めろめろ

とまったままのまま(09年6月25日) 2011.1.15ひさしぶりのぶり

すがすがしげお

2007年01月31日 | 紅色
 ところでいったい学校はいつまでなのだろうか・・・、と思った。
 ただいま学年末テスト真っ最中なわけであり、やはりこれが終わると、自動的に卒業式まで休業になるのだろうか。
 でもまあ、僕は三月まできっと、学校へ行って絵を描いているんだろうと思うのだけど。
 なにしろ国公立の実技テストというのが、でら遅い。
 二月末なのだ。二月末。
 そのくせ願書は二月六日まで、なんていうんだから。
 それでまあ、今日はやっぱり、これから描きたいテーマを考えていたわけである。いくら入試のための絵だからといって、無心に描けるとうれしいのだが、たいていの場合僕は途中で行き詰る。
 だから、最初からテーマを決めて、それに沿ったものを描くという方式をこの半年取り続けておるわけである。ちなみに一月のテーマは「人々」だった。
 うん。自分でも良く分からないのだけど、とりあえず僕が「人々」って思えたらいいわけだからッ。
 それで、夕方に母が僕を呼んだ。
 なんかなーって思ったら、「ちょっと手伝ってー」と言う。
 なんだなんだと居間へいくと、そこのマンションの大型ごみ置き場に、まだ使えそうな机があるんだって言う。
 うちの母は中古品救済者なのです。うちの母は捨てられていてもまだ使える主義なのです。
 そして母は
 「毎日そこのごみ置き場、チェックしてんねん」
 なんて言う。
 だから、仕方ないというか、まあ僕も暇なのには変わりないのだから、ちょっくら机運びに精を出してやるかよっこいしょーてな感じで、母と一緒に外へ。
 昼間はあんなに暖かかったのに、夕方五時ともなるとしびれるくらいの寒さ、である。
 徒歩五十歩のマンションへ行き、ごみ置き場を覗く。
 ベニヤ板張りの本棚とか、イスとか、いろいろなものが安置されている中に小さい机が一つあった。
 「そうそう、それそれ」
 で、二人がかりで運び出す。家へ戻る途中、近所の兄さんに見られて、かすかににやりとされてしまったけども、母は動じず。母強し。
 だから僕だけがその兄さんのにやりをやけに意識してしまい
 「ああー、いやこれは僕のための机ではなくて、母が個人的趣味の収集の一環においてこの机を、でありまして、僕は言うなればこの机に振り回された被害者の一人なのでして、あーいったい俺は高校卒業を間近にひかえ、何をやっておるのだろうかろろーんッ」
 とうつむいた。
 やっぱり今日は今日だけの一日で終わってゆくのである。

夜ふふふ

2007年01月30日 | 紅色
 かなしみは喜びだっ! なんてちょっと意味不明なことを考え始め、眠れなくなってしまった。
 そもそも一体なぜこんな考えに至ったのか。
 発端はといえば、明日のテストのための勉強ができないでいた時だ。いつものごとく、やらなきゃいけないやりたくないのジレンマに陥った僕は、なかばヤケクソでギターをやったり文章を書いたりしていた。防衛反応では「逃避」とか「合理化」なーんていう名前のついている行動である。
 で、いつまでたってもこんなことをしている自分が悲しいかな、と。
 そういうわけでこの結論。
 「かなしみは喜びだっ」である。
 もうそろそろこんなくらしはイヤになってきたぞう自分自身に堪忍袋の緒が切れるぞう堰止め容量も限界点だぞうなんだか両手が汗じゃない何かによってヌバヌバになっているぞうー、ととにかくもうゲンカイは近付いているのだ。
 いくら僕でも、そうしょっちゅう悲しんではいられないのだ。
 そこで、いままでの自分は一体なぜして落ち込み悲しんだのか、ということを考え始めて、それが案外低レベルなかなしさであったのに気付き、こんなんで落ち込んだらバカになるだけだあっ! と思った。
 落ち込んでバカになるよりやっぱりワハハと笑ってバカになりたい! と思ってしまったわけです。
 そういうわけで今、僕は、そうしばしば落ち込んではいけないな、と思った。本当にかなしむ時は一生に三回! あとはそのかなしみを見つめつつ、あとは笑い飛ばしてやろうッ。
 そして考え続け、描き続け、作り続けるとしよう。いつか分かる日が来る。
 「かなしみは喜び」だったかどうかが。

