手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

最終

2016年05月14日 | Weblog

代理です。

このブログ主が彼岸に旅立って1年になります。

27年5月14日 3:07 永眠

 

昨年、代理は仕事の地にいて、寝れずに主の声が聞きたくて・・・

真夜中に、電話掛けて来い!と念じていました(笑)

しばらくすると・・・TELが

 

 

それは病院からで   「危篤」      と 

 

真夜中に公共交通は走っていません。自家用車もありません。

車が有ったとしても間に合わなかったでしょう。

TELで、声をかけ続けました

しかし 主自身が生への執着がなくなってしまったのでしょう

それほど主は皆様に感謝して現世に満足し旅立っていけたのだと思います。

当初は、【代理が辛いだろうから 一人で逝く】と言っていましたが、

途中からは【俺が寂しいからお前が看取れ!】に変わりました。

自分の言ったことには責任を持って欲しいものです。

寂しい思いをさせてしまいました。先に逝った主よりも代理のほうが心残りです。

 

突然、主を喪った代理はマストをな無くしたヨットのようになりました。

しかし、やらねばならないことは山のようにあり一人で色々決めなければいけませんでした。

この国は、血縁・籍というものをを大事にしておりどんなに主が全て私がするようにと言っていても公的には出来ないことも多く有りましした。

生前 代理は主に籍が入って居なければ 他人なのでなにもできない。と言っていましたが

主のいきざまの関係で 堅気の代理には迷惑を掛けれないと・・・

つくづく この国の戸籍制度に考えさせられました。

パートナーは認められていないのです。

 

 

主は今頃、何をしているのでしょうか?

なにごとも愉しむ主でしたから、案外愉しんでいるのではないでしょうか?

 地獄で鬼おも舎弟にしているかもしれません。(^_^)

 

サンドアート大会で優勝した作家さんに手元供養の持ち歩き出来る作品を作っていただきました。サンドアートは本来持ち歩くべきものではないのですが無理を言いました。途中で手直しもしていただいたのですが、崩れてしまいました。

仕事にも出張にも旅行にも一緒でした。

行きたかったところや思い出の地を巡って来ました。

全国一周はかないませんが、それでもこの1年ず~っと一緒にいました。

ほんの少し前までは多少形が残っていたのですが、4月に入り一気に・・・(ーー;)

ブログ主も代理も気づいたのです。

もうそろそろ...と

崩れたサンドアートの砂は、主の知人・友人の方が北陸にお越しくださったときに海に撒いて頂こうと思っています。

※先着2名とさせていただきます。(笑)

 

今は!?決して、忘れることはありませんが、以前よりべったりとしてはおらず程よい???距離で一緒にいます。

プレゼントされたものや手元供養のサンドなどの【形あるモノ】がなくても大丈夫になりました。

ここにいますから。

 

一周忌を迎えましたので

これまで主が大切にしていたブログを引継いで来ましたが、此れで最終にいたします。

 

代理より

皆様にご迷惑をたくさんおかけいたしました。

申し訳ございませんでした。そして、心より感謝しております。

主の病気が発覚して以来、日々ジェットコースターのような時間を過ごして来ました。

楽しい時間が続くと思っていましたし、病気に簡単に負けないと思っていました。

余命3ヶ月言われても、それより長くと思ってました。

3ヶ月を待つことなく逝ってしまうなんて・・・病院に入院したからまだまだ大丈夫と

思っていました。

当時取り乱した代理を皆様が支えてくれていました。

本当にありがとうございました。

 

最後に、ブログを今まで読んでいただいていた皆様に感謝いたします。

長らくありがとうございました。

時々主を思い出してください。一番の供養です。

感謝・感謝

 

主より

ありがと

ありがと

俺はこんなにも幸せだったんだ・・・

 

※気づくのおせーよ(by 代理)

 


挨拶

2016年01月04日 | Weblog

代理です。

昨年は主ともども大変お世話になりました。

本年も、主同様よろしくお願い申し上げます。

 

昨年末、主のおきにいり珈琲店が閉鎖しました。

時間はどんどん進んでいきます。

寂しいことです。

 


放送

2015年09月03日 | Weblog

代理です・・・

ドキュメンタリー放送されました。

代理は、仕事の関係上一所におりません。やっと主のPCがある場所に戻って来ました。

代理は、TV放送にあわせ無理やり仕事を北陸にしリアルタイムで見ました。

代理の知らない 主が居ました。

気が滅入る・・・そのたびに、なにくそ!と思う。。。と言っていました。

あぁ~寂しい思いをさせてしまったのか・・・(ーー;)

