これって慢性疲労症候群?

無意識に有意義な生活を営んでいた頃に戻りたい願望から、色々な情報や励まし、出会いを期待して、私の今の不満や葛藤を綴る。

私なリの理解

2008-03-13 | Weblog
前回はとても長くなった。
それでも続きがあり、相変わらず医者にはちゃんと相手にしてもらっていない。予約を入れて1ヶ月待って、がっかりさせられて帰ってきた。
 今入れている予約は、2ヶ月待ち。でも、とりあえずこの慢性疲労症候群についての診察もしているらしい。
あまり期待せず、自分を信じて日々を過ごすことに。

 そう、病名がない(=病気を持ってないはず)から何も気にすることはないと思う反面、実際の生活で、制限され困る事が沢山ある。

 最初の、めまいがひどかった頃は、血圧が低いという事実で納得がいく。でもどうして突然そんな事になったかはわからない。
 最後に通ったカウンセラーは、「バーンアウト症候群というもので、当初ゆっくり休んでいればこんなに長引かなかったのに」と解ったような説明をしていた。でも他に誰もそんな診断はしなかったし、私もバーンアウトについて読んだが、決して当てはまるとは思えない。
 パニック障害については、当てはまるとも思うし、理解するうちに症状も落ち着いた感じがする。
以前好きだったコーヒーを飲むと気分が悪くなる症状など、本を読んで納得いく説明があり、それだけで、じゃあ飲まなきゃ良いと済ませられる。

 でも、朝起きるのが辛いのは、誰でもそうだろうが、高校生の時から10年間くらい6時前には起きていたので、出来なくなったのは、ただの甘えとは思われたくない。
 以前にも書いたが、無理して起きても結局体調が悪いのでは、生活に無理も利かないので、10時間くらい寝て(実際はそれでも起きるのに苦労してますが)、その分、一日出来る内容が増えるので、睡眠時間は大切にしている。爪の色が綺麗になりました。(1日4時間睡眠とかしていた頃は爪の部分がどす黒かった) ニキビも減ったような。

 今年に入ったくらいから、少なくとも目覚めの感じが変った。以前は頭を起こして、よりかかり座り、の時間が長かったが、今は数分で立ち上がれる。寝起きの排尿時、視界が真っ暗になる事がよくあったので、深呼吸して、出来れば少し水を飲むなどの準備が必要だったが、最近はその必要性を感じなくなった。

 でも何よりも、体力が落ちていて、回復法をつかむのが難しい。
2年位前から、テレビで、毎日15分間の体操番組を見つけ、DVDに録画して時間は不規則でも毎日実行した。日により、エアロビクス、ストレッチ、ヨガやピラティスと色々変化があり、体調や気分に合わせて1日3プログラム(45分)実行した。一人なので、継続する根性が必要だが、めまいがひどくて休憩しても恥ずかしくないメリットもある。
 とにかく真面目に続け、私の中では誇りで、例のカウンセラーにも話した事があったが、「そんな事では少ない、もっとちゃんとした運動をしないと・・・」と少し鼻で笑われ、傷ついた。

 いつか風邪で熱を出し、少し寝込んだ。長引いて、なかなか回復したと思えなく、この期に、この体操習慣からも離れてしまった。
 でも今回の風邪は、「じゃあ、休めば良い」と自分で心から思えた。
回復して少ししたら、今度は膀胱炎を患ったりしたが、この時も、逆に気が抜けた。医者に行ったら、「(仕事場の為の)病気の診断書を書こうか」と言われ、こんな事で、堂々と休んで良いの?と驚いた。

 頑張るのになんか疲れたのと、頑張っても世間には認められないどころか馬鹿にされたみたいな気持ちになり、自分でもばかばかしく思えた。
 自分で自分を慰めてあげないと、と思い、病名のある病気の時くらい、ご褒美として休もう、とか、所詮は他人で、能力のないカウンセラーに話をするのは、私にとっては時間の無駄だからやめよう、とか、もしかしたら間違った考えなのかも、と片隅では思いながらも、自分を信じたいと思うようになった。