試験外観考察

2007年01月29日 | 紅色
 先日はS美術大学の試験日であったわけだ。
 学科試験一時間に、実技試験が四時間。最初に書いておくと、パスできるかもしれない、なんてことを考えておるわけである。
 それにしても、と改めて思ったことは。
 学科試験、っちゅうのは要するにマーク式であり、四つの選択肢のうちどれか一つが必ず正解なわけである。
 つまり極論として、正解は既に問題用紙に記入されている、ということである。
 そこからすると、学科試験は比較的できたかできなかったか、というのは実感の持てるところである。
 しかし実技試験となると。
 この美術大学の実技試験は鉛筆デッサン四時間である。
 すなわちマーク式ではなく、問題用紙というものもなく、あるのは全面白の画用紙だけ・・・、となる。
 そうすると、はたして自分が今やっていることは、ちゃんと理にかなった正規のデッサン方法であるのかしらどうなのかしら、という自分が今行っている作業に対して疑惑の念が生じるわけである。
 そりゃー、絵の描き方は人それぞれ、個性があってみんないい、なんて日ごろ言っている人間でも、要するにこの一枚で合格か不合格か、二つに一つ、明か暗か、はっきりとすっぱりトントンと結果が出てしまうわけである。
 マーク式のように、確実に正解という場所がどこなのか、そこのところ、実技試験は非常にあいまいである。めちゃくちゃウマイ人は真正面から向き合ってドカーンと絵を描いて合格点なのだが、そこのところ僕は劣等性であるからして、僕自身の癖がいっぱい出てしまう。
 このクセははたしていいクセなのか悪いのか。
 とまあ、考えたわけなのだが、もうすんだことだし、静かに結果を待つのみである、と。

 それはそうと、試験会場は京都、阪急嵐山線という、阪急電鉄の中でもひときわ地味・・・と言ったら悪いのだが、東京山手線をトップと考えると、阪急嵐山線は二等兵、悲しいかなラッシュ時でも十五分に一本ペースでしか電車は来ないのである。車両も四両編成と短くて、乗客もそれ相応である。
 余談ではあるが、大阪市営地下鉄千日前線(だったかな。ピンクの電車、ね)は四両編成であるにもかかわらず駅のホームが八両でも止まれちゃうのではないか、というくらい長くて、改札を出たところで電車が到着したのなら、すなわち全速力で走らなければならないわけである。
 いったい大阪市は何をやっておるのだ?! といささか理解に苦しむ。
 もしや、とは思うのだが、それが駆け込み乗車減少に役立っているのであろうか・・・。

 でまあ、大学の最寄り駅についたら、大学のバスが迎えに来てくれるという親切ーな仕組みになっていて、歩けば二十分のところを五分で大学到着であった。
 途中で見かけた子供たちは、朝からわっせわっせと遊んでいて、いいなーまざりたいなーと思っている僕はそれをバスの中から、どんよりと見つめた。
 なにしろ、みんな(受験者全員)ずしーんと下を向いて沈んでいるような感じだから、あまり気分のいいバス内ではなかった。僕の前の席に座っていた男だけが不敵に「にやり」てな具合で笑った。
 で、その子どもたちなのだが、彼らは僕が大学の試験を終えて、バスで駅へ向かうときも、同じ場所で遊んでいたのだった。ちかごろの子どもたちにしては、根性のあるやつらではないかッ、なんて思った。

