めろめろ

とまったままのまま(09年6月25日) 2011.1.15ひさしぶりのぶり

木炭買うの?

2004年10月25日 | 紅色
 先日スケッチに出かけたこともあり、やたらと鉛筆を握りたいッ! 鉛筆握り締めて絵を描きたい描きたい描きたい! てな状態になっている高橋ですが、今日、学校で石膏デッサンの募集があったので、ついついやってみようかなぁなんてアホな事を考えてしまったのであります。
 で、「うーん、やっぱり石膏デッサンとかって、難しいよなぁ・・・どうしよっかなぁ・・・参加費は学校持ちでタダで参加できちゃう訳だし、おまけにテレビ局も来るそうだし、石膏も描いてみたいよなぁ・・・」と思って悩んでいたところに、先生の一言
 「悩んでいるんだったら参加しなさい」
 はいッ! 高橋でますッ! 出場いたします! 成功を目指すのは当たり前の事だけど、失敗をしてもいいと思う。失敗をして元々だし、描き方とか、描く感じッてな事をもっと知りたいし。高橋出ます。
 で、先生さらに
 「君、鉛筆しか持っていないのか・・・。木炭ならある程度ごまかせて上手く見えるよ」
 も、木炭ッ? 上手く見えるならそれに越した事はない! ぜひ木炭を買おう買おう買おう・・・。
 と思って学校の購買へ。木炭木炭っと・・・げげげ、よ、430円? 一番安くて400円のもあったけど、た、高い。これ買っちゃうとお小遣い全額はたく事になっちゃう。
 「あの~、高いのと安いのって、なんか違いでもあるのですか?」
 と僕が聞くと、購買のオバちゃんは面倒くさそうに
 「さぁ、良い炭なんじゃないの? 買うの? 買わないの? もう購買しめようと思ってるんだけど」
 「じゃ、じゃあ400円のヤツくださいッ」
 ほぼ強制的衝動買い。早く買って出ていってくれよ的オーラがオバちゃんのでかい図体から発散されているのが良く分かり、ぼくはその迫力に討ち負け咄嗟に「買いますッ」と言ってしまったのだった。

 小遣いがァァ~!

万博公園でのスケッチ

2004年10月24日 | 紅色
 今日は、万博でスケッチをしました。万博って、すんごく広い。東京ドームに例えると・・・んもう万博の方が広すぎて分かりません(知らない)。あー、広い広い。広かったなぁ~。
 今年、万博に行ったのはこれで二回目。
 一回目の時に、行って「うわぁ、こんなにいいところが近所にあったのかッ! 高橋十五年生きてきて、万博に魅せられましたぁ」と思ったわけだ。で、先日モネ展の後のスケッチをして、もっとスケッチをしたいッ! したいしたいしたいーッ(あんな事やこんな事をしたいわけではないので、読者はそこのところをよーくわきまえておくように)。

 モノレールで公園駅へ。この前行ったときは、全然と言っていいほど人なんて居なかったのに、今日に限って入場門の券売機に人だかりがッ! ままま、まさか混んでいるなんていう事は・・・。
 混んどった。もー、めっちゃ混んどった。電車の中から、若者がたくさんいるなぁ、と思っていたのだけれど、みんな同じように公園駅で降りた。で、若者のうち半分は(おもにアベック)万博公園に入り、もう半分の若者は(おもに同性のグループ)隣のエキスポランドという遊園地に入っていった。オバちゃん、オッちゃんなどの中高年はほとんど万博公園へ、家族連れも三分の二が万博公園目指してウオオオオオ! と入場門を目指しておるわけなのだす(『入場門』と入力した時に『乳状悶』と漢字変換に出た・・・)。
 よって、入場門は大盛況、いや大混雑となっていた。
 どうにか入って、まず太陽の塔が目に入る。うへーッ、でっかいです。岡本太郎さんステキッ! 

