手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

理解不能

2012年11月26日 | Weblog

何度か書いた「ストーカー事件」のその後。

ストーカーをした側の男が、俺のこのブログをチェックしている事を

承知の上で書いているが、

その後、どうやら警察から「警告」が出されたようだ。

そして、腹の虫が納まらないのか、

或いは感情の吐き出しどころが無いのか、

事件の周辺の人間を揶揄する書き込みを

本人のブログに書き込んでいるらしい。

しかも、「これはフィクションです」と付け加えながら・・・(*´∀`*)

周辺への揶揄ではなく、若しかしたら自分のブログ友達への

間接的言い訳なのかも知れないが、

書き込んでいる文面は脈絡に混乱と矛盾があり、

何を伝えたいのか判らない内容らしい。

自己弁護に満ちた内容なのだが、

その自己弁護さえも伝わらないような、稚拙な文面だという。

そして、俺の事も何箇所か書いているそうだが、

登場人物のどれが俺を指しているのか、判別しにくいそうだ。

俺も自分で読んだ訳ではないから、何とも言えないが、

それにしても狭量な男だと、可哀想になってしまう。

基本的には悪い奴ではないのだが、

年齢の割に幼いのだろう。

50を過ぎて幼いと表現するのは不相応かも知れないが、

でもそう思う。

自分の感情の処理の仕方を知らないのだろうな。

世の中の不条理や、納得できない不合理にどう向かうか、

その辺の経験値が少なく、

自分の思うように運ばないと、周囲が悪い・・となるのだろう。

粘着質とは少し違う異質さを感じる。

自分のブログが警察から見られている事を意識してか、

「警察を揶揄している訳ではない」とか、

これはフィクションです・・とか、逃げ道を作っている姑息さを

みっともないと思うのは俺だけだろうか?

まぁ、世の中蓼食う虫も好きずきと言うから、

ヤツの記事を読んで、ヤツに共感する奴も居るのかな?

ともあれ、俺には理解不能なヤツの思考回路だ・・・。


時代

2012年11月20日 | Weblog

先日、ふと考えた。

自分の年齢と親が鬼籍に入った歳。

俺の実の父親は、たぶん今の俺の年齢よりはかなり若くして生涯を終えたと思う。

会ったことがないから正確には分からないが、

俺が誕生した頃に、入院中の病院を抜け出し、そのまま行方不明だ。

その時点での病院のカルテを見た限りでは、

その後の数年か、長くても10年は生きられない病状だったそうだから、

多分、40代半ばか50代で彼岸に行ったと推測される。

実の母親も今の俺の年齢くらいで亡くなったようだ。

「ようだ」と表現するのは、実際に看取ったわけでもなく、

俺が服役中にふと思いついて、

刑務所内の規則の(特別発信) 注 親族以外に手紙を出す許可 で

大分市役所に手紙を出して

調べて判明した事柄だ。

だから死因も享年も知らないのだ。

荼毘に付されたのがどこなのか、

何処に埋葬されているのかも知らない。

ただ、実父もどこかで亡くなって、

無縁佛で供養をされてると考えてるが、

実母も同じように行政の手で同様に無縁供養を受けてるだろうと思う。

ならば彼岸で実父と実母は再会し、

まぁ、お互いに知らぬ仲でもないのだから

「焼けぼっくいに火がついて」仲良くやってるだろう。

 

実父も実母も、戦中・戦後を必死に生き抜いて、

喰う事だけに追われて過ごして人生だったと思うが、

それに比べると俺は幸せだ。

親の歳を超える歳になっても、まだ「実現させたい目標」があり、

そこに向かって進めるなんて、ありがたいことだ。

 

この所、血圧が高いし糖尿も出ている。

この年齢ならば仕方ないと言えばそれまでだが、

「障害者専門の旅行会社」を実現するまでは、

ヘタる訳にはいかない。

血圧も糖尿も自己管理で改善できるはずだ。

そう考えて、食事や飲酒に気を配る今日この頃だ。

そういう歳になったのだな・・・。

 


見える結末 2

2012年11月09日 | Weblog

前々回の記事の続き。

先日、神奈川県逗子での「ストーカー殺人事件」は

犯人の自殺で終わったが、

ストーカー事件はこういった結末が少なくない。

記憶に残る「桶川ストーカー殺人」も、結局は被害者が殺され、

犯人は冬の北海道の湖畔で自殺して、発見された。

警察はどうしても動きが後手に回ってしまうようだ。

その原因はどこにあるのだろうか?

そこには「男と女」という、三者には窺い知れない感情と、

さらには人間の根底に流れているドロドロとしたものが、

問題の根深さと真相を見極めて判断・処理を難しくしているのだろう。

俺も、女との別れでこじれた事はある。

見方によればストーカーと言われても仕方ない場面も

有ったかも知れない。

俺の場合は、大体は女から別れを言い出されたらそれを呑むほうだ。

しかし、その時に「実は他の男ができたから・・」といった事情なら、

基本的には俺は女を許さないし、その「男」にもケジメは持ち込む。

それは、女に対しての愛情以上に「自分のメンツ」

「プライド」があるからだ。

従ってその部分さえ納得できれば、自分がシンドくても

女の申し出は呑む。

本当に好きな相手が望むなら、

やはりそれに協力してやりたいからだ。

 

俺はストーカーは良くないと思っている。

しかし、自分の都合だけで相手の男の気持ちを

踏みにじるような事ばかりして、

都合が悪くなると警察に被害を訴える女も確かに居るのも事実だ。

そんな対応をされて、男が意地になる気持ちも理解できる。

相手の女を殺してやりたいとか、

相手の人生を破壊してやろうと思うのもわかる。

こうした事件の大部分のケースは、被害を届けた側は「良」で、

届けられた側は「悪」と決めつけられ、処理されてしまう。

そこで益々届けられた側に、遣る方無い憤懣がうずまき、

やがて爆発するのだ。

逃げる女を保護する事は最優先だが、

追う側の気持ちや怒り、やるせなさや納得できない感情を

どこかで、誰かが受け止めるなり処理しないまま追い払うのは

片手落ちの対応の気がする。

もっとも、ストーカー事件の加害者と言われる人間には、

境界性人格障害や二重人格、または発達障害の人間もいるので、

そうした人間には治療が必要ではある。

とにかく「逃げる側」が良い人で、

「追う側」は悪い人というククリは正鵠ではないだろう。

 

基本的に「相手を殺してその場で自分も命を断つ」ほどの

覚悟をする人間は稀にしか居ないのだが・・・。

追う側と追われる側の双方が、円満な幕引きができるようにするには、

やはり逃げるだけでは解決出来ないだろうし、

追う側も「話の落としどころ」

「自分の納得できる妥協点」を決めておくべきだろうな。