ニッサン ローレルより半年遅れて1968年9月にセダン、ハードトップ、ワゴンが同時に発売されたコロナ マーク Ⅱのハードトップです。
翌年にはDOHCエンジン搭載のGSSが追加されました。
セダンはこちらをご覧ください。→Toyopet Corona Mark Ⅱ 1968-
2代目のハードトップはこちらをご覧ください。→Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop 1972-
ニッサン ローレル ハードトップはこちらをご覧ください。→Nissan Laurel Hardtop 1970-
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop Tokyo 1969年撮影
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop Tokyo 1970年撮影
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop Kanagawa 1970年撮影
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop(改造モデル) Tokyo 1969年撮影 <2011年10月画像追加>
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop(改造モデル) Tokyo 1969年撮影 <2011年10月画像追加>
翌年にはDOHCエンジン搭載のGSSが追加されました。
セダンはこちらをご覧ください。→Toyopet Corona Mark Ⅱ 1968-
2代目のハードトップはこちらをご覧ください。→Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop 1972-
ニッサン ローレル ハードトップはこちらをご覧ください。→Nissan Laurel Hardtop 1970-
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop Tokyo 1969年撮影
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop Tokyo 1970年撮影
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop Kanagawa 1970年撮影
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop(改造モデル) Tokyo 1969年撮影 <2011年10月画像追加>
Toyopet Corona Mark Ⅱ Hardtop(改造モデル) Tokyo 1969年撮影 <2011年10月画像追加>
このマーク2が一番それを感じますね。後のツインカムのGSSはモーターマガジン誌でイラストを描きました。まだまだDOHCがまぶしい時代ですね。
小学校の社会見学、トヨタ本社で頂いたハンカチの真ん中にも載ってます(笑)
http://blog.so-net.ne.jp/987/2006-05-14
ところでkoyapopさん、アメ車の記事にリンクさせて頂きました。
AF/VK、大内先生も影響された様に思うのですが。
http://blog.so-net.ne.jp/987/2007-09-30
http://nigensha.co.jp/jaaa/ouchi2.html
こういうサブネームを付けて後にサブネームのみを独立の名称にするのはいつごろから始まったのでしょう?
この手法は現在では登録台数稼ぎの感がありますが、ある時期までは運輸省(通産省?)のむやみにモデル数が増えるのを抑制するための行政指導に対するメーカー側の対抗策だったということを読んだ記憶があります。(勿論、売る側にしてみれば既存のネームバリューのある車の兄弟車だとかいう売り文句があった方が売り易いという理由もあるのでしょうが。)
私はドライバー誌の表紙を長く描かれていた松本秀実さんの絵が印象深いです。カーイラストレーションの本も出されてますよね。
穂積和夫さんの「自動車のイラストレーション」は当時買い求めました。真似て描いてみたりしましたが、結局ものになりませんでした(笑)
koyapopさん、全然関係ない話題ですみません。
gop様>そうでした。あの穂積さんも尊敬されている松本さんを書くのを忘れておりました。失礼致しました。松本さんはドライバー誌の前は元のカーマガジンとボーイズライフ等に描かれておりました。穂積さん、松本さん、そして私と講談社フェーマスアートスクールの一期生であります。
gopさんとは色々な所でお会いしているようですね。同じような所に行っております。
三枚目、お気に召されましたか。横浜の山手、フェリスのあたり?だったか、偶然2台いるのを見てうまくフレーミングできないかとチャレンジしたのですが・・・ちょっと手前の緑がうるさかったようです。
>まだまだDOHCがまぶしい時代ですね
コロナの1600GTもDOHCでしたね、"GT5"にあこがれたものです。
小学生時代のグッズを未だ保管されているとは驚きです。
こちらも小学生のころいすゞの工場見学をしましたが、もらった下敷きはどこへいったのやら・・・
AF/VK関連でリンクしていただきありがとうございます。
アメリカ車のカタログの数あるイラストの中でも抜群のセンスを誇る彼らの仕事は多くの人々を魅了してやまなかったように思います。
穂積和夫さんの本は良かったですね、持っているはずですがここ10年ほど行方不明です・・・
おっしゃるとおりですね。初代があるからマークⅡがあるわけで・・・
当時口さがない連中は○号さんグルマなどと言っておりました!
ジャガーのマネという声も方々で聞きました。
この車が発売された時、そんな名前があるか、おかしくないか、と感じた覚えがあります。世間的にも当時かなり違和感があったのではないでしょうか。
いつの間にか誰も不思議に思わなくなりましたが・・・
一般的なサブネームであればここまで違和感はなかったんでしょうけれど。
>こういうサブネームを付けて後にサブネームのみを独立の名称にするのはいつごろから始まったのでしょう?
スプリンターがそうでしたね。バイオレット オースターもオースターになりました。
行政指導対抗策という話はおぼろげながら昔聞いたような気もします・・・
というべきでしょう。初代は。
車種構成がアメリカンだったというべきか、、、
そうHTが実に格好よかった。そのうえ9Rを積んだGSSが
誇らしくてこれほど(商用からDOHCスペシャリティまで)幅の広かったファミリーは日本の自動車史でも珍しいのでは。
レース用にはTOYOTA初のターボチャージドまでありましたね。この辺はTOYOTA7のフィードッバックだったのか、単なるオヤジセダンに成り果てた末裔とはえらい違いですね。