 ところで、太陽の塔を作った人といえば岡本太郎だが、駅でこんな話を聞いた。
 「太陽の塔って、誰が作ったんだっけ・・・」
 と女の人が聞くと、男が自身満々笑みを漏らして
 「山田太郎だよぉ」
 と言った。

 僕は、とりあえず太陽の塔は後でスケッチするとして、新品のクロッキー帳に、まず広場の風景を描きたかったので、入場門を入ると右折して、鉄鋼館の横にある広場へ向かった。
 よっしゃーッ! 今日はスケッチ日和じゃ、描いて描いて描きまくるぞーエイエイオー! と、一人エイエイオーをして(エイエイオーって、何?)クロッキー帳の一ページ目にヘタクソパワー全開のスケッチをウオりゃーッと描きなぐった。
 朝の十時なので、芝生が濡れていて僕のお尻まで濡れてしまった。そこで僕は二枚スケッチし、僕は次の場所へ移る事にした。
 これだけたくさんの人が来たということは、フリーマーケットでもあるのかなぁ? と思っていたのだが、万博公園内のありとあらゆる広場で運動会が開かれていたのにはビックリした。司会者は大音量で喋りつづけるし、もう本当に公害になりかねないほどの騒音だった。僕はもっと静かにスケッチしたかったのに・・・。気を取り直して池のスケッチ、滝のスケッチ、周辺風景のスケッチ・・・。今回はおもに風景のスケッチをしたのだが、今度行く時は(○行く ×イク)花や草花だけのスケッチもしてみようと思う。
 風景ばっかり描いてしまったのがちょっと不満だった。
 万博、スケッチを描きながら一周するだけでも一日は充分かかってしまう。合計十数枚のスケッチをして、僕は帰路に着いた。

 ところで・・・。今日万博に行って、スケッチをしたのは前に書いた。で、いい場所はないかなぁと探している時、なぜか探してもいないものが目に止まったりもする。
 例えば、今日一番目に止まったのは、ラブラブアベック。んもう気になる気になる。
 ハス池をスケッチしていた時、アベックが僕の後ろにあるイスに座り、ゴソゴソゴソゴソやっとるのだ。最近の若いモンは、まったく・・・時と場所も考えねぇで、オラぁ困っちゃうだ・・・てな状況になってしまったのである。近くにいるもんだからどうしても会話が耳に入ってしまう。
 「な~ぁ~・・・」
 「ああん、あ、アカンってぇ~、こんな所で・・・うう~ん」
 「ほら、ほらほらほら」
 「あ、あ、あああ、あぁ~ッ」
 もう完全に二人の世界である。・・・邪魔しては悪いので、僕は早めにその絵を切り上げた。

 もっと描きたかったのだが、時間も迫ってきているし、仕方なく僕は門を出たわけだが、今日の万博は先日の台風の影響で木が折れたり枝が折れたり、コスモスなんかは全部同じ方向に傾いていた。
 万博記念公園へ、また冬に行こうと思う。

F先生、I 川先生、N先生

2004年10月23日 | 紅色
 今日見に行った教員展は、なかなかのツワモノ揃いで面白かったですが(校長先生・・・)、そんなツワモノもたまに変な事を言い出すからそれがまたまた思春期俺たちなんでも変に見えちゃうんだぜ~いな年頃の僕たちには、些細な行動が、たまらなく変に見えてしまう。今回は「先生の変な行動シリーズ第三回」を、今までにないスケールでお送りしちゃうのだ。

 夏休みの事。絵画室で絵を描くのを一時中断して、三人ぐらいで雑談していたら、突然F先生が絵画室に入ってきて
 「真面目にやりなさい、真面目にぃ」
 と、だらけた教室の雰囲気を引き締め始めた。絵画部顧問の先生は三人いる。O先生とS司先生、そしてF先生だ。で、僕は扇風機に当たろうと、自分が描いている場所と全然違う場所にいた。それをF先生は見逃すはずもなく、僕の名前を呼ぼうとした。
 しかし、まだ入部して二ヶ月ちょっとしか経ってないの、の僕だったから先生は僕の名前を思い出す事ができない。ちょうどその時僕は木の絵を描いていたから、それを見てF先生は
 「おーい、木~、木ぃ~」
 と、僕を木呼ばわりするのだ。僕はとっさに
 「高橋です」
 と言った。そのタイミングがこれでもかと言わんばかりにドンピシャだったので、周りに居た人に笑われた。大いに笑われた。しょぼん

