クルミラの父です。
さて、世界大会参加報告が各ブログやFaceBookにUPされています。
国内のロボカッパーや関係者に情報発信することはとてもすばらしいです。
良いタイミングなので、世界(各国)と比べたと日本のロボカップジュニアの
課題のひとつを書きたいと思います。
今年も、世界大会に参加した日本選手の多くが、「理不尽な目にあった」そうです。
近年の例:
1)ルール通りにプッシングを取ってもらえなかった
2)相手チームにクレームをつけられて、センサーを外された
3)相手は遅刻しているのにカウントされなかった
4)点数が違う
KURU-MIRAが2013年までの5年間、世界大会に出場して実感したのは、
日本以外の選手は、この状況を”おかしい”とあまり感じてない。日本だけ?
また、日本チームは「おかしい」との申告や、「おかしくない」との反証をするチームが
他国と比べ少ないです。
2011世界大会では、ある試合で、イランチームが相手チームから
「PSDセンサがルール違反」(この頃は赤外線発光機器は不可のルール)と
クレームを受けました。
この時、イランチームは、「相手に影響を与えないことの証明」を、
技術的説明とフィールドでの実証で行い、結果、この試合は使用が認められました。
5年間で強く感じた、他国選手との差のは、
「他国選手の たくましさ」
「何かあったら、選手自身が対応する 覚悟の差」
です。 ”おとな”なんですね。
この差はなぜ?
「日本は、選手に裁量を与えず、事前に事細かに取り決め ”与える”運営」
が大きな原因と思います。他国と比較して過保護と言うか、原則、選手裁量は無し。
・世界:
選手主体。ルール=ガイドライン。ルールの隙間は選手に裁量。
選手には本質を考え、責任とリスクを持って行動する、自考自行を要求。”促す運営”」
・日本:
運営主体。ルール=バイブル。(言いすぎかも知れませんが)運営がすべてを用意し全責任。
運営で更に細目までルール化等、全てをお膳立てしようとする傾向。”与える運営”」
(ゴールが青黄になったとき、「青色とは塗料番号何番から何番と規定すべき。そうでないと
子供たちが困るはず」と議論になったことがありました。微妙な色は選手側がその場で
影響なしを実証するリスクを負うことで、どんどん細かな規定を作る泥沼を回避しましたが、
同様に、ゴールへのロボット進入は、何mmまでOKとするかとか、すみやかに解消は
何秒など、本質から離れ、デジタルにバイブルとして規定したがる意見が多々でました。
日本ではこの様に、全て運用サイドでルールとして可能な限りお膳立てし、
選手は何も考えなくて良いようにしよう、とする傾向があるようです。)
ロボットクリエータでありロボカップの大先輩の、高橋智隆さんの書かれた「ロボットの天才」にも、
ポルトガル大会、リスボン大会で、各国選手のルール交渉が熾烈で勝敗を左右しかねないと、
「交渉力の重要性」が出ていました。
ロボカップジュニア活動は、単にロボット技術だけでなく、
世界に通用する人を育てる活動であって欲しい。
あれもこれも全てお膳立てするのは、結局子供たちの成長機会を奪います。
世界大会ではさすがにアバウト過ぎるだろと思うこともありましたが、過保護にならず
子供扱いしすぎず、選手の自考自行を促す教育の場になってくことを期待します。
思わず長文になりました。