手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

身近な訃報

2009年03月24日 | Weblog
俺の会社の親会社はタクシー会社だ。

社員は300人位だろうか。

本社と営業所が2ヶ所。

俺の事務所の隣が、2ヶ所の営業所の一つになっている。

昨日、その営業所の乗務員が亡くなったことを聞いた。

タクシー会社は人数が多く、出入りも多い。

しかも、早番勤務や遅番勤務などのシフトがあるので、

顔を合わさないために、名前や顔を知らない者も少なくないが、

亡くなった乗務員は俺も何度か言葉を交わした人間だった。

享年60歳。

俺と同じ年齢だ。

振り返ってみると、この数年の間に身近な訃報は何度も聞いている。

もう5人か6人は亡くなっていると思う。

タクシーの運転手は高齢者が多い所為もあるだろうが、

業務の過酷さも大いに関係が有るかも知れない。

他のタクシー会社の知り合いだが、

会社の仮眠室からなかなか起きて来ないので、見に行ったら死んでいたという者もいた。

都内のタクシー会社に、何人の乗務員がいるかは知らないが、

一年間にその中の何人が亡くなっているのだろうかと、ふと思った。

多分、総数に対しての死亡者数の割合はかなり高いと思う。

高齢者が多いことを別にしても、その辺りは究明する必要が有ると思う。

俺の会社だけでも年に二人くらいは亡くなっているのだから、

全タクシー会社ならばかなりだろう。

無論、持病やその他の病気が直接の死因であっても、

過酷な勤務が引き金になったり、悪化させたりは否めないと思う。

「豊かな国・日本」の薄っぺらな豊かさが垣間見える気がする。

ボス

2009年03月12日 | Weblog
全国重要指名手配の頃に、札幌に潜伏していた事は前にも書いた。

当時、富良野(厳密には富良野の近くだが)出身の女の子と暮らしていたが、

その子の希望で当時はまだ珍しかったミニチュアダックスを買った。

通常は20万位の相場だったが、俺達が買ったのは8万5千円のオスの子犬だった。

値段が安かったのは、尻尾の付け根に×印の傷が付いていたからだ。

その傷は産まれるときに帝王切開だったのだが、

執刀の獣医がメスを深く入れすぎて、胎児の子犬に傷が付いたと言うことだったらしい。

別にコンテストや品評会に出すつもりなどさらさら無かったから、

俺達はその子犬を選んだのだが、その子犬を選んだ決め手は値段だった。

豊平区中の島2条7丁目のマンションに連れ帰り、二人と一匹の暮らしが始まった。

俺の逃亡潜伏生活にその犬がかなりの「和み」の時間を作ってくれた。

幼犬の頃、部屋のソファーに横になってテレビを見る俺の腹の上に乗り、

微睡む子犬の顔は、俺に頼り切った無防備が見て取れ、

愛着を掻きたてられたものだ。

俺が放屁するときに子犬を呼び寄せ、俺の股ぐらに頭をねじ込んで押さえつけ、

逃げられないようにしてから「ブッ」とかますと、

くしゃみをしながら頭を振るしぐさが滑稽で、よくやっていたが、

そのうちに俺が呼ばなくても、俺の放屁の音がすると部屋の隅にいても走り寄り、

俺の股ぐらに頭を突っ込んできて「クンクン」と匂いを嗅ぐようになってしまった。

見ていた彼女は「あんた馬鹿じゃないの・・・」と、子犬を蔑むように見ていたが、

犬の嗅覚は人間の2万倍というから、子犬時代に俺の屁の匂いで頭がクラクラしたのを覚えていて、

やがて高校生の「ガスパン遊び」やちょっと前まで流行った「シンナー遊び」のように、

「クラクラ感」を求めた俺の放屁吸引だったのかも知れない。

そのミニチュア・ダックスフンドの名前は、ボスといった・・・。