 I 先生は口笛の天才だ。口笛にエコーがかかる。この前同じ電車に乗った時も、エコーがかった口笛を吹いていた。
 これも夏休みの事。
 I 先生はハヤサキさんという人を探していた。
 「ハヤサキさーん、あ、みんな、ハヤサキさん知らない?」
 と、教室にいた女子の集団に聞いたところ、
 「ハヤサキさん、もう帰りましたよ」
 とその女子が言ったのだ。その言葉の後しばらく置いてI先生はこう言った。
 「ハヤサキさん・・・ちょっと帰るの早さきさん」

 N先生はずっと前に「ぺの悲劇」という文章で書いた先生だ。
 N先生は僕をいじめる。なぜだかいじめる。新学期も始まりしばらくたった日、角材運びでエスカレーターを使った時、僕を見つけたN先生はわざわざ角材を押しのけて、僕の隣に入ってきた。それで
 「・・・なんかここ、狭い、狭いなぁ!」
 と言った。なななな、なんでやねーん! なんでやねんなんでやねんなんでやねんッ! である。さらに同乗していたO先生に
 「こいつ、俺の事いじめるんッスよ」
 と、僕のほうを指差して言った。んもうなんでやねんの雨あらしである。一度も僕はN先生をいじめていないし、むしろ先生が僕をいじめているッ! ではないか。誰の目から見てもそれは紛れのない事実だったし、あああーッもう、悔しい高橋十五歳十ヵ月半です。

想像すると三連休

2004年10月23日 | 紅色
 今日は大阪駅近くでやっている「教員展」へ行ってきました。小さな会場で、お客さんは一人あるいは二人程度だったけど、知っている先生の作品もあったので、楽しく見させていただきました。
 それで、地図があまりよく分からなくてすんごく迷ってしまいました。あっちでもないこっちでもない、たどり着くまでに三十分を要してしまいました。それで会場に行くと偶然にもD君発見! 僕は気付いて「あ、帰ろう」と思ったのですが、D君もそんな僕に気付き、帰るに帰れず結局D君と二人で見て回ることに(この時点で会場には僕とD君の二人しかいなくなくなってしまったッ)。参加している先生の中でも、一人で二点三点出品している人もいて、ムムぅと唸ってしまった次第であります。
 僕の学校にいるO先生の絵は、まだ一度も見たことがなかったので今日見てやろう! と、行く時に思ったのですが、O先生の絵を見ました。・・・な、なるほど。ごめんなさいッO先生、あのぅ、僕まだ頭そんなによくないッスから、先生の絵の意味が全然分からなかったんです。ひいいいごめんなさーいッ!

 まあ今日はそれがメインの一日でした。それだけが言いたかったのです。
 以上。

モネ展・奈良の人々

2004年10月22日 | 紅色
 校外授業ということで、奈良県で行われている、「モネ展」へ行ってきましたッ! 拍手! ワー、パチパチパチ(なんでやねん)。
 期待していた展覧会。僕は早め早めに会場へ向かったわけだが、なんとまあO君が、あのO君が、なぜかしらんがO君が、もっと早くに奈良美術館に到着していたわけなのだッ! で、スケッチしていたそうである(早く着いてもやる事無ければ意味がないというものブツブツブツブツ・・・)。

 で、僕たち一行は、やや鼻息荒らげながらホガホガと館内に入場していったわけなのである。んもう、モネ展というからには初めから終わりまでモネ、最初から終了までモネ、徹頭徹尾してモネ、頭からつま先までモネという、まさに「モネだもんね」的展覧会であった。
 いや、筆使いとか、本当に勉強になったッス。色使いもこれまたフムフムなのです。

 そいで、二時間でモネ展のすべてを見終えた僕ら(俺、D君、S村、O君、S木、M君、S君、・・・結構大人数)は、観光すべく奈良の街を闊歩し始めた。で、ご飯も食べたしさーて何しようかなぁで行き着いた場所がなぜかゲームセンター・・・。
 なんでやねんなんでやねんなんでやねん・・・と、果てしなくなんでやねんボタンが押され続けるであろう状態だった。
 違う違う、俺が本当にやりたかったのは・・・スケッチじゃぁーい! という事でスケッチ開始。結局スケッチを始める頃の人数は六人になっており、仕方なく三人ずつに分かれてスケッチを始めたわけである。
 描き始めると、時間はどんどん過ぎてゆき、うははははスケッチ楽しい―ッ状態でもう俺 手が止まんないよぉぬわあああという窮地に陥っていた。

