めろめろ

とまったままのまま(09年6月25日) 2011.1.15ひさしぶりのぶり

長渕植毛疑惑

2005年08月31日 | 紅色
 えー、先日の「泣くな、泣くな、そんな事で」という記事を投稿したら、一通のトラックバックが届きましてですね、いやー、僕のところにはめったにトラックバックなんかこないのですけれども、久々に来たトラックバックにはこのようなことが書かれてあったわけです。
 「長渕剛のソリコミの話」
 ええ、僕も長渕剛のアルバムは二つ三つ持っています。で、それは「昭和」、「JEEP」と「キャプテンオブザシップ」と「家族」、それとあとは「ラブソングス」と「ふざけんしゃねぇ!」を図書館で借りました。
 それで、長渕最新シングル「大和」をリリースした時の長渕剛が朝のニュースで歌っていたのを僕、偶然見たんですね、そしたら髪型がスパパーンッとなっていて(まったくワカラン)横にライン入っている。「金色のライオン」のプロモーションビデオも縁あって見たのですけれども、金パツでこれまたスパパパーンッとなっている。

 それで、一番初期の長渕剛の・・・例えば「Oh~順子♪」とか歌っている時の長渕剛はナントロン毛! でありまして、いかにもフォーク、寝てもさめてもフォーク! 的な、ものすごおくおとなしそうな姿顔立ちをしておるわけです。歌詞の中でも自分のことを「僕」と言っていました。そしてその頃は、ロン毛ですから当然髪の毛も豊富。
 ところがところが、僕の持っているなかで一番古いアルバム「昭和」とか「JEEP」(えーと、ちょうど90年ごろのアルバムだったかな)になってくるとですね、髪の毛だんだん後退しつつ若干Mハゲ気味・・・! で、その後も「金色のライオン」あたりまではMハゲの兆候が見られたわけでありますが、この前「大和」を歌う長渕を見たとき、ふと「なんか不自然・・・」と思ったのですが、それが一体なんなのか、自分にはよく分からなかったのですね。
 それで、つい先ほどトラックバックの記事を読んで、ハッと僕はひらめいた!

 「毛ェ濃くなってるやないけーッ!」

 そうなのだ。「M」の部分がすっかり無くなっていたのだった。あのすき間が! あの後退部分が! 無いッ!!
 そのような現実を知った僕は非常にロウバイしてしまい、手がガクガク震えだして顔青ざめて、失神寸前であった。「M」はどこへ行ったのだろうか?
 これについては「まーちゃんHOUSE」の「剛の髪型」という記事(http://blog.goo.ne.jp/mami-3131house/d/20050831)で「植えているのか貼っているのか」というモンダイを熱く熱~く議論しているので、ぜひ一読アレ。でもアレ、植えてるっぽいと思うぞ俺は。

遠くに憧れる

2005年08月31日 | 紅色
 えー、明日から新学期始業式である。大阪はここ二日雨続き。今日の授業は二時間で終り、僕はかなり早めの弁当を食べて(まだ11時であった)それから三時までクラブをし、今帰りの電車に乗る。北加賀屋。うちのパソコンの調子が今いち良くなくて、写真添付のバヤイは携帯電話からの投稿のみ受け付けられる。
 夏休みが終りだというのに、急に遠くに行きたくなってきた。今書いている小説と詩の影響だとおもう。最近ぼくは「面白くない」小説を書く。面白くしようとすればできない事もないでも無からずんばできうる心境であるのだが、やけに暗い暗曇とした話を何回も書く。今書いているのは「拙」というツマラナイ(書いている本人が言うのだから本当にツマラナイのであるぞ)短編で、ただ小学生らしき主人公とそのまわりのちょっとH(!)なできごと。それになんだか抽象的な文章を盛り込んで、より一層面白くなくしている。その前は「亀裂」「今朝も俺は走った」「朝五時に、堤防の橋の下」「黒風景」「バイバイ」といういずれも短編で、タイトルからしてもう暗ッ! というムードの話を書いた。
 ああ、遠くに行きたくなあ。米原(へへへ)あたり。あのー、米原行きの電車に乗っていながら、そこへ行ったことがないのでして。さて終点西梅田に到着。ではまた