 そんな事で、今は本当に気の向いた時だけ、体操プログラムをやっている。私なりに、体調の整え方を覚え、変化を感じる事が出来ると、ただ頑張るのも決して良いことではないのかなと思う。
でも世間体を気にするので、怠けてる、とか、ただのか弱い人と思われたくないので、この体調不良に何かの病名が欲しいとさえ思う。
 とにかく今予約を入れている医者の診断を待ち、私が自分でできる事をこれからも見つけていこう。

医者のたらい回し

2008-03-13 | Weblog
 前回、2005年3月いっぱいで、他のセラピストに替える決心をつけるところまで書いた。
ドイツの医療保険制度の関係で、まずはホームドクターのところに行って紹介状を書いてもらって行くことになる。でもどこの科へかの紹介状であり、誰を選ぶかは本人が決めるシステム。とは言っても、私は誰も知らないので、とにかく近場でという条件で、ホームドクターの推薦するセラピストを聞いてみた。本当に歩いて行かれる所で、早速予約を入れ、行ってみた。

 かれこれ長い病歴になるので、何に困ってるかをとりあえず話して一時間目は終わる。
そして2時間目は、2ヶ月もの空間が入って代理のセラピスト。元のセラピストは休暇をとったくせに今度は体調不良との事で、少しの患者にしか時間が取れないらしい。

 最初は、まあ別に良いかと思ったが、この代理人、とにかくよくしゃべる。質問に答える為に私が2~3文話して、またしゃべり続ける。時間の最初に、「なんか具合悪いの?」と聞かれて、「ええ、そうなんです」と少しニコッとしてしまったのが悪かったのか、「この暑さでまた血圧が下がってるのね」とまとめられてしまったり。
 とりあえず毎週時間をとってくれたが、為になる時間だとは思えなかった。ちょうど、減薬を試みていたせいか、めまいや食欲減退等あり、いくら近くても、かなりしんどく、座って話を聞くのも精一杯で、4時間目の最後、「質問あるか」と聞かれて、「内容に質問はないけど、このまま私はどうやって良くなっていくのか全くわからない」と答えてみた。
 少し驚いたような様子で、でもやっとこの苦しさを少し把握したのか、「減薬症状の可能性があるから、ホームドクターと相談したら?」みたいなことを言う。ここでやっと私も把握したのは、このセラピストは、薬を処方できる医師の資格はない、いわゆるカウンセラー。薬の事はやはりホームドクターが面倒見るのか・・・。
 断薬が目的だったが、もう薬が手元にほとんどない。結局ホームドクターに相談しに行くが、今度は彼が休暇中で、代理医(女医)のところへ回される。彼女と話すのも初めてで、また経緯を話す羽目になるが、とにかくしばらくまた薬を飲む事と、今のカウンセラーを替える助言をしてきた。彼女自身、推薦できるセラピストを知らないとの事だが、(ここだけの話と言う名目で)推薦できない名前は少し教えてくれたりした。

 医療保険の制度をそんなに詳しく知らないが、とにかく最初の5時間以内なら、セラピストを替えるのは可能ということで、保険会社とも電話確認したうえで、違うカウンセラー(女性)のところに電話してみた。
 また初めての電話なので、様子を伺う感じに、今の状況を話して、「とにかく一度来て下さい」とのことなので、元のカウンセラーに、他に移りたい意向を話して、新しいところへ行ってみた。

 話すうちに、がっかりさせられたのは、やっぱり元のカウンセラーのところに戻るべきと言われた事。
理由は、保険の制度で、カウンセラーを替えるのはとても面倒で、彼女も良い経験をした事がないのと、実は彼女は、私の元のカウンセラーを知っていて、どうも立場としては彼女は下になるらしい。彼の患者を横取りするのは嫌なのかと勝手に察した。
 勿論「保険会社とも話した上で来たんだ」と言ったが、「向こうが大丈夫と言っても、実際の話は、本当に難しいことで、とにかくやめておいた方が良い」と言う。

本当によくあること、皆さん言う事が全然違う。

でも私の語学力で、更に戦う意気込みはもうなかった。そこまでして、この彼女にこれから期待できるとも思わなかったし。
 2年経った今なら、この時はっきりと「でも最初に電話で言ったことと違うじゃないか」と指摘する勇気があるが、当時は、とりあえず飲み込んで帰ってきてしまった。でも、無駄足のみならず、時間だけかかり上手く事が運ばない苛立ちでものすごく腹立った。

