とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!

今日も派遣村でお手伝い

2009年01月03日 03時57分56秒 | 日記

元日に続き1月2日も日比谷公園で行われている「年越し派遣村」へ行った。(昨日の記事はこちらを参照。)今日は体中に「村民」の方々と同じ臭いをたっぷりつけてきたので、帰りの電車では周囲の乗客にさぞ迷惑をかけたことだろう。僕の行いはどうであれ、臭いは臭いなのだから。

特に新宿から帰宅する京王線で僕は優先席に座っていたものだから、後から乗車された女性2人(おそらく買い物帰りの上品なお母様と可憐な雰囲気の娘さん)に席を譲った。僕は女性に席を譲った後のドキドキ感があったので電車を降りてからしまった!と思ったのである。もし服に臭いをつけてしまっていたとしたら、ごめんなさい!

さて今日のレポートをはじめよう。

派遣村へは午後から出かけた。昨日知り合ったTさんは入口近くの喫煙所にいた。今日僕が来ることは約束していなかった。約束して万が一来れないと期待を裏切ることになるから。今日来れるかどうかはまだわからないと言っておいたのだ。

到着早々、何か不満をわめき散らしている村民がいた。Tさんは「俺の真似をするのはやめとけ、って言ったんだけどなぁ。」と冷静な様子。実は開村初日の晩(12月31日)にTさんがそれと同じことをしていたのだ。不満をぶちまけたい気持ちはよくわかるのだが、あれは俺のコピーだ。俺はもうあんなことはやらないよ。と落ち着いている。

昨日と何か様子が違う。話も筋道が通っていてわかりやすい。Tさんは体力が落ちていたのだ。昨夜大部屋の休憩所に場所がとれず、周囲のテントもふさがっていて外で寝ることを余儀なくされていたのだ。朝4時まで眠れず、寒さに耐えかねて本部の近くにある石油ストーブの近くに横になったらしい。気がつくと「委員」の人たちがTさんに毛布を積み重ねるようにかけてくれたのだという。凍死しないように。

それと他の何人かの村民とも知り合いになって気心が通じたようで、昨日ほどマナーの悪い一部の村民の悪口を言わなくなっていた。

僕は炊事をしている場所へ向かい、作業しているボランティアが昨日とはだいぶ入れ替わっているのに気づいた。相変わらず僕は調理に加わる隙を見つけることができず、しばし失業状態。ボランティア登録した人数は昨日の時点で500名ほどいたそうだ。村民登録は今日まででおよそ300名。実際は村民登録していない職を失った方々が多いのでおそらく1000人くらいはいたんじゃないかな。



炊事や調理の準備は多くのボランティアが作業していたので、これに加わるのはあきらめて、僕は困っていそうな村民を探して小さなお手伝いをすることにした。休憩所で靴が見つからないと言っている村民のお手伝いをしたり、暖をとっている彼らの立ち話に加わったり、来たばかりのボランティアに道案内をしたり。



でも僕は明らかにTさんをえこひいきしているし、話をする村民を限定してお付き合いしている。そうしないと「心」が見えてこないのだ。それは相手にとっても同じだろう。今日はTさんにタバコを1箱あげた。そうしたら、彼は周りの人にすぐ配ってしまい、あれあれと言う間に箱には数本しかなくなっていた。村民だけじゃなく喫煙所にいるボランティアにも配るものだから。そういうことをしてTさんは嬉しそうにしていた。

今日は民主党の菅直人さんもお見えになり、かなり長い時間を使って村民と直接話をしたり、メディアのインタビューに答えていた。僕がいる間だけでもたぶん2度ほどいらっしゃったと思う。僕が菅さんを直接目にしたのは、だいぶ前に中野駅北口の街頭演説で両手で握手をしたときだ。菅さんの手はやわらかで温かかった。



メディアは菅さんや「派遣村の村長」の湯浅さんなど有名人の撮影がメインだ。もっと村民や「委員」、ボランティアの状況をレポートすればよいのにと思った。カメラマンしか来ておらず、レポーターが来ていないからだと僕は思った。

そうこうするうちに野外音楽堂で集会がはじまった。「あいさつ」や「派遣村の趣旨説明」からはじまって「村長」でNPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長の湯浅さんによるお話や村民に対する作業への協力の呼びかけや注意点、閉村して以降のことなど。あとゴミの散らかし問題がおきているので公園や東京都からクレームがきているため、村民生活のルール遵守を強調していた。