 外でスケッチをするのは久しぶりだったので、やや緊張したが、とにかく奈良というのは、人通りが多いせいもあるのか、めったやたらと話しかけられる。僕はそれがまた楽しみの一つであるのだが、O君はちょっと勘弁してくれよぉだったので困惑狼狽疲労困憊したようだった。
 三枚目のスケッチに取り掛かろうとしたとき、
 「ねえねえキミ達何描いてんの? うわッ、うまいねぇ」
 と言う三人の男が寄ってきた。十七、八、九、二十歳の若ぁ~い女性ならなんら問題なかったのだが、風貌は明らかに男、大学生であろうか、髪を染めていて、そこらへんに居るプチ不良だった。
 「へぇ~、上手いなぁ、奈良じゃ一番ウマいんちゃう? 自分ら」
 と、無責任な事を言うわ言うわ。しかもなかなか離れてくれないッ! これにはさすがの高橋も、もう疲れたですぅであった。
 他にも
 「そこのカメも描いてあげて、カメ、カメを描いてあげて。カメも台風で大変苦労してんだから、カメを書いてカメを」
 と言いつづけた「カメのオッサン」が出現したりおばちゃん四人連れが
 「まあ上手い、まあ上手い」
 と褒めてくれたり(一番オバちゃんが足を止めてくれた)、そんなオバちゃんのうちの一人が、実は美術の先生であり、生徒に向かい
 「みんなぁ~ッ! こっち、こっちにおいでー」と呼びかけたり(他校の生徒が来た)
 「あっちの方で風景画を描いている」と言うオバちゃんに
 「若いんだから、がんばりなさいね」と言われたりと、なかなか奈良はいい所だった。

 というわけで、奈良・モネ展を見に行ったわけだが、美術館にいた時間より外にいた時間の方が長かった実際という話でした。

道路ワキの溝

2004年10月21日 | 紅色
 小学四、五年のときの事である。朝からキャッチボールだのノックだの、とにかく僕と兄と父とで近くの公園でソフトボールの練習をしていた。その頃、僕は兄が入っているからという理由でソフトボールクラブへ半ば強制的に入部させられ、慣れない球技に悪戦苦闘、七転八倒、七転び八起きしておったのである。
 父はただボールを打つだけで、僕はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、とにかく果てしなく忙しく走り回ってボールを受けたり捕ったり(意味はほぼ同じ)していた。なにしろ球技のセンスがほぼゼロに近い僕だから、ボールはポロポロ落とすしフライも取れないし、ボールはバットにカスりもしないし、まったくこれを球技と呼んでもイイのかどうかさえ危ぶまれていた状態であった。

 父は恐々ボールを捕る僕の格好を見て
 「ワッハハハ、どういう格好で捕っているんだ? お前はオカマかッ? よぉしお前のボールの捕り方をオカマキャッチと名付けようわははは!」
 なーんて言うもんだから僕はますますソフトボールが嫌いになっていった。ちくしょう覚えていろよ、俺だってやる時はちゃんとした捕り方で捕ることもできない事もないかもしれないような気がするんだぞッ! と思いながら、後にも先にもちゃんとボールをキャッチして褒められた記憶がない。