俺は幸せやわ!義兄の 幸せに過ごしていて安心!の言葉に救われています。

みるみる姿形 体系や顔つきだけでなく声までも変わっていました。

近くにいた代理は、そんなことさえ気づく余裕はなかったのかも知れません。

痛さをこらえる姿も代理には見せませんでした。

それどころか、代理人を気遣ってくれました(;⊃д`)俺は受け入れていると・・・

最期まで主を演じきりました。カメラが有ったらこそ、主らしい人生がおくれたことと思います。

HABの方にお礼もうしあげます。

ありがとう♪

 

※百箇日のコメントありがとうございました。

 みなさんが期待していた、罵詈雑言は有りませんでした(笑)

まだまだ受け付けています。

 

※ドキュメンタリー録画しております。見たい方で代理人が誰だかわかる方は直接ご連絡ください。

 


百箇日法要

2015年08月21日 | Weblog

代理です・・・

本日は百箇日目です。

本来であれば法要をすべきですが、主は自由奔放・自由気まま・自分勝手に生活をしてきましたので 菩提寺やお墓はもちろん位牌さえありません。

しかも散骨もしています。

菩提寺やお墓がないことに主は後悔していません。

場面場面において主なりの精一杯のベストをチョイスして生きてきましたから、そのような形には囚われることは気にしていないでしょう!!

位牌だけは買いに行きましたが、手持ちが足らなくてその日は帰りました。再度訪れる機会は逃してしまいましたが。

戒名はあります(*^_^*)

【僚生院法友久徳信士:りょうせいいんほうゆうきゅうとくしんし】

主は反社会的勢力に在籍しておりましたが、脱退したのちに出家いたしました。病気発覚後 自身でお世話になった方からいただいておりました。

初七日・・・七七日・・・初盆。全て追善供養はしておりません。

あまりにも寂しいので、皆様よりのコメントを経典代わりにお供えしようと思いつきました。m(__)m

主への挨拶・報告・罵詈雑言・・・等々なんでも構いません。公開予定ですが、LOVE LETTERで非公開扱い希望の方は記載ください。

もちもん公開はせず代理だけで愉しみます!(^^)!

 

1通もこないかも・・・罵詈雑言だらけだったら・・・

少し 心配になって来ました。まぁそれも主と言うことですwww

※ご報告

HAB「北陸朝日放送」の放映予定:8月30日 深夜3:15~

あくまでも予定ですので変更になる場合もあります。


初盆

2015年08月14日 | Weblog

代理です・・・

ブログ主は、5月に鬼籍に入りました。

本日は3回目の月命日・・・そして初盆です。

 

本人のやりたいことが出来る準備が整った同時期、体調不良が顕著になり病気が発覚しました。

皆様のご協力 本人の努力もあり 堅気になり福祉の道を歩み、これからますます皆様とともに少しづつ社会のために活動しようと思っていた矢先でした。 

さぞかし残念で無念で有ったろうと思います。

本人はこの状況を受け入れ日々皆様の思いに感謝して過ごし、最後の最期まで「ありがとう!こんなにも幸せだったのか!」と言っていました。

最期まで自分らしく過ごすことが出来ました。主らしく、痛みの強い病気にもかかわらず一言もつらいと言わず逝きました。

言わないのが男だ!!と、周りに心配を掛けない!と思っていたのでしょうか。それでも辛い状態が伝わって来るほどに足早に病気は蝕んでいきました。

病院への入院はたった6日。大変だと周りに思わせる時間もないほど、見事な終焉でした。

諸事情で、献体は出来ませんでしたが、散骨しました。

もし、北陸に来るときがあれば海に向かって手を合わせていただければ其処に主がいます。

主から・・・

ありがと!ありがと!自分を救う為に色々してきただけだ。気にするな!自分がして欲しかったことをしたまでだ!何も気を使わなくていいぞ!

