玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

田母神氏の守りたかったもの

2008年12月30日 | 日々思うことなど
田母神前航空幕僚長が著書を出したり年末の特別番組に出演したりしていまだに気を吐いている。いや、怪気炎をあげているというべきか。
田母神氏の言うことははっきりいって無邪気で空想的で浮世ばなれした右翼的ホラ話でしかなく、とうてい評価に値するものではないのだが、「愛国的」であるという一点のみで喜ぶ人もいる。「田母神」でブログ検索すると支持し応援する記事ばかりヒットするので頭が痛い。
田母神氏と支持者のレベルは左側で言えば「福島瑞穂氏が『九条を守れ!』と叫びファンが『そうだそうだ、いいこと言った!』とレスポンスする」ようなものだ。「護憲論はけっこうだが、なにも福島氏をカリスマ扱いしなくてもいいのに… そんなことだと護憲派全体がアホみたいに見られるぞ」と思うのだが、その構図が田母神氏と支持者の関係では鏡写しになっている。田母神氏も福島氏も子供にもわかるような(というか子供だましの)単純で幼稚なことばかり言うので、何も考えずとにかく「国を愛したい」とか「平和を守りたい」と思う人たちには受けがいいのだろう。

こんな状況に呆れたのか危機感を覚えたのか、JSF氏と雪斎先生がともに田母神批判の記事を書いている。

「99%の支持」・・・とうとう根拠ゼロの田母神前空幕長 : 週刊オブイェクト
核兵器シェアリングという幻想 : 週刊オブイェクト
核兵器シェアリングという覚悟 : 週刊オブイェクト

雪斎の随想録: 武官の領分
雪斎の随想録: 安全保障を語る理由

一々うなずくことばかりで、いまさら私が付け加えることは何もないのだが、テレビではしゃいでいる田母神氏を見ると(出演番組は見ていないので正しくは書き起こしテキストを読むと)もやもやして一言言いたくなる。
関係ないが年末番組では東国原宮崎県知事もあちこちに出まくっている。宮崎県民はどう思っているか知らないが、私は「またか」「もううんざり」でかえって宮崎県の印象が悪くなった。田母神氏と東国原知事の共通点は「自分は面白いんだ」「いい事言っている」という妙な自信と勘違いぶりだ。

世間で田母神批判というと「歴史認識」自体が問題にされることが多い。どうもそういう批判は神学論争になりやすく筋が悪いように思う。私は右翼・左翼両方が「歴史認識」で大騒ぎすること自体よくわからない。「歴史認識なんてどうでもいい」とは言わないが、第一の問題とは思えない。
私が一番気になるのは、田母神氏と支持者が歴史認識と国防を一緒くたに論じたがることだ。あたかも「正しい歴史認識なくして国防なし」とでもいうように。まったく冗談じゃない。歴史認識などという観念論に国の守りが左右されてどうする。逆に言えば、「左翼的な歴史認識では国防ができない(それが当たり前)」ということになってしまう。まったくアホみたいな話である。
純真素朴な自衛隊員(年若い士や曹、下級幹部)が世間の「歴史認識」をめぐるゴタゴタに影響を受けてしまうのはわからなくもない。だが、田母神氏のような高級幹部は「雑音に惑わされて士気を下げるな、歴史認識問題など気にせず任務に励め」と指導する立場である。それを航空幕僚長自ら隊員の心得違いを先導・扇動するようでは、まったくどうしようもない。

田母神氏の個人的な歴史認識それ自体はどうでもいいのだが、それを国防と結び付けようとするといろいろ問題が起きる。
 田母神氏「はい。日本の国をですね、やっぱりわれわれがいい国だと思わなければですね、頑張る気になれませんね。悪い国だ悪い国だと言ったんでは自衛隊の人もどんどん崩れますし、そういうきちっとした国家観、歴史観なりをですね、持たせなければ国は守れない、と思いまして私がこの講座を設けました」