 そして、結局元のカウンセラーのところに行かなきゃか・・・。恥ずかしかったが、もう一度もとのカウンセラーのところに電話をして、せめて(おしゃべりな)代理人ではなく、最初の一時間目に話してくれた人にしてくれと頼み、また1ヶ月くらい待つ羽目になった。
 結局、このカウンセラーとは、常に予約を入れるのに待たされ、また何度か当日キャンセルもしてきて、その上、行くたび不満が残るの繰り返しだった。本人にもはっきり言ってみたり、ホームドクターに相談しに行ってたりもしたが、ほとんど状況は変らなかった。

 でも保険会社と、このカウンセリングに25時間の契約があり(と勘違いしてしまっていた。悔やみに悔やみきれない)、22時間を終えた「25ヵ月後(!)」、ようやく次のセラピストを探せる時が来た。

  ある知人が自ら通って満足したという精神科医を紹介してくれたので、早速電話をしてみる。
とにかく薬をやめたい意向も伝えると、この人は、医師ではあるが、薬を使っての診察はしないとの事で、同僚を紹介してくれた。そして早速次へ電話。まずお互いに望みのある方向に進む物かを知る為の契約無しの1時間と言う名目で予約をくれた。

 そしてこの人は早速一時間目に宿題を出してきた。今まで、結局私は、どの医者とも満足してなく途中でやめてるところが彼には気にかかるらしい。(もっともな事と私も思うが)
で、「最低あと2時間、この不満なカウンセラーのところで、どうしてこのカウンセリングが失敗に終わったのかをお互いに話し合って来て欲しい」と言う課題を出してきた。そしてこの2時間後にまた連絡してきてくれとの事。
 この際だから、本当に私の不満もはっきり伝えてみようという勇気も湧いた。

しかし・・・

 あと2時間と言えども、今までのように月一度のペースでは困る。出来るだけ早く予約を欲しいと、お願いするが、無理だと答える。やはり最低でも2ヶ月はかかりそうな様子で、もう待つのは本当にうんざりだったので、駄目もとで、もう一度保険会社の人に電話をして状況を話し、22時間でも2年以上もかけて我慢したのだから、もうやめられないかと聞いてみた。
 そしたら、なんと、この25時間とは契約ではなく保障の範囲なのだとか。「そんなに不満なら今すぐやめて良い」と。
 今までの我慢はなんだったの?じゃあ、「最初の5時間以内は替えられる」とはいったいどういうことだったの? -いまだにこの保険のシステムは理解できない。もし詳しい方いましたらご一報ください。

 それはまた別問題として、とにかく新しい精神科医にも電話でこの話をしてみる。
すると、彼にはやはり課題の答えを出して欲しいらしく、ちゃんと話し合って来て欲しいと言う。
私も、
「向こうがちゃんと話し合ってくれないのだから、はっきり言って向こうの能力不足であり、その為に私も時間を無駄使いするのはもう嫌だ」
と言ったが、納得してない様子だった。なので
「では、あなたにとって私は、カウンセリングを始める条件を満たさないのですか」
とあきらめるように聞くと、
「これはどの医者でも同じ条件を出すと思うけど」
と返してくる。もう完全に私も希望を失って、邪魔して失礼したと言って電話を切った。

かなり辛い日になった。

 結局、誰も相手にしてくれない。相談する相手がいない。でもこのままでは私の人生、有意義なものにならない。そんな落ち込みの中、インターネットで「慢性疲労症候群」の言葉を知る。
自分の体調によく当てはまるので、もしも私もこれなら、カウンセリングなんてもう要らない。これからパニック障害が併発したと認めてもらうだけで、安心するな・・・。この診断をする医師を探そう。

 やっと書いてる事が現在に近づいてきた。2007年6月まできた。
今回の話は、これでも大まかな不満話だが、長くなったので、これにて。

本当に鬱病?