 

主に代わりまして・・・

今までのことを深く陳謝いたします。そして 皆様のご厚情に厚く厚く重ねて重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 


九州の兄貴

2015年05月03日 | Weblog

先日、岡山県倉敷に行ってきた。

九州の兄貴との今生の別れの意味合いの旅行だった。

ところが、その一週間ほど前からめっきりと体調が落ちてしまい

最悪のコンディションだった。

吐くは下すは・・・で、体力の消耗が激しくフラフラだった。

折りしも金沢のHAB北陸朝日放送の張り付き取材があったので、

ますますしんどかったのだが、とにかく兄貴とは数年ぶりの再会だった。

宿泊先は、国民宿舎 良寛荘という所だ。

新倉敷の丘の上に建つ、文字通り良寛和尚が庵を結んだすぐ側に位置する宿だった。

閑静で落ち着いた宿だった。

今回は早くから予定を立てていたから、体調の変化に合わせた予定変更がムリだったが、

今回の埋め合わせで、体調のいい時にもう一度機会を創りたいと思っている。

兄貴と久々に色々と話したが、

結局は俺たち兄弟は(厳密には貰われた同士の他人なのだが)

義理のおっさん(義父)に人生を翻弄された被害者だったな・・・、と、言う話しに収まった。

初めて聞く話もいくつか出てきたが・・・。

 

北陸に戻って往診してもらい、自宅で点滴をしてもらったらかなり体調も回復。

今後週に何度か自宅で訪問看護を受けることになりそうだ。

そうすれば、体調の安定にも繋がるだろう・・・。


クルクルさんへ

2015年04月10日 | Weblog

コメントの書き込みには、

本来はコメント返しで有るべきなのですが、敢えてこちらに書きます。

 

先ずはご母堂の癌発覚、心痛の事と拝察いたします。

ともあれ、冷静になってください。

当事者はもちろん、遺される者にとっても晴天の霹靂である事は充分に承知した上で、

「冷静に」と申し上げます。

生者必滅会者定離は生きとし生ける者の避け難い条理です。

早いか、遅いかの違いだけです。

むしろ、不慮の事故などで逝かれるよりもまだゴールが見える分だけマシだと思いませんか?

小生はそう思っています。

これまでにお世話になった方、恩義のある方、或いは迷惑を掛けた方への

お礼や謝罪、挨拶をする時間が有るのですから・・・。

ある意味では、「向こうの世界の偉い方」からの、

優遇された時間を与えられたのかも知れません。

 

ご母堂は余命を知らないとの事ですが、

ご母堂の性格に鑑みた上で知らせるかどうかの判断でしょう。

ただ、これだけは言えるのは、ご母堂の人生はご母堂のものです。

従って、遺される者としてはご母堂のやりたいようにさせる、

協力するのが一番だと思います。

その方が、ご母堂が旅立たれた後に遺された者の後悔が少ないと思います。

 

仮に余命を知らせなくても、口実をつけてご母堂の好きな事に連れ出すとか、

色々と工夫は有るのではないでしょうか?

遺される者の気持ちとしては、どんな形であれ一日でも永く・・・と考えるのは判ります。

でも、それは若しかしたら遺される者のエゴかも知れません。

延命治療で苦しむのはご母堂です。

苦しむ姿を一日でも永く見ていたいですか?

それは、周りのこころも壊れる情景になり得るのではないでしょうか?

回復の余地が有ればトライする価値も有るでしょうが、

それがないなら、ご母堂の好きにさせて苦痛を緩和する治療もアリだと小生は考えます。

 

最後にもう一度書きますが、ご母堂の人間的な強さや性格を充分に見極めて、

逃れられない事実と向き合ってください。

 

僭越ながらコメント返しに変えます・・・。

 

 

 


北陸に戻って

2015年04月07日 | Weblog

北陸に戻って三週間が過ぎた。

何とか新しい部屋も片付いて、落ち着いてきた。

昨日、こっちの病院に行ったが腫瘍マーカーの値が高く、

測定不能と表示されていた。

医者は「こんなに高い値なのに、そんなに元気なのが分からない」

との言。

俺自身も、数値と自覚症状に乖離がある気がする。

「俺は一年後生存率9,5%に入るつもりだから・・・」というと、

あっさりと「それは無理です」と却下されてしまった・・。

「おい、簡単に突き放すなよ・・・」と、俺。

 

もちろん、どちらも笑顔での応酬だ。

 

まぁ、案外突然にポッキリと逝くのかも知れないが、

それはそれでヨシとする。

 

こちらでの知り合いの誰もが、

「とても余命数ヶ月には見えない。」

そう言うけれど、俺が凹んでいないだけにそう見えるのだろう。

もちろん、いきがってもいない。

いつもの俺であるだけなのだが・・・。

 

北陸はこの時期特有のどんよりとした空の色だが、

時に快晴だと桜がきれいに映える。

東京のくすんだ桜でなく、桜らしい桜色の花がきれいだ。

そして、走る車の速度も違うし時間の流れ方も違う気がする。

改めて東京のギスギス感が思い出される。

東京は仕事をする街ではあるが、暮らす街ではなかったな・・・。

 