【田母神氏招致・詳報】(9)「国家観なければ国は守れない」 (4/4ページ) - MSN産経ニュース

田母神氏のいう「日本の国」は大日本帝国を意味する。彼が「戦後日本はいい国だ」と言ったのを聞いたことはないが、戦前・戦時中の日本を正当化することばかり熱心なところをみるとそう考えるほかない。だが、大日本帝国陸海軍と自衛隊は根本的な考え方(軍事ドクトリン)から違っており、大日本帝国を正当化するとその分だけ自衛隊を否定することになる。そのことに田母神氏は気付いていないか、まったく無頓着だ。航空自衛隊のトップとは信じられないほど無責任な態度に呆れるほかない。

いうまでもなく、戦後日本の基本的国防方針は「専守防衛」である。それに対して、大日本帝国陸海軍は「相手の土俵で戦う」ことを常としていた。
明治政府は日本を守るために朝鮮を抑えようとし、そのために清国と戦いロシアと戦った。日清・日露戦争で日本国内が戦場となることはなく、朝鮮や中国東北部(満洲)で日本軍は戦った。第一次大戦ではドイツ植民地だった山東半島や南洋諸島に進出し、ロシア帝国が倒れソ連が出現するとシベリアに出兵し、対ソ最前線の満洲に関東軍を置く。中華民国が「日本の生命線」満洲に(当時の日本の視点で)不当にちょっかいを出してくると満州国を独立させ、やがて「暴支膺懲」のため北支出兵を行い、上海で戦い、南京を攻略し、気がつくと日中戦争の果てしない泥沼にはまりこみ、米英との関係が悪化してドイツと同盟を結び、アメリカから石油禁輸を食らって「このままジリ貧になるよりドカ貧覚悟で大勝負」とばかりに真珠湾を奇襲し、東南アジアを席巻して占領し、最初のうちはよかったもののミッドウェイ・ガダルカナル以降はズタボロに負け続け、マリアナ沖海戦とレイテ海戦で連合艦隊は実質的戦力を失い、フィリピンや沖縄、硫黄島では悲惨な地上戦が相次ぎ、サイパンから米軍がB-29を飛ばして日本中が爆撃され、原爆投下の憂き目にあいソ連が参戦するに及んで、ついにポツダム宣言を受け入れ無条件降伏し大日本帝国の軍事的栄光は露と消えはてた。

「相手の土俵で戦う」大日本帝国陸海軍と「専守防衛」の自衛隊とはほとんど水と油である。
航空自衛隊のトップである田母神氏が大日本帝国について「いい国だと思わなければですね、頑張る気になれません」「悪い国だ悪い国だと言ったんでは自衛隊の人もどんどん崩れます」と言うのは、「専守防衛なんて知ったことじゃない、俺たちは勝手にやりたいんだ」というようなものだ。これではシビリアンコントロールも何もあったものではない。民主国家の「軍人」は国民と政治家が決めた基本戦略の範囲で戦術を研究し訓練に励むもので、どうしても国の基本方針に口出ししたければ制服を脱いで行うのがけじめだ。
三十年前の栗栖発言とはまったく違う。栗栖発言は「自衛隊は政府と法律に従う」ことを前提に、有事には政府の命令と法律が矛盾し、防衛出動命令に従うと必然的に超法規的行動をせざるを得なくなると指摘したものだ。兵器や人員が足りなければ戦えないのと同じく、有事法制がなければまともに国防の任務が果たせないないというのは当然のことである。
だが田母神氏の大日本帝国肯定論には栗栖発言のような切実さ、必然性がない。個人的ロマンチシズムと任務をごちゃまぜにした甘ったれた考えだ。おそらく田母神氏自身はそれほど深い意図はないのだろうが(そう願いたい)、「軍人」が大日本帝国を賛美することは戦前の軍事ドクトリン復活を望んでいると思われても仕方ない。大日本帝国肯定の歴史認識を自衛隊の士気と結びつけるのは「専守防衛を撤廃しろ、さもなければ自衛隊はサボタージュする」という脅迫に等しい。軍人が国の基本方針に口出しすること自体とんでもないが、サボタージュをちらつかせるなど言語道断だ。

