前回、トフラニールの投薬を受けたこと、そして断薬に至ったところまで書きました。実は一度目の減薬の試みで失敗に終わり、成功したのは2度目のことです。体の倦怠感は常に伴い、胸の辺りに圧迫感があるなど、決して全てが回復した訳ではありませんでしたが、とりあえずパニック発作はありませんでしたし、それなりに体が動かせるようになっていました。PS値(パフォーマンスステイタス)では2か3ぐらいだったかと思います。(参照 慢性疲労症候群-ウィキペディア)
クロアチアの青いアドリア海へ2週間海水浴旅行を楽しめたり、次の冬には日本へ一時帰省したり、なにより、なんの薬も飲まずに生活しているという事実が、精神的に開放感で嬉しかった。
でも、実際体は辛かった。一時帰省した時も、友人と会う約束はしたものの、定刻に出かけられず横になってた姿を母が見て、「やっぱりちゃんと治った訳じゃないのね・・・」。心配を蘇えらせてしまった。
でも、ちゃんと出かけたし、パニック発作もなかった。
普段の呼吸は普通になった。最初は、息を吸うのが辛くて、次の息を吸ったら肺が破裂しちゃうのでは、と思えるほど。もう息を吸いたくないとさえ思った。フルートの勉強をしていて、ある教則本の呼吸法の説明で「長生きと長(い)息」について読んだことがあったのを思い出した。息を吸うのがイヤだった。
わかってもらいたい事は、如何に体の融通が利かなかったか。
横になってても、立ちくらみのようなめまい。
ベッドの上で座ってられる様になっても寄りかからないと駄目。
少し歩けるようになってもすぐに休憩が必要。頑張って医者に行っても、「異常はないです」と帰される。
泣く元気もない(涙を流し始めると、呼吸が更に辛くなるから、なるべくこらえる)。
筋力低下で、階段の上り下りだけでふくらはぎを痛めた。適度な運動をと言われても、当時は「そんなこと無理」としか思えなかった。痛みも長いこと引かず、車のブレーキも長いこと踏んでられない。
音過敏- 紙が刷れる音、自分の食事中お箸が食器に当たる音、病院のスリッパを引きずる音、時計の秒針、とにかく全ての音がうるさい。トイレの水を流す時は、ドアを開ける準備をして逃げるように出てくる。
光過敏- コンビニや地下鉄など、蛍光灯のついた所は眩しくてしょうがない。オレンジ系の電球のついた所では、黒が混ざったみたいに暗いのか眩しいのかよくわからない。
倦怠感からあくびが止まらない。ちょっとうつむいてる時にあくびが出ると、2日間くらい残るほど喉を痛める。
水をゴクンと飲み込むのも簡単な行動ではなかった。(喉から胸の辺りに圧迫感があるから)
25年以上、頭痛を知らずに来たのに、時おり体験。
無意識に出来ることは、寝ることだけだった。最初のPS値はまさに9で、自分なりに少しずつできることを増やしていった。無理が凶となり人生が終わってしまっても、それはそれで良いとさえ思い頑張った。上記の症状を持ちながらも、普通の生活に近づけるよう頑張る、頑張らなければそもそも生活が成り立たない。
けど、出掛ける前はいつも不安はあった。こんなに辛いのに出掛けるのだから、大丈夫か心配するのは当然のことだろうと思う反面、不安神経症ですと言われたのにも納得はある。コントロールできない不安については、体験、各書物を通して深く考えさせられる。
でも飲み始めたトフラニールの効果があったと言う自覚はある。勿論即効性は全く感じられなかったが。病み上がりの体が軽くなる感覚を味わうことが出来た。プラス自分の根気強さでPS値7から3まで向上できた。断薬に至り、その後もとりあえず普通に生活が続けられたのは、本当に自立したような喜び。
他人に話す価値のない喜びだけど。ちょっと出掛けたり、運動してみても、すぐ疲れ、体力がない印象は隠しきれなかったから。
毎週、体操のコースに参加して汗を流してもみた。もう止めた方が良いかなと思う事もしばしばだったが、最後の横になってするストレッチの間に体外落ち着き、達成感を得て帰ることが出来た。でも時々、付いていけなくて後ろで見学したこともあり、情けなさと悔しさで自然に涙が出た。
