近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

有島武郎「一房の葡萄」例会

2012-06-20 22:18:11 | Weblog
こんばんは。
6月18日の例会は有島武郎「一房の葡萄」の研究発表でした。
発表は2年神戸さん、1年松尾くん、芦沢さんです。
司会は佐藤が務めました。

それでは本文分析に移ります。
本論は、「僕」の罪の意識のあり方を中心に進められていきました。

西洋人ばかりの環境に居るなかで、孤独や劣等感を感じている「僕」はジムの絵の具を盗み、「大好きな若い女の先生」に嫌われるのを恐れ激しい罪悪感に見舞われる。
ここで、女教師は「僕」の庇護者として存在し、与えられた葡萄は「僕」にとっては罪の象徴となる。それは同時に先生の愛ともいえることができ、罪を自覚し成長した者への褒美ともなると展開されました。

まとめとしましては、盗みが発覚することにより後悔の念が現れ、盗みは大好きな人を傷つけるいやなことという意識が芽生えたといえる。また、児童自身の気づきを促す女教師のあり方は、読者に、本文で行われた指導を考えさせる童話のあり方そのものである。
となりました。

挙げられたご意見としましては、
愛のある指導である葡萄の存在に、罰を与えるという意味を含むのか、葡萄をおいしく食べたことについて、最後の3行の意義について、同時代評まとめのキリスト教の気配とは何か
といったものが挙げられました。

また、岡崎先生と先輩からは、あらすじを追うことは必ずしも研究ではないので、児童文学や「赤い鳥」、キリスト教の役割について調べることも必要であること、
また作家論だけでなく、舞台の横浜や西洋人、ミッション系の学校についても丁寧に分析していくこと、教育者としてだけではない女教師の存在にも注目し、児童文学ではなく大人も読める小説としての視点を持つことで最後の3行の意義も見えてくる
といったご指導をいただきました。

あらすじだけでなく作品舞台や登場人物を登場させた意味についても研究することで更に深い読みをすることが必要だと改めて感じました。
発表者の皆様はお疲れさまでした。

次回は志賀直哉「真鶴」の研究発表です。
それでは失礼致します。

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」例会

2012-06-13 21:25:41 | Weblog
こんばんは、2年の今井です。

6月11日は葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」の研究発表を行いました。
発表者は2年の佐藤さん、司会者は今井でした。


本発表は与三の視点について論じるもので、作品の冒頭から女工の手紙の前までを第1段落、手紙を第2段落、手紙を読み終えた後から最後までを第3段落と区切り論を進めていました。

本文分析を要約させていただきます。
第1段落では、与三は仕事以外のことは構っていられないコンクリートのように硬化した存在として描かれている。加えて家族の存在により苦しい生活に縛り付けられており、家庭でも硬化した存在である。

第2段落の女工の手紙は物語のように書かれていて、その語り方は手紙の受け手に同情を求めるのもとして機能している。語調の変化は女工の悲しみをより強調し、手紙の受け手を自分の近くまで引き寄せている。また、手紙には女工と恋人の身の上を労働者に共感してもらいたいという思いが強く表れている。セメントになった恋人が低賃金の労働者とは反対の立場と言える資産家のために使われるのが「見るに忍び」ないと思う気持ちが、女工や恋人と同じ労働者ならば理解できるだろうと訴えているのである。

第3段落での与三は手紙を読んだことにより周りの見方が変化している。与三は労働者の悲しい現実を見ながら何もすることのできない状況に憤りを感じつつもできるなら現状を打破してみたいと望み、そして自分を縛り付ける存在だった子供たちと嬶は自分とともに生きていかなければいけない家族という存在であることを見出す。

まとめとしては、女工の手紙は労働者としての共感を強く求めることで与三の価値観に影響を与えた。第1段落で仕事と家族に縛り付けられ硬化していた与三は女工の手紙を読むことで、7人目の子供を含めた家族は労働をしながら守っていかなければならない存在であるという現実を受け入れた。しかしこれは家族によって縛られているのではなく家族と共に生きる与三という姿を映し出しているとされていました。