田母神氏が個人の趣味として歴史を研究し、あくまでも個人的思想として大日本帝国を肯定するのであればそれこそ思想信条の自由である。「論文」は肩書きなしのペンネームで出せばよかったのだ。
だが田母神氏と「論文」主催者は航空幕僚長の肩書きにこだわった。肩書きがなければあの「論文」には何の価値もないし、肩書きを政治的に利用する思惑があったのは間違いない。そのくせ問題となり大臣に辞表提出を求められても従わない。実にわがまま勝手でふざけた態度である。こんな人をもてはやす「保守」「右翼」の人たちはいったい何を考えているのか。

田母神応援団の考えていることはわからないが、田母神氏が大日本帝国賛美に傾斜した理由はなんとなく想像がつく。私は彼が「高射科」出身、つまり敵飛行機を迎撃する地対空ミサイルや対空砲の運用を任務としていたことが大日本帝国コンプレックスの元になったと思う。
日本の高射部隊には華やかな勝利の記録がない。ない、といってしまうと高射部隊の方々には申し訳ないが、航空部隊の「零戦無敵神話」、艦艇の「日本海海戦」陸上部隊の「奉天会戦」といった自慢になるような大勝利の歴史がないのである。逆に日本中がB-29に爆撃され大都市が焦土と化したこと、特に原爆投下はいまだに日本国民のトラウマとなっている。日本本土では地上戦が行われなかったから、多くの国民にとっては「戦争体験=空襲被害」であり、高射部隊の活躍よりも不甲斐なさのほうが印象付けられている。
同じく大規模な戦略爆撃を受けたドイツと比較すると、日本の高射部隊の戦果は大いに見劣りするといわざるを得ない。ドイツはかの有名な88mm砲を大量に配備し、アメリカ軍のB-17やイギリス軍ランカスターの乗員を大いに恐れさせた。ドイツの高射砲は迎撃戦闘機とともに多くの連合国爆撃機を撃墜している。
だが日本のB-29迎撃は充分な戦果を上げたとはいえない。もちろん高射砲の射手や戦闘機パイロットは敢然と義務を果たしたのだが、残念ながら兵器の質が劣っていた。

八八式7.5cm野戦高射砲 - Wikipedia
耐久性が低いため都市防空など連続射撃を必要とする戦闘では駐退機が破損してしまうことが多かった。また、一万メートル近くの高々度を飛来するB-29などには、有効射高そのものの低さ、及び曳火式時限信管の誤差[1]から効果が薄かった。


日本の兵器はドイツより劣り、B-29はB-17よりずっと性能が優れているのだから、高射部隊の戦果が乏しいのは仕方ない。だが田母神氏のようにおっちょこちょいでプライドの高い人にとっては悔しくてならなかったのだろう。
その悔しさを任務遂行のバネにしてくれたら何も問題はないのだが、田母神氏は「太平洋戦争における高射部隊の不甲斐なさ」を「大日本帝国は立派だった」というロマンチシズムで補償しようとした。「自分は勉強が苦手だったけれど、自分の母校は名門だ」と自慢するようなものだ。
それも個人の心のうちに収めておけばいいのだが、田母神氏は「(大日本帝国が)いい国だと思わなければですね、頑張る気になれません」「悪い国だ悪い国だと言ったんでは自衛隊の人もどんどん崩れます」と公言し、自衛隊の教育に大日本帝国肯定論を持ち込もうとした。まったく迷惑な話である。はっきり言って、国防の実務と歴史認識はまったく関係がない。自衛隊が守るのは現在の(未来の)日本であり、大日本帝国の亡霊ではない。


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