青空で詩を書く

2007年01月28日 | 紅色
 詩を書くとき。
 ぼくはいまだに、詩とはどういうものか、というのがよく分からないので、自己流でしかないのだけど、詩を書く。
 だいたいにおいて書いた詩には曲がつけられ(曲が最初にできて詩をつけるときもあるけど、一番多いのは、詩も曲も同時に作っていくやりかたです)簡単なギターコードも与えられて、立派(!?)な一曲になるのである。
 したがって僕にとって詩は、歌のための詩である。本にする用の詩ではない。
 だから、ぼくが書いているもうひとつの小さな詩のブログに書いてある詩は、ほとんどが曲付きである。けど音源はないので詩のみなわけで、もともと詩だけのブログもつくりたいなーと思っていたのである。
 だいたい一ヶ月に二~三の詩ができる。駄作につぐ駄作の中でもとりわけマシなやつだけ出しているので、だいたい一ヶ月にそれくらいが限度なのである。
 作り話のときもあるし実際の話の場合もある。以前、ある詩をのせたら「タカハシが恋してる!」なんていう噂みたいなのが流れた時があって、結局ぼくはいまだにそれが、どの詩からそういう噂が現れたのかというのがわからないわけである。
 なかでもお気に入りの詩、というのが一曲二曲あるわけで。詩を作り続けるとこういうこともあるんだなーと思います。自分で作ったくせに好きだなんて、バカみたいなことなんだけども、ゴメンナサイはい、しかし、しかしー!
 なかでも「はしくれ」という詩があるのだけども、その一節。
 「はしくれは 安い目薬さして 指を三回鳴らし 机をにらむ」
 というのが我ながら、もう作っておいてからに、一体これは誰が作ったんだろうーわひわひ、なんて感じてしまうほどに、好きです。
 また、これは一番最近に投稿した詩「西へ」の一節。
 「誰もが生きてはいない 僕だってわからない だけど死ぬために生まれてきたわけじゃないんだろう?」
 この部分なんてもう、発狂寸前悶絶地獄アヘアへ天国的にキていて、もーうこういうのが描きたかったんやー今までこういうクサイセリフを吐きたかったんやワッショイどっこいしょー! という境地に達したわけです。
 今回は最初から最後まで自惚れという症状がおさまらなかったわけだが、最初はこんな事を書くつもりはまったく無かった…なかったなかった全然無かったわけである。
 最初は、いったい最近ゆずはなぜ曲を出さないんだろうか…ということを考えていたわけです。結局書かなかったけど。
 申し訳ないーm(_   _)m

のびるため

2007年01月27日 | 紅色
 このごろ描きたいテーマがいっぱいある。
 一週間に一枚のペースで油絵は描いているのだが(授業で)、それにもまして、次はこういうのを描きたい、なんて思うようになった。
 しかし。
 つい最近までまったく範囲に入れていなかった美術大学を受けることになった。
 今までここ一年間は床モチーフで木炭デッサンと油彩を交互にやってきていたのだが、この大学の実技試験は卓上モチーフ、しかも鉛筆。
 この鉛筆デッサンが、意外にもできなくなっていて、困った。
 アスリートなんかは、よく
 「一日練習を休んだら、取り戻すのに二日、あるいはそれ以上かかりますね」
 なんてテレビで言っているけども、どっこいデッサンにもそういうことが言えてしまうのである。もっとも僕の場合、一年も鉛筆デッサンをやっていなかったのでさんさんたるモノである。
 しかし一体なぜ、その大学を受けるのか、ということなのだが。
 これは父母の強い強い要望である。
 父母は、ぼくに「安全」で「確実」に、とにかく大学生になってほしいようなのだ。
 高校へ進学するときも、両親は普通科を勧め、けれど僕は美術科のある高校に入りたかった。そこでまあ結構な衝突があったわけなのだが、そのときは父母が妥協して、僕は造形科のある学校へ入学した。
 今回は、まあ最初、父母は「どこでもいいから受けて合格して入ってくれ」みたいなことを言って、ぼくを傷つけた。自尊心が強いのかもしれないけども、やっぱりだれでも、傷つくだろうと思う。
 僕は、高校進学時のような事はなるべく避けたかったので、静かに反抗して、どうにか「二校だけ」にしたわけだ。
 第一志望校は国公立なので、計三校受験するのだが、私立大学二校のうち、一校が例の鉛筆デッサンだったわけだ。
 しかしとりあえず、まだ受験してもいないうちから不平不満を言ってもバカだし、でも今はそういう中にいて、苦しいぐらい悲しい気持ちなのである。