作ればいいのです

2005年08月30日 | 紅色
 いやはやめっきり涼しくなってきた朝夕。先日朝起きてみたら、あまりの寒さにビックリでして、寝ぼけマナコで温度計を見てみると、二十三℃という結果。これはすんごいコトなのでありますね。なんたって昨日の晩まで締めっきりの自室は二十九℃、三十℃の世界だったわけですから、その時僕は
 「もう秋・・・」
 と思って、それからまた眠ったものでした(2度寝)。
 そういえば最近プールにはトンボがブンブン飛びまくっていますし、蝉ももはや力無き発声、蚊だって刺されても痒くありません。夏は実に儚くて、切ないものだなぁ。

 本を読みました。かなりの量です。夏休み四十日あるとはいえ、今年ほどの読書量は他に無いでしょう。
 まず太宰治に始まって芥川龍之介と続き、坂口安吾、野田知祐、「天国の本屋」、引き続き「坂の途中」、高野悦子「二十歳の原点」、それから寺山修二、三好達治などの詩集、その他有名無名問わずBOOK-OFFで買いあさり、ジュンク堂でも高値で買って、今は田辺聖子「欲しがりません勝つまでは」と井伏鱒二「黒い雨」を読んでいます。
 BOOK-OFFではCDも買いまして、まあ主に長渕剛なのですが、この前心斎橋BOOK-OFFにて偶然にも「CDどれでも二枚千円均一セール」なるものを開催していて、僕はそこで長渕剛と山崎まさよしのCDを買って、山崎まさよしのは後で聴こうと思っていたのですが、今は長渕ばっかり聴いています。

 本を読んでいて気付いたこと。
 エッセイなんかを読んでいると、どの作家も中学高校の段階でヘミングウェイ全集やらゲーテ、カフカ、ドストエフスキーなんかの作品集を読破している。それに比べて僕はなんだか、マダマダ遅れているなぁ(それらを読むことで対等になるとは思わないが)と感じた。
 しかしなぜか僕は外国文学に対し、少なからぬ抵抗がある。

 昨日高校展の搬入が済んでから、数人で街に出かけた。大阪通天閣が真正面に見えて、環状線がゴロゴロ走っていた。天王寺の、とある大きな有名ビル。
 僕は文房具・・・とりわけノートや原稿用紙などの「紙製品」に目がなくて、大学ノートなんかがあるとタマラず「じーっ」と見てしまう。どうして、と聞かれても、僕はどうしてだろう、としか言い様のない、僕にも判らない不思議な魅力をノートに感じるのだ。それで、他の人は洋服やらなんやらを見て楽しんでいるのだけれど、僕はノートばっかりをじーっと見て、時々手にとって「いいなぁ・・・」と、ノートの手触りや印刷のにおいなどを確かめていた。
 最近は、ガラのいいノートが多くなった。デザインが優れている。ぼくがそういう勉強をしていて、デザインや色使いのことがチョット分かってきたからなのだろうか、ハデハデあるいは白黒のPhotoが表紙になったノートを好きになった。
 それで、僕は
 「こんなノートが欲しい」
 と言った。「でも高いなー」
 すると
 「じゃあ、作ればいいやん」
 と返ってきた。
 「あ、そうか」
 そうか。うんうん、何も買う必要はないのだ。創作意欲なら、ある。抜き出でて何かモノを作ろうとする意欲はあるつもりだった。なぜそんな簡単なことが出てこなかったのだろうかなぁ、と僕は逆に不思議に思った。別に上手く作る必要はないし、ぼくは下手であればあるだけ好きになってしまうタチなのだ。何も既製品を買わなくてはならないなんて、どこにも書いちゃいない。
 そうして僕は、洋服店で貰ったFree paperを持って、家路についた。

一年経ちました

2005年08月29日 | 紅色
 えー、高校展! です! 大阪府下高校美術工芸展覧会・・・だったかな、が、明日から始まります! で、今日はその搬入。僕もこのために一枚100号カンバスの絵を、描きましたッ。昼から学校に来て夜まで(連夜帰宅時間九時過ぎ)描いて、そのまま寝て、また学校まで来て描いて、夜遅く帰宅で眠り・・・と、どうにか今日まで描きつづけて、いや僕は自分で言うのもなんなのですが、結構描くのは早いほうであると、自負しているわけですね。それで、ほとんど画面に一発で描き込んでしまう。それが結構上出来になってくれればそれでいいのですが、大抵の場合変なところに絵の具がノッてしまう。それを苦心して消して、もう一度同じ場所に一発描き! まったく進歩していないわけです。前の失敗をまったく無視しているわけですね。それでも大抵の場合、いつかは上手くいくので、それでいいのです。

