嫌だ こんな性格

2006年03月28日 | diary
夜中に腹痛で目覚めた。
風邪なのか、寝る前につい食べてしまったチョコレートのせいなのか。
これはいつもの神経性の腹痛みたい。
昼間から何となく、痛かった。

日曜日にへこむことがあった。
素直になれなくて、、、久しぶりに会った人になんであんな嫌味をいってしまったのだろうと自己嫌悪。
今更、考えたって仕方が無い。
多分本人は、嫌味だなんて気がついていないと思うけれど。
だから考えるのを止めようと思っても、気がつくとクヨクヨ。
ああ、嫌だこんな性格。
おばさんになったら、図々しく大声で喋る、太っ腹おばんになることを期待をしていたのにぃ(笑)

親友が28日に手術を受ける。
そのことを昨日グループの皆に知らせたら、待っていましたとばかりに色々と相談事をされてしまった。
聞いていると、どうしてもマイナス思考になってくる。
夜になり、メールを4通書いた。クレームのメールやら、楽しい内容のものは無かった。
子供の頃から、緊張したり、心配事があるとすぐお腹が痛くなった。
おかげで、ピアノは休むし昼ごろまで鈍い痛みは続いた。

夕方になり、頼んでいた鰻を取りにいった。
近くの小学校の桜は八部咲き。
しばし見とれる。
夕食に鰻をペロリと食べて、お花見のお誘いのメールが届き、大分元気になった。
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1年経って

2006年03月25日 | diary
父の3ヵ月おきの診察に付き添って、病院へ行った。
手術からちょうど一年経った。
担当の医師から半年後の診察を最後に、もう来なくても良いことにしましょうねと言われほっとした。
ふらつく父の腕を取ると、あまりの細さに唖然として少し哀しくなる。
母は父の家庭の中での役割を、先回りしてやってしまう。
結局父は動く必要がなくなり、母は元気になり、父の筋肉はがたおち。
いくら母に注意をしても、分かったと言ってまた手を出している。
父の体を心配して取っている行動なのかもしれないが。
年寄りの心理はよく分からない。
今度姉が来たら、相談してみましょう。

昨日は、親友が股関節の手術の為に入院をした。
その朝に送ったメールに夜になってから返信があった。
家を離れて、ゆったりとした気分を味わっているらしい。

わたしも父の入院を皮切りに、色々なことがこれでもかと起きた昨年だった。
ここにも書けない、書きたくないことも沢山あった。
今、こうして落ち着きつつあると、綺麗ごとではないけれど、それらがわたしを少しずつ変えていった気がする。
辛かったけれど、今まで知らなかった自分にも会えた貴重な一年だった。

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わたしの物欲とは

2006年03月21日 | diary
久しぶりに、風の無い静かな一日。
午後から義父の墓参りに出かけた。
土曜日あたりに、義母や義兄たちが来たのだろう。
手向けた花も枯れ始めていた。
霊園に出張している花屋さんで、少しばかり買い足す。
夫が線香台をどかしたら、下はごみや苔で汚れ周囲も掃除をされていないのが一目瞭然。
マメな夫は「まったくぅ」と文句を言いながら、拭いている。
義父もマメで綺麗好きな人だった。
墓石の下でどんな顔をしているのだろう。

 この帰り道に100円ショップがある。
わたしは極力近づかないことにしているけれど、クリアファイルが欲しかったのでつい…。
買ったものは、ガーデニング用品を数点。小回りの利きそうなスコップやらサキュレント用の土。
文具はファイルのほかに、鋏やバインダー。
 今回のヒットは手動の鉛筆削りだった。
たまの鉛筆削りにはカッターで沢山なのだが、使ったらこれが馬鹿にできなかった。
芯もしっかり尖っている。

結局何やかやと20点も買ってしまい、2100円払った。
安い、安いからとつい…これがわたしのいつもの癖。
だから近づかないことにしているのだ。
先日、心理テストを受けたら物欲有りと言われた。
「あ~ら、わたしに物欲なんてあったかしら」とごまかしたが、100円商品の物欲じゃ、スケール小さい、小さい。
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墓参りに、またも川越へ

2006年03月19日 | おでかけ
両親と共に四人で川越に墓参に出かけた。
1週間の内にわたしは再び来てしまった訳だが、今日は休日なので地図を手にした観光客がどこの店や通りにも大挙して押しかけ、先日来た時とは違いやはり賑やかなほうが活気があって良い。

我が家の菩提寺は、蔵通りの中ほどにある法善寺という小さな寺だ。
わたしも、このお寺のお墓にいずれは入る予定。
そして、この寺には「虫食い奴」という元禄時代の武士、瀬川加左衛門の墓がある。
虫食い奴というのは、樽に腰をかけた奴髷の侍の像のことで、説明によると大変な悪食で腐った肉や虫を酒の肴にした大酒飲みだったらしい。

最近は川越も人力車が走り、それを見ながら母とあの辺りにキャバレーがあったとか、あそこはやる気が無い店だったのにすっかり変わったね、などと話しているとこの界隈の昔の姿が記憶の底から浮かんできた。
その変わりように、市や住民たちの努力がいかに英断で大変なものだったか考えさせられた。
帰りには、父が蕎麦好きなのでいつもの様に「鎌倉」に寄った。
ここの急な階段には、父は悪戦苦闘。
外国の若い人たちが箸と蕎麦に悪戦苦闘。

町内の役員がやっと今月終了になり、夜に最後の集会があった。
その頃には風も静まっていた。
幼友達のMさんと、帰りに近くのお気に入りのお店に寄りジャズを聴きながら「やっと終わったね」とビールで乾杯。
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「上がり症」実は病気?らしい

2006年03月17日 | diary
今日の夕刊の一面に『「上がり症」実は病気?社会不安300万人』の見出しがあった。
TVでも「SAD」という言葉を、連日聞かされていた。
「SAD」は(社会不安障害)と訳され、注目を浴びる自分の行動に不安を感じる病気だとか。
そして、恥ずかしがりやとも違うらしい。
ニートの中にも、この病気と診断出来る者が半数は存在するのでは…と括っていた。

わたしの母がこのSADに近いのだ。
母は陽気な人で、結構行動的な性格だと思う。
しかし、母が語る自分の若いときのエピソードは軽いSADそのものだと思った。
他人の前で物が食べられなかったり、強い不安を感じると吐き気がしたり、色々症状があったけれど、戦争のせいでそんなことを気にしている暇がなく、それで大分治ったような気がすると言ってはいるが…
現在は、人が見ていると思うと、手が震えて字が書けず芳名帳などは辛いとか。
だから問診表などは受付で書かずに、離れた場所で書くなどと、色々工夫をしているらしい。

その上、母は起こってもいないことを先回りして想像し「ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう」などと病的なほど不安に感じている。
だから過干渉でもある。
そういう母を見てさぞ辛いだろうと思う。
娘としてもいい年をして、未だにあれやこれやと干渉されてしまうと、これまた辛いものがある(笑)
しかし、最近はわたしの中にも母のそんな影が見え隠れすることに気づき、これは何とか今から回避することを考えなければと思っている。

あ!こう思っていること事態が、既に母からの影響なのだろうか。

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