「アジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ」を論じたブログいろいろ
自分の便利のために作ったリンク集だが、何人かの方から評価していただけたのは嬉しい限り。
いろいろな意見があると知るのはよいことだ。似た意見を読んでうんうんと頷いたり、反対意見を覗いて反発したり納得したり、中立的な見方を借りて双方の意見の正当性を考え直したり、いろいろと役に立つこともあるだろう。
私自身は… えーと、すみません、リンクさせていただいたブログすべてを熟読させていただいたわけではありません。流し読みではないつもりですが七分目くらいしか理解してないかも。どうも申し訳ありません。
七分目のくせに、と自分でも思うがあえて言わせていただければ、「批判的」なブログのほとんど、「中立的」「肯定的」なブログのかなりの数が今回のアジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチにおいて「謝罪」がなされたと捉えていたのが私にはちょっと不思議だった。
スピーチの全体は6つの段落に分けられる。
挨拶
(過去50年の歩み)
(アジア、アフリカ支援の実績)
(将来に向けての平和的な国際協力の遂行への決意)
(文明間の対話)
(結び)
このなかで「謝罪」のニュアンスがあるのは(過去50年の歩み)の中の一文
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。
だけである。そして、私の理解するところでは、この文章の前半は後半を導くための単なる前フリである。
全体としてこのスピーチは小泉首相のよくいうところの「未来志向」の言葉なのだ。
夫婦ゲンカに例えるのはいささか不謹慎だが、過ちを犯した夫が妻に対して
「俺が浮気をしたのは事実だ、悪いとは思っている。だから、これからは以前の何倍もお前を愛すことを誓う」
と言うようなものではないか。
妻が夫に愛想を尽かしていれば
「そんな言葉で謝ったつもりなの!?」と怒りをさらに掻き立てられるだろうが、
妻が夫を基本的に信じている場合は
「これからも二人で幸せを作り上げていきましょう」と素直に受け入れることができる。
中国や韓国は前者に似た拒絶反応を示し、それ以外の各国はおおむね後者のように好意的な反応を示してくれているようだ。
興味深いのは、小泉スピーチを否定的に捉えたブロガーの多くが、「謝罪」に心を捉われているという意味において中・韓両国と似た反応を示したように見えることだ。日本の愛国者は「謝罪などすべきではなかった」と怒り、中国や韓国の愛国者は「あんなのは謝罪ではない(あるいは『謝罪が足りない』)」と叫ぶ。両者のベクトルは正反対だが、存在する次元は同じである。
もしかしたら小泉さんは「自分はいつものように未来志向を訴えただけなのに、なんで前フリの部分でこんなに騒がれるのか」と訝しく思っているかもしれない。
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必然だった「アジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ」
歴史への反省は必要だが、原理主義者に阿る必要はない
自分の便利のために作ったリンク集だが、何人かの方から評価していただけたのは嬉しい限り。
いろいろな意見があると知るのはよいことだ。似た意見を読んでうんうんと頷いたり、反対意見を覗いて反発したり納得したり、中立的な見方を借りて双方の意見の正当性を考え直したり、いろいろと役に立つこともあるだろう。
私自身は… えーと、すみません、リンクさせていただいたブログすべてを熟読させていただいたわけではありません。流し読みではないつもりですが七分目くらいしか理解してないかも。どうも申し訳ありません。
七分目のくせに、と自分でも思うがあえて言わせていただければ、「批判的」なブログのほとんど、「中立的」「肯定的」なブログのかなりの数が今回のアジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチにおいて「謝罪」がなされたと捉えていたのが私にはちょっと不思議だった。
スピーチの全体は6つの段落に分けられる。
挨拶
(過去50年の歩み)
(アジア、アフリカ支援の実績)
(将来に向けての平和的な国際協力の遂行への決意)
(文明間の対話)
(結び)
このなかで「謝罪」のニュアンスがあるのは(過去50年の歩み)の中の一文
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。
だけである。そして、私の理解するところでは、この文章の前半は後半を導くための単なる前フリである。
全体としてこのスピーチは小泉首相のよくいうところの「未来志向」の言葉なのだ。
夫婦ゲンカに例えるのはいささか不謹慎だが、過ちを犯した夫が妻に対して
「俺が浮気をしたのは事実だ、悪いとは思っている。だから、これからは以前の何倍もお前を愛すことを誓う」
と言うようなものではないか。
妻が夫に愛想を尽かしていれば
「そんな言葉で謝ったつもりなの!?」と怒りをさらに掻き立てられるだろうが、
妻が夫を基本的に信じている場合は
「これからも二人で幸せを作り上げていきましょう」と素直に受け入れることができる。
中国や韓国は前者に似た拒絶反応を示し、それ以外の各国はおおむね後者のように好意的な反応を示してくれているようだ。
興味深いのは、小泉スピーチを否定的に捉えたブロガーの多くが、「謝罪」に心を捉われているという意味において中・韓両国と似た反応を示したように見えることだ。日本の愛国者は「謝罪などすべきではなかった」と怒り、中国や韓国の愛国者は「あんなのは謝罪ではない(あるいは『謝罪が足りない』)」と叫ぶ。両者のベクトルは正反対だが、存在する次元は同じである。
もしかしたら小泉さんは「自分はいつものように未来志向を訴えただけなのに、なんで前フリの部分でこんなに騒がれるのか」と訝しく思っているかもしれない。
