スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

多様性っての形って何だろう?

2018-07-30 21:00:15 | ワタリのエッセイ
最近、多様性どうのこうのという記事を読むたびに、概ね3年前に書いたこちらの記事のことを思い出しなんか自分預言者なんだな。と言う実感を得ています。

だからと言って、所詮人間関係のことで予言が出来たところでこんなもん多少の人間観察で同にでもなる問題だと言うことをよーくわかっているので、ただ気がついたとしても実生活に生かすだけです。

そして、自然災害の方を的中させる予言者の方がはるかに上という事もよーく知っているので、おごり高ぶる必要なんてないと思っています。

むしろ、ここでおごり高ぶったら中二病感凄すぎてネタにもなりゃしません。

ただ、人間の多様性を維持する方法に関しての記事を読んだ時、昔の多様性というのはもう通用しないな。と感じます。

昔の多様性と言うのは、動物たちを見れば分かる通りなんですよ。

ツインの言葉を借りるのなら、『蛇と猫は戦う事はあるが、普段混ざり合う事はない』

これを人間に置き換えると、民族同士は戦うときや商取引などで関わる時はあるけれど、普段の生活で同じになる事はない。

その結果色々な事が起きましたけど、それはそれで当時は成り立っていたんですよ。

でも、よいよ多様性と言うのも新しい境地に達してきたと思っています。

色々総合的に見るとね、世界はもうすでにワンネスの塊なの。

色々な意味で本当に一つになり始めていちゃって、よいよ人間は地球の管理者としての立場を全うするだけの資格を得てきたんですよ。

まあ、多分爬虫類よりは早かったと思いますが、その期間のやらかしについては本当神様たちのやらかしと同じ位の神話級だと思っています。

だからきっと多様性と言うのも新しい境地になっていると思いますが、あまり関わりすぎるとお節介になって、色々戦争が起きるからほどほどにしておいたほうがいいと思います。

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神々からの伝言?

2018-07-23 21:26:11 | 高次元存在からのメッセージと彼らの事
先週の記事を投稿し終わった後、聞こえてきた声をそっくりそのままお伝えします。

多分、送り主は日本の神々。

高次元存在たちの間というのは案外横つながりでして、多分ワタリは日本の神々の間でそれなりに名が知れているので、メッセンジャーとしてツインから借りたのでしょう。

『民たちよ、今こそ我々に力を貸して欲しい。神社に詣でてくれ、龍に力を与えてくれ。パワースポットとして名の知れた所に行って欲しい、そこで我々のために祈って欲しい、今こそ力を貸してくれ』

解説をしますと、民の力は小さいながらにも数が集まることのよって大きな力となります。

これから慰霊祭が行われる8月が訪れます。

神社に詣で、世が平和であることを祈ってくれるだけでもその力が平和につながり、今回神々はその平和の祈りを戦うための意思へと変換するおつもりのようです。

日本の神々は大変強いお方たちですが、元となる民の力無くしては動けません。

より多く、より多くの力が必要となっており、パワースポットと有名になった神社がそれの集約装置として機能しております。

特に、出雲にお住いの方々、出雲大社へお行きください。

あるいは出雲に関連する神社へお行き下さい。

今人間の祈りの力が必要となっております。
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戦争が降りてきた

2018-07-16 21:00:57 | ワタリのエッセイ
この度は、大雨に被災した皆様方大変な災難でした。

そして、亡くなられた方々のご冥福を、この場を借りお祈りさせて頂きます。

この記事でちらっと話しをしましたが、よいよ見えない世界での戦争が降りてきました。

なぜ西日本ばかりがこんなにも災難な目に合わないとならないのでしょうか?

今回の集中豪雨、ワタリの目にはノアの方舟で示された集中豪雨に見えました。

はっきりと言ってしまえば、日本の神々の首都に対するどこかの不可視領域住民の総攻撃。

不可視領域の論理理屈と言うのはいつだってこっちの世界から見て理不尽不条理で、多分今回の件だってなぜこんな風にしたのか?と当事者に問えば、「必要だったから」とかのたまうのでしょう。

ワタリ自身、最近実は自分が不可視領域の誰かに攻撃を受けていると言うことを知ったばっかり。

ツインの知り合いから今回のアセッションの要は日本だと聞いてはいましたが、その火中にいる人間はたまったものでは有りません。

誠に残念ながら、多分あくまで多分まだこれからも攻撃は続く。

それが人間の手によるものなのか、自然災害なのか、全く読めないから結果論でしか言えないのが誠に残念な所なんですけども。

とにかく、関東関西問わず、今は神社に行った方がいい。

日本の神々が言っているような気がします。『我が国の民よ力を貸してくれ』と。
















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勘違いばっかりで嫌になってくる

2018-07-09 21:00:17 | ワタリのエッセイ
誰がこの思考を送ってくるのか?なんて事は知りませんが、ワタリにとってはよくあることを紹介します。

ワタリが何かしらの行動をしていると、そのホンニンから見てとても楽しそうに見えるのか、時々一休みをしている時に書いていた記事に関する何かしらのイメージが連想ゲームのごとく湧いてきます。

そのイメージは多岐にわたるのですが、総じてワタリの意思とは無関係にキャーキャー進んでいきます。

そのイメージを送り込んでくる理由というのは、ワタリがとても楽しそうにしていたから。と言う事なんだと思っていますが、昔から、それこそ小さい頃から続いている事なのでもううんざりしています。

そして、この妄想を遊ばせておくと強烈な引き寄せに繋がるのを知っているので、ワタリはいつも最新の注意を払ってこれを監視し、危険!と分かったら即止めに入ります。

この世のありとあらゆる魔術修行で、イメージと現実の区別をつける必要を訴えていて、これが出来ない人間は評価にも値しない。とはスコーピオンが言っている言葉ですが、多分そう言う人はこのイメージの世界に変な形で溶け込んでしまったのかもしれません。

だから、現実とイメージの区別ができなくなり、精神病院行きになると言うオチになるんです。

イメージと言うのは決して悪いことでは有りません。

でも、それをコントロールできないと意味がない。

多分、ブログを書いている時もワタリは楽しそうにしているそうなので、この後で何かしらの妄想が出てくるでしょう。

でも、今の私はそれを求めていない。そして、そんなことで楽しませようと考えるお前はすごく嫌いだ。
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分かりにくい人はもう受け入れられません。

2018-07-02 21:00:27 | ワタリのエッセイ
敬老の日のプレゼントネタをやっていて思ったのですが、高齢者の中には何をしてもらっても文句しか言わない人というのがいます。

分かりにくい物が理解出来るのが良いとされていた時代の人でしたから、ある程度はしょうがないのかもしれませんが、ワタリとしてはあまりにもそんな事をやっていると誰からも相手にされなくなりますよ。と言いたくなります。

あのね、文句を言われてなお贈り物をする人なんていないんですよ。

そして、文句ばかりの人に対して何かしてあげようなんて考える人は現実にいないの。

もし、去年敬老の日にプレゼントを贈って文句を言われたら、もうその人には何も贈らないほうがいい。

何も贈らないことに対して怒ってきたら、「去年これじゃ嫌だと言っていたからもうやめた」と言えばいいんです。

そして、それで終了。

文句ばかりの人間は総じて孤独になっていくから、どんな手を使ってでも自分が中心になろうとするの、そして言い争いがコミニュケーションにしか見えないから食いついてくるの。

もう余分な事に労力を使うのはやめましょう。
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