 先生が言いました。
 「別の紙に練習してから、いよいよ本番のキャンバスに向かう。そしてそれは一発で成功させる事」
 と。
 いやいや僕はそんなもの、第一面倒くさいではないかッ! と思い、聞いているようなふりしてガリガリガリーッと画面を引っかいたりしていたものですから、そりゃもう見苦しい点は、完成した今見ても、やっぱり見苦しい点のままです。でも挙句、自分が「よっしゃ、コレでいい!」と言ったらそれでいいわけであって、それでいいわけですね。それだから、別に他人に「ヘタクソ!」だの「色バカ!」だの言われてもそれはそれで、自分がそう思わないのであればそれでいいわけです。しかしそれでは、他人の意見を全然聞かないヤツですから、そんな人は大バカなわけですが、それこそ僕の目指すべきところというか・・・アレ、なにを言いたいのだおれは?

 それでそれで、今日は高校展の搬入。僕はやっぱり絵画部の特権といいますか、授業は一時間目だけ受けて、二時間目より公欠。いや得した。それで、まだ絵の具も乾いていない自分の絵が心配で心配で、なるべく早く支度して下に降りたのですが、すでに絵画部門はトラックに積み込み済み。
 実は去年、僕らの先輩がものすごく繊細な絵を描きまして、それを高校展に出品する! ということでがんばっていたのですが、いざ搬入、という時になにかのはずみで付いてしまった、絵の具・・・。あれほど無残な思い出はありませんでした。なにしろ繊細な分だけ、外傷がチョットでもあると、そのダメージたるや絶望的なもので、もうその絵を見ようとしても、その付いてしまった絵の具ばっかりに目が行ってしまう。これは悲惨でした。
 急いで美術館に向かい、自分の絵を探していたら、ちょうど他の人が運んでいる最中でした。それで、外傷なしの安堵とともに、それ同等の心配が怒涛の如く押し寄せてきたわけであります。僕は自分の絵から目が離せなくなって、運んでいる人が少しでも傾くと、足が二歩勝手に前へ向かって歩き出すという始末。親の心といいますか、今までかかって描いた、いわば集大であるからして、その均等をたった一瞬で、しかも他人に壊されてはかなわない、と思ったわけであります。
 それから、僕は絵を壁に掛ける間中ずっと自分の絵を、目のどこか片隅に見ていましたし、掛け終わって解散となった後もしばらく見ていました。親バカなんですねぇ。

新学期

2005年08月26日 | 紅色
 待ちに待った(?)学校が始まった。高校二年ともなると、例年より一週間ほど早く新学期が始まる。始業式前からすでに授業が始まるのである。もうほとんどの学校がそうなっているようである(結局ゆとり教育はなにも良くなってはいなかったのですね)。学校によっては23日に始まるところもあれば、26日に始まるところもあるそうである。前みたいに試験休みもなくなれば、土日の補填と言って、まだまだ残暑厳しい八月中から学校が始まるのである。
 しかしまあ、僕としては夏休みなんか基本的に退屈なものなので、早く学校に行きたかったわけである。
 案の定、宿題の奪い合い! 僕も前日に二人からオファーがあったのだが、何を隠そう自分だってその奪い合いに参加していたわけであって、まだ宿題未完成、なのである。よく僕にも宿題見せてくれーッとメールがくるのだけども、去年だってひとつもできていなかったし、そう考えると、ウームと唸って考え込んでしまう。皆ぼくを勘違いしているのではないか?

 そういう風にして授業が始まったわけなのだが、現在高校展の追い込み作業で、非常に神経と時間を削りとられている。
 高校展! 秋の大芸術祭! このあとには、倉敷の現代美術展に向けて描いてゆくつもりである。
 父母がこの前帰ってきて、今日から弁当を作ってくれた。その前も豪勢な食事だった。久しぶりに満腹だなあと感じた。やっぱり母はスゴイなあと思った。そんなわけで、どうしてもこの土日で英語の宿題を仕上げなければならない。がんばれ! がんばれ!

