手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

なんでやねん!!

2011年05月30日 | Weblog

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原発問題でまたしても情報隠し、あるいは発表遅れの問題が取り沙汰されている。

 

役人や大企業幹部の優秀な資質の一つに、「責任逃れと隠蔽能力」が秀でた者が出世するらしい。

 

言い換えれば「正直者は馬鹿をみる」ということだろう。

 

自民党が推進してきた原発が民主党政権で事故が起き、

 

その「ケツ拭き」をやらされてるわけだが、その「ケツ拭き」さえも攻撃材料にされて、

 

貧乏くじを引かされてる訳だ。

 

まぁ、確かに手際のいい決断や指示とはいえない政府・与党ではあるが。

 

「情報隠し」も手腕の一つなら、嘘の上手い輩が評価されると言うことになる。

 

おかしいやないか!!

 

人間、下手を打ったら「すんまへん」が基本やろう!

 

誤魔化しは下手うちの上塗りやないか!

 

しっかりせえや東電!

 

想定外は何にでもある!  問題はどう対処するかだ。

 

変に誤魔化して人心を弄ぶなよ!!!

 

 

ところで、先日のテレビ取材の番組が放映された。

 

タイトルは「贖罪の途中」となっていた。

 

俺は別に「贖罪の日々」を送っているなんて思っても居ない。

 

毎日を真面目に、真剣に生きているだけだ。

 

ただ、人生は最後にはプラスマイナスゼロになると考えれば、

 

やった事の過去のツケを清算しているのかも知れない。

 

しかし、だとしたら俺の子供時代の殴られたり蹴られたり、または両足を縛られて

 

天井から吊るされて、更には幼稚園時代から家業の牛乳配達をさせられたのは、

 

どうなんだろう?

 

いや、別にそのことが「不幸だった」とか「惨めだった」とかを言っているのではなく、

 

あの暮らしに相応しい「何か」が俺に与えられたのかなぁ?

 

人生のバランスシートが、最後にはプラスマイナスゼロとなるのであれば・・・だ。

 

強いていえば、あの経験が有ったからこそ学んだことも確かにあるのだが、

 

でも「いい経験だった」とは、やはり思えない気がする。

 

ディレクターの「あやちゃん」は、「あやちゃんの眼と感性」で番組を創ったのだし、

 

それはそれで充分なのだが、俺は単に何事にも真面目に真剣に向き合って来たに過ぎない。

 

世の中には「そうするしかなかった・・・」という事もあるのだ・・・。


黄昏と晩年

2011年05月19日 | Weblog

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スカパーで古い映画を観た。

 

題名が「黄昏」だった。

 

1981年の作品でヘンリーフォンダ、ジェーンフォンダ、キャサリンヘップバーンが

 

家族の確執や家族ゆえの誤解を描いた作品だが、思わず引き込まれた。

 

俺自身は「家族の味」をよく知らないのだが、家族・人間愛・そして死・・・。

 

色々と考えるべき点があった。

 

作品の中での設定は、80歳を迎えた父親とその娘との確執と誤解、

 

老いる現実と向き合わざるを得ない「死」。

 

晩年の夫婦と家族のあり方の一つのケースを見せられた気がするが、

 

様々な人生模様のなかには、あのような姿もあるのだろう・・・。

 

俺自身はもうすぐ63歳。

 

一昔前ならもう「老境」と言われた年齢だが、

 

今の時代はまだまだと思っている。

 

この先何年、仕事が出来るのか生きれるのかは未知だが、

 

「出来るならやりたいこと」は有る気がする。

 

例えば「障害者のための旅行会社」

 

あるいは「障害者のためのグループホーム」

 

できればいいな・・・。


兄貴からの手紙

2011年05月16日 | Weblog

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前回の更新で貼り付けた、俺の16歳の頃の写真について少し書く。

 

俺の子供の頃の写真は非常に少なかった。

 