実行委員会にも問題が生じていた。にわか仕立ての素人による組織なので、指揮系統の不足、クレーム対応、物品を寄贈してくれる方々への対応など今後の課題が残された。長年ボランティアをしている「経験者」から見れば「何やってるんだ!」と見えていただろう。しかしそういうことは改善していけばいい話である。

集会の後半はコンサートになった。沖縄のエイサー太鼓と女性ミュージシャンの演奏だ。



沖縄出身のTさんは涙を流していた。そして1曲1曲それが何の歌なのか周囲の人に説明していた。僕の涙腺もゆるみっぱなしである。

女性ミュージシャンは、よくストリートで見かけるような感じのだ。歌はうまいが歌詞が英語なのを謝っていた。ジャンル的にはここに集った人には合っていなかったかもしれない。でも気持ちが通じればよいのだ。エイサー太鼓が強烈だったために歌手のほうのステージは最初のうち白けムードが少しだけあったような気がしたが、後半は村民の方も応援してくれて持ち直した感じだ。歌手の方には失礼だが、これが僕の率直な感想。でも、これからのライブ活動頑張ってくださいね!特に「委員」の一人が「運転手のボランティアの募集」をアナウンスしたとき、歌のサビの部分にかかろうとしていたにもかかわらず、歌うのを中断してくれたあなたのやさしさを僕はずっと覚えていますよ!

Tさんの知り合いの青年(30歳くらい?)とも話をした、派遣切りされかけた後、交渉の末に仕事に戻れたそうだが、彼はネットカフェ難民経験者である。彼によると若い女性にも同じ状況の人はたくさんいるそうで、その多くが性風俗産業に流れるか個人営業しているということだ。そしてそういう商売ができない人は明け方のマクドナルドやネットカフェにたくさんいるということだ。そこまでするんだったら親元に戻ったほうがいいのにと僕が言うと、彼は「戻れない人たちばかりなんですよ。ほとんどの女性がいろいろな事情を持っているから。」と教えてくれた。絶句。。。それじゃ逃げ場がない。

女性たちの状況は予想はしていたもののあらためてその様子を聞くと心が痛んだ。そういう商売をしばらく続けていると子供を産めない体になってしまう。違法性もそうだけどむしろそのことが僕は心配だ。少子化問題のことやこの国はいったいどうなっちゃうんだろうと思った。婚前交渉はもはや死語だが、女性には好きな男だけとそういうことをしてほしい。もちろん男性もだけど。

女性の村民は2人ほど見かけた。だいたい50歳くらい。けれども数年後にはマクドナルドやネットカフェにも行けなくなった女性でもっと数が増えるような気がした。性風俗にしてもそこに至る途中経過でしかない。キャバクラで心が壊れ、性風俗で心と身体が壊れてしまう。そして公園にたどり着く。

Tさんは朝から何も口にしていないので、僕は食事や今夜の寝床のことが気になりだした。早めにTさんのテントを確保することにした。Tさんはときどき何か口実をつくって一人になりたがっているように見えたからだ。休みたかったのだ。

入り口の近くに半分ずつ赤と青の生地でできた小型テントを確保し、そこに毛布を運んだ。その中で1時間ほどTさんと話をした。僕が服に臭いをつけて帰ったのはこのためだ。これ以降僕はテントでTさんや他の村民と話したり、体力の落ちたTさんに代わって炊き出しの長い列に並んだりしたから、村民臭をまとうことになったのだ。でも洋服についた臭いは僕の行為の証みたいなものである。(「勲章みたい」と書きかけたが、なんだか大間違いなのでやめた。)

テントで横になったTさんは生い立ちからここに至るまでの長い話をしてくれた。昨日と違い、物語を聞いているような感じ。どういう両親の元で育ったか、兄弟姉妹のこと、家出のこと、奥さんとの出会いと別れ、息子さんと娘さんのこと、どうして家族と連絡がとれない状況なのか、派遣村にくる直前のことなど。詳細はTさんの個人情報なので書かないでおくが、それらはひとつひとつ納得できた。

Tさんに早く休んでもらいたかったので、僕は食事を受け取りに炊き出しの列に並んだ。もちろんはじめての経験で(言うのは悪いが)ワクワクした。150人くらいの列でなかなか前に進まない。すぐ隣に僕が到着したとき不満をわめき散らしていた村民がいた。

もう落ち着いた様子だったので「さっきの見てTさんはやめときゃいいのに、って言ってましたよ。」僕が言ったら彼は照れくさそうにしていた。言いたいことをすべて吐き出してすっきりしていたのだ。それから順番が前に進むまでしばらく彼から都内あちこちの炊き出しの様子を聞いた。若そうに見えたが65歳なのだそうだ。