2007-09-18 | Weblog
 2005年に通い始めた精神科医は、以前はハウスドクターとして働いていたようだが、年齢から、今は一人で自宅で患者と話しをする、いわゆるセラピスト。でも医師でもあるので、彼が処方箋を出す。
 私の語学が少しは上達したからか、彼はそれなりに、私の身体の不調を聞き入れてくれ、色々なビタミン剤を処方したり、彼の疑う部分の診断を受けるよう、内科や、婦人科、甲状腺の専門医等に紹介状を出してくれた。甲状腺の事で再検査に至ったりもしたが、やはりとりあえず「問題ない」とのことだった。

 でも実際、身体の不調、胃の不快感はなかなか消えず、救われない気も高まった。そんな気持ちも勿論話したからか、いつしか「強い鬱がある」と言われるように。この言葉にはものすごく抵抗があったが、日本の雑誌で読んだことのあった言葉「仮面うつ病」と言うものに当てはまるのかと、うつ病についての本を買って読んだりした。
 当時、家にはパソコンはあったがアナログ回線の為、気軽にインターネットを覗ける環境になく、仕方なくまたドイツ語の書物を読解しなければいけなかった。
 確かに、パニック障害についての本にも、長期にわたるパニック障害患者の約半数は、うつ病の併発があると読んだ事があり、認めざるを得ないのかなと更に落ち込んだ。

 「こんな事は、誰にも言えない」 「私って社会の一員として生きる価値がない?」・・・そんな思いが更に強まり、家族や友人に近況報告するのが益々億劫になった。「お元気ですか?こちらはとりあえず元気です」の2文の先が本当に見つからず、書き始めた手紙やEメールを結局消して、どんどん友人との交流も薄くなった。
 でも、「笑顔をなくしたらおしまい」と思い、なるべく普通に振舞うようにしたつもりなので、私の事をうつ病患者と気付いた人はいないのではないかと思う。

 そんな中、やはり相変わらずか弱な体質改善が私の一番の課題であった。
食欲向上には、自分が食べたいものを作る(=ほとんど外食できない)、無理しすぎないよう休息をとる工夫を考え、睡眠時間を増やすことに。夫のお弁当も作らないどころか、朝食の仕度もせず、悪いなと自分を責める反面、10時間ぐらい寝て、その分、午後の調子がだいぶ良くなるリズムを覚えた。
 勿論だからこそ、出来る時は身体を動かす精神を忘れず実行し、波がありながらも、また元気に振舞える事も増えた。

 そうして、少し自信が付き、また薬をやめる相談をセラピストとするのだが、結局、減薬するとまた不調が続き、元の量に増やすと落ち着く、という事を何度か繰り返し、このままずっと飲み続けるべき、と言うのが彼の考えだった。SSRI系の薬の中でも、更にまた新しく、副作用等の危険性も少ないと注目されているもの(Cipralex/有効成分Escitalopramoxalat →日本ではレクサプロにあたるかな)を選りすぐんではくれたが、「一生飲んでも構わないではないか」には納得いかず、うつ病診断の不満等からも、3年経ってセラピストを替える事にした。
 自分に合うセラピストを見つけるのは、結構みな難しいようで、私も、決して好運があるとは言えない。
次回は、その点の苦労話を書いてみます。

断薬、食欲減退、・・・そして再発?

2007-09-02 | Weblog
 断薬して約半年後、時々食欲が無い事に気になることがあった。季節柄、暑い日が増えた事も多いかと思うが、買い物で食料品を探す時に、お肉とかを見るだけで調子が悪いのがよくわかる。体力維持のために、買い物は滅多な事が無い限り自転車で行くようにしていたが、それが本当に辛く感じる事が増えた。
気にしないようにしていたが、なにか精神的な疲れが関与していたような気もする。
 夫が出張へ出掛けた日、珍しく一人で夕飯を食べ始めた途端、食事が喉を通りづらくて、自分でもなんだか驚き、訳のわからない不安に襲われた。空腹で、あわてて炊事して、さあ、と食べ始めたのに、飲み込むのを身体が拒否してる感じ。気になるけど気にしないようにテレビを見ながら食べ続けたが、少量しか無理だった。数日して夫が帰宅したら、安心したようで元に戻り、私って依存症?と思った。

