昨日、俺の長男が俺についてテレビのインタビューを受けた。
どんなだったか電話で訊いたが、「正直、親父の記憶があまりない」
「ただ、怖かった記憶だけが残っている」と取材クルーに話したそうだ。
「それは無いやろ、学校から帰るなり俺に絶対に勝てる喧嘩の仕方を教えて」と言うので、
俺が理由を訊いたうえで、勝てる喧嘩のやり方を教え、
後から帰宅した次男とシュミレーションしながら何度も手順をリハーサルし、
翌日、目論見どおりの勝利を納めてニコニコと帰ってきたこと、
長男の彼女が不始末をしでかして、長男が彼女の身を案じて一緒に姿を隠し、
俺が探しまくって見つけ出し、彼女の親と話を付けたことetc・・・。
色々と有るのだが倅の記憶には「親父は怖い」しか残っていなかったようだ。
一抹の寂しさはあるが、それはそれで仕方が無い。
俺の愛情表現が不足していたのだろう。
俺は「お前達が出来の悪いことをしでかし、世間中がお前達に石を投げて、
俺から見てもお前達が悪いと思っても、俺はお前達の前に立ってその石を受けてやる。
ただ、世間中が投げる石だから俺はあっという間に倒れるだろう。
俺が倒れた後はお前達が自分でその石を受けるしかない」と、よく言い聞かせていた。
その言葉が、いかに大きく深い思いの篭ったものかが、通じていなかったんだ・・・。
しかし、思い返してみると俺だって育てのおっさん(敢えておっさんと呼ぶ)に、
散々殴られ、踏みたくられて育ったが、1年365日がそうだった訳ではないと思う。
小学生の俺にバイオリンを買ってくれたり、
あるいは中学校時代に革靴を履いていたのは俺だけだったし、
腕時計やトランジスタ・ラジオも持っていた。
ゆっくり思い出せば色々と思い出すのだが、
殴られて追い回された記憶の方が先に出てくる。
結局はそういう事なんだろう。
しかも、俺の子供時代は「親父は怖いのが当たり前」だったし、
どこの家でも亭主関白だったと思う。
親父が家庭の中で小さくなって粗大ごみ扱いされるのは、もう少し後の時代だ。
倅達と接した時間は永くは無いが、
上辺だけの家族よりウンと奴らへの思いは深いと俺は思っている。
多分、奴等も「いよいよとなれば、絶対に親父が何とかしてくれる」という、
思いは有るのではなかろうか。
それは所詮は「人生の先輩・後輩」の関係なのだから、
先輩が後輩の面倒を見るのは当たり前だし、
一から十まで手取り足取り面倒見る奴も居れば、
俺みたいに普段は「自分で何とかせんかい」と突き放し、
離れて見ながら「ここは手を差し出すべき」と判断して介入するかの違いだろう。
まぁ・・・・、どうでも良いけど・・・。