僕はうどんや餅の列に並んでいたのだがあと30人ほどというところで、品切れになってしまった。仕方なく「おにぎり」のカウンターに行きTさんのぶんだけもらった。昨日はTさんが意地を張って食べようとしなかったので僕も一緒に食べることにしたのだが、食材が足りないことを知ったのだから今日は僕が食べるわけにはいかない。

もらえたおにぎりはたった1つ。それもコンビニで売っている三角おにぎりの3分の1程度、幼稚園児の遠足用みたいなのが1つだけ。。。唖然。そういう状況だったのだ。僕はお茶ももらってテントに戻った。

失礼しまーす!と「おにぎり」を手渡した。あれっ!違う人だ!テント間違えたかな?

Tさんのテントにはもう一人(Tさんの知り合いの)村民の方がいたのだった。隣にTさんは横になっていた。あ、これじゃ食事が足りない。。。。僕はもう一度炊き出しの列に戻った。しかしおにぎりもなくなり、僕はみかん2つとお茶を持って帰った。

さすがにこれじゃ足りないだろう。遠慮するTさんを振り切って僕は外へ「牛丼」を買いにいくことにした。公園の外は霞ヶ関の官庁街。松屋も吉野家もありゃしない。タクシーを拾って新橋へ。(笑)松屋と吉野家を見つけたので、松屋で並3つをテイクアウト。薄味の松屋のほうが僕の好みだし、彼らの胃にもやさしいことだろう。そのままタクシーをつかまえて公園に戻った。

Tさんはすぐ食べられないようなので、僕はTさんの友達(?)と食べた。彼は食欲旺盛だったので大盛にしとけばよかった。半分僕のをあげたけど。。。

そんなふうにして僕の2日目が終わった。Tさんに別れを告げて僕は家路についた。明日は家の用事があるので村には行かない。明後日は村のお仕事を手伝うことにしたが、その予定や詳細はまた次回の記事に書く予定だ。

年越し派遣村関係の記事は、おそらく次回が最終回になる。1月5日からは僕も仕事がはじまり、いつもの日常に戻るはずだ。

なお、この記事を読んで派遣村にお志を送ろうと思われた方もいらっしゃるかもしれない。ご注意申し上げるが「古着」は十分足りているそうだ。せっかく持ってきていただいても受け取ってもらえないので、カンパや食料などでご支援をお願いいたします。


次の記事に続く。


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37 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (まじぇんだ)
2009-01-03 17:45:58
派遣村についてネットでしらべていてたどりつきました。
私も派遣労働者でとりあえず、今は、仕事もありますが、明日は、我が身と思い先ほど気持ちですが 寄付をしました。

こうやってひとり、ひとりが何かをする為に立ち上がることが
明日の未来をかえてゆけると信じています。
素敵なルポありがとうございました。

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まじぇんださんへ (とね)
2009-01-03 21:32:05
はじめまして。コメントありがとうございます!

まじぇんださんを含め、多くの方が寄付されたお金が職を失った方々の命を救ったり、生命維持につながるかと思うと、他の目的に使う同じ金額のお金の持つ意味と大きな違いがありますよね。

政治の責任や役割も大きいですけれども、今回の場合は寄付や炊き出しなど急な対応が必要です。一部、心無い人は(2ちゃんねる)などにひどいコメントをしているようですが、世間の大多数の人はこの活動に賛成だと思いますので、こういう協力を続けていきたいと改めて思いました。
返信する
Unknown (ズンダ餅)
2009-01-04 01:55:00
ボランティアしている貴方自身もこれが、派遣難民では少数と感じているのなら、疑問を感じないのですか?

行っている事自体は悪くはないのですが、5日以降はどうするのでしょう。占拠してしまった場合の責任を村長は取る覚悟でやっていればいいのですが
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スンダ餅さんへ (とね)
2009-01-04 09:14:01
スンダ餅さんへ
コメントありがとうございます。

> 派遣難民では少数と感じているのなら、
> 疑問を感じないのですか?

