スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

虹を見た

2019-01-28 21:00:40 | ワタリのエッセイ
写真を撮り忘れていたので、なんても説得力にかけるのですが、昨日の1月20日に高崎駅前ではっきりとした虹を見ました。

当日、ワタリは駅前にある高崎市中央図書館に子供達の本を借りに行っていました。

当日、高崎市内地には小雨に雨が降っていたのですが、帰宅する頃になると優しい雨のまま降り続けていました。

一番最初に虹を発見したのは次女でした。

その後、ワタリが見つけたのですが、とても色がはっきりとした虹で、2本かかっていました。

ワタリはこの虹を見た時、Sのところにいる守護神の仲間がくると思いました。

なにせ、Sのところの守護神団は虹に乗ってこの世にくるという伝説があり、実際Sのところに来た時は見事な虹がかかり、ネットでニュースになったほどでした。

でも、Sの通してこの件について聞いて見たところ、『自分たちとは関係がないし、誰かくるとも聞いていない』とのこと。

じゃあ、あの優しい雨の中見た虹は一体なんだったのでしょうか?

その件に関して、これから調べるつもりですが、今考えるととても出来過ぎているように思います。

優しい雨で、その中で見事な虹が出てきました。

それも、ワタリがちょうど帰宅するそのタイミングで、綺麗な虹が出てきたのです。

ここ最近、ワタリはあまりにもエンジェルナンバーを見ています。

今だって、スマホの時刻は9:44だったし、7、8、1のゾロ目がとても多い。

何かある。そんな風に感じます。
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ハズレ先生とアタリ先生

2019-01-21 21:00:37 | スピ母の実践育児と子育て体験
毎年4月の進級シーズンになると、全国では子供達の新しい担任がどうのこうの。って話がラインあたりでは絶対なされていますよね。

ワタリはここでも公表している通り、「可能な限り子供達に最適な担任を」という理由から、毎年ツインが子供達の担任を決めるにあたり関与しています。

それでも外れる時は外れる訳で、長女の現担任と、こちらに来てから通った英会話教室の講師は大外れでした。

まあ、英会話教室に関しては近くの別教室に移動し、そちらでツインが選びに選んだ経験者の新人を連れてきてくれたので事が終わっているのですが、学校の担任は1年辛抱をしないとなりません。

ただ、大外れの担任を実際に目の当たりにして思う事は、「アタリハズレなんて、本人が気にいるかどうかの問題」という事です。

極端な話、ベテランじゃなきゃ嫌!という人は、大学生時代に家庭教師アルバイト経験でキャリアを積んでいて、天然の統制力を持っている人でも新卒担任。という時点で気に入りませんからはずれ!と感じる訳です。

逆に、若い先生じゃなきゃダメ!と思う人は、本当にきちんとキャリアを積んできた「現場教職員一筋20年以上」という大ベテランでも年配。という時点で気に入りませんからハズレ!と感じる訳です。

無論、ワタリだって長女の現担任に対しては気に入らないのでハズレ!と感じていますが、彼女は典型的な脳筋なので、中には気に入って大当たりと思っている人もいる訳です。

結局の所、本当にこの程度のことなんですよ。

本当にこの程度のことで、親が「当たったもんはしょうがない」と割り切り、いかに担任と関わらないように1年過ごすか?という事を子供と連携して実行する事ができれば、大体1年は乗り越えられます。

