ひたきのつぶやき(8年ぶりの再開)

山野草、樹木、虫、鳥、魚 などなど 身近な自然についてのつぶやきです

ぶちょうほうさん、たくさんのコメントありがとうございます

2006-03-29 12:24:36 | ごあいさつ
ぶちょうほうさん、たくさんのコメントありがとうございました。
この所、本題に入るどころか前振りさえ終わらずじまいで、更新滞ってしまって、すみません。
珍しく、仕事がちょっと立て込んでいるので、もう少しさぼりますが、お許しください。
写真は、庭の福寿草。実家から株分けしました。写真は、咲き出したばかりの時期に撮ったものなのですが、今は花も終わりかけになっています。

いい加減にしろよといわないでー

2006-03-19 10:41:08 | ごあいさつ
前振りのつもりが、いつ終わるのかわからない状態ですが、怒んないでねー。
写真は、コバノギボウシの種。当地ではそれほど固体数は多くないような感じです。写真の個体は、鮮やかな青色の花をつけていたやつ。これほどたくさん実るのなら、もちっとたくさんあってもいいような気もするんですけどね。
魚に関する趣味というと、ダイビングのほかに、水槽で飼うという趣味があります。実は、クロもかつて飼っていた事があります。まず、子供の頃は、近くの小川などで捕まえた鮒やモツゴやタナゴなんかを大きな土管に入れて飼ったり、そのうち水槽でも飼ったりしてました。そういえば、親父が捕まえてきたクサガメ2匹も飼ってた。餌のミミズをとるのが億劫になって、川に逃がしちゃいましたけど。
もちろん、自然保護なんて観点なんかなくて、子供がなんとなくカブトムシなんかを身近に置きたいという願望を満たすためです。
初めて伊豆の海に潜った時は感激したんですが、日本でも夏はトロピカルフィッシュと呼びたくなるような魚がたくさん見れるんですね。(その中でも死滅回遊魚と呼ばれる魚は暖流に乗って北上したものの寒さで冬には死んでしまうんですが。)こんな魚を水槽で自宅で眺めていたい欲求がわく人は少なくないと思います。ただ、ダイビングをしている人で、自宅でも熱帯魚を(単なる趣味としてですが)飼っている人はそれほど多くないように思います。基本的に、熱帯魚と呼ばれる魚達は水槽での繁殖が難しく、特に海水魚のそれは至難の業です。皆さんが訪れる水族館の魚たちもその多くが消耗品的取扱がされています。そういう意味では、強いて言えばいずれ死に行く死滅回遊魚ぐらいが辛うじて身近に置くことが許される存在かもしれません。(もちろん、これも好ましくないですが)
なーんてえらそうな事をいいつつ、実はクロも淡水の熱帯魚は自然保護なーんて特に考えずに単なる趣味として、飼育していたことがあります。
最初はネオンテトラとかいわゆる良く見る綺麗でかわいいカラフルな熱帯魚達。コリドラスという水槽の掃除屋的なやつなんかは、アルビノの個体が普通に売られているので、熱帯魚のほとんどは人工増殖されているものと漠然と思っていました。熱帯魚屋のおやじにネオンテトラとかどこで増殖させているのかと聞いた時に「こんなのは、アマゾンにいくらでもいるから、わざわざ育てるより捕ってきたほうがずっと安いんだよ。」と言われて、えーっと思ったぐらいの無知さ。
まー、そんなわけで、いいかげんなクロの水槽でも消耗品的取り扱いがされた魚たちの死をもって、この趣味も中断されます。