いただいたご質問とご指摘をいくつか簡略化して挙げさせていただきますと「女工の手紙が与三にどのように作用したのか、また価値観にどんな影響を与えたのか」「与三は家族に対してだけでなく労働者としての現状やその原因が世の中にあることを自覚し問題意識を持てるように変化している。第1段落で世の中に対して漠然と無自覚に持っていた意識が明確化されているといえる」「大切な恋人の服の裂を渡したのはなぜか」「手紙を書いている時点ではまだ樽に手紙を入れていないのに入れたとあるのはどういう意味か」などでした。

顧問の岡崎先生からは「第3段落で与三は希望だけでなく絶望も味わっていて二重性がある」「「いヽえ、ようございます」には女工が理知でやりきれなさを解決しようとしたことが表れているが、そのあとで感情があふれてしまっている。切ない。おぞましいものと受け取られかねない裂を与三にも読者にも女工のかけがえのないものとして受け取らせるところに葉山のテクニックがある」「与三は過酷な労働に身を置きながらも人間性を完全に失ってはいない。小箱を拾い上げる純粋な好奇心がある人物。だからこそ奇跡的に女工の手紙を手にし、変容できる」「最後に与三の心境をすべて説明してしまうのではなく、第1段落と第3段落とで表記を変えることで読者にその心境を感じさせようとしている」などのご意見ご指摘をいただきました。


登場人物の心境の推移・対応関係を丁寧に押さえて行きたいと思いました。心境の推移は語り手に説明されたり言葉として出たりするだけではなく行動にも表れるので、そこにも注意して読んで行きたいです。

次回は有島武郎「一房の葡萄」の例会です。
では、失礼いたします。

6月4日「屋根裏の散歩者」読書会

2012-06-11 13:51:49 | Weblog
非常に遅くなりましたが、6月4日の例会では「屋根裏の散歩者」読書会をおこないました。司会は神戸が務めさせていただきました。

今回焦点となった部分は2つありました。

一つ目は「なぜ三郎は殺人を犯した後、遊びを面白く感じるようになったか」という部分です。
ここは「明智に勝った充足感」「自己顕示欲がみたされた」「殺人者として身を潜める快楽にひっている」などの意見が出ました。

二つ目としては「明智による罪の発覚はないのにどうして“法律上の罪人”になることを恐れた三郎が自首するのか(死刑になることを考えているのか)」ということが主題になって議論が行われました。
こちらでは「快楽の喪失によって死を望んだから」という意見が出ましたが、「あえて死刑を考える理由があるはずだ」という意見があり、そこから「秘密をもつ快楽から犯罪者である自分をさらす快楽にうつった」「犯罪が発覚する前は自分であって自分でない個(犯人)へのまなざしであったが、犯罪が発覚することによって自分自身(犯人である三郎)へのまなざしに変化する。それを三郎は望んだのではないか」「三郎は童心にかえっており、自白を考えたのでは」などの意見が出ました。
この問題については石井先輩から「三郎は明智に心理を操作されたのではないか」という意見を戴きました。

また岡崎先生・石井先輩には、舞台となった「東栄館」は当時最新鋭の建物。その構造だからこそ行うことが出来た三郎の犯罪であり、その構造の特殊性は重要視すべき所であること。また1920年代の東京の都市化など、当時の時代背景なども調べて挑めばよりよい例会になるというご指導などもいただきました。
また「郷田三郎」が“都会の高等遊民のなれのはて”であり、その人間性を探れば人との関わりを持てない(持っていない)、都市が生み出した特殊な人間であること、そういった人間が犯罪を犯すことによって、人(明智)と濃密な関係をもつことができた物語であるという一つの読み提示もしていただき大変勉強になりました。

他にも指導としては新入生が増えたこともあり、先行論を読むだけではなく、同作家の同時代に書いた作品をいくつか読んでくることによって、新たな発見があること。また例会に参加する者として司会者・発表者に負けないくらい、その作品・作者について知識を深めることなど、例会に参加する心構えなども御教授いただきました。


以上2年の神戸でした。
本当に遅くなってすいません。