1968年に「ハイオーナーカー」としてデビューしたニッサン ローレルです。
70年に追加設定されたハードトップはこちらをご覧ください。→Nissan Laurel Hardtop 1970-
2代目のローレルはこちらをご覧ください。→Nissan Laurel 1972-
トヨペット コロナ マーク Ⅱはこちらをご覧ください。→Toyopet Corona Mark Ⅱ 1968-
Nissan Laurel Tokyo 1970年撮影
Nissan Laurel Tokyo 1968年撮影
Nissan Laurel Tokyo 1968年撮影 <2011年10月画像追加>
Nissan Laurel Tokyo 2005年撮影 <2013年9月画像追加>
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70年に追加設定されたハードトップはこちらをご覧ください。→Nissan Laurel Hardtop 1970-
2代目のローレルはこちらをご覧ください。→Nissan Laurel 1972-
トヨペット コロナ マーク Ⅱはこちらをご覧ください。→Toyopet Corona Mark Ⅱ 1968-
Nissan Laurel Tokyo 1970年撮影
Nissan Laurel Tokyo 1968年撮影
Nissan Laurel Tokyo 1968年撮影 <2011年10月画像追加>
Nissan Laurel Tokyo 2005年撮影 <2013年9月画像追加>
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確か後部のウィンカーが内側から外側に順次点灯していくタイプではなかったでしたっけ?
前のフェンダーの飾りはビュイックを連想させられますね。
セドリックをキャディラックに見立てるとローレルはビュイックに当たるといったところでしょうか。
この世代の日産車は直線基調のスッキリしたデザインでまとまっていたように思います。
この後、ブルU、2代目ローレル、ケンメリ・スカイラインと重苦しいデザインに変化していったのは残念でした。(同じ会社の車のデザインという観点から見れば統一されていたのかもしれませんが・・・)
たしかに510よりはるかにシャープな面使いですね。同じく個人的に好きです。
センチュリーやブルーバード クーペのウインカーと同様、これも順次点灯タイプでしたっけ?
この前面白い記事を読みました。ビュイックのあのオーナメント(PORTHOLES)はなんとハーリー・アールがチシタリアからいただいたものだそうです。
49年型以降にしか見られないことからもこれは真実でしょう。
この後の日産車の変貌はある意味必然だったような気もします。
サニーvsカローラ、あるいはこのローレルvsマークⅡの構図の中でスッキリしたシャープなデザインは「ふくらんだ」豊かな面の前では貧相とユーザーが受け取ったからではないかと思うのですが・・・
koyapopさん仰る通り、このローレルがマークIIに負けた後から日産デザインはおかしくなって来ましたね。市場がそれを欲したからと言われればそれまでですが、あの頃の日本人のデザイン思考って何だったんでしょう?あんな中で育った私はある意味不幸だったのかも(笑)
510発売のの1年後。当時、新車開発には
3年以上かけていたから
510の好調を見てデザインされたのではないのでしょうが
プロポーションはよく似ていましたね。
ヨーロッパの塊のデザインに比して
当時の日本車のそれは線であったように思います。
50年代は観音クラウン、テールフィングロリアの幅広サイドモールで
サイドイメージを強調した。顔はデコラティブ造形。
ここらは次年代2代目フラットデッキグロリアにも継承。
60年代は、ヨーロッパのデザインに右へなれ!と
横目で見ながら国産オリジナリティの模索の二面性だったと思います。
ローレルの直線デザインはクセもなくスッキリしたイメージは新鮮でした。
60年代のFIATあたりよりシャープでした。
直線のジウジアーロも、そのころは初代ルーチェの緩いカーブや
117、フローリアンでしたからね。
かたやマークⅡはあの濃いマスクで特徴的なデザインでした。
私はマークⅡはアメリカン指向と思いますが、
初代は、なんとも説明しがたい国産デザインでした。
もっともアメ車には、60年のダッジ・ポラーラ(62年ダート)、
アヴァンティてな、キッツ~イ個性の顔つきもありましたが
私の中では、ムスタングでありコーベット・スティングレィでした。
イーグルマスクなんてどこからきたのでしょう?
・・・あれはあれでカッコ良かった・・・気がするのですが(汗)
70年代はその延長の、象徴的なケンメリ、ジャパンのサーフィンライン。
やはり線の小手先デザインが国産デザインのイメージです。
後に初代チェリー、チェリークーペやピアッツァあたりで
かたまり感が出てきましたが、2代目チェリーはいかん。
スラントノーズの初代国産はアローラインコロナでしょう。
(いや!フライングフェザー???)
空力デザインというのが曲者で
自由なデザインに制限をかけました。
2代目カペラのスラントは・・・いかがなものかと。
現在、似たもののっぺりノーズの根元は
この空力アローラインからスタートしたのかもしれませんね。
ローレル話が、広がってしまいました(謝)
開発はローレルの方が510ブルより先行していたそうです。
この世代の日産車も初代サニー、510ブル、このローレルと直線基調のデザインで統一されていた感があります。
以前読んだ本で、(この世代の後の)デザインの近似性を問われた当時の日産の担当者が、「候補のデザインはバラエティに富んでいるがそれを選ぶ立場の者の好みでデザインを選ぶので結果同じような車になってしまう。」と言っていました。(直線好みの重役から曲線好みの重役に代わったのか?)
初代マーク2のHTと共に、本物の贅沢を日本人が知る前に流行ったフェイクな贅沢感が満ちているからです。(笑)
外車通(欧州)は避けた方法論がいっぱい使ってあると思います。
アローコロナの時に書いた叔父はその後出世して、2代目ローレルSGXに行きました。
もう一人の伯父はブルーバード510に乗っていたので僕も密かに楽しみにしていたのですが、ある時から610ブルU後期4ドアになってしまい、少年は落胆しました。
伯父自身苦笑しながら、「前のブルの方が好きだったしよく走ったよ」って。それでも新しいものに買い替えることが美徳、そんな考え方が常識の時代になり、ニッサンのデザインは破壊と創造(失敗と成功)を絶えず繰り返すようになりました。
このローレルの評価は初代プレリュードと同じく、新境地を開く前の序奏として密やかなファンの楽しみにしておくといいと思います。
gopさんもお好きですか。
ある意味つきつめられたデザインには次の手がありません。
次期型開発に際し、とことんやり尽くしたとの想いからは、なかなか次のかたちが見えてこなかったのではないでしょうか。
>あの頃の日本人のデザイン思考って何だったんでしょう?
大きなテーマですね。これから折を見て考えることにします。
60年代と70年代の日本車デザインに対する考察、素晴らしいです。いたく共感しました。
このローレルもマークⅡも手法こそ違えそれぞれが堂々とした立派な国産デザインだったと思います。
それが発展していかないところにきっと問題の本質があるんでしょうね。
ビュイックの穴?は継続は力なりの見本みたいですよね。
使い続けたことで今やアイデンティティとして認知されているわけですから。
日本車の苦手な部分ですね。
フェイクな贅沢感、とはなんとも辛らつな、でもある意味言い得てますね。
もっとも何がフェイクでないのか、未だに、あるいは今だからこそ、よくわからなくなってきてはいますが・・・
初代ローレルへの想いはおっしゃるように密やかな楽しみにしておくことにしましょう。