原発問題でまたしても情報隠し、あるいは発表遅れの問題が取り沙汰されている。
役人や大企業幹部の優秀な資質の一つに、「責任逃れと隠蔽能力」が秀でた者が出世するらしい。
言い換えれば「正直者は馬鹿をみる」ということだろう。
自民党が推進してきた原発が民主党政権で事故が起き、
その「ケツ拭き」をやらされてるわけだが、その「ケツ拭き」さえも攻撃材料にされて、
貧乏くじを引かされてる訳だ。
まぁ、確かに手際のいい決断や指示とはいえない政府・与党ではあるが。
「情報隠し」も手腕の一つなら、嘘の上手い輩が評価されると言うことになる。
おかしいやないか!!
人間、下手を打ったら「すんまへん」が基本やろう!
誤魔化しは下手うちの上塗りやないか!
しっかりせえや東電!
想定外は何にでもある! 問題はどう対処するかだ。
変に誤魔化して人心を弄ぶなよ!!!
ところで、先日のテレビ取材の番組が放映された。
タイトルは「贖罪の途中」となっていた。
俺は別に「贖罪の日々」を送っているなんて思っても居ない。
毎日を真面目に、真剣に生きているだけだ。
ただ、人生は最後にはプラスマイナスゼロになると考えれば、
やった事の過去のツケを清算しているのかも知れない。
しかし、だとしたら俺の子供時代の殴られたり蹴られたり、または両足を縛られて
天井から吊るされて、更には幼稚園時代から家業の牛乳配達をさせられたのは、
どうなんだろう?
いや、別にそのことが「不幸だった」とか「惨めだった」とかを言っているのではなく、
あの暮らしに相応しい「何か」が俺に与えられたのかなぁ?
人生のバランスシートが、最後にはプラスマイナスゼロとなるのであれば・・・だ。
強いていえば、あの経験が有ったからこそ学んだことも確かにあるのだが、
でも「いい経験だった」とは、やはり思えない気がする。
ディレクターの「あやちゃん」は、「あやちゃんの眼と感性」で番組を創ったのだし、
それはそれで充分なのだが、俺は単に何事にも真面目に真剣に向き合って来たに過ぎない。
世の中には「そうするしかなかった・・・」という事もあるのだ・・・。