足元の闇に問う、ひとつの長い詩

2007年01月27日 | 紅色
闇が
ただ広がるばかりだ
光はまだ見えてこないから
いいかげん疑いもする
たとえば運命ならば
いつか巡り会う人も もうすぐそこにいるのかもしれない
そこで そっと手をさしのべているのかもしれない
ぼくは
知らないことの方が多くて
よっぽどの事が起きなければ
ずっと気付かないまま
一日を終える
そうしてもう何日も浪費してきたから
運命は幾度となく失墜し
闇に葬られた

昨日
昨日があった
今日と同じ時間だけ
昨日があった
昨日の分だけ少し年をとった
昨日なにかを忘れた
以前覚えた なにかを忘れた
けれどぼくは きみも
死ぬために生きているわけじゃないから
ぼくは絵を描き きみは木陰でそっと涙を流す
ぼくが絵を描く時
何人が息を絶えたのだろう
きみが涙を流すとき
何人が武器を持ったのだろう
昨日は決して理想ではなかった

明日
明日になれば何かが変わる
夢にみた 無傷の世界がどこまでも広がる
無傷なのは
まだ誰もいないから?
夜明けと共に 太陽という名の鮮血が
吹き出し したたり
油性の煙がどこからともなくたちのぼり
爆音が空を行き交い
死をたらふく詰め込んだ 神様の爪垢を落としていく
報復は昨日より酷く
明日の方が悲しい
死に生きる

ぼくは
こうして闇に言いながら
自分に聞かせる

たしかに 運命の人は どこかにいて
たしかに僕のことを 小さく弱い存在を どこかで見ているらしい
こんなに悲しい時代でも
変わらない愛が
あると信じている
変わらない
愛が
きっと
ある

さぶいぼ

2007年01月26日 | 紅色
 適度の緊張はやはり無理に取り除こうとする必要はない、と思う。
 しかしまあ、息もできないくらいに緊張しているのであれば、やはりそれは重症かつ逆効果なわけであって、ぼくなんかしばしばそういう状態になる。

 でまあ、それの対処法としては、やはり前々からそれのシュミレーションをしておくのである。
 シュミレーションすなわち妄想に他ならないのだが、脳内シュミレーションつまり脳内妄想を本番前に繰り返し繰り返し行うことにより、やや緊張慣れしてきて楽になっちゃう、というものである。
 たとえばこの前は運動会でリレーに出る、と決まったその日から僕は部屋にこもってただちに脳内トレーニングまあつまり妄想なのだが(妄想、という言葉には何かしら現代社会において『エロい』的イメージが付加された感があるが、ここでは『想像』の意味での妄想である)を開始した。
 スタート、第一コーナー、第二コーナー第三コーナー、そして最終コーナーを回って一着でゴールあるいはバトンを渡す、と。
 それを繰り返し繰り返し、ね。行うことによってなんとか当日、まあ緊張はしたけども、予想以上に脳内トレーニングと場面が似ていたので「よっしゃー」と思ってなんとか一着で次につなぐことができたわけである。
 ぼくはそうやって大行事の前から、そうやって夜を徹し身を削り血反吐を吐いて慣らしてゆくわけである。
 それでまあ、今週、来週と美大の実技試験が相次ぐわけで、センター試験と合わせると三週連続試験週間みたいな感じになるわけである。
 当然脳内トレーニングは毎晩欠かせない。

