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lainのなりゆき雑記帳

映画を楽しむための映画の感想。アニメの感想。日々雑感。愚痴も有り。小説も有り。

いちばん可哀想なのは読者

2005年11月09日 02時15分47秒 | 日々雑感
この話題、書くかどうするか迷ったんですが……

原書房、飛鳥部勝則と言う人の小説「誰のための綾織」の中に、三原順さんの漫画「はみだしっ子」との類似カ所があり、出版社が同書の絶版と在庫の回収を決めたと言うニュースには実に不快な気分にさせられました。「類似」と言う言葉を使っていますが、検証サイトなどを見る限り明らかに盗作です。出版元から同サイトにクレームはついてないので、掲載されている内容は事実でしょう。しかし、この事実を突きつけられてもなお、作者からの謝罪のコメントは全く持って意味不明。素材カードが紛れて…云々、言い訳するぐらいなら、全てを白日の下にさらして頭下げて出直した方が、まだ男らしいと思います。しかも謝罪文も「各位」とあるだけで、まずその小説をお金出して買って読んてくれた読者にキチンと謝るべきなのではと言う思いを禁じ得ません。

先に有名漫画のカットをトレースしたなどとして、やはり回収騒ぎのあった漫画家、末次由紀ですが、彼女は自サイトに掲載した謝罪文の中でトレースの事実を認め、自分の考えの甘さがあったことも認めているのと比べると、なんとも釈然としません。何というか、飛鳥部氏のファンで日頃から作品を読んでいた人たちは、さぞやショックだったのではと思ってしまいます。しかも今のまま非を認めずにうやむやにやり過ごすのと、全て認めて一から出直すのではどちらがいいのか…、なんて今更言わずとも答えはハッキリしている筈です。

もし自分がファンで楽しみに読んでる漫画や小説の作者が同じような事をしていたら…、と考えただけでもゾッとします。幸い私はこの人の小説は読んだことも買った事も無かったですが。Amazonのレビューに書かれていた「この作家の本はもう二度と読みたくない」という一言にこめられた思いは単純なものではないでしょう…。

飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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どっちも読んでないので解りませんが… (Ammo Shop)
2005-11-09 21:32:41
『ライオン・キング』は『ジャングル大帝』にあまりに似ているという理由で、絶版にはならないのでしょうか?



逆に手塚治虫の初期作品は「昔のSF映画や海洋冒険映画に似ているところがあるから絶版」とかにはならないのでしょうか?



ウィル・スミスの『ワイルド・ワイルド・ウェスト』の中で、磁石首輪でくっついてしまった主人公コンビがドタバタする箇所、『ジョジョの奇妙な冒険』で「敵を磁石の様にするスタンド」使いが出てくるところとそっくりなのですが、どうしてくれましょう?



……という冗談はさておき(いや冗談ですってば)w

「盗作か単なる類似か」という問題は、限りなくグレーゾーンが広くて難しいですね。



例えば、スペースコロニーという考え自体はアニメのオリジナルでも何でもなく、科学の世界に以前からあったものですが、今、アニメなりマンガなりでスペースコロニーが存在する世界に住む主人公達を描く人は殆どいないでしょう。そこにはまだまだ可能性が隠されているにも関わらず、描けばそれだけで「ガンダム世界の猿真似だ」と言われかねませんから。



本当に盗作であれば、問題とするべきであるのは当然として、どこまでが類似であり、どこからが盗作と定義するのか、という「グレーゾーン」問題が常についてまわるのが頭の痛い限りです。



「作家個々人が良識を持って活動すればいいんだ。」と言ってしまえばそれまでですが、子供の頃読んだマンガの1シーンや小説の一節が心の奥に焼きついており、大人になって「作り手側」になったときにそれが噴出したら、本人自身が「昔読んだもの」なのか「自分で考えたもの」なのか解らなくなっている可能性も0ではありません。