早く行ってくれたなら

2005年08月22日 | 紅色
 哭く声は
 暗闇にこだましながら
 ゆっくりと地底を這っておりました
 哭く声は
 確に伝染し
 太陽のない地上を這い回り隠剣な眼差しで睨みつけては
 こくこくと移り行く時間のなかで
 徐々に広がってゆくのでした
 ああ 哭く声は誰の声
 哭く声は誰の声


 眠れません高橋です。暇なので書いています。
 個人的に、ノートに書き綴っていた日記を昨日…あ、いや一昨日に久しぶりに書きました。一ヶ月ぶりです。夏休みになるとともに、急に拒絶に近い、書こうとすると吐気がするというか、今まで一年半日記を毎日付けてきていたのですが、ふと、嘘ばっかり書いていることに気付いて―本当の事を書いていくつもりで始めた日記のはずなのに―それで、七月の中旬ですか、それぐらいの時からだんだん書くのが辛くなってきて、7月21日を最後にすっかり中断していたのだが、一昨日に無理やり書いた。
 自分を見つめ、叱咤する。自分は他より劣る。自己、というものが確立されていない。そりゃあ自己確立、優秀な人間は本なんて読まないさ。向上したい、優秀になりたいと思うから本を読む。
 では自分はどうかというと、それとは全くちがう。本は読む。最近は一日一冊、もしくは二冊読む。でも自分でもこれは異常だと思う。読み終らないうちにまた五冊買う。結局何がしたいのか。というと、要するに時間の隙間―絶望的な、不安な未来を考えるに至るわずかな時間―を与えるまい、作るまいとして本を読む。己の弱さから目をそむけようと本を読む。
 つまり、読書にあるべき向上が、ないのである。慰められよう逃避しようと本を読む。知りたくない、進みたくない。その向こうにあるものは一体なんなのだろう。
 つまり 不眠の行き着く先。

 私には希望があり 夢があり 力があった
 かつて目は澄んで
 銀の光を反射していた
 その笑顔は屈託なく
 未来が 今が 楽しかった
 かつて過去の過ちに
 私は涙した

 今 私を誰だか知ってしまった私は
 元のよに笑えなくなった
 人の顔色を気にするようになった
 つまらない癖を覚えた

 さようなら と言って
 飛び立つようにして離れられたなら





雨やーッ

2005年08月21日 | 紅色
 今日の大阪は中途半端な雨降って、本当にもう、やる気あんのかーッ! と叫びたくなるような状況。
 そういえば昔、僕が保育園の頃なのですが
 「雨っていうのはな、神様のおしっこなのだッ」
 と本気で言い張るやつがいて、ウソだウソだーッと反撃するとすごい剣幕で「ホンマやーッ!」と言って泣いてしまった。
 そのとき僕はそいつの話を本気で信じてしまっていて、もし本当だとすると今日のこの雨模様(http://blog.livedoor.jp/lalala621/)は、ひょっとしたら神様、頻尿なのかも・・・とか下らないことを考えておった高橋です。

 最近本当にテンションが低いですね。ええ。それで、僕は昨日眠れなくて、なんでこんなに深々と闇の中に入り込んでしまったのだろうか・・・ということを考えていたのです。
 それで、仮定として二つ、こうだから、僕のテンションが低いのではないかと思わしき事柄を見つけたので書きます。

 第一に、夏休みだから。
 要するに今学校がオヤスミ、なわけです。それで、どうしても一人の時間が増える。そうすると、僕は、口では「一人がいい!」と言っても、所詮やはり人間の一であるからして、寂しがり屋なのでしょうね。それで、寂しいからよってテンションも下がる。
 これにはいくらか頷ける要素が入っています。一人だと、どうしても深く考え込みすぎる癖があるようで、また、そういう本ばっかり読んでいるせいで、どうしても疑問を無理やり絶望的な展開にする場合があります。だから眠れなくなるのですね、きっと。

 第二に、変な小説書きすぎ!
 これも夏休みの所以、一人で部屋にこもって、文章ばっかり書いとる。見てもらったら分かるように、クラブもお盆休みに入って、一日中家で暇をもてあましている時分から、一日にこの「紅色」を三回も更新している日があったり、そうかと思えば突如として詩を書きなぐったり、とにかく何かを書かないと落ち着かないような状態です。ずっと前から。
 それで、いろいろ考えて、生と死、人間の苦悩、二十歳の原点、哲学入門・・・本を一日一冊読み、ときおり狂ったように詩を書く。
 そういう、いろいろな心境がやっぱり反映されてくるのでしょうか。この夏、あわせて五編の短編小説を書きました。どれもこれも半狂気的意味不明作文自己流であるからして、相当参った! と思わざるをえない。

 僕としても、こういうテンションはあまり好きでないし、今も継続していて、なんちゅうか早く学校が始まって欲しいの一心である。
 とはいえ・・・宿題ーッ! うおおおおおッ