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必然だった「アジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ」
歴史への反省は必要だが、原理主義者に阿る必要はない
国際的に謝罪したと見なされるのが当然だから、多くのブロガーが謝罪として扱っているだけです。
私が申し上げたいのは中韓問題に対してどうこうではなく、前置きだろうが(前置き、なんてものは極めて「日本的」である)なんだろうが、「謝罪」をしたことは事実であり、世界的には「謝罪=過ちを認めること」である、という大きな原則を見過ごしていることの恐怖だったのです。
庄治さんも書いてらっしゃいますが、現に、各紙にapologyが入ってしまったことは、本当に日本にとっては地位を後退させた、以外の何物でもないと思います。
各紙が「おおむね好意的」なのは、中国がうざいと思ってきたという理由だけで、そして日本に対しては「金が出てくるだけの負け犬」と思っているからに他なりません。
「日本的」な言辞で「世界を」納得させようなんていうのが間違っているのです。そういう意味では、今までの首相がここ10年くらい述べてきた「お詫び」のどれも間違っている、と私は考えます。
冒頭の過去についての部分ですが、私はは本筋への導入部程度のものだと理解しています。
本気で謝罪をするのであれば「心に刻みつつ」という言葉にはなりません。もっと直接的な表現になるでしょう。
その点で玄倉川様とほぼ同じ見方をしていると思いますが、拙の雑記を振り返ると、説明のためとはいえしっかり「謝罪」「謝罪」と書いてあり、笑ってしまいました。(苦笑)
今回の小泉首相の演説は、二国間「謝罪外交」の意味を失わせる効果があると期待しています。
私は隣接する三カ国とは適度な付き合いにとどめ、それ以外の国々と密接に付き合う事によって、隣接三カ国を親日本国で包囲する事ができればいいなと夢想していました。
この演説がきっかけで夢想が現実のものになってくれる事を心から願っています。
おじゃましました。
>雪斎さん
日中・日韓でこじれた歴史認識問題を国際会議の場で持ち出して、参加国に「どちらに理があるか判断してくれ」と踏み絵を迫ったような形ですね。リスクのある賭けでしたがどうやら成功したようで、小泉さんの外交的勘はさすがです。
>庄治さん
うーん、どうなんでしょう。批判しているブログの多くは「海外マスコミの論調を意識して」というよりももっと一直線に小泉批判しているように思えました。
海外マスコミは
「これまで日本が謝罪していないという誤解」「小泉スピーチが謝罪目的という誤解」
という2つの誤解(やれやれ)を重ねて、結果としてはこれまでの日本政府の姿勢を理解する形に近づいたように思えます。
政府の公報力不足、海外マスコミの偏見や誤解、どちらも重要な問題であり、「謝罪」の是非を語るより先に「日本はどうすれば誤解を解くことができるか」を考えたほうがいいかもしれません。
>ぶんだばさん
> 「謝罪」をしたことは事実であり
お言葉を返すようですが、私は小泉さんはあの場では謝罪していないと思います。
「日本は以前に謝罪した、そしてその気持を忘れていない」という確認を行ったのです。
新たに何かを支払ったわけではなく、過去の支払伝票(そもそも支出すべきではなかったのかもしれませんが)を証拠として提出したのです。
「支払っていない!」と言いがかりをつけてきた連中は勢いをなくし、日本に疑惑の目を向けていた国々も「なんだ、そうなのか」と納得して逆に中韓の硬直した謝罪要求に不信感を抱きつつあるようです。
>紫月さん
いつも「毒な雑記帳」読ませていただいております。
> 本気で謝罪をするのであれば「心に刻みつつ」という言葉にはなりません。もっと直接的な表現になるでしょう。
「~つつ」と語尾を流してしまったのが小泉さんの未来志向の表れですね。
「流すなよ!」とお怒りの方々が国内にも中韓にもいらっしゃいますが、私はあの場ではあれで良かったと思います。
玄倉川さん、紹介していただいてありがとうございます。
ところで、先の小泉演説ですが、小泉首相自身はあれは謝罪のつもりではなかったのに他国からは謝罪と受け取られた、というのが実際のところではないかと思っています。つまり、いわゆる「日本の常識」と「世界の常識」の乖離からそうなったと。
その上で、今回はそう受け取られたことはむしろ好都合だったのではないかと考えています。あれを謝罪とは受け取らないと中国が言っているのは、中国にとっての「日本の謝罪」というのもまたいかに世界の常識からかけ離れたものであるかを、世界に知らせることもできるかもしれないし、また中国自身がこの問題でそうした世界の目を意識せざるを得ない状況になったということで。
横から失礼しました。
私はあれを謝罪とは思わないのですが、国内外のマスコミからそのように報道されたのは事実ですね。
誤解だろうとは思いますが、今のところ日本にとって損にならずむしろ得になりそうなのでそれはそれでよいと考えます。
慈燕堂さんのコメントに私は同意です。
>慈燕堂さん
小泉さんは天然のようでいて実はしたたか、でもやっぱり天然かも?というよくわからない人です。
今回のスピーチは日本について美化も卑下もしなかった王道をいくものだと思います。
日本のことを何でも悪くとる中韓はべつにして、話の通じる国々にはある程度日本の立場が理解されたのではないでしょうか。希望的観測かもしれませんが。
「謝罪」に見えるのは、この問題に世界的な注目を引くための「罠」ですよ。
エサまいてやっただけです。
謝罪の事実が確定してしまったなんてなげくこたあないです。
現に「中国の歴史捏造はヒドイ!」という火の手が上がってますわな。
オープンな場での議論に持ち込めば日本が負ける理由はまったくありませんから。
演説全体を読み、バンドン会議が日本にとり吉兆の虹になるだろうと期待しています。
小泉首相は、外に目をむけている人だなあとおもいます。