 当時、家から約5時間でパリに直通する新幹線の格安券を買った。ちょうどパリにいる、夫の知り合いに会う約束をしたのもあり、既に一度行った私も是非また行きたかったので、出発した。
 体調を崩して以来、朝早いのは苦手で、この日も、気合を入れて起きることは出来ても、身体が明かに辛かった。出発10分後くらいに、既にバスで酔った感じ。新幹線に乗り込んでからは、とにかく寝る体制に入った。
 朝食をとらずに、サンドウィッチを作って出発したので、途中、落ち着いてから食べてみたが、この時もまた喉を通らなかった。もう乗り物酔いの感じは無かったのに。とりあえず何もしないで座ってれば良いのだからと、気にせず、深くは無いがうとうと眠り続け、パリに到着して、逆に、立ち上がって電車を降りるのが少し憂鬱なほどだった。
 食べないから体力が無い、体力が無いから食べる元気が無い、という悪循環に襲われ、結局3泊4日の旅行中、殆どまともに食事が出来なかった。時々、おにぎりや中華系の馴染みのあるもので食がすすむ事もあったが、ジュースの酸味でさえ、胃が受け付けてない感じで、とにかくこんな経験は初めてだった。
 その上、結局夫の知り合い達と顔を会わせながらという機会が多かったのも、どことなく精神的にストレスはあったとは思う。日本人同士で言葉の問題もなく、楽しく会話させてもらったけれど。

 帰宅して胃薬を飲んだりしても、殆ど状況が変らず、あまり気にしたくないと思う反面、自分が精神的に何かおかしいのだろうと不安に思い、とにかく医者に行く決心をした。まず近くのハウスドクターに行きたかったが、ちょうどその医者の休み期間で、代理医は、バスに乗っていかないといけない所になっていたので、体調の悪い私には、それは避けたく、電話帳で、すぐ近くの精神科医を見つけて行ってみた。

 そして状況を話して、結局、不安神経症の再発みたいな疑いから、薬を飲むようになった。以前の薬より新しく開発されたSSRI系の薬。有効成分Paroxetinの物で、日本ではパキシルに相当するのだろう。
 1週間くらいかかったが、少し食欲が出るようになり、こうしてとりあえず悪循環を脱出する方向に向かった感じになった。

 自分が精神的に問題を持っているなんて、認めたくないが、やはり薬が効いていると実感すると、認めざるを得ない。でも、まさに今、冷静に考えると、体力的に無理があるとまず休息が必要で、個人的レベルがあっても無理が続けば、精神的にマイるのは当然のことではないかと思う。
もともと、些細な事でも緊張しやすいタイプなので、体力が無い事を感じながら、笑顔を振りまくのは無理をしてないつもりでも、ストレスになっているよう。気にせず、のんびりボケッとしてれば良かっただけなのかも。それが難しい真面目な性格が関与しているのも自分で認められる。
 実際、人前でフルート演奏する機会がそれなりにあるが、当日は、朝からあまり食欲がないこともある。
空腹感はあっても、緊張があると食べられない経験は、多かれ少なかれ、ある人は多いと思う。
気にしないように努めてる事実が、すでにどこか緊張感を持っている証拠ですね。

 話がそれた。悪循環から抜けて、また少しづつ、生活を活発にするよう努力する。
そして勿論、また減薬への工程があるのだが、それは、次回に書くことにする。

 しかしこの「断薬(減薬)」、「再発」、「悪循環」、身をもって体験した私には、短い言葉でも、ものすごい体験記が蘇る。きっと他の体験者もそうだと思う。だけどその中で、この「悪循環」と言う言葉は、ドイツ語ではTeufelskreis、直訳すると「悪魔の輪」。テレビの歯磨き粉の宣伝等で見る、虫歯を作る「バイ菌君」達がわっかを作って回っている姿を想像してしまう。そうやって少しは笑顔を取り戻すようにしている。

 体験者や専門家に読んでもらえる事を願って書いているので、専門用語を詳しく書くのを省略しているが、いつかわかり易くまとめられればと思う。

慢性疲労症候群と疑う理由

2007-08-29 | Weblog
 前回、トフラニールの投薬を受けたこと、そして断薬に至ったところまで書きました。実は一度目の減薬の試みで失敗に終わり、成功したのは2度目のことです。体の倦怠感は常に伴い、胸の辺りに圧迫感があるなど、決して全てが回復した訳ではありませんでしたが、とりあえずパニック発作はありませんでしたし、それなりに体が動かせるようになっていました。PS値(パフォーマンスステイタス)では2か3ぐらいだったかと思います。(参照 慢性疲労症候群-ウィキペディア)
 クロアチアの青いアドリア海へ2週間海水浴旅行を楽しめたり、次の冬には日本へ一時帰省したり、なにより、なんの薬も飲まずに生活しているという事実が、精神的に開放感で嬉しかった。