 で、そんな激しいトレーニングの帰り道。時間はお昼か夕方(ずいぶんと差が・・・。家に着いた後すぐにご飯を食べた記憶があることもないでもないから、朝ではないだろう)、もうクタクタの僕の足はフラフラ。クタクタフラフラ。クタクタクタクタフラフラフラフラ・・・(今回は書くことが少ないのでこうして行数稼ぎをしているのだ! 見たか必殺奥義! え? 見てない? ・・・そうか)
 で、クタクタフラフラの僕は足まで千鳥足、と言っちゃ変だけど(飲んでないぞ)、んもうフラフラ。
 しかも、道路の一番脇にいてすぐそこに溝、ミゾというのはつまりドブである。で、とっさの出来事。足がふらっとしたかと思うと、溝から足が滑り落ち、肩から溝にダーイブ! しかもそのミゾやたら深いのであるッ。以前ふざけて溝に入って「お風呂ごっこ」なんて事をしていた時を思い出すと、確か立っていても乳首のあたりまでもぐってしまうというミゾ。底はコンクリートで、とても固い。
 でね、僕はそんなミゾに頭から突っ込んでしまったのである。
 「どわああッ!」
 という僕の悲鳴に気付き、父があたりを見渡す。
 「なな、何だッ? おい! むっ!」
 父は僕を見て笑いに笑い、兄も父に釣られて笑いに笑った。普段そんなに笑わんだろお前ッ! というぐらいよく笑った。あとで聞いた話によると、ミゾが深かったのが災いしたのか、ミゾに突っ込んだ僕というのが、ミゾから僕の足が二本だけニョキッと出ている姿だったそうだ。まるでマンガのワンシーン、それとも金田一耕介・犬神家的な光景だったそうだ。

 本当に恥ずかしかったのと、痛かったので僕は人間不信に陥りそうなほどだった。たまたま人通りの少ない道で、目撃者が父と兄の二人だけだったという事がせめてもの救いであった。
 あー恥ずかしい!

一体何が言いたいの

2004年10月20日 | 紅色
  むッ! 突然こんな表示がッ! というのも実は今日、これに関する話題でいきたいと思う。の話題なら「裏紅色」(紅色第二のサイト・十月一日オープン・・・宣伝しちゃったッ)でやったらエエがな なのだが、今日はみんなに知って欲しい事なので、比較的ヒット数の多い「紅色」に書くことにする。
 紅色は今年の夏休みも終わりに近づいた、比較的乾燥した日(だったかなぁ)に書き始めたサイトのだが、そんな紅色にまつわるな話(うわぁ~、早くも18禁マークを三回も使っちゃったよ・・・)。
 先日、パソコン買ってまだ一週間、バリバリのパソコン若葉マーク付きだぜウオオオのO君が、こんな事を言った。
 「あのさぁ、『紅色』ってパソコンの検索画面に入力して検索してみたらアダルトサイト風俗サイトの『紅色』がいっぱい出てきた」
 それを聞いて僕は一人静かに笑った。そんな事、前から知ッとるわーい! である。もっとも、僕はこのブログを見つけて、衝動的に日記を書き始めたのだけれど、このサイトの名前を考えた時に、やっぱり紅色だといやらしい感じがするなぁ・・・と思ったわけである。
 で、百聞は一見にしかず。僕は実際にGoogleで検索してみた。紅色と入力し、エンターキーを押す。すると、出てくるわ出てくるわ、ありとあらゆる紅色、あっちもこっちも紅色、向こうもそっちもどっちもこっちもどこもかしこも紅色紅色紅色紅色、まさに「ベニイロ・ベニイリィ―・ベニイリスト」という紅色比較最上級である。(ごめんなさいッ、原田宗典さんの文章をかなりパクってしまいました。ご内密に~・・・)パソコンの画面は一瞬にして紅色の文字で満たされた。
 世の中には「紅色」というインターネットサイトが多数あった。しかし、それらのほとんどのサイトには「紅色」の前に「風俗紅色」あるいは後ろに「紅色~満たされない欲求・肉悦の世界~」など、んもう明らかに! なのだ。ほとんどがなのだ。とにかくで、、そして、あるいは! んもうすべてと言っていいほど「アダルトサイト紅色」なのだ。

 当然僕はこの問題を重く受け止め、「本当にこの名前でいいのだろうか・・・」と、悩みに悩んだ。本人はそんな気持ちなどひとつも無いのに、周りがエロサイトエロサイトしているから、なんだかとっても「紅色」が恥ずかしく思えてきた。
 心と体の激しい葛藤の末(心と体の激しい葛藤ってエロティック・・・)、三分後に僕は「他の名前考えるのも面倒くさいし、もう「紅色」のままでいいや。そうやそうや、それでエエかぁ的結論に行き着いた。
 で、見事ブログを開設するに至ったわけである。「紅色」も投稿四十回目を超え、ヒット数も徐々に伸びつつある。うんうん、嬉しいなぁうううう(涙です、涙ッ!)