それは俺の生い立ちと育った家庭環境、更には時代的な背景もある。

 

俺たち団塊世代は、学校の入学や卒業、或いは学芸会や運動会、

 

さらには遠足などで学校や教師が写してくれるくらいで、

 

今のように誰でもデジカメや携帯で映せる時代ではなかった。

 

いわゆる「銀塩カメラ」なのだが、それさえも贅沢品の時代だったし、

 

そのうえ現像やプリント、焼き増し料も高価だったのだ。

 

だから、写真に映ると言う事が特別なことであり、

 

したがって映る時は身構えたり、表情が強張っているのがほとんどだ。

 

今のようにVサインで映ったり、ジャンプしたりはもっての他!

 

フィルムが勿体ないと叱られてしまう。

 

なんとも味気ない写真しか撮れなかったわけだ。

 

 

それはともかく、写真に添えられた兄貴の手紙には、

 

「お前の晩年が穏やかな日々になっている事が嬉しく思う・・・」とあった。

 

兄貴から見ればそうなんだろうな。

 

幼稚園時代から殴られ、両足を縛って天井から逆さに吊るされ、

 

散々に家出と非行を繰り返し、刑務所にも出たり入ったりで、

 

俺からしばらく連絡が無いと「また捕まっているんだろう」と思っていた兄貴だし、

 

しかもそれは大体においてその通りだったから。

 

兄貴も俺が獄死か殺されるだろうと思っていたらしい。

 

いやいや、何よりも当の本人の俺が今の暮らしなんて想像もしていなかったのだから、

 

兄貴が「穏やかな晩年・・・」と思うのも当たり前だ。

 

このブログにある人のコメントが寄せられた。

 

その人には俺が最高に落ち込んでいた時に助けてもらったが、

 

その人のコメントに「あなたの人生模様は面白すぎる」とあった。

 

本当にそうだと俺も思う。

 

「波乱万丈」では表現しきれない人生模様だと認める。

 

まぁ、こんな人間がこんな生き方をしてると言うことが、

 

誰かの励ましになれれば俺の人生もまったくの「無駄」ではないのかも・・・。


難問直面!

2011年05月13日 | Weblog

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現在使っている送迎バスが6月でリースアップする。

 

それを踏まえて新車を二台発注しているのだが、

 

東日本大震災の影響で、部品調達が遅れているらしい。

 

したがって、車の納車も期日に間に合うかどうかの状態だ。

 

天災だから誰の責任でもないが、

 

しかし「車が間に合いませんでした」では施設や施設利用者に迷惑がかかる。

 

取り敢えずは正確で詳細な見通し情報を、メーカーに要求しておいた。

 

その情報を踏まえて、手を打つしかないだろう。

 

車体は富山で作っているそうだが、各部品に用いられるゴムパッキン等が

 

福島の原発地域にあるらしい・・・。

 

いやはや、諫早・・・・^^;  (諫早は語呂あわせの付け足しで意味はない)

 

 

そうそう、前回「乞う ご期待!」と書いたから、愛嬌でアップしておこう・・・。

 

                

       

 

今の俺とはかけ離れてるけど、間違いなく16歳の俺だ・・・。

 

この写真を見て、ファンレター並びに交際申し込みを書こうと思っても、

 受付していないので「悪しからず!」


大相撲技量審査場所?

2011年05月10日 | Weblog

開催初日の理事長挨拶は、あれはいったい何だ!

 

「故意による無気力相撲の問題で、ファンの皆様には云々・・・・」

 

この期に及んでもまだ、八百長と認めないのか!