負けてられない

2005年08月20日 | 紅色
 暑いからなのか、休みでダレているのか、まったくやる気が出ない。考えることといったら、自分でも判らないようなことばかり。生きるべきか死ぬべきか。なんていう恐ろしいことも考えている。
 母が言った。
 「自殺することは、もっとも親不孝なことだ」
 と。
 一日パソコンに向かっては詩を書いたり小説を打ち込んだり、机に向かっては面倒くさくなって、寝転んで高野悦子「二十歳の原点ノート」を読んだ。

 本当に書くことが、今は明るい話題なんてチョット無理なのだけども(なぜだろ)そうやって「書ける場」があるということが、僕にとって唯一の救いである。僕にとって書くことは、自分を見つめることだから。

 今日書いた詩

 考えるということ  8月20日

最近頭を使って考えることがあまりない
考えること
考えることという一文を書くことに
考えているのかもしれない
本当の考えるとは
どういう意味なのだろうか

それは雲の形をなにかに例えるとか
色の名前を言ってみるとか
ぼんやりするとかかも知れない

問題を解くことは考えること
時間を計ることは考えること
優しくしてあげるのも考えること
怒るのも笑うのも考えること
自由を考える
未来を考える
自分を考える
我考える
自分を考える
ということ
実はそれが一番大切
と私は言い切れないけど
それが考えることのすべてであると
私は切ない気持ちでそういうことを考える


 憂鬱

時間が足りない
時間が余りすぎて
時間が足りない

矛盾 純情 愛情を
すべておなじ箱にしまいこむ
矛盾が生じ
純情が芽生え
愛情が生まれる

そこに憂鬱の影が忍び寄ることなど
誰も知らないことだろう


 測量の時

夏も狭まる八月終わり
久しぶりの一番風呂
肩まで浸かってゆれる四肢を見る

黄色く
そこにあったような
私のかげが
途方も無く長い年月をかけて
傷つき朽ちた結果

さあ!
測量だ
測量をしよう
測量をしようではないか!
自分の運命を見定めるために!

生きるか死ぬかを見定めるために!



 死のうぜ

一緒に死のうぜ
と奴が言った
僕は言う
親不孝なのだそうだ


久しぶりのOFF

2005年08月19日 | 紅色
 今日は教員採用試験とかで学校が封鎖(!)されるので僕は一日中、家でゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロしていたのだった。
 明日もあさってもきっとゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロしているのだろうと思うのだけど、とりあえず今日の、ものすごく消費的な一日の過ごし方、これイワゆる高橋的有意義な時間の使い方というやつである。

 まず。九時起床。たまに五時とかに起きてものすごい低血圧なのも気にせず、ビシビシビシーッと立ち上がり、目眩立ち眩みなんて気にせず階段を下りて服を着替えて僕はランニングなんかに行くのだけど、今日はやっぱり頭の全般を「OFF」という思いが占めているので、そのときは目覚まし時計なんて効き目ないのだ。
 それで九時に起きて、九時四十分頃まで僕はぼぉーっとして過ごす。低血圧なので完全に覚醒するのに時間がかかるというか何というか。それでいざ布団から立ち上がり、そこにあったギターに目が止まる。
 そういえばこの前こんな曲を作ったよなぁとか思いながら、ギターを弾いてみる。僕の使えるコードというのは、本当に限られていて、ここで言ってしまえばA、C、D、E、F、G、Am、Bm、Dm、Em、Fm、A7、C7、D7、E7、C7、その他Am7とかそこら辺の、指三本以上使わずに弾けるに限るコード、つまり「基本コード」しか押さえることができないので、ちょっと最近そこらに劣等感を感じ始めている。
 とはいえ、使わないコードを覚えても仕様がないし、実際コードなんて三つか四つでひとつの曲ができてしまうのだから、僕のように趣味でやっているヤツには、無理やり覚えなくてもいいのかなぁ、と思う。

 それで、十時過ぎまで弾いていたら兄がやってきて
 「メシよりギターかよ!」
 と突っ込まれた。
 ご飯をサササッとたべ終わると、兄はどっか遊びに行ってしまったので、僕一人になってしまった。だから僕は今日日本映画専門チャンネルでやっていた「連合艦隊」を見た。僕は邦画が大好きだから、このチャンネルは暇があればちょっとチェックしている。それで「連合艦隊」を見ていたらお昼になったので、チキンラーメンをすすりながら、引き続き「連合艦隊」を見る! 
 「連合艦隊」が終わったので何もすることがなくなってしまった。テレビを消して、月刊脳細胞を書こうとしたが断念、ギターを持ってきて弾く。
 昨日僕が「おれが作ったよっさんを主役にした曲が二つある」と言ったら、S村くんが「俺をテーマに一曲作ってッ!」と言った。それで、今日作ってみたのだが、どうもでき上がってみたら全然S村くん関係ない曲になってしまった。タイトルも「紅色純情」とかいう、やけに恥ずかしいタイトルになってしまった。ちなみにこの「紅色純情」の使用コードはC、G、D、Emである。