逆に、ギャーギャー親がハズレハズレと喚いたり、全力でわかりやすく担任をディスると子供達は真似をするので後で大後悔します。

我慢は必要ないんですよ。嫌な嫌!と言えばいいし、気に入らないならディスってもいいんです。

でも、もっとしたたかに嫌味を飛ばす事ならできます。

実際、ワタリはなにかの親コメント欄に書く事がないので「がんばったね」しか書かないでいたら、長女の担任から「2行は書いてくれ」という要望が出ました。

なので、文字を大きくし、2行に分けて「頑張ったね。これからも続けようね」と行きました。

はい、確実に2行ですが、担任が思った通りではありません。






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進級先の担任をみてきます

2019-01-14 21:00:45 | 性格を悪くしているエンパスの日々
来月、ワタリの子供達が通っている小学校では、年度内最後の授業参観があります。

毎年度進級の際には担任を総入れ替えするのですが、これが「担任ガチャ」とも呼べる行為だったので、子供達の担任を決めるのは毎年ツインの仕事としていました。

しかし、今の校長は担任の入れ替えをほとんどしない人なので、「担任の入れ替えがない」という前提に基づき、来年度の子供達の担任はワタリが直接リーディングをして決めることにしています。

そういう訳で、来年度の担任をリーディングするべく、ワタリは当日早目に学校に行き、保護者の皆さんに紛れながら現5年生と、現3年生のクラスを見てきます。

まあ…流石に教室に入ると該当者の親じゃない。ってバレるんで、廊下でそーっと眺めているだけなんですけども。

でも、内心「ミスったー!」と思ったのは、現3年生のクラスに小規模な入れ替えが有った。ということをチェックしていなかった。ということです。

これに関する機会はね、最低でも4月に1回はあるんですよ。

そう、4月になると絶対配られる、職員一同の顔写真付きお知らせ。

あれ、見ることは見るんですが、子供の該当クラス外の担任なんて見ないでしょ?

ワタリもそんな1人でしてね、去年の4月時点で現校長の人事方針は理解していたものの、子供達の学年のほかの担任はチェックしても、進級先のクラスの現担任はチェックしていなかったんですよね。

あー悔やまれる!だって顔写真さえあれば、ワタリはそれを媒体にリーディングできるし、心に入ってそいつの人となりを視覚化してみることができるんですから!

まあ、やってしまったことはしょうがないので、来月の授業参観で進級先のクラスのリーディングをしてきます。



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現代式喪中は心次第?

2019-01-07 21:00:21 | ワタリのエッセイ
ワタリは去年弟が死んだので、厳密には喪中の人になります。

年賀状も控えてお正月は過ごさずー、というのが定番なんでしょうが、正々堂々初詣に行ってきたりしています。

だって、喪中なんて今時心の問題だと思っていますから。

喪中の起こりというのはこのリンクにもありますが、神道の穢れ大嫌いの潔癖症が事の発端のようです。

まあ、平安時代まで本当に目に見えない世界のことを重要視されていましたから、先のリンクにあるように、家族の誰かが死んだら一家全員穢れている!なんてみなされるのは当たり前だったんでしょうね。

でも、今の喪中に関することとなると、本当に心のありようだとと思います。

だって、戦前までは法律で喪中が国民の義務!くらいの勢いだったわけですが、こんな風に法律で制定しないと誰もやらなくなるから法律で制定した。というのも可能性として否定できないわけですよね。

だって、それこそ皆が死んだら平等に泣いてもらえる訳ではありません。

それこそ、死んだ知らせを聞いて大喜びされる人だってこの世には実在している訳なのです。

そんな人だった場合、喪に服してくれる人は本当に少なくいのは目に見えるでしょう。

だから、法律で喪中を義務化する必要性があったんだと思います。

ただ、霊媒であるワタリから見ると、義務で嫌々やる喪中より、心の底から故人の冥福を祈る自主的な喪中の方が何倍も故人に対して強力な供養となります。

嫌々やる喪中は何も生まない。というのが唯一の救いですが、そんな無味乾燥な喪中をやって何か意味があるのかしら?と本当に心底思います。

ん?って言うか大晦日に祖父が渡に話しかけてきたんですが、祖父はワタリが喪中なんて絶対にやらない。と言う事を見抜いていたのかもしれませんね。

本当に、当たり前のように会話をしていたんでその時は気がつかなかったんですけど、ワタリが知る限りでは一番供養の多いキラキラ人霊であるうちの祖父は、どうもキラキラなだけに色々食えない人のようです。


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