 ところで。O君ッ!
 またまたOくんに関するネタで失礼なのだが、「紅色」。さて、なんと読む? 当然「べにいろ」であろう。「べにいろ」と読むのである。
 ところがO君「こうしょく」と読むのである。「こうしょく」って・・・。江戸時代の読本の題名かよッ!(はい、もちろん好色一代男 ~こうしょくいちだいおとこ~ の事です)あるいは細菌の名前かよッ!(えーっと、これは最近理科で習った紅色硫黄細菌 ~こうしょくイオウさいきん~ )
 ひょっとしてひょっとするので、ここに書いておきますが、「紅色」は「こうしょく」ではなくて「べにいろ」と読みます。

 今日は久々に長い文章を書いたのでやや満足である。さーて勉強ッ、明日は国語のテストなの。

スリーピングな中間テスト

2004年10月19日 | 紅色
 今ぁ、ものすごぉくぅ、眠いって感じぃ~ と、なんだか変な言葉づかいになってしまったが、とっても眠い。なぜだッ! なぜなのだぁッ!?
 それはつまり中間テストのせい・・・いやいや正確に言うなら僕自身のせいであるのだが。ただ今学校では中間テスト真っ最中である。よって勉強しないとイヤイヤイヤ~ンの世界突入なわけだ。もう、本当に眠たくってさっきから瞬きを立て続けに何回もしているからパソコンの画面が見にくくてしょうがない。それにまぶたを動かす筋肉が疲れてきた。
 えー、だからッ バンバン!(机叩く音) なぜこんなにも眠いのか。
 そりゃ徹夜したからですよ。徹夜。哲也? いや徹夜。昨日寝たのが午前二時(あ、今日だ・・・)。ノートを丸写ししていたら、思った以上に時間がかかってしまいこの時間に就寝。で四時半に再び起床。いや、二時間半でも結構疲れって取れるものなのですねぇ。とはいってもやっぱりしんどい。四時半に起きて、英語英語英語! そんな苦労をしてやった英語だったが、テストの結果はあまり思わしくなさそうなのでちょっとショックです・・・。

 一時期憧れていた徹夜。一、二年前まで午前一時以降は僕にとってまだ未知の世界。当然僕の欲求は高まっていくばかり。んなわけで、そんな思いも込めて今日、徹夜したわけですが、はっきり言いますと徹夜はあまりオススメでない。やめたほうが良いです。本当に。しんどいし・・・食欲も落ちますッ! ちょっと今日のお昼ご飯キツかったっすッ!
 はい、というわけで、徹夜の恐ろしさを身をもって体験した高橋からの警告でした。ええとねえ、明日は数学だからそんなにパソコンに向かっているヒマなんかないの。だから今日はこのあたりで終わりにします。ちょっと寝ます。

なにやら大変

2004年10月16日 | 紅色
 ええと、実はテスト一週間前でただ今勉強に勤しんでいる日々なのであって、よってここのところ更新できなかったですが、親の居ぬ間にさっさと書いてしまおうという魂胆ですの・・・。私って、結構悪ね・・・なーんて思うのは僕だけであろう。
 そう、テスト一週間前で勉強中。まあたいしてやっていないんだけど。今日は美術について書きたいと思う。・・・まあほとんど何も分かっていない僕なんだけど、絵を描く事が大好きなだけ。ただそれだけ。で、僕は美術高校一年生なのである。美術高校に入った訳というのが、実は漫画家になりたくて、今の絵なんかじゃ到底漫画家なんてなれっこないッ! と思って入ったんだけど、まあ入ってみると漫画なんか描く暇ないの。
 毎日片道一時間で、学校に着けばデッサンや物作り、もちろん勉強もして、帰ってくるとへとへとでそのまますぐ寝ちゃう。実際の話、僕はもうかれこれ六か月漫画を描いていないのです。で、何をしているかといえば、今は油絵に夢中。
 色の使い方とか、タッチとかでね、結構難しくてやってて楽しいし、油絵は、うーん そうだなあ。描き重ねるのが楽しいの、僕の場合。最初は地塗りっていって、絵の具を薄ーく画面に塗るの。ここから油絵は始まるんだけど、何しろまだ一回しか色を塗っていないわけだから薄っぺらい味気なーい感じなの。
 んでも、三回 四回と塗り重ねていくとだんだん感情が絵に移っていくというか、自分の体の一部っていったら変だけど、もう他人の物ではなくなるわけなの。この絵は俺の心だぁッ! みたいな。自分のものになった絵は、簡単に描き進められるの。何しろ自分自身だからね、その絵は。んで楽しいなあ、ってなってくるわけ。