最初に言葉ありき

2007年01月25日 | 紅色
 いよいよ高校も残り少なくなってきたわけであり。
 英語演習という授業が今日で最終だったのである。ここで演習の担任、兵庫在住のN先生は結語をこう結んだ。
 「ぼくはキリスト教徒ではないのですが…ぼくの好きな言葉に『はじめに言葉ありき』があります」
 お、なんだなんだ、と思った。この先生は急に話があっちいったりこっちいったりするのでその名をはせているわけである。
 「一応ぼくも語学を教える立場にあるわけでして、そこからみるとこの言葉は云々」
 と、まあこんなことを言ったわけだ。
 そこでぼくはハッとせずにはいられなかった。それはひょっとして違うかも知れない! なーんていっちょまえに思ってしまったわけだ。
 「はじめに言葉ありき」
 は、まあ一般常識的に考えてもオカシイといえばおかしい(笑)わけであるけども…。
 だいたい聖書だって、最初は混沌であった、とかなんとか書いてあったはずなのだけども、ここではそんなことはさておき。
 なによりもまず最初にあったのはなにか…。
 それはすなわち「数学」ではないだろうか。というのはぼくの意見じゃなくて、ほかの人の意見。
 僕が最近読んだ数学に関する本は、実は「博士の愛した数式」新潮文庫刊 小川洋子著 である。やく一年前に本屋(古本でない)にて衝動買いした…というタカハシ至上まれに見る一冊であった。
 まずタイトルがステキと思って、立ち読みしたら止まらなくなってしまったのだ。その後映画化なんかされてしまい、でもやはり活字の方が断然オモシロイ。
 そんでまあ、その中で「博士」が言うわけですね。
 数学は言葉より先に、なによりも先に、すでにそこにあった
 的なセリフを言うわけですね。これが胸を直撃したわけだ。
 だから言葉はみんな知っているけど、まだ解の出されていない数式はたくさんある。地球のどこかにひそんでいて、なかなか姿を現さない。
 だから数学では答えを「発見」するんだ。
 なんてことをもろもろ言うわけですね。いやー名作です。
 あ、とまあ、後半は本のことになっちゃったけども、ま、そんなことで。
 「はじめに言葉ありき」あるいは「ものの根元は数である」のか。
 あなたはどっちッ!

落し物とすべきか否か

2007年01月24日 | 紅色
 帰り道にて。
 僕は地下鉄四つ橋線に乗って通学しておるわけである。西梅田で乗って住之江公園で降りる。帰りはその逆、ということをかれこれ三年間続けている。つまり始点から終点まで地下鉄乗りっぱなし状態なのである。
 で、今日はデッサンとかをしていたから、少し帰りが遅くなった。遅くなったといっても西梅田午後六時半着、という感じである。
 ふと終点間近の車内にて、あることに気付いた。
 日本橋系メガネのお兄さん二人がポートフォリオをブラブラぶら下げているわけである。そのポートフォリオ、どこかで見たことがあるようなないような。
 まあ、ポートフォリオなんてどれも似たような体くをなす物であって、初めて目にするものかもしれない。
 なんて考えていたら、そのお兄さん二人は無責任にも、そのポートフォリオを座席において終点西梅田に到着した車内から出て行ってしまったのだ。どうやらそれは落し物のようであり、ようするにお兄さんたちはそれを見捨てた、という感じであった。
 目の前でそんなことをやられたものだから、冷たい人たちだ、なんて思ってそのポートフォリオに目をやると・・・。
 我が校のレタリングが入っていた、というわけだ。
 それは紛れもなく僕の高校で支給されるポートフォリオであり、要するに落とし主は同じ高校のだれだれさん、ということになる。
 そこで困ったのは僕だ。
 これを「落し物」として駅長室に届けるか否か、である。
 ぼくはもちろんそうするつもりで目をやっただけなのだが、同じ高校の落し物である、ということが僕を考えさせた。
 もう一度、このポートフォリオを持って学校まで戻り、校内での落し物にするか。それともいったんこのポートフォリオを家に持って帰って、次の日それを持って学校まで行って、校内での落し物にするか。
 しかし僕は学校から40分かけて終点西梅田まで来たわけであり、もはや引き返す分の余力は残されていない。めんどくさいーなんて思ったわけだ。
 また、家に持って帰るのも、なんかヘンな感じがした。
 ふつうの落し物、まったくの他人が落とし主の場合は迷わずに駅長室に向かったんだけど、これが少なくとも同じ学校に通っていて、かつ四つ橋線を利用していて、そして同じ車両に乗っていたと思われる・・・と、推測するだけで三つの共通点が浮かび上がるわけであり、そうなるとなんちゅうか、他人なんだけど、なんかどっちかというと「近所の人」みたいな感覚で考えてしまうわけである。
 近所の人、ということになれば、当然家を訪ねるべきなのだろうけども、家はまったく知らないわけだし、かといって駅長室に持っていって普通の車内の落し物としてしまうのにはいささか反感を覚える、というわけだ。
 そんでもまあ、僕はうーんと考え抜いた結果、駅長室に持っていくのが僕としても、きっと落とし主にしても自然の流れではないかなあと思って、駅長室に向かったわけである。
 なんか妙にアセッてしまったが、結構こういう場合はどうしていいか迷うものだな、と思った。