そんな事を繰り返しながらも、2年間ほど、毎日語学コースに自転車で通い、料理コースや、アマチュアのオーケストラにも参加した。普通の生活に近づけたかったから。
けれど、投薬と通院を一切やめて約半年くらい過ぎ、また異変が起きた。これは、次のタイトルでまた書きなおします。
慢性疲労症候群慢性疲労症候群
クロアチアの青いアドリア海へ2週間海水浴旅行を楽しめたり、次の冬には日本へ一時帰省したり、なにより、なんの薬も飲まずに生活しているという事実が、精神的に開放感で嬉しかった。
でも、実際体は辛かった。一時帰省した時も、友人と会う約束はしたものの、定刻に出かけられず横になってた姿を母が見て、「やっぱりちゃんと治った訳じゃないのね・・・」。心配を蘇えらせてしまった。
でも、ちゃんと出かけたし、パニック発作もなかった。
普段の呼吸は普通になった。最初は、息を吸うのが辛くて、次の息を吸ったら肺が破裂しちゃうのでは、と思えるほど。もう息を吸いたくないとさえ思った。フルートの勉強をしていて、ある教則本の呼吸法の説明で「長生きと長(い)息」について読んだことがあったのを思い出した。息を吸うのがイヤだった。
わかってもらいたい事は、如何に体の融通が利かなかったか。
横になってても、立ちくらみのようなめまい。
ベッドの上で座ってられる様になっても寄りかからないと駄目。
少し歩けるようになってもすぐに休憩が必要。頑張って医者に行っても、「異常はないです」と帰される。
泣く元気もない(涙を流し始めると、呼吸が更に辛くなるから、なるべくこらえる)。
筋力低下で、階段の上り下りだけでふくらはぎを痛めた。適度な運動をと言われても、当時は「そんなこと無理」としか思えなかった。痛みも長いこと引かず、車のブレーキも長いこと踏んでられない。
音過敏- 紙が刷れる音、自分の食事中お箸が食器に当たる音、病院のスリッパを引きずる音、時計の秒針、とにかく全ての音がうるさい。トイレの水を流す時は、ドアを開ける準備をして逃げるように出てくる。
光過敏- コンビニや地下鉄など、蛍光灯のついた所は眩しくてしょうがない。オレンジ系の電球のついた所では、黒が混ざったみたいに暗いのか眩しいのかよくわからない。
倦怠感からあくびが止まらない。ちょっとうつむいてる時にあくびが出ると、2日間くらい残るほど喉を痛める。
水をゴクンと飲み込むのも簡単な行動ではなかった。(喉から胸の辺りに圧迫感があるから)
25年以上、頭痛を知らずに来たのに、時おり体験。
無意識に出来ることは、寝ることだけだった。最初のPS値はまさに9で、自分なりに少しずつできることを増やしていった。無理が凶となり人生が終わってしまっても、それはそれで良いとさえ思い頑張った。上記の症状を持ちながらも、普通の生活に近づけるよう頑張る、頑張らなければそもそも生活が成り立たない。
けど、出掛ける前はいつも不安はあった。こんなに辛いのに出掛けるのだから、大丈夫か心配するのは当然のことだろうと思う反面、不安神経症ですと言われたのにも納得はある。コントロールできない不安については、体験、各書物を通して深く考えさせられる。
でも飲み始めたトフラニールの効果があったと言う自覚はある。勿論即効性は全く感じられなかったが。病み上がりの体が軽くなる感覚を味わうことが出来た。プラス自分の根気強さでPS値7から3まで向上できた。断薬に至り、その後もとりあえず普通に生活が続けられたのは、本当に自立したような喜び。
他人に話す価値のない喜びだけど。ちょっと出掛けたり、運動してみても、すぐ疲れ、体力がない印象は隠しきれなかったから。
毎週、体操のコースに参加して汗を流してもみた。もう止めた方が良いかなと思う事もしばしばだったが、最後の横になってするストレッチの間に体外落ち着き、達成感を得て帰ることが出来た。でも時々、付いていけなくて後ろで見学したこともあり、情けなさと悔しさで自然に涙が出た。
そんな事を繰り返しながらも、2年間ほど、毎日語学コースに自転車で通い、料理コースや、アマチュアのオーケストラにも参加した。普通の生活に近づけたかったから。
けれど、投薬と通院を一切やめて約半年くらい過ぎ、また異変が起きた。これは、次のタイトルでまた書きなおします。
慢性疲労症候群慢性疲労症候群