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アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務

2022年07月31日 16時31分59秒 | 物理学、数学
アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務

内容紹介:
科学革命とアインシュタインの来日が大正・昭和の文化と思想に与えた衝撃を社会史的に描く感動的ノンフィクション。1では、来日が巻き起こした全国民的熱狂のドラマを再現。全国各地での講演会の様子、学生たちとの熱い交流、子供たちとのふれあい、博士の日本文化観などを生きいきと描く。アインシュタインが福岡で行なった貴重な講演記録を収録。第三回サントリー学芸賞受賞。

2005年2月16日刊行、495ページ。

著者について:
金子 務:公式サイトウィキペディア
1933年埼玉県生まれ。1957年東京大学教養学科(科学史・科学哲学)卒業。読売新聞記者、中央公論社編集者、大阪府立大学教授(総合情報センター所長)、図書館情報大学教授、平成帝京大学教授、放送大学客員教授をへて、大阪府立大学名誉教授、国際日本文化研究センター共同研究員、形の文化会会長、(財)日本科学協会理事。2020年12月16日、死去。


理数系書籍のレビュー記事は本書で477冊目。

本書はもともと1981年に単行本として刊行されていた。そして2005年の世界物理年を契機に文庫化されたものだ。世界物理年とは、その後の物理学に大きな影響を与えたアインシュタインによる5つの論文が発表された1905年を「奇跡の年」とし、その100年後の2005年をマイルストーンとして宣言したものだ。

アインシュタインはその生涯に一度だけ来日し、43日間を日本で過ごしている。博士を招聘したのは日本国政府でも、東京大学でもなく、発足まもない改造社という総合月刊誌を刊行する出版社だった。博士が日本に滞在したのは1922年11月下旬から12月末まで、いまからちょうど100年前のことだ。10月8日に南仏のマルセイユから博士ご夫妻は日本の定期客船「北野丸」に乗り込み、地中海からスエズ運河を経て、コロンボ、シンガポール、香港、上海を経由して神戸港に着くという40日間の船旅だった。そして香港から上海へ向かっていた11月12日の夜、船上で1921年度ノーベル物理学賞受賞の知らせを受けたのである。博士が43歳のときのことである。

博士は1905年に分子運動論、特殊相対性理論、光量子説の論文を、1915年から1916年にかけて重力の理論である一般相対性理論を発表し、一躍世界的に知られる物理学者になり、1919年の日食観測で星から来る光線が曲がったことが検証できたことで一般相対性理論が正しいことが確認され、その名は科学界のみなならず一般大衆にも知られるようになっていた。このようなわけで、博士が来日したのは日本国民にとって絶好のタイミングだった。日本中が「猫も杓子も相対性理論状態」で、世紀のロックスター、ザ・ビートルズが1966年に来日したときよりも激しい旋風を引き起こし、その後の日本の科学、文化、思想に大きな影響を残したのである。まさに怒涛の43日間であった。(当時の写真を画像検索する。)

来日後の主な日程を箇条書きにすると、次のようになる。43日間息をもつかせぬ過密スケジュールだった。

11月19日  慶応大で一般講演
20日  小石川植物園で開かれた学士院の歓迎会に出席。夜は明治座で日本の芝居を見物
24日  東京・神田青年会館で一般講演
25日  東京帝大で、専門家に向けた学術的な講演(12月1日まで、日曜休み)
12月3日  仙台で一般講演。夜は松島で月見
4日    日光へ
8日    名古屋で一般講演
10日  京都で一般講演
11日    大阪で一般講演
13日  神戸で一般講演
17日  奈良で観光
24日  福岡で一般講演
29日  門司港から離日

新興出版社の改造社は総合月刊誌「改造」を創刊した当初、ごく小さな会社だった。創刊号はもとより第2号、第3号の売れ行きも芳しくなく、社長の山本実彦は社運を賭けた大博打に出る。国内のみならず世界中の著名人に原稿執筆を依頼し、来日講演を依頼することにした。そのひとりがアインシュタインだったわけである。社員をベルリンの博士のもとに出向かせ来日のための交渉を任せた。また国内の著名な理論物理学者、たとえば東京帝国大学の石原純長岡半太郎に協力をあおぎ、アインシュタイン博士へ歓迎の意を伝えたり、特に石原純には雑誌「改造」のアインシュタイン特集号や一般向けの通俗書(科学教養書)の執筆や、来日後の講演、講義の通訳を依頼した。日本各地で行われた理系学生向けの講義や一般向けの講演は、いわば入場料をとる「興行」であり、社長の山本実彦にとっては傾きかけた会社を立て直し、V字回復するためのビジネスチャンスだったのである。