 でも、実際体は辛かった。一時帰省した時も、友人と会う約束はしたものの、定刻に出かけられず横になってた姿を母が見て、「やっぱりちゃんと治った訳じゃないのね・・・」。心配を蘇えらせてしまった。
でも、ちゃんと出かけたし、パニック発作もなかった。
 普段の呼吸は普通になった。最初は、息を吸うのが辛くて、次の息を吸ったら肺が破裂しちゃうのでは、と思えるほど。もう息を吸いたくないとさえ思った。フルートの勉強をしていて、ある教則本の呼吸法の説明で「長生きと長(い)息」について読んだことがあったのを思い出した。息を吸うのがイヤだった。

 わかってもらいたい事は、如何に体の融通が利かなかったか。
  横になってても、立ちくらみのようなめまい。
  ベッドの上で座ってられる様になっても寄りかからないと駄目。
  少し歩けるようになってもすぐに休憩が必要。頑張って医者に行っても、「異常はないです」と帰される。
  泣く元気もない(涙を流し始めると、呼吸が更に辛くなるから、なるべくこらえる)。
  筋力低下で、階段の上り下りだけでふくらはぎを痛めた。適度な運動をと言われても、当時は「そんなこと無理」としか思えなかった。痛みも長いこと引かず、車のブレーキも長いこと踏んでられない。
  音過敏- 紙が刷れる音、自分の食事中お箸が食器に当たる音、病院のスリッパを引きずる音、時計の秒針、とにかく全ての音がうるさい。トイレの水を流す時は、ドアを開ける準備をして逃げるように出てくる。
  光過敏- コンビニや地下鉄など、蛍光灯のついた所は眩しくてしょうがない。オレンジ系の電球のついた所では、黒が混ざったみたいに暗いのか眩しいのかよくわからない。
  倦怠感からあくびが止まらない。ちょっとうつむいてる時にあくびが出ると、2日間くらい残るほど喉を痛める。
  水をゴクンと飲み込むのも簡単な行動ではなかった。(喉から胸の辺りに圧迫感があるから)
  25年以上、頭痛を知らずに来たのに、時おり体験。

 無意識に出来ることは、寝ることだけだった。最初のPS値はまさに9で、自分なりに少しずつできることを増やしていった。無理が凶となり人生が終わってしまっても、それはそれで良いとさえ思い頑張った。上記の症状を持ちながらも、普通の生活に近づけるよう頑張る、頑張らなければそもそも生活が成り立たない。
 けど、出掛ける前はいつも不安はあった。こんなに辛いのに出掛けるのだから、大丈夫か心配するのは当然のことだろうと思う反面、不安神経症ですと言われたのにも納得はある。コントロールできない不安については、体験、各書物を通して深く考えさせられる。

 でも飲み始めたトフラニールの効果があったと言う自覚はある。勿論即効性は全く感じられなかったが。病み上がりの体が軽くなる感覚を味わうことが出来た。プラス自分の根気強さでPS値7から3まで向上できた。断薬に至り、その後もとりあえず普通に生活が続けられたのは、本当に自立したような喜び。
他人に話す価値のない喜びだけど。ちょっと出掛けたり、運動してみても、すぐ疲れ、体力がない印象は隠しきれなかったから。
 毎週、体操のコースに参加して汗を流してもみた。もう止めた方が良いかなと思う事もしばしばだったが、最後の横になってするストレッチの間に体外落ち着き、達成感を得て帰ることが出来た。でも時々、付いていけなくて後ろで見学したこともあり、情けなさと悔しさで自然に涙が出た。
 そんな事を繰り返しながらも、2年間ほど、毎日語学コースに自転車で通い、料理コースや、アマチュアのオーケストラにも参加した。普通の生活に近づけたかったから。