 今、学校で自画像を描いていて、これはかなり苦労していて今も途中。なかなか自分のものになってくれないの。一応それなりに描いているんだけど、なーんか違う。で、この前自画像の授業があって、ようやく自分のものになってきた気がする。そうなってくると「もっと描かせてくれぇ」となってくるわけなんだけど、ちょうど授業が終わっちゃったわけ。テスト一週間前だから居残りはできないし、「チクショーッ」って、本当に邪魔された気分で、機嫌良くなかった。
 
 それぐらい今は油絵が好きになってしまった・・・という。あー、今回はなんだか語調が変になってしまったけど、久しぶりのブログだったので、思った事を一気に書きました。 以上ッ!

ご存知である?

2004年10月11日 | 紅色
 さてと・・・ふーっ、疲れたぁ。と、なにやら書く前からもうすでに疲れてしまっているぞおいおい的状態になってしまっているわけだが、なぜ疲れているのかッ? それは地区の体育祭があったからである。中学校のグラウンドを一日借り切って行われる市民体育祭が、今日行われちゃったりしちゃったりしたわけである。ずいぶん盛り上がりました。はい、かなり賞品を稼ぎましたでございます。
 というわけで、今日はその市民体育祭について書こうと思うのだが異議はあるかな? ない? そうか。

 昨日すっかり夜更かししてしまったものだから、僕はついつい寝坊して、九時過ぎに起きてしまった。大会開始は九時である。
 「ちちち、遅刻じゃぁ~ッ!」
 と、僕は慌てて急いでぶっ飛んで愛車藍塗り二号(自転車 定価五千円弱)にまたがって猛スピードで中学校を目指した。久しぶりに中学校の道の上を通った。なんだか懐かしくって・・・と、そんな話など今関係ないことなのでまたいつかにする。

 すでに競技は始まっており、あっちのテントから黄色い声が、こっちのテントからはムラサキがかった緑のだみ声が右往左往あっちこっちに飛び交っていた。「がんばれーッ!」という声援だったり、「負けるなぁ」という歓声だったり「人民の人民による人民のための・・・」というリンカーンの有名な演説だったりした。
 「あ、高橋くん」
 と、僕が町会のテントに着くとおばさんが声をかけてくれた。僕は嬉しくて愛が芽生えたとかいうわけではないが、ほんの少し、ほぉ~んの少しだけ嬉しかった。で、それでだ。いつまでも嬉しさに浸っているというわけにはいかないッ。僕はここへ何をしに来たのだ? そう、め一杯正々堂々スポーツマンシップのどうたらこうたらとにかく体を動かすためにやってきたのだよ。
 「あの、何か僕が出られる競技ありますか?」
 と、近くに居た、やたら今年の体育祭には詳しいのよ的表情のおばさんに聞くと、
 「うーん、君はねえ、そうだなぁ今、近代五種目が終わったし・・・とりあえず午後の種目まで出番はないわッ」
 と言った。ガーンっである。
 オラは、オラはなぁ朝早くから畑さ耕して(いない)ニワトリだに餌やって(いるわけない)家の前の掃除、洗濯炊事・・・みーんなオラが日の出前に起きてやった(事はない)んだぞう!
 そうか、そうかそうかッ、どうせオラなんてよぉ・・・。
 「んじゃ午後の部の、ラムネ飲み競争と、ちょっとおめかしバーゲンセールというやつに出ます」
 と僕は言って、ただ午前の部はジーっと眺めていただけなのである。それで、どうにかして午前の部を乗り切り、とうとう僕の出番、「ちょっとおめかしバーゲンセール」の時がやってきた・・・。