東京で行われた第1回の一般向け公演は入場料5円である。現在の価値で1万円ほどだったが大入り満員だった。第2回の講演は仙台で行われ、入場料3円だったものの不発に終わった。これは仙台で無料の歓迎会が別途行われたため聴衆はそちらに流れてしまったためだと思われる。これ以降、山本は有料の講演会を無料の歓迎会と切り離し、利益の確保を優先する方針に切り替えた。

本書の巻末には福岡で行われた一般向けの講演の内容がすべて収録されているが、これを読む限り聴衆はほとんど理解できなかったものと僕は思った。僕は一般市民向けの物理学講座に何度も参加したことがあるが、アインシュタイン博士の講演に来ていた人々は「とにかく顔だけでもおがみたい」という一心で押し掛けた大衆であり、内容はさっぱりわからんという状態だったと思う。この講演の記録を読んだところ、ビジュアルなイラスト付きで解説する科学雑誌Newtonを読むほうがはるかにわかりやすいと僕は思った。

特殊相対性理論と一般相対性理論は、物理学の諸分野のなかでは比較的一般の人でもわかりやすいものだ。というのも空間や時間の伸び縮みはイラストに描きやすく、重力は日常生活でいちばん身近に感じている力だからである。ところがアインシュタイン博士の講演では、物理学の専門用語がたくさん使われ、説明の正確さを期すあまりにマイケルソン-モーリーの実験や異なる2つの座標系など、一般人にはなじみのない話がさも当たり前のように次々とくりひろげられる。

当時の一般大衆は「相対性理論」という言葉を聞いてもさっぱりわかっていなかった。相対性を「あいたいせい」と読み替え、相対(あいたい)は男女の関係のことであり「性」はご想像のとおりであるから、これは「男女の性的な営み」についての理論だと言い出す人が出る始末である。もっと真面目に理解しようとする人であっても、時空が曲がるアインシュタインの相対性理論はまったく理解するに及ばず、ガリレイの相対性原理のレベルを脱することができない人が大半だった。日ごろ、科学的なことについて反応を示す現代の人のツイートを見る限り、大正時代と現代の一般大衆の科学に対する理解のレベル、反応の仕方はほとんど変わらないと僕は思った。講演に押し掛けた聴衆は、とにかく世界でいちばん有名な「知の巨人」をひと目でも見たい、その声を聞いてみたいという好奇心を満たしたかっただけなのだ。

大学生向けの講義についても同様だ。当時一般相対性理論を理解していた物理学者は日本に数名いたかどうかというようなありさまで。その数学的な基礎とされるリーマン幾何学という微分幾何学、テンソル代数の理解が必要である。リーマン幾何学とは多次元の空間がどのような形に曲がっていたとしても、その空間を記述できる万能な方程式のことだ。(参考記事:「幾何学の基礎をなす仮説について:ベルンハルト・リーマン」)

その基礎の基礎として必要になる線形代数さえも当時の大学生は学んでいない。実際のところ線形代数が理系大学で教え始められたのは1960年代に入ってからのことである。(参考記事:「線形代数学入門のための教科書談義」)一般相対性理論は、現代では理系大学の学部3、4年の選択科目として教えられ、より理解しやすい副読本がたくさんでている。参考までにアインシュタイン博士来日当時に発売されていた通俗書(科学教養書)をこの記事の最後のほうに紹介しておく。また、数式を使って一般相対性理論を理解する流れがどのようになるのかを手っ取り早く知りたい方は「一般相対性理論に挑戦しよう!」という記事をお読みいただきたい。

本書の章立ては次のとおりである。日本滞在中のことだけでなく、その前後の状況、博士が日本文化や日本人に対してどのような印象をもったか、博士の講演、講義や来日そのものを当時の日本人がどのように受け止めたかなどを詳しく知ることができる。本書は怒涛の43日間を追体験できる本なのだ。また日本に向かう船上と日本滞在中に撮られた貴重な写真がたくさん掲載されている。

現代文庫版へのまえがき
第1部:大正時代を揺るがせた43日間 - アインシュタイン・ブーム -
プロローグ:アインシュタイン伝の空白と『訪日日記』
第1章:日本上陸
第2章:ベルリンにおけるアインシュタイン
第3章:日本への旅 - 揺れる決断
第4章:大正時代の世相と「相対性」
第5章:一般講演と学生たちとの交歓
第6章:人間アインシュタイン
第7章:間奏曲 - ラテナウ暗殺とハルデン証言の衝撃
第8章:アインシュタインの日本文化観
第9章:別れの日
補章:全記録・アインシュタイン福岡講演
付記1:アインシュタイン伝における空白の部分
付記2:アインシュタイン訪日日程表

本書でひときわ面白かったのは、アインシュタイン博士が女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)での歓迎会に招かれたときのエピソードである。本書からその部分を引用してみよう。