それでなくとも、同じ時代、同じ情報、同じ感性の作り手達が同時多発的に似た傾向の作品を作ることは充分に考えられますし。



というか、「盗作された」とされる作家のファンは、「本当に盗作か?自分達が好きな作家を贔屓する余り、偏見で見てないか?」と自問し、「盗作した」とされる作家のファンは「本当に類似なだけか?盗作であるなら、涙を飲んでも明らかにすべきだし、それでもこの作家のファンを続ける覚悟を自分は持っているか?」と自問し、どちらの作家のファンでもない人は、「自分は“マンガや小説をそれ以前の作品と類似していないか?などという視点からばかり見ている歪んだ人間”の煽りに踊らされていないか? 感性が(これもまた偏見ですが)2chズレしてしまっていないか?」と自問し、その上で意見を述べてみれば、良い結果につながるのかも。



Lainさんも「悩んだ」と書いていらっしゃるように、この手の問題はよくよく自問してしまいますから(私も上記の意見を明記するべきか悩みました)。



ただ、一部のサイトなどで「○○の『***』というマンガは××の『※※※』というマンガの剽窃だ。その証拠に○巻○ページの構図と…」等の論議を延々(しかも半数以上はスパムだったりする)しているのを見るにつけ、「もうちょっと建設的な読み方は出来ないのか?」と批判したくなるのも事実です。



マンガって、作家のアラや他の作家との類似点をあげつらって「批判してる俺エレェ~~ッ!!」などと悦に入るのが正しい読み方だとは、どうしても思えないのです。
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暗い水の底で蠢くもの (lain)
2005-11-10 00:22:12
本文にリンクを追加いたしましたのでまずはそちらをご覧下さい。もし不快な気分になるだけなど、意に沿わない場合はパスして頂いてももちろん結構です。



「昔読んだもの」が、無意識のうちに作品表出することもあるでしょう。しかしAmmoさんご自身も小説を書いていらっしゃるので実感があると思いますが、資料として集めた文献の“てにをは”を多少変えたほぼ同じ内容の文章を、作品中に10数カ所も“うっかり”挿入してしまえるものなのか…。上記サイトの内容を信用するならば(出版社も認めて謝罪しているので間違いないと思いますが)明らかにこの作家のこの作品は「黒」です。一つや二つの類似ではありません。こういう事が意図せず偶然に起こる確率は限りなく0に近いと、一般の常識をもって判断することは許されると私は思いました。



何時の時代にも盗作を取りざたされる作家は何人もいました。実際に告発され、非を認めて社会的に制裁を受けた作家もいたでしょう。でも今はネットの時代、昔は大海の中の波紋に過ぎなかったかも知れませんが、もはや世界は今やまるで池のように小さくなりつつあります。小石を投げ込めば、波紋は隅々まであっという間に拡がってしまいます。その裏にどんな感情があるにせよ、これはもはや現代では避けられない流れだと思っています。悪意にせよ正義感にせよ、あるいは意図せず偶然に投げ込んだ石が多きな波紋を呼んでしまうこともあるかも知れません。



だからこそ、現代を生きる作家は身を正していかなければいけないとも思います。Amazonやgoogleでの書籍の全文検索の環境が整ってくれば、今以上に痛くない腹を探られる事態が続出するのは想像に難しくありませんし。悪意、善意、妬み、嫉み、羨望…、いろいろな感情が渦巻くネットという海は、さながらユングの言うところの普遍的無意識と同義な性質を持ち始めているのかも知れません。でもその中から、何をすくい上げ、どの音に耳を澄ますかは、私たちに今でもゆだねられていると私は思っています。自分の感性と、理性と、感情と、そう言ったものがすくい上げた情報の中の一滴は、もしかすると自分を映す鏡なのかも知れません。そんな事を思うにつけ、他人の事よりもむしろ自分の在るべき場所は何処なのか、それを自覚しておく必要はあると、強く思って止みません。
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