 

程度が低いし、潔さがないのう・・・・。

 

下らん男だな。


大型連休 2

2011年05月10日 | Weblog

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二日目、カメラが付いた。

 

デレィクターの「アヤちゃん」と「儚げな音声君」は金沢の(音楽祭)に回っていると言うことで、

 

「ヒゲむさカメラの野田君」と、女性の音声さんが金沢からやって来た。

 

俺の倅に(長男)インタビューして、古い友人たちを訪ねてマイクを向けカメラに収めた。

 

取り敢えずその日はそこで解放してもらって、夕刻にその日の宿に入った。

 

二日目の夜は芦原温泉の外れの穴場的宿を確保。

 

この日はどこのホテルや旅館も満室だったようだが、俺が泊まったところはあまり知られていない、

 

他が混んでる時にはもってこいの宿だ。

 

その晩も芦原の街中に出て、ちょっとだけ呑んで早々とベッドにもぐりこんだ。

 

三日目は金沢まで足を延ばし、昔からの知り合いの医師と会う予定だから

 

二日酔いではマズイ・・・。

 

 

翌日、昼前に金沢に着いた。

 

知り合いのドクターは、年に何度か電話で話はしていたが、

 

会うのは30年振り位だろう。

 

俺の長男・次男ともに彼が取り上げてくれたのだ。

 

当時、彼は福井の公立病院の産婦人科部長だった。

 

そこにテレビクルーが到着、合流した。

 

たそがれの音声君もにこやかに車から降りてきた。

 

早速ドクターの仕事先の病院の休憩室で取材開始。

 

 

30年ぶりの彼は髪も真っ白になり、見るからに(医者)と言う感じに変わっていた。

 

電話でのやり取りで声が変わっていないので、容姿がこれほど変わっていれば、

 

街ですれ違っても判らなかっただろう。

 

ドクターは今年古希を迎えると言う。

 

そうか、俺も今年の七夕で63歳だものな・・・。

 

余談だが、九州の兄貴が昔の俺の写真を見つけ出して送ってくれた。

 

俺が15か16位の頃家出して、歳をごまかして大阪で住み込みで働いていた写真だ。

 

そのうち、気が向いたらここにアップしよう・・・。

 

乞う、ご期待!


大型連休

2011年05月10日 | Weblog

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連休に北陸に行って来た。

 

ちょっとした急用が発生したので、急遽行くことを決めて、

 

羽田から小松に飛ぶつもりだったが、チケットが取れなかったので、

 

仕方なく新幹線で米原へ。

 

米原から特急しらさぎで福井まで。

 

その日に思いついての行動だから、宿も取っていなかったが、

 

何とか福井駅前の「東急イン」に確保できた。

 

その日は長男に迎えを頼み、彼の運転で芦原温泉まで足をのばし、

 

結局は2時頃まで呑んだ。

 

飲む前に知り合いの母娘3人と俺の長男、そして俺の5人で寿司屋に行って喰い且つ呑んだ。

 

小学5年と中2の娘二人は、見事に喰っていた。

 

しかも、俺が連れ出すほんの1時間ほど前に夕食を喰ったばかりなのに、

 

かなり喰っていた。

 

俺はと言うと、最初からずっと日本酒の燗酒を楽しんでいた。

 

子供たちのコロコロと笑いながら、かつちょっとませた会話のやり取りを聴いているだけで、

 

思わず頬が弛む・・・。

 

その後、彼女達と店の前で別れ彼女達の父親が出掛けていると言う店に向かう。

 

なんだ、俺が昔可愛がっていた男がやってる店だった。

 

店の主人の男は、俺と娘たちの父親が知り合いだと言うことに驚き、

 

逆に父親のほうもその店の経営者の名を呼び捨てにする関係にびっくりしていた。

 

その後、結局は4軒の店を呑みまわって、フラフラでTAXで福井まで戻ったが楽しかった。

 

翌日は北陸朝日放送のTVが、また俺に張りついて動くことになった。

 

「撮りたい・・・」と言われると断りきれないのは、ディレクターの「文香ちゃん」の押し上手なのか、

 

それともカメラマンの「野田君」のむさいひげ面の迫力?

 

いやいや、頼りなさそうな「音声君」の儚げな表情にほだされてかも知れない・・・。