いつになったら終わるかな

2006-03-15 08:49:19 | ごあいさつ

えへー、まだ終わんないの。ごめんしてね。
写真は、ずっと前に処分価格で買ったオンシジューム。鉢で育てると増えるのですが、ウーン、在来種に関心が移ってからは、育てるスペースがなくなって、洋蘭はほとんど他の方のところにお嫁に行きました。でも、やっぱり、手元に長くあると愛着も湧くもので、少しだけ残してしまった。でもって、鉢数を制限せざるを得ないので、手抜きで枯木になんでもかんでも寄せ植えしてほったらかしにしてます。まー、花付きは今一ですが、「あっ、それなりそれなりー。」
えーっと何の話だっけ?あ、お嬢様ダイバーの話ね。(実際、フィリピンのある島では、ガイドが何から何までお世話してくれるところがあって、まさにお嬢様ダイバー気分が味わえるのですが)
ブームに乗っかったといっても、日焼けはするわ、髪の毛は痛むは、タンクは重いは、お金はかかるは で、それなりの忍耐力がないとダイビングは続きません。そういった意味で、なんかおしゃれー的は発想で始めたお嬢様達でも、続けている人たちは、それだけでなーんか感心してしまう。
何より、彼女達の素直さがいい。ライセンス取得時に、自然負荷を与えないことを教えられるのですが、未熟さゆえにそうできないことはあっても、きちんとその教えを守ろうとする姿勢があるんですよね。(スキー場の雪の中にタバコの吸殻紛れ込ませるような感じで、海にタバコを捨てたりしませんしー。)数は少ないものの、その中で、シーズンオフにダイバーによる海底の大掃除に参加するまでになった人なんて、キャー、ステキーってな感じです。
長くダイビングを続けている人でも、あまり魚に詳しくない人はたくさんいます。ベテランのインストラクターでも、識別することをある程度学習しないと、ちょっと知ってる初心者の域を脱することは難しそうです。(ちなみに海水魚の識別というと、背びれの針が何本とか非常に解剖学的な立証が必要だったりして、クロはとてもついていけません。淡水魚だったら、せいぜい百数十種なので覚える気もしますが)
んなわけで、ダイビングは、ちょっと鳥見とはやや感覚が違って、それを趣味としている人もなんとなくタイプが違うような気もします。(似てる人もいつけど)鳥見だけに関心が集中すると、それ以外の自然にあまり目が行かなくなる人もいます。以前、小笠原に行ったとき、片道48時間という驚異的な長い船中をどうすごすかというと、バーダーはあまり退屈しません。だって、それが半分目的みたいなもので、日中はずっと甲板に立って、海上の鳥を見ています。東京湾を通過するまではあまり珍しい鳥はおらず、三宅島以南になると鳥影が一気に薄くなるので、かなり退屈になったりしますが、そのあたりから、普段は目にすることができない南洋性の海鳥がぽつぽつと出現しますので、そのぽつぽつに心の中でガッツポーズをとりながら、変な人と思われない程度に、興奮したりします。たまたま乗り合わせたバーダーは、これから南の島に向かうというのに、長袖でブーツといういでたちです。帰りの船で聞いたら、一度も海に入らなかったとのこと。うーん。小笠原の海って、シュノーケリングだけでも十分満足できるほど魅力的なのにもったいない。クロは、船上では昼間は鳥見、夜は星を見て、島では海と少し陸上の鳥見とやりたいことが山積みで、退屈するなんてことぜんぜんなかったですが。(ちなみに、小笠原の母島にメグロがいます。クロは母島には渡ったことがないので、実はまだ見てないんですが。)
ありゃー、何の話なんだかナー。収拾がつかなくなったので、またにしますねー。

もう少し辛抱してねの続き

2006-03-11 23:38:04 | ごあいさつ
ひゃひゃひゃー、果たしていつ終わるんでしょう。こっちが本題にならないうちには終了したいのですが。
写真は、ロペ君の小屋で羽化したアゲハチョウの蛹の抜け殻。アゲハは、羽化中に蛹を支える糸が体のどこにかかるかで種を特定できるそうですが、もう羽化から大分たっていて、糸も外れそうになっているので、何アゲハかはわかりません。クロアゲハかな?