朝の女、夜の女

2007年01月23日 | 紅色
 つまらない毎日であった。
 片道一時間半。電車にゆられ続けると、なにがなんでも嫌がおうでも酔う。
 教員は六年そこそこで転勤しなければならないのである。今回は外れクジをひいてしまったのだ。そこは自宅から一番遠い学校で、埋め立て地に、工場や倉庫の林立するその中にあった。
 電車内では流れる外の風景を見るしかない。読書は趣味ではないし、毎日新聞を買う気もしない。地下鉄に乗りかえてもやはり真っ黒いトンネルの壁を見た。
 本当に、つまらない毎日であった。あのひとを見るまでは。

 そのひとは地下鉄乗り場にいた。長い髪の毛の、足の細い、珍しい制服のひとだった。
 最初はなんとなく「よく見るな」ぐらいの意識だった。
 そのひとは、だいたい八時~八時十分の地下鉄に乗る。座席に座ると本を読んだ。目を伏せるとかなり睫が長い、ということに気付く。
 そのひとを意識し始めた時は、毎日の通勤時間、実に一日の六分の一の割合を占める移動時間が嫌で嫌で仕方なく、なにか周りに通勤するヨロコビを求めていた時であった。
 朝、地下鉄にてそのひとを見る。は、日課となった。
 これは恋心なんかではなくて、朝専用缶コーヒー的対象としてそのひとを見ていたわけである。
 要するに朝、そのひとを見ることによって
 よっしゃ今日もガンバルもんね教鞭とっちゃうもんね教育しちゃうもんね
 とヤル気になれるわけだ。恋心にしてみれば彼女はいささか若すぎた。

 もう一人のひとを見たのは残業帰りの地下鉄であった。
 会社員であろう女のひとは、僕の前に座るなり目を閉じ、うつらうつら。黒いスーツを着て、いかにも行動派的印象の女のひとであった。
 ちょうど年齢的にも近い気がする。
 しかし一番きれいだと思ったのは、時々顔をあげてはどこか虚空をながめる仕草であった。何に悩んでいるのか、焦点の定まらないふたつの瞳は時として、ゾッと背筋を震わせた。
 このひとを見るために、よく残業をするようになった。

 ある日、ある雨の日。朝の地下鉄にあの学生服のあのひとは来なかった。八時になり、八時十分になり…。
 八時半になっても。
 九時になっても。
 そして遅刻して学校に着いた。なにかかなり疲れがたまっていた。無断遅刻の名目で名前の横に罫線を引かれた。
 これが「遅刻1」というわけだ。
 しかしこの罫線ははたしてあの学生服のひとに引かれるべきではないか。
 あのひとは無断欠席である。待ったのは欠席を知らされていなかったからであり。僕はいつもどおり地下鉄に朝八時、到着していたではないか…。

 その日、また残業をした。もちろん黒いスーツのあの女のひとを見るために。
 今度は待たせないでくれよ…。
 でもたぶん、来ないだろうと思いながら席を立つ僕はいつしか、知らない顔の僕になっていた。




 先生を主役にした話、第三弾! やっぱり物語は苦手だーと感じます。書く前は「ッしゃやるぞ書くぞー」という感じでヤル気まんまんなのになあー。
 ちなみにタカハシの実体験からすると、電車内での出会いはまったくなくて、というのは僕こそ座席につけば本を読むか寝るかなのであまりキョロキョロしないからですね。
 でもまあ、この物語はフィクションですよ。