 それで、新曲「紅色純情」の練習をしていたら、指が痛くなってきたのでまた日本映画専門チャンネルを見た。そしたら「がんばっていきまっしょい」の以前の映画をやっていて、ぼくはみるみるそれに引き込まれていってしまった。コーチの性格がものすごい好きになってしまった。ビデオ借りてもう一度最初から見たい一品であった。
 するとやっぱり時間は過ぎていくものでして、もう夕方。あ、メシを作らなければッ。と思い、冷蔵庫を覗くが、連日の拙戦にもはや冷蔵庫カラッポ! くそ―ッと思いあたりを見回したら、なぜかカレーのルーが三箱もあったので
 「よっしゃ今日はカレーじゃーい!」
 と思ったや否や、僕は愛車Zメン99(自転車ですごく一般的の、藍色の自転車ですハイ)を飛ばしてサタケへ行き、モヤシとネギとじゃがいもとニンジンを買って帰ってきた。それで大急ぎでカレーを作った。固かった。

文化祭版ッ?

2005年08月17日 | 紅色
 先日S村くんと絵を見に行った時のこと。配られた冊子を見て僕とS村くんは
 「月刊脳細胞、文化祭版なんて出しません?」
 という事だった。
 ここで月刊脳細胞を知らない読者が圧倒的多数を占めると思うので付け加えておくと、月刊脳細胞というのは、早い話が「寄せ集め強引ナンデモ個人的月刊誌」なのであって、いわゆる同人雑誌といいますか、でも中身は文字ばっかり・・・的な冊子なのですが、最低月一回、私が「そこの君、書きなさい! あ、あーそこのアンタも書きなさい!」と出会う人出会う人に声を掛けてはムリヤリ書かせている(ノーギャラ)雑誌なのである。B4紙を二等分したサイズの月刊誌である。
 で、S村くんとは「出そう出そう」ということでまとまったのだけれども、本家の月一回発行のはずである月刊脳細胞のことをすっかり忘れていたのである。夏休みはいろいろと忙しくて、机になんて向かってられるか的状況だったためすーっかり編集長である私はそのことをどこか空気に逃がしてしまったのだ。(ちなみにS村くんはプロデューサー兼ディレクター兼会計だよ)

 そこで大急ぎで(構想・・・四日間 製作時間・・・二日間)、月刊脳細胞夏の特別号を出しました! ワーパチパチ! えー、見たいという方は大阪府の私ン家まで来てくださァい。名付けて「月刊脳細胞 夏休みだから一人で書いてやったのだ号」であります。
 内容はですね、このたび「紅色」と「月刊脳細胞(株)」による連携コラボレーション企画でありまして、前々から計画しておった「中学時代」をついに発表する運びとなったわけです! (どうも大ごとになりすぎとるような感じだ)
 今まで僕は「紅色」を約一年やらせていただいていますが、書いた文章数、大小全部合わせて213つ(八月十七日現在)、今回その中から八編を選びまして、一冊にしてしまいました。
 収録した文章はすべて「紅色」にも載せていますので、今すぐ見ることができます。

 1 中学時代回想への序文・・・・・・・紅色 05年8月16日
 2 先生が泣いた日・・・・・・・・・・・・・紅色 05年8月16日
 3 試験当日の恐怖・・・・・・・・・・・・・紅色 04年11月23日
 4 トラック&フィールド秘話・・・・紅色 05年1月22日
 5 母のうしろ姿・・・・・・・・・・・・・・・紅色 04年11月6日
 6 梅田裏町異常体験・・・・・・・・・・・紅色 05年6月10日
 7 受験生の日々・前編・・・・・・・・・・紅色 04年9月9日
 8 受験生の日々・後編・・・・・・・・・・紅色 04年9月10日

 主に中学時代の思い出(母のうしろ姿・梅田裏町異常体験以外)を書いた文章を集めて、無理やり一冊にしました。
 一冊にしてみて、ちょっと嬉しかったので、機会があればまた今度は「小学校編」とか「保育園編」とかやってみたいと思います。いやー良かった良かった。