村の当初の設立目的は年末から発生している「突然解雇された派遣・期間労働者救済」ですので、(長期ホームレス者が多いこと)ということにギャップを感じましたが、人道支援という意味に自分自身の気を切り替えて、お手伝いしてきました。ホームレスの人は自ら望んでそうなった人も、そうでない人も両方いますが、命の救済という意味で助けるのは自然な行為だと思ったからです。

> 5日以降はどうするのでしょう。
> 占拠してしまった場合の責任を村長は取る
> 覚悟でやっていればいいのですが

何事にも行為には責任が伴うということについては
同感いたします。この件については今後の成り行きを見守っていきたいと思います。
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Unknown (ブッシュマン)
2009-01-04 10:32:34
日比谷の年越し派遣村がこれからどのように展開するのか、興味をもっております。

自動車産業と住宅産業という20世紀の代表産業が、販路を失って内部崩壊、壊死状態にある以上、これからますます派遣労働者のみならず、正社員も含めて、路頭に迷う人が増えてくるのではないかと思っています。

生活保護や雇用機会は、おそらくそのすべての人を救うには十分なだけないと思います。

そのとき、私たちは、どうやってお互いに助け合って生きていくのだろうか、派遣村はそのときのための実験場ではないでしょうか。


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Unknown (No name)
2009-01-04 10:35:51
はじめまして、
livedoorのトップページに紹介されていたので、
訪問させていただきました。

今メディアで頻繁に取り上げられている派遣村について、
メディアだけではわからない、
お話を拝見させていただきすごく心にしみました。

食糧が足りないという現状、
女性の派遣切り問題の末にある風俗業とのつながり、
自分が考えている以上に問題は深刻化しているのだと知りました。

厚労省が講堂開放、東京都が廃校になった小学校を開放、と徐徐に
国や自治体も動いているようですが、更なる支援に期待をよせたいと思います。

とにかく早急に政府に経済対策を実施してもらい、
一日も早く多くの人が野宿生活からの脱出できるよう望みます。

ボランティア御苦労さまです。

長々と書かせていただきましたが、この辺で失礼させていただきます。
返信する
はじめまして (「ニュース・ワーカー2」管理人)
2009-01-04 10:57:03
はじめまして。ブログ「ニュース・ワーカー2」管理人の美浦克教といいます。マスメディアで働いています。読んでいて、自分が現場に足を運んでいないことに焦燥感を持ちました。エントリーを拙ブログに引用させていただきました。
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お疲れさまです (龍作)
2009-01-04 11:56:33
1月2日も行かれたのですね。
お疲れさまです。私には出来ないことです。
ただ、私も、集まって来る人達のほとんどが今回の派遣切りで路頭に迷った人たちではなくもともとのホームレスであることには違和感を持ちます。
もちろんとねさんのおっしゃるようにホームレスの人たちにもいろいろ事情あって心ならずもそういう状況に陥った人たちも多いようでしょうから人道支援という観点から見れば正しいとは思います。
しかしそういった実情がまったく報道されないというのもメディアを信用できなくなっている一つの例ですね。
厚生労働省の講堂を開放せよと交渉したのは民主党も絡んでいるのですか?
講堂で寝泊まりしているほとんどの人たちはやはりホームレスなのでしょうか?
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長澤まさみの問題映像にワンクリック詐欺 ()
2009-01-04 15:44:13
長澤まさみの問題映像にワンクリック詐欺が入っています。このブログの責任者、何とかしてください。間違って押してしまいました。責任をとってください。
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とねさん、ご苦労さまです。 (桑原)
2009-01-04 16:43:36
>龍作さんのご意見
>もともとのホームレスであることには違和感を持ちます。
もっともだと思います、ある程度予想した方々も多いと思います。
でも、とねさんのリポートのおかげで、より有意義になったと思います。
とねさんとボランティアの方々そしてTさん、ご苦労様です。
派遣切をされた方々をホームレスにしない為には、ホームレスの方々の人生を知る事は大切だと思います。
派遣社員は工作ロボットでも牛や馬では有りません。
使い捨てにされた人間が、どう変わるのか。
悲惨な状態にしない為には私達はどうしたら良いのか。
マスコミ、政治家(市議会議員から国会議員まで入れると沢山いるはずなんですが)は何でも思いつく事は即実行してみるべきです。
心理カウンセラーや医療従事者は神戸や新潟の震災で家や仕事を失った人がどうなるのか知っているはずです。
心身を立て直すには我々は何をしたら良いのかマスコミや政治家に提案して欲しいです。
人間の使い捨て社会は止めなければいけません。
私個人はキャノンのカメラを10月に買ったことをウジウジと後悔しています。
派遣切をした会社の製品を全て絶対買わないのは不可能ですが、なるべく買わないようにします。
買う場合も、なるべく中古にします(他の人には勧めませんが)。
だって作っている人達が買えない様な低賃金で不安定な状況で働かせて儲けている会社の製品なんて買いたく有りません。
もともと内需なんて考えて無いのでしょうから。
親や教師は派遣会社の罠に嵌らないように子供を育てましょう。
派遣会社なんて人件費のかからないピンはね商売ですから。
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