが日銀の独立性を確保する基盤だ」と語った。 》(2008年03月21日21時50分)

「日銀はいささかも影響を受ける組織ではない」、その通りだろう。日銀総裁が不在になるとは滅多にないチャンスだから、せめた半年ほど不在のままにして日本経済がどのような影響を受けるのかつぶさに観察すればよいと思う。金融市場の冷え込みの現状をみると、よくなることはあってもこれ以上悪くなることはあるまいと常識的に考える。なくても済むものなら削ったらよい。人員削減のチャンスだろう。

そんな程度の日銀総裁を選ぶのに出自を争点とした民主党のごり押しが気になったが、それともその本質を見抜いてわざと騒ぎ立てたのだろうか。とすると自民党を出自とする民主党の面々は結構役者なのかも知れない。そこを見抜いて政争の具としたのであれば自民党よりも一枚上手である。



小沼通二編「湯川秀樹日記」を読んで

2008-03-21 18:13:03 | 読書

「昭和九年:中間子論への道」と副題がついている。私は自分の生まれた昭和九年が好きなものだから、車のナンバープレートをわざわざお金を出して1934としている。この本も即購入した。

昭和九年は湯川博士にも特別な年であった。11月17日に東京大学で開催された日本数学物理学会常会で中間子論を発表し、12月8日(7年後には日米開戦の日)に中間子論の論文原稿を数学物理学会に送ったとあるからだ。昭和九年が中間子論誕生の年なのである。しかし私は昭和九年に28歳であった若き学究の日常生活に興味を持った。

湯川博士は昭和七(1932)年に京都帝国大学理学部講師に就任してその直後に結婚、翌昭和八年に長男が誕生してそのあと大阪帝国大学理学部講師にも就任している。結婚後、大阪内淡路町の自宅から京阪電車で京大へ、またバスで阪大に通っていたようだ。この日記を一読すると研究の中身がほとんど触れられていないが、いかにも学者然とした悠揚迫らぬ日々の営みが伝わってくる。

大学に行くのを登校と記しているのが印象的であった。小学生みたいで大学と勿体ぶらないところがいいと思ったが、よく考えてみると私も学校へ行くと言っていた。講義など時間の定められた校務はともかく、時間に縛られない大学勤めの姿が随所に出てくるのがいい。私もかってはそのような自由を享受してきたが、最近の大学はどうなんだろう、と橋下大阪府知事の「勤務時間内に喫煙禁止」のお達し?に世知辛さを感じたものである。

《一月四日 (中略)朝九時頃初めて登校。誰もきて居ないので、雑誌を見て、十一時頃帰宅。午後、丸善から道頓堀、天牛の辺をぶらつき、帰りに三越によって玩具大倉で、驢馬と犬と象を買う(三十三銭)。》なんて見ると、私も同じようなコースをその二十数年後、学生時代に歩いたことを思い出した。天牛では「食い倒れ人形」ような顔つきで口角泡を飛ばす感じの元気な主人が居たが、丸善も天牛書店も今はない。

《二月六日 (中略)九時起床。登校。昼前、病院行き。
不二家で昼食。チョコレートシュークリームを買ふ。
鼻薬を買ってくる。澄子、それをつけると鼻のつまるのがなほる。》

ちょっとした切開手術のあとの病院通いが長引いている。その病院の後で不二家とか高島屋で昼食を楽しんでいる。奥方に鼻薬というのがいい。私も欲しくなる。

風に帽子を川に吹き飛ばされたり、バスの中で財布をすられたり、なんだか楽しくなる。一方、東京、京都、大阪でよく歌舞伎見物に出かけたり、ドストイェーフスキとバルザックの比較文学論があったりする。そうかと思うと世界のニュースにも目が開かれている。

《九月六日 (中略) 朝日飯沼機、大阪発無事北京着。
米国織工七十万総罷業。大統領、調停に立たんとす。
東京市電総罷業、昨朝より始まる。
在満機関改組問題行き悩み。
九州旱害甚大。
支那大旱害、餓死二百万に達す。》

いやはや、世の中は今も昔も大きく変わらない。また次のような記事が目を引いた。日記から抜粋である。

三月一日 満州国帝政敷かれ、康徳皇帝登極。
五月三十日 今朝七時、東郷元帥薨去。
七月四日 マリー・キュリー死去。
九月二十一日 暴風雨(室戸台風)。

私にも関わりのある出来事もあった。昭和九年四月に大阪大学理学部の建物が完成して、「四月十五日 澄子に理学部新館を見せてかへる。」とある。そして「六月二十日 今日は理学成式。三学部成立祝賀式である。」との記事もある。三学部とは医学部、理学部に工学部。大阪大学は要するに理系の大学だったのだ。

理学部の正面玄関の石段に湯川博士ら五人が座っている写真が湯川家提供として掲載されている。私も学部学生として、大学院生として毎日上り下りしたところである。入った左手の壁にはなにかあるとビラが張り出された。教養から学部に進学を認められた学生の氏名が各学科ごとに張り出されたり、また大学院入試の合格者氏名も同じように張り出された。私が受験したときには発表を見に来た物理の学生だろうか「湯川さんの息子が落ちとる」と言っているのを耳にしたような気がする。この日記に名前の出てくる理学部の先生方の多くを私も学生としてお見かけしているので、ことさら因縁を覚えた。

私の生まれた日にも湯川博士は講義をし、雑誌会をやっておられた。


医師の業務上過失致死罪とはこれいかに

2008-03-18 13:42:38 | 学問・教育・研究

3月14日朝日朝刊第一面の記事である。京都大学医学部付属病院で2006年3月に脳死肺移植をした30代女性を手術でのミスで死亡させたとして、3人の医師が業務上過失致死の疑いで京都地検に書類送検されたというのである。要点は以下の通り。