「会場を出たら、自動車に行く途中、女子高等師範学校の女学生が押し寄せた。博士は女学生の間に這入つて身動きもならぬ。キヤ~キャ~云ふ声で火事場のやうな騒ぎだ。博士の両方の手は女学生の大群の為めに無理やり握手に忙殺されてゐる。やうやく自動車の中に這入る。窓ガラスをたたいて又キャ~キャ~云ふ。博士は大喜び?「生まれて初めてです、こんな大勢の若い婦人に大騒ぎされたのは」と云はれて窓の両側を見て、「なかなか別嬪(べっぴん)もゐますよ」と云つて笑はれた。自動車は神田のあかるい道を走つた。「いや今日は面白かつた」と云つてあの騒ぎを思ひ出されてゐた。」

博士は貴重な体験をした。生涯で一度きりのことだったと思う。ヒーローに対して日本の若い女性の群衆がとる熱狂的な行動は、昔も今も変わらないということがわかり、僕はニヤリとせずにいられなかった。

第8章「アインシュタインの日本文化観」であるが、博士は日本でさまざまな日本の伝統芸能や伝統文化を体験する。また科学や哲学、宗教観について意見を交換した。そして日本人は自然科学に関してまったく無頓着で、自然がどのようであろうと関心をもっていないという感想を述べた。しかし、僕が思ったのはこれには少々特殊な事情があったと思う。博士の周囲にいてお世話をしていたのは、理系的なことには疎い人たちがほとんどだったからだ。相対性理論どころか「40℃は20℃の2倍である。」と言ってしまうような人たちだったのだと僕は思う。また日本人全体について、自然科学に関する教養のレベルは大正時代も現代も五十歩百歩だと僕は思うのだ。

43日間の異世界体験は、ヨーロッパに限られていた博士の関心を全世界へ広げるきっかけになった。帰国後、ヒトラー率いるナチスドイツがますます台頭し、ユダヤ人の博士にとってドイツは住みにくいどころか命の危険がある国になっていった。博士がアメリカへ亡命するのは訪日から11年経った1933年のことである。そして1955年に亡くなるまで博士はドイツに戻ることはなかった。

本書は絶版である。中古本はこちらからお求めいただきたい。

アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務
アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃:金子務」(紹介記事
 


「アインシュタイン・ショック」の最初のほうに、著者が苦労してアインシュタイン自身が書いた日記を読んだという記述がある。2019年にその日記がドイツ語から英語を経て日本語訳され、本として刊行された。博士ご本人がどのように感じていらっしゃったかは、次の本で知ることができる。

アインシュタインの旅行日記:アルベルト・アインシュタイン」(Kindle版



アインシュタイン博士が日本に滞在した前後に、一般大衆向けに書かれた本は、現在でも読むことができる。どれくらいわかりにくかったかは、これらの本を読めばわかる。

相對性原理:石原純」(Kindle版
「アインスタインと相對性理論:石原純」(Kindle版
アインシュタイン講演録:石原純」(Kindle版
  


数式が理解できる方には、アインシュタイン博士ご自身が書いた、この2冊をお勧めする。

相対性理論:アルベルト・アインシュタイン」(Kindle版
相対論の意味:アルベルト・アインシュタイン」(Kindle版
 


数式がまったくわからない方には、ニュートンプレス社のこれらの本をお勧めする。

Newtonライト2.0『相対性理論』」(Kindle版)(詳細
Newtonライト3.0 相対性理論」(詳細
ゼロからわかる相対性理論 改訂第2版」(詳細
  


関連ページ:

時は戦前。来日したアインシュタインを感動させた神秘の国ニッポン
https://www.mag2.com/p/news/242620

ア博士来日
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2013031800011.html

アインシュタインが講演で来訪
https://www.qsr.mlit.go.jp/suishin/story2019/06_15.html

アインシュタインの来日 −日本の物理学へのインパクト
https://www.jstage.jst.go.jp/article/oubutsu/74/10/74_1293/_pdf

[ステンドグラス] アインシュタインと慶應義塾
https://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2005/248.html

アルベルト・アインシュタインと日本
http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm

こんな記事、読めます No.29「アインシュタイン来日」(雑誌『改造』ほか)
https://www.library.pref.kyoto.jp/?pickupkiji=32451

アインシュタインの来日100周年記念
https://japan.diplo.de/ja-ja/aktuelles/-/2516626


関連記事:

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃:金子務
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/2ce7d4805cda10c7a1baeba6ac25f0e4

神は老獪にして…: アブラハム・パイス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d9258ed7a2d52173116ccd6e61ba0881

アインシュタインここに生きる: アブラハム・パイス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4e64de68cf38281792de9a34fc249ad5

だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0f1e91e296d8d83ff2759c2de190be57

アインシュタインの反乱と量子コンピュータ: 佐藤文隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9fa38724ad6881636cdff2903ee14a5b

