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「残夢整理」多田富雄著

2012-05-02 22:51:30 | Book
本書は国際的な免疫学者・多田富雄氏の遺作となる。
多田さんは1934年、茨城県の何代も続いた開業医の息子として生まれる。千葉大学に進学し、内科医になって田舎の開業医になる前にモラトリアムな時間をつくるためと、変人と評判の教授の病理教室の門をたたいてそのまま世界的な免疫学者としての業績を残すとなことになった。趣味の能への造詣も深く、新作能までてがけている。そんな多田さんは、2001年脳梗塞に倒れ、声を失い、右半身不随となるが、最後の最後まで執筆活動を続けた。
平成22年2月18日。癌の転移によって、わずかに残った左手の機能まで失われて断筆となった。その2ヶ月後に、亡くなった。

さて、本書を手にしてずっと気になっていたのが、表紙の絵、真っ青な空にたなびく雲、白い包帯を巻いたような人物が草原に横たわり、そばに大砲があるシュールな油絵である。この50号の絵は「廃砲と廃兵」というタイトルだそうだ。画家は、永井俊作。昭和22年、県立水海道中学に進学した多田少年のかなり風変わりな同級生だった永井さんは、東京藝術大学に進学し、江藤淳らと同人雑誌を作っていた多田さんとは夢も重なり、生涯の友人となった。それは、永井さんが上顎癌になり端整な顔がみるも無残に醜く変形し、最後のその日まで、精神的ホモとまでからかわれたふたりの友情は続く。

早熟ゆえに才能をもてあました文学青年、破天荒な医学部の同窓の仲間、特攻隊の志願兵だった従兄、変人といわれた病理学の謹厳な恩師、そして能楽師。病に倒れた著者が、すでに逝った故人との交流と人物像をうきあがらせ、又、去っていった昭和の青春の記録でもある。

多田さんは文章がとてもうまいのだが、それもそのはず”跳ね上がり”江藤淳氏と本気で同人雑誌を作っていたそうだ。
本書でも大好きだった年上の従兄の肉体に第二次性徴を見て嫌悪感を感じる文章は、どきどきするくらい秀逸だった。しかし、大事なことは文章の巧みさを読むことではなく、彼が後世に残してくれた昭和の残夢である。

多田さんはたくさんの名誉ある肩書きと経歴、受賞暦もある。そこから考えるとと一般の人よりもかなり多くの交流関係があるかと想像される。すでに鬼籍に入られた親しかった方の中には、著名人もいるだろう。しかし、多田さんの夢にあらわれるのは、世間的にはそれほど知られているほどでもなく、無名でむしろ不運で不遇だった人たちである。もっと器用に、それなりに世間をうまく泳げばよいのに、彼らの人生にそんな私はいくつかの哀しみをみる。それはまぎれもなく、昭和に落とした悲しみとそれゆえの美しさかもしれない。多田さんの感性がひきよせる交流でもあろう。変人の恩師・岡林篤氏が推薦してくれて渡米した時の回想記「ダウンタウンに時は流れて」と同じである。

■こんな残夢も
「ダウンタウンに時は流れて」
「免疫の意味論」
世界的な免疫学者の多田富雄さんが亡くなる


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