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疎開の仕度に忙しいいなか母は叔母さんから紀尾井町へ呼ばれた。それとなく母や私に、使ってくれないかい、という言い方で形見の品を渡し、改めて白羽二重の反物を赤白の水引きをかけた包みを前に、叔母さんは、
「これは長い間私が心がけて来たものだけれど、今文ちゃんに渡します。見ての通りの布だけれど御所からの賜りもので、兄さんの御料にと思う。何の役に立ててくれても私は嬉しい。布一枚でも防げるものなら寒いたしにでも、人の目を防ぎたい時の被いにでも、裂けば包帯にも紐にも白い布は役に立つだろう、まさかの時、針も糸もなければ、くるくると、こう」
青木 玉 『小石川の家』より 講談社文庫
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徳さんは団塊の世代である。
競争の激しい中を生きてきたので、自己主張が強く、どの集団に置かれても、嫌味な存在と言われているようだ。
高齢化社会の真っ只中、一気に年金生活に入るものが多いわけで、日本経済の根幹を揺るがす悪の根源だとも言われている。
マイホーム主義の草分けで、その第二世代による第三世代に対しての虐待が問題になって、そもそもの団塊世代の子どもに対する取り返しのつかない教育の失敗として取りざたされてる。
だけど、これは良いはずだ、と思われることがある。
戦後平和教育だ。
戦中に育った人は、終戦と同時に180度の価値変換を見せ付けられ、教育を疑っただろうが、徳さんたち団塊の世代は戦争を知らない。
戦争が終わったばかりの、戦争のむごさ、悲惨さに対する激しい嫌悪、反省の中で育てられた。
それは、学校で教わったというより、大人たちが、ふとした折に覗かせる感情からより多くを教え込まれた。
空襲の恐ろしさ、焼夷弾とはどんなものだったか。防空壕をどうやって作ったか。ピカドンの威力は。肉親を亡くした人も大勢いる。戦地の話をする人もいる。
敗戦後の混乱した暮らし向きを語る人もいる。
身の回りはドキュメントに満ち満ちていたのだ。
抜粋は、幸田露伴の孫娘による、回想記だ。
東京空襲前夜の会話だが、戦争のむごさが、間接的な話だけに、強く伝わってくる。


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