アインシュタイン選集 1 ―特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動―
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/26d6fc929bf7b9f0fc1e2a210882f559

アインシュタイン選集 2 ―一般相対性理論および統一場理論―
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d3d0869ab3911e84845b5b121bd1aa3e

アインシュタイン回顧録:アルベルト・アインシュタイン
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/2481867f87eeb2269e39426b36ea568f

一般相対性理論に挑戦しよう!
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ea7ad9292ce01ad4abbbc8c98f3303d0


 

 


アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務


現代文庫版へのまえがき

第1部:大正時代を揺るがせた43日間 - アインシュタイン・ブーム -

プロローグ:アインシュタイン伝の空白と『訪日日記』

第1章:日本上陸
- 神戸埠頭のアインシュタイン
- 日本の第一夜・京都
- 東上する「国際」列車で
- 東京駅頭の大歓声

第2章:ベルリンにおけるアインシュタイン
- 曲がる光を予言した天才の出現
- 反相対論会社と反ユダヤ
- アインシュタインの大旅行時代

第3章:日本への旅 - 揺れる決断
- 9月27日付の2通の手紙
- 改造社の大攻勢と学者の招聘
- 円とポンド - 断念と決断
- アインシュタイン招聘の仕上げ

第4章:大正時代の世相と「相対性」
- 大正11年の日本の社会
- 世間の「相対性」評判記
- 相対性理論「映画」と「劇」
- 「学者を迎える態度」への論評

第5章:一般講演と学生たちとの交歓
- 興行としての講演旅行
- 学生たちとの熱い交流

第6章:人間アインシュタイン
- 弱者への労り
- エルザ夫人のこと
- 借着騒動・ユーモア・警句
- 友情の追悼碑文

第7章:間奏曲 - ラテナウ暗殺とハルデン証言の衝撃

第8章:アインシュタインの日本文化観
- ヨーロッパ知識人の東洋 - ハーンとアインシュタイン
- 洋上体験と「日本」観察
- 日本文化の型 - 芸術を手懸りとして
- 音楽 - 一種の抒情的な画
- 茶道 - 生活様式の「詩」
- 建築と絵画 - 相対論的視点
- 日本知識人の文化的弱点

第9章:別れの日

補章:全記録・アインシュタイン福岡講演

付記1:アインシュタイン伝における空白の部分
付記2:アインシュタイン訪日日程表


人名索引


II(第2巻)

第2部:日本の文化と思想への衝撃 - アインシュタイン・エフェクト -

第1章:アインシュタインにとっての訪日体験
第2章:東北の月沈原とアインシュタイン
第3章:二人のアインシュタイン学者
第4章:アインシュタインと社会思想家たち
第5章:大正文化人の反応と感想
第6章:相対性理論のカルチュア・ショック
第7章:科学界への衝撃と影響
第8章:アインシュタインにおける平和と原爆

エピローグ:なぜアインシュタインか
付記1:大正年間における相対性理論関係者
付記2:アインシュタイン年譜


あとがき
人名索引

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4 コメント

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Unknown (T_NAKA)
2022-08-31 09:12:42
事後で申し訳ありませんが、この記事を引用させていただきました。
https://tnakabou.seesaa.net/article/491098029.html
T_NAKAさんへ (とね)
2022-09-02 01:47:37
T_NAKAさんへ

この記事を引用していただき、ありがとうございました。
T_NAKAさんの記事では宮沢賢治の「春と修羅」とアインシュタインのことをお書きになっていますが、これは「アインシュタインショック<2>」のほうで取り上げられているのです。なかなか読む時間がとれないため、紹介記事が延び延びになってしまっています。

アインシュタイン来日で日本中が盛り上がっていたころに賢治の妹のトシが亡くなりました。(1922年(大正11年)11月27日没)博士が来日したのが1922(大正11)11月17日から12月29日でしたから、賢治にとってはとてもつらい時期だったのです。
Unknown (T_NAKA)
2022-09-02 10:34:04
「春と修羅」に掲載されている「永訣の朝」は歴史に残る名作で、若いときに読んで感動しましたが、年齢を重ねるほど、近親者の死に立ち会う機会が増え、最愛の妹を失った賢治さんの深い悲しみが若いときより分かるようになりました。今は涙なしには読めません。
T_NAKAさんへ (とね)
2022-09-03 15:22:12
T_NAKAさん

「永訣の朝」は(僕の)妹が亡くなった日の晩に読み返しました。悲しみに打ちひしがれている中で、賢治が妹のトシの最期の日々を思い出し、自然に心から湧き出た感情を文字に残しだのだと思います。

どん底で放心状態だった僕はこの作品を読んだことで、亡くなった妹への無念と悲しみが交錯する複雑で宙ぶらりんな感情を変化させ、より深い悲しみに浸ることができました。

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