玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

日蝕ツアーと「ボッタクリ」

2009年07月23日 | 日々思うことなど
日蝕はご覧になりましたか?
私の住む地方では残念ながら曇りでちっとも見えなかった。NHKの中継を見てとりあえず満足。テレビって偉大だ。
ついでに言うと、ネットでのリアルタイム中継はアクセス過多でぜんぜん見られなかった。ネットが放送に取って代わる、みたいなことを言う人はまだまだ気が早いと思う。


YouTube - 46年ぶりの皆既日食・硫黄島

2ちゃんねるでは「トカラ諸島への日蝕ツアーの料金が高すぎる」とか「ツアー参加者以外の退去を要請するのはけしからん」みたいな話がさかんに論じられていた。

痛いニュース(ノ∀`):「日食見たい。島民に迷惑はかけない」 高額ツアーに参加しない“自粛破り”の上陸者続出…鹿児島・トカラ列島
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はじめに言っておくと、私は料金設定も退去要請もそれなりに理由のあることで、島民への批判は行きすぎだと思っている。とはいえ、今回書きたかったのはそのことではない。私が気になったのは、高額の日蝕ツアーが「ボッタクリ」だという批判だ。言葉の使い方が何か違うような気がする。

ぼったくりの意味 国語辞典 - goo辞書

ぼったくり

物やサービスを提供する者が,消費者から不当に高額な対価を請求する行為。低料金に見せかけた勧誘を行い,実際には高い料金を請求するなど。
補足説明 盗人の隠語で「かっぱらい」,また大阪方言の「ぼったくる(=無理に奪いとる,ふんだくる)」からか

辞書にはこう書いてあるけれど、「不当に高額な対価」というのも人それぞれの基準があってなかなか難しい。
私が思うに、由緒正しい(?)ボッタクリには二種類ある。

一つは「騙すボッタクリ」。
繁華街の客引きが「1万円のセット料金、それ以上は1円もいただきません」とか甘い言葉で店に誘い込み、シケたサービスしか提供しない上に10万円の請求書を突きつける、みたいのが典型的だ。あるいは「価値のある貴重な絵だ」と称して大量生産のリトグラフを何十万で売りつける、とか。本質的には詐欺と同じだが、典型的なボッタクリでもある。

もう一つは「弱みに付け込むボッタクリ」。
終戦直後の食糧難の時代、高級な着物を持って農家をたずねてもわずかな米としか交換してくれず、泣きの涙で帰る。他には被災地で生活必需品を高価で売りつけるとか、水不足のときにミネラルウォーターを値上げするとか。
それがないと生きていけない、生活が立ち行かないものを足元を見て高く売りつけるのは卑怯である。

離島への日蝕ツアーが「由緒正しいボッタクリ」の中に入るのかどうか。
ツアー募集の際に嘘はついていない。旅行会社が「高級ホテルに宿泊します、行き届いたサービスをお約束します」とか言っておいて実際はテント住まいさせられたらまさにボッタクリだが、参加者は離島の不便さ、宿泊施設のレベルを承知の上で応募したはずだ。
「弱みに付け込む」というのもちょっと違う。日蝕見物ははっきり言えばレジャー、物見遊山である。日蝕を見ないと仕事に差し支えるとか生きていけないなんて人はツアー参加者にはいないはずだ。「物好きな人たちがすべて承知の上で人数限定の高額なツアーに参加する」のがボッタクリかというと、どうもそうは思えない。

2005年の愛・地球博のとき、「飲食物が高すぎる」「持ち込めないのはひどい」という批判があった。
「高い飲食物も入場料金のうち」と思えば納得できないこともない、ような気もするのだが、小泉総理の「弁当の持ち込みを認めるべき」という鶴の一声に世間は喝采を送った。あのときも私は「これで本当によかったのかな」とちょっぴり疑問に感じた。高いテナント料を払ったお店は赤字だったのではないか。別に大もうけしてほしいとは思わないが赤字は気の毒である。スキー場のように「食事クーポン付きの割引入場券」を作れば関係者もお客もハッピーだったかもしれない(あったのかな?)。
愛・地球博の場合は、国が関わる大イベントでもあり、入場者はごく普通の人たちだから「高いけど自己責任で」とは言いにくい。だが、日蝕ツアーは「離島に起きる自然現象を物好きな人たちが見に行く」という形である。極端なことを言えば、参加者さえ満足すれば30万だろうと100万だろうと他人がとやかく言うことじゃないような気がする。

「正当な価格」とは何か、というのはなかなか難しい問題だ。
私は経済学を学んだことがないのでデタラメなことを言うかもしれないけれど、万人が納得する正しい価格というのはありえないんじゃないかと思う。それをやろうとした社会主義国は軒並み失敗した。スーパーの陳列棚を眺めたり、あるいは美術商のショーウィンドーを冷やかしたりすると「ジャガイモが300円で、ラクガキのような現代美術が300万円、ということの意味は何なのだろう」とわけがわからなくなる。

以前の記事で「何でもかんでも簡単に『騒ぎすぎ』と決め付けるのはいかがなものか」という趣旨で「KSK問題」(簡単に 騒ぎすぎだと 決めつける)なる言葉を考えたことがある。ぜんぜん広まらなかったけれど。
それにちなんで、「自分の感覚では理解できない高額なモノ(商品・サービス)を簡単に『ボッタクリ』だと決めつける」ことを「KBK問題」と呼びたい。高価な美術品もボッタクリ、希少な食材もボッタクリ、人数限定の秘境ツアーもボッタクリ。自分の好みと財布に合わないものは全部ボッタクリと決めつけるような人が典型的なKBKだ。
バブル期(すでに歴史の一ページである)の風潮を裏返しにしたのがKBKだ。バブルの頃は「高いもの=良いもの」という思い込みがほとんど信仰の域に達し、本人も価値を理解できないようなシロモノに大金を出すのがもてはやされた。現在のような長く続くデフレ基調になると「高いものはみんなボッタクリだ、なんでも安ければ安いほどいい」というKBKが流行する。
まことに正当な価格を見極めるのは難しい。


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1 コメント

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Kntは名を落とした (奄美大島組み)
2009-07-27 03:26:35
ボッタクリというより殿様商売というほうが正しいのかも。
旅行会社が組んだツアーだから、正当な対価とは旅行で得られた体験に対するものでしょう。
雨に降られてというのも体験の内ですが、Kntはそれを方便にし過ぎた感じです。
3日前に上陸しましたが、この時点で対価分の体験できたとは言いがたいものでした。

旅行離れが何故起きているのかを実感したしだいです。
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