事故直後に外部の専門家も入れて京大病院に設けられた調査委員会は半年後に報告書をまとめ上げ、京大病院はこの報告書を公表、過失を認めて遺族に謝罪し、再発防止策を打ち出したとのことである。事故原因を調査して過失があった場合には率直にその非を認めて遺族に謝罪することは医師の職業倫理からしても最低限のつとめである。またその反省を再発防止策に具体化することも当然の義務である。ここまでは私も素直に理解できるが、医師3人が「業務上過失致死の疑い」で京都地検に書類送検されたというところに引っかかりを覚えた。

私が車でドライブをしていて、脇見運転で人をはねて死亡させたとする。この場合には一般的な交通事故としては私は業務上過失致死罪に問われることになるらしい。自分の楽しみでドライブをしているのが何故業務なのか、法律に疎い私には分からない。ところが医師の医療行為はまさに業務そのもの、その業務上の過失で患者を死亡させたから業務上過失致死罪に問われるというのは一見分かりやすい。しかし私なりに考えると腑に落ちないことが多い。病院も認める医療過誤で家族を亡くされたご遺族の心中はお察しするが、ここではそういう方々のもろもろの思いを封じ込めて話を進めることにする。

私が腑に落ちないというのは、「手術」に対して私なりの見方があるからである。

医療行為にはもともと実験的要素がある。実験的とは試しに行ってみることと受け取ればよいだろう。たとえば患部を切除する場合に、そこまで大きく切除する必要がないかもしれないが、念のためそこまで切るというのは、いわば試しに行っているのである。だから逆にどこまで切除範囲を狭められるかという試みもありうる。これが「実験」なのである。先端医療の領域では実験的な治療行為がますます重みを増してくる。だから元実験科学者の視点で眺めると「手術」は「人体実験」そのものなのである。そして「実験」の意味するところもなかなか多様で、新しい薬剤を使用するとか新しい手法を取り入れことも実験ならば、手術チームのスタッフの新しい組み合わせも実験なのである。

さらに手術には科学実験とは異なる特徴もある。術前の計画に従って手術を進めるものの、実際の所見に基づき、また状況変化から手術進行中に計画変更を迫られことがそれに当たる。科学実験ではあらかじめ決めた手順で一連の操作を行い、実験に区切りをつける。一区切りの実験の最中に計画変更を加えることはまずしない。この点で「人体実験」はより高度な実験であると言える。そしてこれが私の強調したいことなのであるが、手術も「実験」である以上、実験の宿命である失敗から完全に逃れることは出来ない。

実験を始めるにあたって誰も最初から失敗することを考えない。皆成功を目指す。しかし万全の準備を整えたとしても人間の営みである以上、思い違い、思い込みで思わぬ失敗をすることがある。しかしチャレンジする科学者は失敗を恐れない。失敗がノーベル賞を生み出したという話もあるくらいだからだ。失敗を成功の糧にするのである。

手術も(人体)実験である以上、頻度がきわめて低いとしても失敗は起こりうる。ただ人命がかかっているだけに手術に取りかかるまでに、科学実験を始める以上に安全性を十二分に検討し、万が一にも過失を犯さないよう慎重な準備のもとに手術を始めることだろう。京大病院における生体肝移植の創始期には、症例ごとに倫理委員会の審査が慎重に進められることを身近に見てきた。そこで承認されて始めて手術に取りかかることが出来たのである。しかしそれでも成功が100%保証されたものではない。科学実験では失敗したからと言って刑事罰を科せられことはない。それが「人体実験」であると言うだけで医療過誤が明らかになると医療従事者が刑法上の罪に問われる。科学実験と実験としての本質は変わらないのに、なぜこちらに司法が介入するのだろう。これがすんなりと分からない。

さらに手術チームの個々のスタッフの刑事責任が問われるのもこれまた不可解である。

臓器移植のような大がかりな手術の成否がチームプレーの成熟度に大きく依存していると思われる。京大病院のケースではチーム内の連係プレーのまずさが指摘されているが、これも「実験」としてあり得ることである。一方違う角度から眺めると、この手術も倫理委員会の承認を得たものではなかったのか。もしそうだとすると、この程度の習熟度の手術チームにゴーサインを出した倫理委員会の責任がまず問われるべきである。しかしその責任追及がないと言うことは、「手術」の実験的本質に対する倫理委員会の理解が、私の理解と共通しているからなのかも知れない。私は現在の倫理委員会の機能がどのように規定されているのかは知らないので、この問題にはこれ以上立ち入らないことにする。私は刑法の意義を常識程度にしか知らないが、その趣旨からすると犯罪性を問うべきではない手術の失敗を刑法で裁くこと、ましてや刑事罰の量刑算定につなげることに全くの違和感を覚える。

手術が人間の営みである以上、無謬と言うことはあり得ない。時には凡ミスが重なり人命を損なう場合もあるだろう。しかしこのことは医療という職業に従事するからこそ起こりうることで、医療事故、医療過誤に関しては客観性のある原因調査委員会が事柄の全容を明らかにすることで十分であろうと思う。故意の犯罪的意図が浮かび上がった場合のみこの委員会が司法機関に告訴すればよいのである。これはぜひ制度化すべきものであると私は思う。今回の「業務上過失致死の疑い」で京都地検への書類送検はどう考えても私には納得できない。上記の新聞記事も触れているが、検察の不起訴処分を良識として期待したい。