玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

感謝の物語・許しの物語

2006年07月04日 | 日々思うことなど
鏡の法則」に出てくる「B氏」の超能力的洞察(「まず、はっきりしていることは、あなたが、誰か身近な人を責めているということです。」)が誰かに似ていると思ったら、宮沢賢治の「植物医師」の主人公、爾薩待 正(にさつたい ただし)だった。

宮沢賢治 植物医師 郷土喜劇
(前略)
  農民四、五 登場。

爾薩待「いや、今日は、私は植物医師、爾薩待(にさつたい)です。あなた方は陸稲の枯れたことに就(つ)いて相談においでになったのでしょう。それは針金虫の害です。亜砒酸をおかけなさい。いま証明書を書いてあげます。」(書く)

農民四、五(驚嘆(きょうたん)す)この人ぁ医者ばかりだなぃ。八卦(はっけ)も置ぐようだじゃ。」

爾薩待「ここに証明書がありますからね、こいつをもって薬屋へ行って亜砒酸を買って、水へとかして稲に掛けるんです。ええと、お二人で三円下さい。」

農民四、五「どうもおありがどごあんすた。」

爾薩待「ええ、さよなら。」

  農民六 登場。

爾薩待「ああ、(証明書を書く)この証明書を持って薬屋へ行って亜砒酸を買って水へとかしてあなたの陸稲へおかけなさい。すっかり直りますから。その代り一円五十銭置いてって下さい。」

農民六(おじぎ、金を渡す。去る)

爾薩待(独語)「どうだ。開業早々(そうそう)からこううまく行くとは思わなかったなあ。半日で十円になる。看板代などはなんでもない。もう七人目のやつが来そうなもんだがなあ。」

なんと素晴らしい洞察力だろう! この爾薩待という男は植物の病気についてどんな問題も解決してくれる!! 相談に訪れた農民の90%が感謝しているぞ!!!!!!

…と、素直に感動してしまった人(まさかいないと思うが)はぜひリンク先でオチをお読みください。

「鏡の法則」が感謝をテーマにしているとすれば、「植物医師」は許しの物語だ。
「感謝」と「許し」、どちらも人生を良く生きるために大事なことである。
テーマはどちらも立派だが、「鏡の法則」は胡散臭さとカルト臭さでどうしようもない駄文になってしまった。
「植物医師」は軽妙なユーモアで読者を楽しませ、ほろ苦い余韻を残してくれる。

「鏡の法則」を読んで涙を流すくらいなら、「植物医師」を読んで笑ったほうがずっといい。

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