さて、バーダーの中には、野鳥保護・自然保護を前面に押し出して活動している人もたくさんいます。これらの方は、とても真面目で、ちゃらんぽらんなクロなんかその中に入ったら軽蔑されてしまいそうです。みな一生懸命に、とてもその活動に見合う報酬なぞ得られないのに、時には自己犠牲的にも見えるほど熱心だったりします。
みな大きな目的は同じ、鳥や自然を保護したいのです。でも、この世界でもうまくいかないことは多々あります。紅白歌合戦の最後に、日本野鳥の会が出ていましたがいつの間にか麻布大学野鳥の会にかわっていたことにお気づきの方はいますか?(麻布大学には知り合いのお嬢さんがいるので、今年こそはちゃんと見てみようと思ったら、今年は出ませんでしたね。)
なんらかの活動をすると、どうしてもその方法論や活動団体の運営等について、意見の対立を見ます。周りからすれば、なんでそんな些細な違いが問題になるんだろうというぐらいの微妙なものだたったりしても、そのほんのちょっとなところで対立したり、また団体の中での主導権争いに発展したりと、いろいろ難しそうです。結果的に、目的とした自然保護活動がそれで大きく後退することがあっても、いつの間にか自分の面子や感情のしこりのほうが優先されていて、それは人間がやることですから、どうしても付きまとう不合理さなのでしょうね。でも、だから人間って楽しいかもしれないし。
さて、同じ見るでも、ダイビングとなるとかなり感じ様相が変わります。もともと、おしゃれな映画の影響でブームになったこともあり、あまり見た魚の種類などに拘る人は多くありません。強いて言えば、マンタやジンベイザメやハンマーヘッドシャークなどの大型魚を見たことがあるか否かは少し自慢話になりますが。
ブームに乗っかって、きゃぴきゃぴギャル系のお嬢様の初心者が、うまく水中姿勢を保てずに珊瑚をフィンで引っ掛けて折ってしまうなんてこともあります。でも、そういった環境負荷はあるものの、彼女達には、ちょっと尊敬してしまうところがあります。


そろそろ再開しようかと思うのですが

2006-03-09 09:50:08 | ごあいさつ
うーん、再開再開といいながら、いまだに前振りと過去記事の再掲載ばかりですみませーん。
前振りは、ちゃちゃっと終わりにしようかと思いつつ書き出すとなかなか終わらないんです。ハイ。もう少しご辛抱を。

ちなみに写真は自生のミヤマウズラ。クロはここしか自生地を知りません。増やしたいのはやまやまですが、結実するどころか挿し木できるほどの株もない息絶え絶え状態で、我慢して見守るしかないようです。
えーっと、前振りで鳥見の話を大分しましたが、その主旨は、バードウォッチングをしている人(最近はきどってバーダーとかいうらしい)は、必ずしも自然保護的活動をしているとは限らないということです。クロが興味を示した頃は、あまりこの趣味に関する本もなく、あるとすれば、必ずといっていいほど、なぜ、飼ったり、捕ったりせずに見るという趣味なのかということの解説があって、それを意識しないでこの趣味に入る人の方が少なかったと思うので、なんとなく、みんな、環境負荷を与えてはならないという潜在意識が働いてはいたと思います。
でも、どちらかというとブーム的に広がってからは、少し様相が変わった感じもします。
・自分が見たことのある鳥(ライファーとかいう呼び名まで定着している)の種類数を競う。その多さを自慢する。
・何種類見たかというのは自己申告なので、その気になればいくらでも増やせる。それに珍しい鳥がいたという情報を得たら、すぐに飛んでいける時間とお金がある人にはかなわない。ゆえに、ライファーの多さではなく、いかに鳥の識別能力が高いかを誇示する。
・見たというだけでは自分のコレクションとして物足りないので、何種類もしくは珍しい鳥の写真をどれだけ撮影したかに走る。(鳥の世界では、いわゆるセミプロと呼ばれる人がたくさんいて、珍鳥を含めた識別重視の図鑑の発刊にはこれらの人の写真が欠かせないほどです。)
・中には、いい写真をとりたくて、鳥を追い掛け回したり、昼間寝ているフクロウを無理やり起こそうとしたりして、顰蹙を買う人間も出てくる。 等々
というわけで、バーダーみんなが、それはそれは人間的にすごくできているかというと少し違って、自然保護的な思想を全員が備えているかというとこれもちょっと疑問です。
でも、結果として、バードウォッチングはそれほどの大きな環境負荷を与えない趣味かとは思います。(そうすることを半ば目的に始まった趣味だから当然といえば当然ですが。)
いくら、鳥の種類をコレクションしたり、自慢してもそれは、見るだけ写真に撮るだけですし。そのコレクションの対象も在来種に限られ(正確にいうとコジュケイ、シラコバト、カササギなど明治以前に帰化した種も含む)、たまに、ペリカンなんかが湖にいたりすると、それが動物園から逃げ出したものか、野生のものが迷って日本に飛来したものかを追及して、野生もものでなければ、篭脱けと称して自分のコレクションには加えません。つまり、なーんか一見非常にくだらないように見える価値観の中で、野生であることがすごく重要視されていたりします。