北陸新幹線も、華々しく開業したが平日はガラガラの車両で走っている

らしい。

 

北陸に喧騒は相応しくないとおもう。


最終ラウンドまで立つ

2015年03月20日 | Weblog

近日中に北陸に戻る。

したがって、落ち着くまでは更新が滞るかもしれない。

 

さて、この所(送別会)や(激励会)<もちろん俺の>で

忙しい毎日を送った。

それはそれで有り難くもあり、

同時にかなり疲れるセレモニーでもあった。

だが、こうしてたくさんの人々がそれぞれに企画して

俺との別れを惜しんで貰えたのは、俺にとっては意外でもあった。

こんなに皆に思われている事に気付いていなかった。

誰もが俺の一日でも長い命を願ってくれる思いに答える為にも、

俺は闘わなければならない・・・。

 

これまで、何度か「死ぬか生きるか」「殺すか殺されるか」の場面は

経験している。

しかしそれ等の戦いは、上手くいけば五分五分の戦いだった。

分が悪くとも、多少なりとも成算は有った戦いだった。

しかし、今回は必ず負ける戦いだ。

でも、俺は1ラウンドでKOされたりはしない積もりだ。

最終ラウンドまで、ボロボロになっても立ち続けるぞ。

立つのがやっとの状態であっても、闘志は持ち続けたいと思う。

あっけなくKOされるなんて、

あるいはリングに上がって、相手に圧倒されてギブアップは

したくない。

これからの毎日は薄氷の上を歩く状態なのだろうが、

慎重に自分のコンディションを見極めながら、

俺らしく奔放に生きるぞ。

北陸でのんびり生きればストレスも軽くなり、

何よりも「癌」とか「余命いくばく」とかのストレスさえも薄れるかもだ。

 

現在の体調は、幸いにして痛み止めは効果を発揮している。

しかし、やはり体力の衰えは痛感している。

少し動くとどっと疲れて、横になると数時間は爆睡状態となる。

食欲はあるがあまり喰えないから、

なおさらに体力が落ちているのかも。

まぁ、それも症状の一つだし、今はブレーキを踏まずに

走っているのだから多少は仕方がないだろう。

 

余命宣告されて一ヶ月が過ぎた。

宣告どおりならあと二ヶ月・・・。

だが、夢は持たないが希望はしっかり持っている。

まずは俺の誕生日まで生きる。

七夕で67歳。

七夕が過ぎたら、次は来年の正月を目標にするぞ。

俺を応援してくれる人達に応える為にも宣告どおりの結果では

見っとも無いからな・・・。


当然のことながら

2015年03月16日 | Weblog

退院後9日経過。

今日は病院に行ってきた。

多摩北部医療センター消化器内科。

血液検査では腫瘍マーカーの値が高くなっていた。

まぁ、抗癌剤を使っていないのだから、病状の進行は当然だ。

そして、告知時に受けた余命3ヶ月からみれば

既に一ヶ月が経過だから、その分進行はして当たり前だ。

それに即した対応を考えて工夫するのみ。

 

正直なところ、痛み止めとその他の投薬が効果をもたらしているので、

自覚的にはそれほどの深刻な症状を感じていなくて、

入院前よりはるかに身体がラクな為に、

ある意味では病状の停止または改善と勘違いしていた部分があった。

しかし、腫瘍マーカーの値を眼にすると、やはり現実を思い知らされる。

医者に言わせれば、即座に入院して抗癌剤の投与を始め

延命を図るべきと考えるのだろうが、

俺的には病院に入ったまま、ベットの上で薬だけを

飲む毎日は意味がないと思う。

しかも、自分に合う抗癌剤に出会うまでに様々な副作用で苦しみ、

苦しみながらも日を重ねる事になると思うと、

自分自身が酷いと思うのだ。

それよりも、例え短くなろうともやりたい事をやり、

動ける間は動きたいように動くほうが

精神衛生にも遥かに良いのではなかろうか?

 

現実問題として死に直面すれば、様々に揺れる思いはあるが

しかし、基本は「自分の人生に納得できるかどうか?」だろうし、

100%の納得は有り得ないだろうから、結局は納得のハードルを

どこに置くかは自分次第だろう。

 

ベッドの上で抗癌剤の副作用と戦い、

そのままやりたい事もやれずに終わるか、

やりたい事をやる代わりに命を削るか・・・だな。

俺は後者でありたい・・・。