猫の目

◎5匹の猫を見送り30年の猫の居る生活に幕が下りましたが
まさかの展開で又猫の居る暮らし復活!

損な役割と考えるか?仏の心を持つか?

2020年07月05日 | 日記

一緒に育たなかったきょうだい

思い出もない名ばかりのきょうだいです

きょうだいの間には公平・不公平がある

いつの間にか当たり前に大変な問題は私が担うようになった

母の介護も義妹の面倒も・・

俺はできないから

私は馬鹿だから

と負担を避けるきょうだい

私だって大変だけど頑張って我慢をしてきた

小さい頃からの構造が出来上がっている

私がやってくれると思っている

自分たちは何の苦労も犠牲もはらわず暮らしている

きょうだい 比べると不満が出ます

自分が折れれば「あたりまえ」と思われている事に憎しみが湧く

私にまかせておけばいいという態度

それを請け負ってしまう自分

それに愚痴をこぼすと自分は偽善者だと思ってしまいます

人の為に尽くしてきたことには心残りがない

報われなくても自分の誇りです

しかし70歳になり「犠牲的役割は遠慮させていただきます」となりました

血縁につけこまれるな (デービット・シーベリー)

 

 


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