近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

水晶幻想

2009-09-22 00:01:14 | Weblog
去る9月18日に川端康成の「水晶幻想」の読書会を行いました。
この作品は昭和6年に「改造」に発表されたものです。

初読の感想として、一番あげられたのはその難解さでした。その難解さの要因として挙げられたのは、極端なまでの改行の少なさと、〈夫人〉の心内語の挿入によって物語が中断されることでした。しかし、この二つの要因があるからこそ「水晶幻想」という作品が成り立っていると言えます。畳み掛けるような「意識の流れ」が物語と並行に進み、全てが一体となる手法は、この時期の川端に独特なものと言えます。この「水晶幻想」の初刊に一緒に掲載されている「抒情歌」もまた、連想と融合の手法で描かれています。この手法に関しては、川端の「新進作家における新傾向解説」という大正14年に出された論文で詳しく述べられています。このように、「水晶幻想」の手法は新感覚派の理論(川端なりの)の実践したものだと言えます。
また、描かれている題材の指摘もありました。〈プレイ・ボオイ〉というヨーロッパやアメリカで人気の〈ワイヤア・ヘエア・フォックス・テリア〉や、〈クリスマス〉や〈ユダ〉など、キリスト教を始めとする西洋の文化が多く描かれており、これは当時のモダニズム文化に起因するものだと言えます。性や科学といった題材にも、モダニズム文化の影響が見られるでしょう。この時期、川端は『モダンTOKIO円舞曲』という新興芸術派の小説集に「浅草紅團」を書いており、モダニズム文化にも近しいものであったことがわかります。しかし、新興芸術派の代表の中村武羅雄は新感覚派の作家を否定的に見ており、新感覚派と新興芸術派がすべからく同一の思想を共有していたとはいえません。しかし、プロレタリア文学を含むこれらの派閥は全く違うものから生まれたのではなく、西洋の影響から出発し、反発や同調を繰り返しながら歩んでいく、いわば兄弟のようなものであったのだと考えられます。
後期からは、新感覚派だけではなくこれら兄弟の作品も取り扱っていきます。それによって、昭和初期の文壇の姿を明らかにしていくつもりです。がんばっていきましょう。ニシヤマでした。

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