 けれど、投薬と通院を一切やめて約半年くらい過ぎ、また異変が起きた。これは、次のタイトルでまた書きなおします。
慢性疲労症候群慢性疲労症候群

はじめに

2007-08-29 | Weblog
 1996年9月のある日、街で立っていられなくなってベンチに座って、それでも座っていられなくなって病院に連れて行かれ、検査して特に異常は無しで帰宅許可でも、歩ける状態ではなく親に車で迎えに来てもらって、それ以来普通の生活が出来なくなっています。  
 3日間はとにかく寝て、母がベッド脇までご飯を持ってきてくれ、それを食べるのに1時間かけ、トイレに行くのにも、体を起こすまでに30分はかかり、1週間位して、ようやくシャワーを浴びてみたものの、すぐ寝込み、ちょっと外に出てみてはまた寝込み、の繰り返しでした。  
 それまで忙しい生活を続けてこられたので、どうしてこうなったのかを知るため、何度も医者を替えても、特に異常は無しで、どうしていいのかわからず、結局精神科へ行くことに。
 当時は、自律神経失調症や、不安神経症と言う診断で、少し薬をもらってまた2週間後、という繰り返しでした。

 そんな中、当時付き合っていた人がドイツへ留学する日が近づき、色々考えた中、結婚して一緒にドイツへ行くことに。
 実際は、まだ横になっていたい、1時間も立っていられなかったけど、医者が言うには私は健康な体で、寝てばかりいたらどんどん血圧も下がり悪循環で、心臓によくない、少し運動が必要ということなので、怖がらず、なるべく普通の生活に近づけるよう頑張っていました。

 色々な苦労、葛藤を持ちながらドイツ生活半年くらいたったある日、いわゆるパニック発作に襲われ、ドイツで精神科に通うように。
 当時は知らなかったのですが、パニック障害と診断され、トフラニールの投薬を受け、だいぶ調子もよくなりました。
 日記をつけ段階的な目標を立て、パニックと戦う訓練をとても真面目に続け、いつしか薬も無しで済むようになり、通院もやめました。
  たった数行で書き治めてますが、この苦労は体験者にしかわからない大変な道のり。そして、この障害についてだいぶわかってきた今でもどうしても納得できないのは、この体調不良。
 医者は、不安が体力を消耗するという考えですが、私にはどうしても逆にしか思えないのです。  出来れば横になっていたいのに、起き上がって医者に行く、買い物に行く、約束場所に行く・・・。
 幸い、私の住んでいる所は、あちこちにベンチがあるので、座りたいと思えば結構すぐに座ることが出来、外出する勇気も出やすい。でも一人じゃない時は、やはり周りの雰囲気で、無理もあり、ストレスにも。もう少し大丈夫かな、もう帰ろうかな、昨日はあまりよく寝られなかったから今日は更に融通が利かない、・・・どんなに頑張っても、というか頑張らなくてはいけない状況にいつもあるようでは、そういった不安が常にあるのは当然でしょ。

  こっちで知り合った人には、なんとなく恥ずかしくて、私の事情はほとんど話すことはなかった。病名のないこの体調不良を理解してくれる人はいないだろうと思ったから。
 実際、怠けるのは嫌いな自分としても、11年前の問題が起きる前の自分にも理解できないだろうと思う。
  数少ない学生時代以来の友人は、元気でいつも忙しくしていた私を知ってるので、同情してくれたりするだけで救われる。でも、皆さん忙しく、私も遠くに住んでいるだけ、ほとんどコンタクトはなくなり寂しいもの。

  そんな中、先月くらいに日本語のインターネットで、この慢性疲労症候群という言葉を知り、まさに自分に当てはまると興味を持ち始めています。ドイツ語でもある言葉だった。でも、ここドイツでその診察をしてくれる先生をどうやって探していいのかわからない。
  もともと私はパソコンを使う人ではないので、こうやってインターネットを使うようになったのもごく最近。でも上手に使えば色々な情報が集められるし、親切に教えてくれる人とも交流が出来ると望みこのブログを書き始めました。

 はじめに書いた、11年前から始まった病歴は、まだ4年分も書き終えてませんが、後日また書き足していこうと思います。長いこと通ったカウンセリングもはっきり言って役に立たず、ここに悩みや苦労話を書いていく方がよっぽど精神的に良いのかも。 情報、お願いします。励まし、同じように悩んでいる人と出会えるのも心強いです。